「自己アセンション実現の会」☆自己無限化・全知全能化☆~最高レベルのアセンデッドマスターへの道~

このブログは各自の自己アセンション(自己無限化・全知全能化)に役立てられる情報が集めてあります。

【自己アセンション】 ラムサ(3) 七つの天界

2012-04-15 11:00:02 | 【自己アセンション1】 ラムサ

ラムサ ホワイトブック 第五章P86~90(星雲社)2004月9月30日改訂版より

(生徒)あなたは七つの天界があると言います。他の天界がどんなものなのか説明してもらえますか?とくに、第七の天界を。

(ラムサ)今あなた方がいるのが第一の天界、三次元の知覚の天界だ。ここは、それぞれの存在たちが物質と呼ばれる形態の中で、神についての理解を得る天界である。そして、ここでの生を修得することは偉大なことである。なぜなら、この天界に入ってくるためには、出生というプロセスを通らなければならず、肉体が持つ限界や本能を生き抜いていかなければならないからだ。

この天界には、意識の理解のレベルにおけるすべてのものが存在する。なぜならここは「表現する神」と呼ばれるものの天界、あるいは「見せる天界」であるからだ。自分の感情的な理解を広げるために、物質という形で意識を見せたり、それを自分の目で確かめたりすることができる天界なのだ。そして、知っておいてほしいのは、あなた方が今いるこの地球と呼ばれる場所は、それぞれの存在が「見せる天界」で化身を通して体験し、表現できる無数の場所のひとつにすぎないということである。

第二の天界は、自分の理解のために、苦痛、自責、そして罪悪感を体験している者たちの天界だ。第三の天界は「力の天界」と呼ばれている。ここは他人を支配し、隷属させようとする者たちの天界だが、性交やその他の肉体的な方法を使ってではなく(彼らは肉体を持っていないのだから)、精神、すなわち思考と呼ばれるものを使って、あらゆる者に自分の考え方を押しつけようとするのだ。

四番目は「愛の天界」である。この天界にいるすべての者は、深く愛しているのだが、残念ながらその深みを表現できないのだ。つまり、彼らは光の存在レベルのひとつに生きていて、多大な愛を体験しているのだが、その愛を表現する能力がないのである。

第五の天界は「楽園」と呼ばれている。ここは、「黄金の光」と呼ばれるものが溢れ出す最初の天界だ。あなた方の太陽からの光のようなものを思い浮かべ、それが金色であるところを想像してみなさい。第五の天界では、この色がすべてを包み込んでいるが、にもかかわらず、すべてのものがそれ自体の色の鮮やかさも保っているのだ。そして、そこには夜がなく、黄金の光だけが存在する。そして、音楽、それも素晴らしい音楽が聞こえる。

というのも、あらゆるものを包み込んでいる光が、その色に固有の音色を奏でながら、調和のとれた素晴らしいリズムで振動しているからだ。この調和のあるリズムがそこでの「生命の呼吸」であり、それは空気ではない。したがって、この「楽園の天界」に生きる者は、音と音楽を呼吸し、光の中に生きているのである。

知っての通り、あなた方の天界であるこの第一の天界にも、性交、苦痛、力を理解して修得し、愛を現実の中に取り入れて表現している者たちがいる。そして、彼らはここでそれを、どちらかというと簡単に達成した。この「見せる天界」で第六と第七の理解のレベルを修得するのは、それほど簡単なことではない。なぜなら、これらの理解は「見せる」ということを超えているからだ。

だが、この第一の天界に生き、愛を体現している者たち、すなわち言葉と行為と行動を通して外に向けて自分の愛を表現し、愛を通して自分の人生を生きたいと望んでいる者たちは、この天界を去ると、第五の天界に行く。そして、この「楽園の天界」には、何十億歳という存在たちがいる。彼らにとっては、この楽園があまりにも素晴らしい場所であったために、その先にもさらに来るべきものがあるということに気づいていないのだ。

第五の天界では、愛を表現し、それを現実化する力を持つことになる。そして、ある瞬間に望むものは、それが何であろうと、その通りになるのだ。魚が好きな釣り人が魚を望めば、目の前に湖が現れるだろう。その湖は彼が愛する背の高い糸杉やポプラに囲まれており、彼が愛するその他のものもすべてそこにあるのだ。もし秋の湖を愛するのなら、ポプラはシナモンの色になり、糸杉はエメラルドグリーンの深みをそのまま保っているだろう。

そこに腰を下ろしで釣り糸を垂れるとき、涼しいそよ風を望むなら、湖面をやさしくなでるそよ風が吹いてくるのだ。この美しい湖の真ん中に、その存在が小さな餌を投げ入れ、釣りたいものを思い浮かべれば、なんと、彼はそれを釣り上げるのだ。そして、彼はその魚を手に取り(それはこの天界の魚と同じようなものである)、それを自分の夢の家に待ち帰って食べるのだ。そうすることが彼に幸せをもたらすからである。彼が幸せになるのは、自分のしたことを彼が愛しているからだ。

そこにいる存在たちは、その場所より素晴らしいところがあるとは想像もできないのだ。だからこそ、それは「楽園」と呼ばれている。まだ愛を実現し、表現していない者たちがその天界に到達するのは難しいことである。

第五の天界でしばらく自己を表現していると、すべてのものを包んでいるこの光の本質は何なのか、また自分はなぜそこにいるに値するのかを、いずれは問いかけるようになる。多くの者たちは、なぜ自分が楽園にいるに値するのかを問わないが、それは、彼らがそれをただ受け容れてしまうからだ。だが、やがてはこの光と音楽がどこからやってくるのかを考えるようになる。

そうするとその存在は、ある等質性を持つ素晴らしい生命力のエネルギーに気づき始める。光や草花、魚や湖、シナモン色をした秋のポプラの木、これらを貫く等質性をもったエネルギーに気づき始めるのだ。そして、こういったすべてのものの等質性に思いを巡らし始めるのである。そうすると、別々に切り離されて存在しているものはなく、あらゆるものは一体となってひとつの流れの中にある、ということが見え始める。このことが見え始めるとき、つまり、表現することによって理解され、実現されたすべての愛をもとに、すべてのもの、すべての存在がひとつであることを思い巡らし始めるとき、その人間は第六の理解の天界へと進むのである。

第六の天界は言葉を超えている。なぜなら、植物や風や、隣りに座っている人間と自分は別のものだと思っているあなたに、自分が何かと完全に一体になっていながら、同時に一体になっているものとは別の独自の存在でいる、ということがいかにして可能なのかを言葉で説明することはできないからだ。

だが、第六の天界は、第七の天界への扉である。なぜなら、人が現実として知覚し、現実として知るものは、どんなものであろうと、その人間は常にそれそのものになるからだ。つまり、人が「一体性の中の神」だけを見て、その「ひとつであること」の領域に生きるとき、人は自分が見ているもの、そして、生きているものそのものに「なる」のだ。そのような「なる」ということの中でも最高のもの、至高の状態が第七の天界なのである。その天国への扉が、第六の理解の天界であり、それは自分がなるものが見えるということだ。それは純粋なる神であり、純粋なる理性、純粋なる思考、純粋なる生命、純粋なる光、在るものすべての本質であり、基盤なのだ。

さて、第七の天界だ。いかなる輝きよりもさらに偉大なる輝きを想像してみてほしい。その輝きの中で進化を続けている中心核の色合いは、その色合いが輝いているという状態をもはや通り越して、輝きを放射している状態にあるのだ。輝きの核の部分では、このような驚くべき光が点滅しているのである。そして、核が浮かぶ海が動き、広がりながら、上に向かってうねっていくのだ。核が上昇するにつれて、核の輝きが放射する光によって、目を見張るような「光のショー」が展開される。そして、この光のショーが輝きの周辺部に移動するにつれて、核は進化し続け、ただ在り続けるのである。

その核から広がっていくのが、あなたなのだ。核から広がるこの目を見張るような壮観にさらなる輝きを与えているのが、「あなた」なのである。あなたがこの中心の核を思考として思い巡らしたのであり、動き続ける独特の形で核そのものになったのだ。

この中心にある核を思い巡らし、核そのものとなったあなたは、今やすべての生命が湧き出る基盤となったのだ。なぜなら、この核から輝きに向かって放射されるものは、思考だからだ。そして、あなたは独特の形で動き続ける思考となり、その思考から、すべての生命の意識を養い、育み、広げていくのである。

これらの言葉では、とても十分なものとは言えない。なぜならこれらの光景を思い浮かべるためには、空間、時間、尺度といった制限を越えて、つまり言葉の限界を越えて、感情的な理解へと入っていかねばならないからだ。しかし、マスターよ、これだけは言える。あなたが一瞬一瞬、一歩一歩、気づきから気づきへと進化し、理解を広げていくにつれて、あなたの視野は常に拡大し続け、ついにはあなたの感情が「在るもの」すべてを内包するようになる。そして、そのとき、あなたは喜びそのものになるのだ。それが第七の天界である。それが神だ。それは最終的にはすべてが到達するところである。


自己アセンション情報源 【アセンション・スピ会合のお知らせ


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【自己アセンション】  ラム... | トップ | 和尚ラジニーシ 【愛1】 ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。