高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」

表参道の午後

2005-02-17 | Weblog
地下鉄ができて、表参道駅が青山通りに、JR原宿駅近くが明治神宮前駅となる前、表参道は何となく明治通りとの交差点あたりのことだった。自分がセントラルアパートの住民だったから、勝手にそう思っていたのかもしれないけど。この写真を見ると、若々しいのは私ばかりじゃない、欅(けやき)の木そのものも若く、しなやかで幹が細い。そして道が広くて、オシャレっぽさと、田舎っぽさが程よく混ざり合っている。
セントラルアパートのまん前、多分この風景の右あたりは焼肉レストラン「八角亭」だった。
ランチ時、私はよく「コムタン」を食べた。どんぶりのなかには、白濁したスープにご飯、よく煮込んだ骨付きの牛肉が浮かんでいる。この味覚も、原宿に来てから知った。沢田研二がじゅう、じゅうと焼肉を焼いている姿を遠めに眺め「ジュリーわ!」とひそひそ声で騒いだり、大地喜和子が色っぽくうなずきながら、連れの男性と食べているのと隣同士になったりした。「大地さんは聞き上手の女性なのね」などと感心したりして。

セントラルアパートから、明治通りを新宿方向に歩く。
誰かにおごってもらわなければ入れない「金寿司」を過ぎて、最初の信号のところに「増田屋」があり、その向かいに喫茶店「マロン」があった。竹下通りは泣きたいぐらい淋しい通りで、お年寄りの夫婦が経営する自然食品の店があった。
その手前は「ろじーな」という喫茶店で、ここのママが自らつくる薔薇の花のジャムはおいしかった。その向かいには、ここもお年寄りの夫婦が開いている喫茶店があった。タクシーの運転手さんの溜まり場で、手作りのケーキとコーヒーが、ドトールもびっくりの50円ぐらいの安さだったろうか。

静かで、淋しい竹下通りが、目を覚ます。
原宿全体の鼓動のもうひとつの核として、若者達が集まり始める。私は竹下通りの真ん中付近にできた「カウント・ダウン」というお店が好きだった。そこには、ペルーやグアテラマのカラフルな布や雑貨が溢れていた。後にこの店をやっていた後藤さんは、浜野安宏さんと結婚する。浜野さんの「地球風俗曼陀羅」というすばらしい本とこの店の品々が共鳴しあっていたのは、そんなわけだった。
この通りの、どこかの店で、若き日の大久保篤志さん(スタイリスト)はバイトをしていたことがあるという。(いつだったか、「そのころ、よくやっこさんを見かけたよ」といわれたことがある) いろんな才能がここに芽吹いていた。

写真 (撮影・染吾郎) セントラル・アパートまえで。着ている服は三宅一生さん。表参道にはまだ中央分離帯がなくて、広々としている。建物も高層のものはすくなかった。