映画批評etc

映画の感想ではなく批評
その他諸々

一コマとしてかなり秀逸

2012年02月04日 | Weblog
いきおいが凄いな。

映画『ダークナイト ライジング』 - オリジナル予告編 (日本語字幕)

2012年01月14日 | 映画(タ行)
映画『ダークナイト ライジング』 - オリジナル予告編 (日本語字幕)

大阪の事件について

2010年08月04日 | Weblog
一人の親父として許せない事件だ。

一歳と三歳なんて可愛い時期に決まってる。
赤裸で汚物とゴミにまみれながら帰らぬ母を待つ二人。
泣きながら食べ物を探す二人。
冷気以外には何もない冷蔵庫。
むせかえるような暑さ。
次第に朦朧とする意識。

暑いから弟の服を脱がせてあげたお姉ちゃん。

先にお姉ちゃんが息絶え、数時間後に弟が亡くなったとのことだ。

寂しすぎる数時間だ。
その孤独感は想像を絶する。

そんな子ども達二人が痛々しい姿で寄り添いながら冷たくなっている姿を想像すると胸が痛くなってしまう。
あまりにも凄惨な現場。
この徐々に明らかになる痛ましい姿はどうだろう。

本当に虐待なんて許せない。
未必の故意による殺人罪の適用も検討されているようだが、もし立件出来たら死刑も可能なはず。
こんな奴は人権なんて無いので、処刑して欲しい。
しかも餓死で。

前から思っていることだが、刑が確定したら、その刑のレベルに従って、人権は奪っていいと思う。
コイツの場合は再犯の可能性はゼロだろうが、重大性を考えたらね。
そしてこの母親に関わりのある人間にも相応の責任を取る義務がある。
友人や両親は当然ながら隣人や職場の同僚も幼児達の死に関わっているのだ。

これだけ消極的な虐待による殺人は聞いたことが無いし、それだけに何度も救われるタイミングがあったはずなのだ。


ところで、行政の無力さは深刻だ。
ヤル気ないのかな。
使命感無いのかな。
これって仕事のミスのカテゴリーとすると、故意じゃない中では最悪。
しかし、大阪は相談所の水準は高いというから目眩がする。
国が主導して強制力を与えなきゃまた同じ事が起きうるだろう。

もはや虐待は珍しい事ではなく、日常的な事件だ。
根本的な解決策を議論する必要がある。

同じような事件が発生する前に。

とにかく二人の冥福を祈るばかりだ。

THE KARATE KID - Official Trailer [HQ]

2010年07月11日 | 映画予告動画
THE KARATE KID - Official Trailer [HQ]



BECK Trailer #2

2010年07月11日 | 映画予告動画
BECK Trailer #2



「特攻野郎Aチーム THE MOVIE 」日本語吹き替えオープニング ver.2

2010年07月11日 | 映画予告動画
「特攻野郎Aチーム THE MOVIE 」日本語吹き替えオープニング ver.2



M-1グランプリの結果

2009年12月22日 | Weblog
優勝のパンクブーブーだが、まったくノーマークだった。
youtubeでコントを見てはいたが、漫才は初めて見た。

正直、満票を得るほどとは思えず、自分のお笑いに対する目が衰えたことを感じた。

よく、吉本の政治等が取り沙汰されるが、今回に関しては、最終決選で満票という結果なので、相当の出来でなくては難しいだろう。

ノンスタイルと笑い飯に関しても、それほど面白いとは思わなかったが、決勝で敗退した、南海キャンディーズとモンスターエンジンに関しては、面白いと思った。
特に山里の独特のボキャブラリーによるツッコミと、モンスターエンジンのガラの悪いボケは、好いな~と思って見ていた。
しかし、彼らはむしろ低評価の部類。


しかし、審査員の中では中田カウスの点が高すぎ。
東国原は芸人のプロとしての立場ならそのまんま東の名前で出るべき。
それに、もうお笑いやってないじゃん。

とは言っても、笑いに対する目は年々曇ってきているのは間違いないだろう。
おっさんになってきてるんだから仕方ないが、一抹の寂しさは感じる。

カールじいさんの空飛ぶ家

2009年12月22日 | 映画(カ行)
★2009年 アメリカ

★スタッフ
監督
ピート・ドクター
ボブ・ピーターソン
製作総指揮
アンドリュー・スタントン
ジョン・ラセター

★あらすじ
ピクサーによる記念すべき第10作目。老人が抱き続けてきた夢をかなえるため、驚くべき方法で冒険の旅に出る。ファンタスティック・アドベンチャー。ピクサー初のディズニーデジタル3-D(TM)版も公開。

★寸評
PIXAR作品のブランドイメージは大人から子供まで楽しめる娯楽作品である。
今回は主人公を老人にし、共感を得られにくいかと危惧していたが、さすがPIXARだ。
テーマは普遍的で、子供・夢・冒険ファンタジー・心の通い合いなどを随所に散りばめた作品になっている。
しかし、この邦題、いかがなものだろう。
原題は非常にシンプルに「UP」だ。
これに比して邦題はジブリそのものである。
その方が売れる作品になるという日本側の判断だろう。
この邦題だと、作品自体を小さな枠に縛ってしまわないだろうか。
原題の非常にシンプルでポジティヴなイメージからは程遠いタイトルだ。
ジブリ作品に対するリスペクトと捉えるべきだろうか。
販促のためとはいえ、あまり賛同できない。

本作では、家が空を飛ぶのは重要な設定だが、この作品はファンタジー色が薄いし、魔法も怪獣も出てこない。
社会的弱者の老人とアジア系の肥満児が主人公だし、美少女もイケメンも出てこない。
描きたかったのは日常的行動からの大きな飛躍だろう。
主人公周辺のキャラクター群は犬も鳥も少年も皆、自分の能力以上に、良心に従った飛躍的行動をする。

これが爽快感を生み、物語に躍動感を与えている。

ところで、宮崎駿が本作を見て、
「実は僕、『追憶のシ-ン』だけで満足してしまいました」
というコメントを出している。
この言葉尻を捉え、最初10分だけで本作の良いところは終わり、という口コミも見られる。

一理あるのかもしれない。
子供が見ることを前提に加えると、あまりにも感傷的過ぎるし、これだけでは満足してもらえない。
そこに、やや設定上無理をしてでも痛快さや高揚感を入れなくてはいけない。
そこには成功しているのではないだろうか。
そもそも冒頭の追憶シーンは設定の説明のシーンなのだ。
にも関わらず、説明的と感じる部分はなく、それどころか出来が良すぎて本編の中に食い込みすぎたのだろう。


ところで、設定上の無理は気にするとキリがない。

・あの冒険家は何歳だ?
・カールじいさんの体力が異常に回復
・そもそもカールじいさんとはあまり呼ばれない
・冒険家の扱いがぞんざい

といったところは気になった。
が、これらを以て本作の価値を貶めるのは少し勿体無い気がする。
これは、原題の「UP」という響きがそれらを解決してくれるような気がする。


イングロリアス・バスターズ

2009年12月10日 | 映画(ア行)
監督 クエンティン・タランティーノ
出演 ブラッド・ピット
ダイアン・クルーガー
ティル・シュヴァイガー
ダニエル・ブリュール
クリストフ・ヴァルツ
メラニー・ロラン

あらすじ
家族をナチスに惨殺された少女の復讐劇を軸に、ヒトラー暗殺計画に挑むゲリラ部隊の活躍を描く。

寸評
タランティーノ監督の独特の会話劇が好きかどうか、に尽きる。
独自のスタイルを既に築いてしまっている彼の作品だから、どうしても好き嫌いはあるものだ。

今回もとにかく会話で押しまくる。
ブラッドピットはドスの利いた声で終始渋い顔をしている。
相変わらずこの男、正統派二枚目役をやらない。
今回の役はナチと対決する役だが、異常に残虐だ。
が、またこの男がやると暗くならず、妙にノー天気にさせてしまうのだ。
このへんが、彼の好みなのだろう。

この作品でのサプライズはクリストフヴァルツという役者。
過剰な演技だが、タランティーノの世界にはハマっている。
いちいち演技にクセ者感が漂うのだ。
この演技のアプローチは古畑を演じるときの田村正和のようだ。
本当にやり過ぎ。
だが、多数の言語を自在に喋るとは・・・スゲー。


しかし、残虐なシーンがそこかしこに描かれるタランティーノ映画。
本作での暴力描写は、素晴らしいと思った。
特に、映画館のバルコニーからマシンガンのシーンは素晴らしく美しさすら感じた。
残虐なシーンが苦手な人は多いだろうが、タランティーノは見る、という方は多い。
今回の作品もとても正視に堪えない程のレベルではない。
むしろそれ以外に緊張感を煽るシーンは多い。

なかなかの作品である。

M-1グランプリ2009 決勝進出者発表

2009年12月08日 | Weblog
以下に決定した模様。

ナイツ(マセキ芸能社)
南海キャンディーズ(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
東京ダイナマイト(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
ハリセンボン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
笑い飯(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
ハライチ(ワタナベエンターテインメント)
モンスターエンジン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
パンクブーブー(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)


優勝候補と言われるコンビがそのまま優勝することがないのがM-1だが、本命はナイツと南海キャンディーズだろう。

しかしながら、ナイツは手法が既にバレている。
これを審査員が高評価するのは、イマイチ想像しにくい。
従って方向転換か、出来がいいか、でなくては厳しいと思う。
南海も同様。
しかし、彼らの潜在能力は高く、爆発もあり得る。
要は山里の出来次第だ。

ハリセンボンはどうだろう。
予選突破出来たのが既にピークだろう。
これ以上の上積みは難しい。
最近のネタは知らないが、これまで女性のコンビが優勝したことは無いので、出来たら本当に凄いと思うがそれは無い。

笑い飯は今回で何回目だ?
最早負けの美学となっているが、審査員側の見る目の厳しさもあるか。
勝ち時を逃してしまった感がある。

ハライチ、パンクブーブー、モンスターエンジンには強烈な「何か」が無い。
優勝するコンビには必ずあるキャラクターなり実力なり、強烈な「何か」。
これら3組には今のところそれが無いか。

ここで東京ダイナマイトである。
もう何年も追い続けているコンビである。
しかし、既に世の中からは忘れられかけている。
事務所の移籍、不遇の時代を経て、よしもとに今年になって拾われ、いきなりの決勝進出だ。
既に優勝後のストーリーも出来上がっていると言える。
実力は折り紙つきだ。
是非ともこのコンビに優勝してもらいたい。

笑点大喜利 「さらば圓楽」

2009年10月30日 | Weblog
笑点大喜利 「さらば圓楽」


圓楽師匠が亡くなりました。
落語ファンとしては悲しいニュース。
「笑点」「大喜利」という日本のお笑い文化に於ける功績は甚大です。
(談志は「俺が作ったんだ」とでも言いそうですが)
現代のお笑いでは一番面白いヤツは噺家にはならず芸人になる。
噺家で成功するには二世だったり(正蔵や喜久蔵)、余程のテクニシャン(昇太)でないと成功しない。
圓楽が活躍した時代の60年代は一番面白いヤツは噺家。
その中で四天王(談志、志ん朝、柳朝)と呼ばれ、抜群の知名度を誇りました。
また、タブーを破る反逆者でもありました。

第一線を退いてはいましたが、日曜の夕方の原風景は圓楽師匠の豪快な笑い声だった気がします。
親戚のお爺ちゃんを亡くしたような、そんな寂しさがあります。

残念ですね。

映画批評を批評する

2009年10月14日 | Weblog
映画ライターという仕事がある。
自分が見た映画を殆ど主観に基づいて、批評という名のもとに、あーだこーだくだらないことをいう、唾棄すべき下賤な仕事だ。
この仕事がいかに下らない仕事かを検証する。
下記は、映画ライターを名乗るクソ女の記事。
まずは下記リンクに飛んでみましょう。

http://www.cinemaonline.jp/review/kou/8264.html


以下、詳しくネチネチ突っ込んでいく。


「プロレスに関しては詳しくないが」
・・・専門家に聞くなり、調べるなり、批評を行う前にそれなりの下準備は必要だろう。調査無くして、よく批評が出来るもんだ。この時点で作品に対する敬意を欠いているし、読者をも愚弄している。つまり、調査しないで書いても大丈夫だろうというプロ意識の欠如だ。以下の文章もかなり的外れで本当にプロレスを知らない無知を露呈する。



「ランディに敬意をもって接する様子は、礼儀と秩序を感じさせる」
・・・礼儀は分かるが秩序とはなんだろう。もしやプロレス団体が荒くれ者の無法者集団だとでも思っていたんだろうか。んなわきゃねーだろ。殺し合いしてるんじゃねーんだから。ここでも調査不足と知識不足を露呈している。


「キャシディは、破滅型の男を慈しむ黄金のハートを持つ女性だ。」
・・・「黄金のハート」とはどういう意味だろう。かなり唐突に定義もしないで言葉を使うので、読む側は混乱し、失笑する。このライターは言葉で飯食ってるにも関わらず言葉が不自由で、且つボキャブラリーは貧困だ。


「映画というのは不思議なもので、役者が過去に演じてきた役や本人の私生活が、作品のあちこちに映り込む」
・・・そうだろうか。それは単に作品を純粋に楽しんでおらず、ゴシップが先入観としてあって、色眼鏡で見ているだけではないか。そういう見方はよくないし、作品に対して失礼な気がする。このクソ女は映画に対するリスペクトも無くライターをやっている、ということになる。多少難癖かもしれないが、私はそういう見方はしない。要するに語弊を恐れずに書けば、下世話ネタ大好きなおばちゃんの見方なのだ。


短い文章にも関わらず、かなりの突っ込みどころが見られた。
しかもその他の大部分はストーリーばらしの記述なのだ。
だからコイツは映画で飯を食う資格のない人間と断ずる。
ストーリーを紹介するならまだしも、核心部分に触れながら、説明していくのだ。
これは映画を紹介する人間の最低限のマナーだろう。
ネタばれを含むのなら冒頭にそう記述すべきであるが、このクソ女はそれもしない。

一番の問題は、かなりの部分が批評ではなく主観による感想なのである。
批評とは聞いて呆れる、中年の感想文のレベルである。
専門家にしか語りえない、丹念な調査に裏打ちされた指摘などは皆無だ。
その上、主観中心なので好き嫌いを中心に述べる。
その好き嫌いも、権威主義に塗れている。(賞レースに勝った作品は褒める。実は一番こういう人間性が嫌い)
評論家、エッセイストとは、独自のユニークな視点で、「なるほど、こういう見方もあるわけだ」とその映画を更に面白く感じさせてくれるものだろう。
しかしこのクソ女は上記の通り、中年の感想文を書いていい気になっている。
しかも偉そうに点数まで付けてやがる。
プロフィールにある、「映画へのあふれる愛情」が聞いて呆れる。
何を基準に点数付けられるんだろうか。
馬鹿タレが。

こんな仕事が成り立つのは映画が儲かるからなんだろうか。
はっきり言って要らない仕事だ。

このクソ女の記事よりは「みんなのシネマレビュー」などの一般投稿者の口コミを参考にする。

と、こきおろすだけではフェアではないので、礼儀として、下記に自分の駄文のリンクを載せておく。
題材はクソ女ライターと同じ作品の「レスラー」の記事だ。

http://blog.goo.ne.jp/hterusuke/e/7adf697ff6970e14cdc2f50c01e8a538



ついでに、このサイト自体がポンコツな証左。

http://www.cinemaonline.jp/review/soku/1699.html

フットボールの岩尾をデブにしてメガネにして麦わら被せた感じのコイツも馬鹿です。
一番上の「批評家からの一言」
「自身」が正しいですが「自信」になっちゃってます。
言葉を扱う資格無し。
なに、自信持っちゃってんだよ、麦わらブタメガネ。
アップする前に気づけよ。
間違いが分からないんだったら、漢字やり直せ。DSで漢検やっとけ。


と、いうことでこいつ等みたいなクソ記事よりも当サイトの記事の方がはるかに役に立ついうことを確認できたわけだ。
上記リンクの記事が検索で引っかかり、読んでしまったがために私の心が荒んでしまった。
二度と読むことは無いだろうし、テレビやラジオで登場したら、速やかに消すだろう。
lilicoは好きなんですけどね。

出産後の所感

2009年09月23日 | Weblog

出産を無事終え、経過も良好ということで一人自宅に戻った。
ここまでに感じた所感を書き残しておこうと思う。

出産という事業は夫婦にとって人生において乗り越えるべき一大イベントだ。
にしては男の立場は非常に無力である。
飽くまで女性と子供が主役のイベントなのだ。

陣痛の苦しみが、どの程度のものなのか、判らないながらも認識を改める必要があった。
これは尋常ならざる痛みなのだろう。
苦しむ妻を見て、自分が今まで陣痛の痛みというものを朧げながらに想像していたものを遥かに越えるものであることが分かった。

妻は、私よりも健康で我慢強い人である。
ちょっとやそっとで痛がるような人ではない。
加えて以前から精神力も強く滅多に弱音を吐かない人だ。

その妻が苦痛に顔を歪め、悲鳴を上げるのだ。
最後まで弱音こそ吐かなかったが、度重なる長時間の陣痛に数回意識を失いかけた。

これは難産だったからに他ならないのかもしれないが、巷間のお産に付き物の風景なのだろう。
助産師や看護師は落ち着いたものであった。

しかしながら、母体と胎児にとってこれ以上リスクを払うのは無理と考え、我々は帝王切開に切り替えたのだった。

結果、母子共に経過は順調である。

このお産を妻は乗り越え、掛け替えのない子を、健康に授かった。

その子は今、元気にたくさんウンチをしている。
ウンチをしすぎである。
ウンチ娘だ。
あと、おっぱいが、好き過ぎである。
おっぱい娘でもある。

非常に手の掛からない子で、夜も昼もスヤスヤと眠っている。
癇癪を起してギャーギャー泣くことは少ない。
ひたすらおっぱい飲んでウンチをしているのだ。
たまにシャックリとゲップとクシャミで変化を付けながら、両親を楽しませてくれている。

あまりにも平和な風景が広がっているのだ。
娘は可愛い。
現在、私の脳みそは溶けてしまっている。
親馬鹿を越え、馬鹿になっている。
この平和とのギャップは大きい。

男は、立会をせずにこの平和だけを見てしまっては、出産を経る女性の苦労に敬意を払わないことになる。

日本ではまだ無痛分娩や帝王切開より、自然分娩が主流だ。
すなわち、世の中のママは苦痛を克服している方が殆どなのだ。
特に今50代以上の方々は劣悪な環境でお産を行った方が多い。
よくもそんな環境で・・・、と思うエピソードには枚挙に暇がない。

スゲーなー、と思った。



両家の家族にとっても大きなイベントなのだと分かった。
自分達の両親が非常に喜んでくれ、子を見て相好を崩すのは得難い喜びだ。
できれば素直に健康に育って欲しいし、しっかりと育てなくてはいけないと強く実感した。


と思いながらも、顔を見るとトロトロに溶けてしまう。
何をしても可愛いし、ちょっとしたことでも心配だ。
できればずっと見ていたい。

そんな風に思った。

娘が産まれた

2009年09月19日 | Weblog
本日未明に妻が娘を出産した。
少し小さな、妻そっくりの女の子だ。
私に似ているのは耳と髪質くらいか。
本当に良かった。

二人とも元気な様子で誠にありがたい。
これほどに嬉しいことがあるのか、と素直に感じる。

難産であった。
陣痛が始まってから24時間あまり、分娩室に入ってから12時間の、長時間にわたる初産である。
最終的には医者とも相談し、自然分娩から帝王切開に切り替えた。
本人の体力が限界に達しつつあったのと、妻を一刻も早くこの痛みから解放してあげたいという希望が一致し、この決断に達した。
しかしリスクは非常に少ないと感じる。
むしろ早い段階で、切り替える提案をしなかった自分の馬鹿さに呆れる。
必死な妻に着いて行くだけで精一杯だった自分は実に情けない。
激痛との戦いに必死な妻をなんとか助けることしか考えられず、冷静な判断力を欠いた自分がいた。


そもそも、分娩室に入ってから、ビビってた。
周囲の部屋から聞こえる、妊婦の叫び声。
断末魔のようだ。
聞いた話とは世界のスケールからして違っていた。
痛みからくる叫び声や出産をする際の声は、人間よりも獣のそれに近い。

それほどにも痛むのか。
逃げたくなる、意気地の無い自分がいた。

妻にも徐々に強い痛みが迫る。
苦痛に耐える妻を見るのは忍びない。

しかし妻は必死に耐えているのだ。
妻の隣には陣痛の数値を刻むグラフが置かれていて、その針の振れ具合で客観的な痛みの強さが分かるようになっている。

痛みは時間と共に強くなり、妻の意識は混濁していく。
しかし必死に耐え続けている。

自分の無力さを思い知り、そして逃げたいとすら感じている自分にも気付き自己嫌悪になる。

しかし逃げるわけにはいかないのだ。
目の前の妻は3分毎にやってくる圧倒的な苦痛と戦いながら、あまつさえ私に気を遣ってすらいる。
にもかかわらず、この痛みの世界に同化した影響で精神を攻撃された自分は逃げたくなっている。

少し閃いた。

ここの、今現在いる世界と自分とを切離し、痛みとは無関係なのだと考える。
そして妻を励ますことに専念する。

すると少しだが、気が晴れた。
妻の痛みを感じ取ろうとしたのがいけなかったのだ。
アプローチが間違っていた。
自分に出来ることは少ないので、少ないなりにやれば好いのだ。
当たり前だがそう思うことにした。

多分これが、少ない正解のアプローチのひとつだろう。


お産の最中は、さながら悪霊にでも憑かれたが如くだった妻も、終わった後の表情はリラックスしていた。

麻酔が切れたあとはまた痛みがあるとのことだったが、少しでも休息は必要だ。

その後少しだけ妻と話し、無人になった病院を後にした。

今まで出産を甘く考えていた。
母親をリスペクトし感謝した。
無事でいてくれた妻と娘に深く感謝した。
また会うのが楽しみだ。

羊たちの沈黙

2009年09月14日 | 映画(ハ行)
1991年【米】

監督 ジョナサン・デミ

キャスト
ジョディ・フォスター
アンソニー・ホプキンス

原作 トマス・ハリス

あらすじ
猟奇連続殺人事件が発生。 FBI訓練生は、FBI行動科学課課長からある任務を命ぜられ。多くの患者などを殺害し食した凶悪犯(天才精神科医)Hannibal Lecterに接触し彼の協力の下犯人に迫る事だった。Lecterは捜査のヒントを与える代償として彼女自身に自らの過去を語らせていく。クラリスはヒントをもとに犯人に少しずつ近づいていく。

寸評
90年代サイコスリラーの原点となった作品。
小説を作品化したものにも関わらず、映画単体として高い完成度を誇る作品であった。
この作品はプロファイリングの面白さを教えてくれた。
そして、アメリカにおける猟奇的殺人事件の恐ろしさを作品化してくれたパイオニア的な作品だ。

映像は当然ながら良く出来ていて、レクターという殺人鬼のスクリーンデビュー作に相応しい斬新な雰囲気に満ちている。
闇の使い方、音楽の使い方、非常に凝ったものである。

が、ストーリー自体はレクターは本筋に絡まない。
クラリスが追うのは飽くまでもバッファロービルという男である。
それを補佐してくれるのがレクターという位置づけ。
ここが、今見るとどうにも歯痒いのだ。
連作サスペンスの1作なので仕方がないことだが。

それにしてもアンソニーホプキンスの演技には感服。
受け手のジョディフォスターも素晴らしい。
この2人の演技が突出しているので、他の役者の芝居が入ってこない。
だからどうしても本筋がどうでもよくなるのだ。

レクターの猟奇的なところをもっと見たいなぁと。

しかしレクターというキャラはよく出来ている。
ハンニバルライジングで明らかにされた部分も含めてキャラクター造形という点では非常に興味深い。
インテリジェンスに溢れ、エレガントな物腰、鋭い眼光、そして猟奇的な蛮性。
異常性に満ちている。
それが実に自然にミックスされて、破綻なく存在しているのだ。

シリーズ最初の作品でありながら、最高の作品。
作中の順番に制作されなかったのが吉と出たのだろうか。
キャストにも恵まれ、名作となった。