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私は人一倍レコードをたくさん聴いたり、ラジオの深夜放送を熱心に聴いたりしていたわけではなかった。(それは今も同じ)
ロンドンで、たくさんのミュージシャンと出会うのと同時に、東京でもいきなりロックと出会っていった。
私はよく日比谷の野外音楽堂に通っていたが、お目当てのひとつは、フラワー・トラ ベリング・バンドだった。山本寛斎さんのファッションとロックがジョイントした ショウをテレビマンユニオンの(若き日の)重延浩さんが演出した時、私はスタイリ ストとして参加していた。ここでも、スリリングなかたちでファッションと音楽が結びついてゆく過程の中にいることになってしまったのだ。
内田裕也さんのようなカリスマ的ロックンローラー、近田春夫さんのような才能溢れるミュージシャンも、何となく身近に目撃することになった。ジョー山中はエロスに溢れた声で「ウーマン」を熱唱していた。幸運な出来事だった。
そのフラワー・トラベリング・バンドがあっけなく解散することになった。私の体験が浅いだけで、バンドとしては長い歴史と紆余曲折があったのだろう。東京では野音がラストコンサートだったが、ほんとうのラストは京都の丸山公園で行われた。
70年代初めのある年の5月、連休とストライキが重なったある日、私はやっと手にした航空券で京都に向かった。ひとりのんびり、会場を出たり入ったりして、5つか6つのバンドを楽しんでいると、夕方フラワーの演奏が始まった。
会場にはつくりもののピンクの象がおみこしのように運び込まれ、その象に白いマントを羽織ったジョーが乗った。(この白いマントを私は東京から運んだのだ)クライマックスになると、ジョーはマントを脱ぎ捨て、ターザンのような姿になった。
「サンシャイン エブリデイ」というリフレィンをジョーも、オーディアンスも、私もいつまでも歌い続けた。
その後、ひとりになったジョーは、渋谷のパルコでコンサートをした。
そのときの西武百貨店の担当者は、ずっとあとで渋谷店の社長になり、国会議員にもなった水野誠一さんだった。水野さんとはこのコンサートや、ロンドンのファッションデザイナー、ザンドラ・ローズのショウをいっしょにお手伝いした。西武百貨店はこの時代のカルチャーをいち早く牽引しはじめていた。
ジョーのコンサートで、ひときわ響く声で「ジョー!」と叫んでいる女性がいて、思わず見ると、詩人の白石かずこさんだった。
PS 今こうして自分が書いているものをちらっと読んでみると、するすると時代の「動く道路」に乗っていたみたいだ。偉そうにきこえるとこわいけど、自分の場所、生き方は自分で選んだもの。誰のせいでもない。そこに人生のつらいことも、楽しいことも降りそそいでくる。今もその真っ最中なのだ。(と、唐突だけど、書きそえます)
写真(撮影Yacco) 京都円山公園で、ラストに登場したピンクの象をステージに移動させている途中。このうえでジョー山中が歌った。写真は全体に少し色あせていて、私の記憶ではもっと鮮やかなショッキングピンクだった。
ロンドンで、たくさんのミュージシャンと出会うのと同時に、東京でもいきなりロックと出会っていった。
私はよく日比谷の野外音楽堂に通っていたが、お目当てのひとつは、フラワー・トラ ベリング・バンドだった。山本寛斎さんのファッションとロックがジョイントした ショウをテレビマンユニオンの(若き日の)重延浩さんが演出した時、私はスタイリ ストとして参加していた。ここでも、スリリングなかたちでファッションと音楽が結びついてゆく過程の中にいることになってしまったのだ。
内田裕也さんのようなカリスマ的ロックンローラー、近田春夫さんのような才能溢れるミュージシャンも、何となく身近に目撃することになった。ジョー山中はエロスに溢れた声で「ウーマン」を熱唱していた。幸運な出来事だった。
そのフラワー・トラベリング・バンドがあっけなく解散することになった。私の体験が浅いだけで、バンドとしては長い歴史と紆余曲折があったのだろう。東京では野音がラストコンサートだったが、ほんとうのラストは京都の丸山公園で行われた。
70年代初めのある年の5月、連休とストライキが重なったある日、私はやっと手にした航空券で京都に向かった。ひとりのんびり、会場を出たり入ったりして、5つか6つのバンドを楽しんでいると、夕方フラワーの演奏が始まった。
会場にはつくりもののピンクの象がおみこしのように運び込まれ、その象に白いマントを羽織ったジョーが乗った。(この白いマントを私は東京から運んだのだ)クライマックスになると、ジョーはマントを脱ぎ捨て、ターザンのような姿になった。
「サンシャイン エブリデイ」というリフレィンをジョーも、オーディアンスも、私もいつまでも歌い続けた。
その後、ひとりになったジョーは、渋谷のパルコでコンサートをした。
そのときの西武百貨店の担当者は、ずっとあとで渋谷店の社長になり、国会議員にもなった水野誠一さんだった。水野さんとはこのコンサートや、ロンドンのファッションデザイナー、ザンドラ・ローズのショウをいっしょにお手伝いした。西武百貨店はこの時代のカルチャーをいち早く牽引しはじめていた。
ジョーのコンサートで、ひときわ響く声で「ジョー!」と叫んでいる女性がいて、思わず見ると、詩人の白石かずこさんだった。
PS 今こうして自分が書いているものをちらっと読んでみると、するすると時代の「動く道路」に乗っていたみたいだ。偉そうにきこえるとこわいけど、自分の場所、生き方は自分で選んだもの。誰のせいでもない。そこに人生のつらいことも、楽しいことも降りそそいでくる。今もその真っ最中なのだ。(と、唐突だけど、書きそえます)
写真(撮影Yacco) 京都円山公園で、ラストに登場したピンクの象をステージに移動させている途中。このうえでジョー山中が歌った。写真は全体に少し色あせていて、私の記憶ではもっと鮮やかなショッキングピンクだった。
普段、恒常的にそういうものを求めているわけではないのですが、ジョーの名前を聞いて反射的に、ああ、しまった、聴いておくべきだった……
という思いにとらわれました。
シアター・ブルックの佐藤泰司さんぐらいだと思います。今エロティツクな日本のシンガーは。
当時の、フライヤーがでてきたので、詳細がわかったのですが、構成・一柳慧 演出・白井博 衣装・山本寛斎 写真・鋤田正義。私は企画協力でした。
人間の証明という映画で、
ジョー山中さんを知りました。
ママ~♪Do you remenber me Fast Hell
You said for me~♪ 歌詞はは裏覚えで。
西条八十さん(余談ですが、大好きです)
の詩印象的でした。映画のチケットの
子供さんがとても可愛かったです。
何処にいったら、Liveされてるのかな、、
少し前にNHKに出てらして、
かっこよかったですう!
【近日のライブ】
4日@原宿クロコダイル
http://www.music.co.jp/~croco/index2.html
18日@六本木BOLD(デイブ平尾氏の店)
近影はジョー山中氏をプロデュースする
ミッキー吉野氏HPの『PHOTO』コーナーに。
http://godiego.co.jp/index.html
映画『ワンモアタイム』
フラワーの映像もあります。
http://www.onemoretime.jp/index.html
http://www.asahi.com/culture/update/0126/008.html
「山本氏イベントヒストリー」
http://www.kansai-inc.co.jp/cici-maru/event_f.html
「近年発刊のフラワーに関する書」
『証』ジョー山中著・『人間コク宝』吉田豪著
こんなすごいことのはんのある部分を私は垣間見ていたんですね。
今度、エイプリール・フールを書こう、と思いました。
4/6(水) ブルースアレイ@目黒
Yaccoさんのブログを毎回楽しみに拝見しております。私はファッション関係の仕事ではないのですが、何故か山本耀司氏を考察するレポートを書きました。ファッションの世界も深くて、人間も面白い人が多いのでそういう面から勉強するのも楽しいですね!ジョーさん始めまた是非音楽関係の秘蔵写真をUPして下さい。まだまだ寒いので風邪など引かぬ様に・・・。
ピンクの象さんは、この象さんだったんですね。そして、
フラワーの日比谷野音の衣装は、Yaccoさんが選ばれた物だったんですね。
寛斎さんのデザインされたグリーン?のパンツでしたよね。
ジョーさん今もその衣装を、持ってらっしゃいますよ。
あの頃、ジョーさんとご一緒だった方々は、みなさん時代の先端をいかれてた方ばかりですよね。
それから、せとさん。人間の証明の可愛い男の子は、ジョーさんの息子さんです。
ライブですが、クロコダイル(原宿、渋谷に近いけど)に月1位で、出演しているはずです。
4月6日@目黒ブルースアレイ
4月9日@横須賀中央ANGELO(アンジェロ)
機会あえば是非楽しんでいらして下さい!
ちなみにフラワートラベリンバンドの写真持参で行かれてみては如何でしょうか?
※実は個人的にその際のレポを期待しつつなのですが(^ .^)y-~~~ 失礼しました!