ブルース・フーテンGG

団塊の世代日記(世の中にもの申す!・自分にもの申す!)

フーテンGG気まぐれハイク  No,339  さみしくて・・・・・

2012年07月03日 17時37分57秒 | 俳句

339                     ○ さみしくて我が身を惜しむボールペン 

 この「ボールペン」は還暦をとうに過ぎた男の自画像だとでも言えばいいか?

「さみしい」などという言葉を直接書くのは、ちょっと俳句をやる人にはタブーである。

「さみしい」と言ったのでは、一般的な意味があるだけで、そこにポエジーが生まれないからだ。

つまり「さみしい」という感じを読み手に受け取ってもらうのには、表にあらわれた言葉を通して暗に示すほうがより実感的になる。

「さみしい」という言葉の一般的意味が溶解したところで読まれるからだ。

同じ風景を描いた絵だって、「さみしい」感じにも「楽しい」感じにも描けるのを思えばいい。

 「さみしい」だの「寂しい」だのは、私(作者)の偏愛する言葉のひとつで、ついつい使ってしまう。

歳をとるとさみしさは増大するからなおさらである。

この先に待ち構えている病気や死をいやがうえにも考える。

そんななか、知らず知らず諦めがこころを占めてくるのはわかるのだが、一方で、「老い」を遅らせようとどこかで努めたりもする。

今はやりの言葉で言う「アンチエイジング」(加齢に戦いを挑む)の消極版が「我身を惜しむ」ということになろうか。

何事においても老いはケチ臭くなる。

老人の呼吸が浅くなるのは、軽い「過呼吸」だと誰かが言っていた。

横隔膜が弱ることもあるが、息を吐くことすらケチになるとも言えそうだ。

そういえば、誕生が産声を上げる、つまり「息を吐く」ことから始まり、死ぬ時は「息を引き取る」と言うな。

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