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縄文人のページ

何を書くかわからない

◆『源氏物語』

2018-01-27 20:14:27 | 文化

◆『源氏物語 千年の謎』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA

%9E_%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%AC%8E
2011年12月10日に公開された日本映画。
配給は東宝。
主演は生田斗真。
上演時間2時間16分。

あらすじ
怨霊がうごめく平安京、朝廷での更なる権力を求める藤原道長は、娘の彰

子に皇子を産ませるために、帝(みかど)の心を掴む方策を練っていた。紫

式部の身体を手に入れた上で、帝に捧げる物語の執筆を命じる道長。

紫式部の紡ぐ『源氏物語』は、帝や宮中の人々を魅了していった。義理の

母への道ならぬ想いに悩みつつ、多くの女性と恋の遍歴を繰り広げる光源

氏。そして、女たちを恨む正妻、六条御息所の生霊。

彰子は無事に皇子を産んだが、紫式部の物語は続いていった。陰陽師の安

倍晴明には、紫式部の身体を巡る鬼のような『毒』が見えていた。 『源氏

物語』の中では、六条御息所の生霊が葵の上を殺そうとしていた。その物

語の中に入って御息所を祓い、紫式部の『修羅の心』の強さを案じる安倍

晴明。しかし、道長は紫式部に物語を書き続けさせた。

物語の中で安倍晴明に、光源氏への愛を狂おしく語る六条御息所。その姿

の中に、道長に対する紫式部の愛を読み取る安倍晴明。六条御息所は伊勢

に去り、現実の世界でも紫式部が都を離れた。 紫式部は、我が身が鬼とな

る前に去り、道長を救ったと語る安倍晴明。道長の化身である光源氏は、

紫式部が道長を想い続ける限りいつまでも、物語の中で苦しい愛の日々を

生き続けるのだった。

 
◆【邦画】 2012 源氏物語 千年の謎
https://youtu.be/sIaFIaI7pZA
出演:生田斗真、中谷美紀、窪塚洋介、東山紀之 映画『シーサイドモーテ

ル』男だらけの顔だしコメンタリー 2010年6月5日(土)全国公開 辺ぴ


◆女御 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%BE%A1
女御(にょうご)は、天皇の後宮の身位の一つで、天皇の寝所に侍した。

官名は中国・周代の官制を記した『周礼』に由来し、位は皇后・中宮に次

ぐ。また、女御のうち、女性皇族たる女王が女御となった場合の呼称を王

女御という[1]。

初見は『日本書紀』雄略天皇の条であるが、実際は桓武天皇の代に紀乙魚

・百済王教法などを女御としたのに始まる。当初、その位は低かったが次

第に高まり、平安時代中期以降は、皇后は女御から昇進する慣例が確立し

た。最後の女御は孝明天皇の女御である九条夙子(英照皇太后)。

定員はなく、複数の女御がいる場合は住まう殿舎の名を取って「承香殿女

御」などと呼んだ。

応仁の乱以後、上流貴族の娘の入内が絶えると、女御も存在しなくなった

。後陽成朝に近衛前久の娘の前子が豊臣秀吉の養女として女御となり、つ

いで後水尾朝に徳川秀忠の娘の和子が女御になり、さらに中宮へ昇った。

江戸時代には歴代天皇の正妻として摂家や世襲親王家の娘が一人だけ女御

となり、しばしば准三宮となった。しかし霊元天皇や光格天皇などは女御

を中宮に立てたものの、立后させない例の方が多かった。

◆『源氏物語』(げんじものがたり)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E
平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である。
主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。

下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。
これが『源氏物語』の始まりである。
最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き]、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。
それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた。

なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された。
現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。
また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている。
 
◆成立・生成・作者に関する諸説[編集]

現在では3部構成説(第1部:「桐壺」から「藤裏葉」までの33帖、第2部:「若菜上」から「幻」までの8帖、第3部:「匂宮」から「夢浮橋」までの13帖)が定説となっているが、その成立・生成・作者・原形態に関しては古くから様々な議論がなされてきた。以下に、特に重要であろうと思われるものを掲げる。

作者は誰か

通説
紫式部(土佐光起画)
一条天皇中宮・藤原彰子(藤原道長の長女)に女房として仕えた紫式部が作者というのが通説である[35]。物語中に「作者名」は書かれていないが、以下の文から作者は紫式部だろうと言われている。
『紫式部日記』(写本の題名は全て『紫日記』)中に自作の根拠とされる次の3つの記述 藤原公任の 源氏の物語の若紫 という呼びかけ。
一条天皇の「源氏の物語の作者は日本紀をよく読んでいる」という述懐により日本紀の御局と呼ばれたこと。
藤原道長が源氏の物語の前で好色の歌を日記作者に詠んだこと。

尊卑分脈の註記
後世の源氏物語註釈書

「 「左衛門督 あなかしここのわたりに若紫やさぶらふ とうかがひたまふ 源氏にかかるへき人も見えたまはぬにかの上はまいていかでものしたまはむと聞きゐたり」 」

—底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本
 

「 「内裏の上の源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに この人は日本紀をこそよみたまへけれまことに才あるべし とのたまはせけるをふと推しはかりに いみじうなむさえかある と殿上人などに言ひ散らして日本紀の御局ぞつけたりけるいとをかしくぞはべる」 」

—底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本
 

「 「源氏の物語御前にあるを殿の御覧じて 例のすずろ言ども出で来たるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる すきものと名にしたてれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ たまはせたれば 人にまだ折られぬものをたれかこのすきものぞとは口ならしけむ めざましう と聞こゆ」 」

—底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本
 

「 「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」 」

—『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』
 

紫式部ひとりが書いたとする説の中にも以下の考え方がある。
短期間に一気に書き上げられたとする考え方
長期間にわたって書き継がれてきたとする考え方。この場合はその間の紫式部の環境の変化(結婚、出産、夫との死別、出仕など)が作品に反映しているとするものが多い。

一部別作者説
『源氏物語』の大部分が紫式部の作品であるとしても、一部に別人の手が加わっているのではないかとする説は古くから存在する。

執筆期間・執筆時期
源氏物語が紫式部によって「いつ頃」、「どのくらいの期間かけて」執筆されたのかについて、いつ起筆されたのか、あるいはいつ完成したのかといった、その全体を直接明らかにするような史料は存在しない。紫式部日記には、寛弘5年(1008年)に源氏物語と思われる物語の冊子作りが行われたとの記述があり、その頃には源氏物語のそれなりの部分が完成していたと考えられる。
安藤為章は、『紫家七論』(元禄16年(1703年)成立)において、「源氏物語は紫式部が寡婦となってから出仕するまでの3、4年の間に大部分が書き上げられた」とする見解を示したが、これはさまざまな状況と符合することもあって有力な説になった。
しかし、その後、これほどに長い物語を書き上げるためには当然長い期間が必要であると考えられるだけでなく、前半部分の諸巻と後半部分の諸巻との間に明らかな筆致の違いが存在することを考えると、執筆期間はある程度の長期にわたると考えるべきであるとする説や、結婚前、父に従って越前国に赴いていた時期に書き始められたとする説や作中の出来事が当時の実際に起きたさまざまな事実を反映しており最終的な完成時期をかなり引き下げる説も唱えられるようになってきた。

一方で、必ずしも長編の物語であるから長い執筆期間が必要であるとはいえず、数百人にも及ぶ登場人物が織りなす長編物語が矛盾無く描かれているのは短期間に一気に書き上げられたからであると考えるべきであるとする説もある。

 
◆3分で読む源氏物語/紫式部が描く光源氏の生涯のあらすじ&続編
http://genji.choice8989.info/
紫式部によって平安時代に成立した世界最古の長編物語のひとつである源氏物語。桐 壷から夢浮橋までの全54帖の大長編をわずか3分で読破。ちょっと詳しく各帖3分ずつ 読むこともできちゃいます。

●源氏物語のあらまし
今から1000年以上前の長保3年(1001年)には、ある程度完成したと言われる小説。作者は紫式部。
 全54帖に及び、文字数は約100万(400字詰め原稿用紙で約2400枚)の大長編。70年間にも渡るストーリーには、約500名の人物と約800首の和歌が登場する。

●源氏物語の書き出し
  いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
  はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり…

●本編
   桐壷   帚木   空蝉
   夕顔   若紫   末摘花
   紅葉賀   花宴   葵
   賢木   花散里   須磨
   明石   澪標   蓬生
   関屋   絵合   松風
   薄雲   朝顔   乙女
   玉鬘   初音   胡蝶
   蛍   常夏   篝火
   野分   行幸   藤袴
   真木柱   梅枝   藤裏葉
   若菜上   若菜下   柏木
   横笛   鈴虫   夕霧
   御法   幻   雲隠
   匂宮   紅梅   竹河
   橋姫   椎本   総角
   早蕨   宿木   東屋
   浮舟   蜻蛉   手習
   夢浮橋 
 続編
   源氏物語の続編
   山路の露【前編】  【後編】
 
◆あなたはどのタイプ?『源氏物語』に登場する魅惑の女性キャラからモテる ...
https://pdmagazine.jp/works/genji-monogatari/
今から1000年以上も前に書かれた長編小説、『源氏物語』。光源氏の心を射止めた 女性キャラクターのうち、あなたは誰にあてはまるのでしょうか。診断チャートでチェックし てみましょう!


◆「源氏物語」って結局どんなお話なの?
人文学部教授・山本淳子先生に教えてもらった
https://www.kyotogakuen.ac.jp/admissions/ITMT/saeri/junko/源氏物語こんにちは、ライターのさえりです。

みなさん、「源氏物語」ってご存知ですか? 「光源氏」が出てくる物語で、なんだか色っぽい恋沙汰がたくさん描かれている、そう、アレです。

……と、「アレ」でごまかしてしまうほど、わたしは源氏物語のことをほとんど知りません。興味はあるものの「古典」に触れる機会がなく、25年間も生きてきてしまいました。

知らなくても生きていけるけれど、でもあれだけ有名な物語をこの年になって「読んだことない」「よくわかんない」なんていうのも問題な気がしてきました。スマホをスクロールしているみなさんは、ちゃんと読みましたか?

今回、京都学園大学で源氏物語を研究している先生がいるということで色々とお話を伺ってきました。この機会に源氏物語とは何かを学んじゃいましょう。

 
◆源氏物語 - 京都大学電子図書館
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/np/genji.html 
   源氏物語は、紫式部によって書かれた平安時代中期の長編物語で、日本を代表する古典文学として、世界的にも非常に有名な作品です。全54帖。
  主人公・光源氏をめぐる恋愛・人生を中心として、物語は展開していきます。そのモデルは藤原道長ではないかとも言われています。さまざまな恋物語、多彩な登場人物、平安王朝の宮廷の様子、貴族たちの日常生活のほか、平安時代当時の信仰・社会・文化などが描かれています。

 
◆源氏物語『桐壷・光源氏の誕生(いづれの御時にか〜)』の現代語訳・解説
http://manapedia.jp/text/3561
源氏物語『光源氏の誕生・光る君誕生』

ここでは、源氏物語の桐壷の章『光源氏の誕生』(いづれの御時にか〜)の現代語訳・口語訳とその解説をしています。書籍によっては『光る君誕生』とするものもあるようです。


原文(本文)
 いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごと なき際にはあらぬが、すぐれて 時めき給ふありけり。
はじめより我はと思ひ上がり給へる 御方々、めざましきものにおとしめ 嫉み給ふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、 まして安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりに やあり ...
源氏物語『桐壷・光源氏の誕生 - 古文単語「やむごとなし/やんごと - 古文単語「ときめく」


◆源氏物語『桐壷・光源氏の誕生(前の世にも御契りや〜)』の現代語訳
http://manapedia.jp/text/3563
源氏物語『光源氏の誕生・光る君誕生』

ここでは、源氏物語の桐壷の章『光源氏の誕生』(前の世にも御契りや深かりけむ〜)の現代語訳・口語訳とその解説をしています。書籍によっては『光る君誕生』とするものもあるようです。

※前回のテキスト:「いづれの御時にか〜」の現代語訳・解説


◆源氏物語『桐壺』(1)現代語訳(光源氏の誕生) - 勉強応援サイト
http://lscholar.hatenablog.com/entry/2014/12/11/064614
「黒=原文」・「青=現代語訳」

解説・品詞分解はこちら源氏物語『桐壺』(1)解説・品詞分解

問題はこちら源氏物語『桐壺』(1)問題1

改訂版はこちら源氏物語『桐壺』まとめ


いづれの御時(おほんとき)にか。

いつの帝の御代であっただろうか、


女御(にようご)、更衣(かうい)あまたさぶらひ給ひけるなかに、

女御や更衣の方が、大勢お仕え申し上げていらっしゃった中に、


◆やさしい現代語訳 「源氏物語」
http://wakogenji.o.oo7.jp/gendaigo.html
「桐壺」
(きりつぼ)
第1帖
 何時の御代のことでしょう。
 宮中には、帝のご寵愛を一身に受ける姫(更衣)がおりました。
 美しい姫はやがて皇子(源氏の君)を産みますが、皇子3歳の頃亡くなります。
 帝は悲しみの中、更衣によく似た藤壷を入内させ……

「夕顔」
(ゆうがお)
第4帖  六条御息所の御邸にお通いの途中、夕顔の花の咲く家がありました。
 源氏の君が「その白い花は?」と尋ねますと、扇に夕顔の花をのせて……
やがて夕顔の姫君と愛しあいますが、御息所の生霊に憑かれ、はかなく命を落とします。

「若紫」
(わかむらさき)
第5帖 熱病を病んだ源氏の君は、祈祷のため北山の寺にでかけます。
そこで愛する藤壷(継母)によく似た愛らしい少女に出逢い、二条院に迎えます。
 愛しい藤壷との初めての逢瀬に、藤壷はご懐妊をなさいまして……



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