335 ○ 温泉饅頭割って地球など思う
東日本大震災をふまえたことがすぐ分かる「あざとい」句であまりおもしろくない。
言いかえると、理で割れたというか、その意味合い含みがなく、句が痩せている。
意味化することを嫌い、曖昧に表現する今時の若者のような軽さはない。
断定することをきっかけに議論なり対話が始まることはあるが、その入り口で、態度をあやふやにしてしまう人も少なくない。
対立することを基本的に回避するのは、昔からの日本人の特徴ではある。
こうした心性を保持したまま、自らの「個」を中心に据えようとすると、他者との違いのギャップに「己」を責めたり「ノリ」の悪さを恨んだりする。
そんな若者を多く見てきたが、そんな無意識がこの句にあるか。こじつけられないことはないかもしれないが、やはり無理がある。
地球を饅頭に見立てれば、地震にしろ津波にしろ饅頭の「皮」のところでのできごとになってしまう。
去年、「大津波月からすればよく見えず」という句を作ったが、声高に犠牲者・被災者に聞こえるように応援歌を歌うのが、私は嫌いだという場所からの句である。
この句も同じようなところから、作られている。
私のところだって、震度6弱の大地震が、続けだまに2度きて、被害は精神的なものを含めれば甚大だと言える。
東日本大震災をふまえたことがすぐ分かる「あざとい」句であまりおもしろくない。
言いかえると、理で割れたというか、その意味合い含みがなく、句が痩せている。
意味化することを嫌い、曖昧に表現する今時の若者のような軽さはない。
断定することをきっかけに議論なり対話が始まることはあるが、その入り口で、態度をあやふやにしてしまう人も少なくない。
対立することを基本的に回避するのは、昔からの日本人の特徴ではある。
こうした心性を保持したまま、自らの「個」を中心に据えようとすると、他者との違いのギャップに「己」を責めたり「ノリ」の悪さを恨んだりする。
そんな若者を多く見てきたが、そんな無意識がこの句にあるか。こじつけられないことはないかもしれないが、やはり無理がある。
地球を饅頭に見立てれば、地震にしろ津波にしろ饅頭の「皮」のところでのできごとになってしまう。
去年、「大津波月からすればよく見えず」という句を作ったが、声高に犠牲者・被災者に聞こえるように応援歌を歌うのが、私は嫌いだという場所からの句である。
この句も同じようなところから、作られている。
私のところだって、震度6弱の大地震が、続けだまに2度きて、被害は精神的なものを含めれば甚大だと言える。