自然の中を散策!な日々

身近な美しい自然を ご紹介していきます

高尾山 薬王院 有喜寺へ登山してきました。

2015年05月17日 | 日記
高尾山 薬王院 有喜寺
本尊
 飯縄大権現 (いづなだいごんげん)

飯縄大権現堂
当山では、本年が中興開山640年にあたり、
御本尊飯縄大権現様の御前立の御尊像造立という浄業を
進めて参りました。

ご本尊飯縄大権現は、不動明王の仮の姿として衆生を救済する徳をそなえた仏神ですが、
本地の不動明王〈奥の院〉の他、
カルラ天〈天狗社〉、ダキニ天〈稲荷社〉、歓喜天〈聖天堂〉、
弁財天〈弁天堂〉の五相合体をした御姿です。


修験道の開祖である神変大菩薩(役行者 えんのぎょうじゃ)をお祀りしています。
特に、山内で厳しい修行をしている山伏にあやかって、
足腰が丈夫になるよう、祈願をされる方が多く、
たくさんの下駄が納められています。


山門(四天王門)


こちらの山門には四天王がいらっしゃいました。


四天王 持国天
よろいかぶとに 身をかため するどい独鈷を光らせる
心の悪魔をうちくだき 清らかな社会を守ります


四天王 増長天
剣を手にして勇ましく 無数の鬼を こらしめる
おごれる心を うちのめし 安らかな社会を守ります


四天王 広目天
軸と筆とを手にもって 澄んだまなざし さしむける
広く見る目でしっかりと 大きな社会を守ります


四天王 多聞天
宝塔槍を手にもって すなおに耳をかたむける
福徳たちまち集まって 豊かな社会をまもります


【大天狗】
真っ赤な顔と高い鼻、団扇を持ったお姿が大天狗。
その神通力で開運をもたらします。

平成17年は、弘法大師渡唐1200年・行基菩薩高尾山開山1260年・
俊源大徳高尾山中興630年に當り、
記念事業として大天狗・小天狗像が建立されました。


【小天狗】
青い顔にカラスのような嘴、剣を構えたお姿が小天狗。
別名烏天狗。その剣で魔を断ちます。


狛犬(吽形)は角がありました。

平安時代は、 向かって右が「獅子」、
向かって左が「狛犬」の様で角があるのが特徴です。


仁王門



ここの仁王門には天狗がいらっしゃいました。

高尾山の天狗は御本尊様に従いお護りする随身として、
開運や魔除けなど多くのご利益をもたらす役割をもっています。

古来より多くの伝説や信仰の対象として、
時に親しみを、時に恐れをもって崇められています。
高尾山が修験道の道場であることから、
勇猛精進し山中を自在に駆け回る修験者(山伏)の姿が空想上の存在であった
天狗のように見えたのかもしれません。







薬王院は今から約1200年前に開山された真言宗の寺院で、
正式には「高尾山薬王院有喜寺」といいます。


御本尊飯縄大権現様をお祀りしているお堂です。
色彩豊かな御本社の彫刻は、白狐、龍、兎、鹿、鶴など
たくさんの動物が今にも飛び出してきそうな勢いです。
中でも白象は吉を呼ぶ縁起ものだそうです。

本尊の飯縄様は、
不動明王・歓喜天・迦楼羅天・荼吉尼天・弁財天の五つの仏様が
集まった姿をしております。


愛染堂 (良縁成就)
愛染明王をお祀りしています。


奥の院
不動明王をお祀りしています。


高尾山頂上
「明治の森・高尾国定公園」


頂上 599.15m
山頂付近からは、南に丹沢山塊、天候の良い日には
富士山の姿もくっきりと見ることができ、
空気の澄んだ冬の時季には、南アルプスを遠望することができます。


今の時期は、「高尾山若葉まつり」を開催してます。





高尾山 「明治の森・高尾国定公園」 1号路より登山

2015年05月16日 | 日記
仏舎利塔(お釈迦さまの真身骨が奉安)

仏舎利塔のある有喜苑では、
高尾山の山伏により柴燈護摩供(さいとう ごまく)が行はれました。



永和年間に俊源大徳(しゅんげんたいとく)が京都醍醐山より高尾山へ入山、
高尾山興隆を祈念し飯縄権現(いづなごんげん)を感得され
高尾山を中興された縁起にならうものであります。


1号路
「高尾山」は、平成19年にミシュランの三ツ星に指定されました。

都心からの交通の便にも恵まれ、
日帰りでもゆっくりと山歩きが楽しめる国定公園で
平成19年に富士山と並んでミシュランの三ツ星に指定された素晴らしい山です。


シャガ

高尾山と周辺に生息する高等植物は 153科1,300種類に及んでいます。
その中で高尾山特有の植物として原記載され、学会に発表された野草の数は、
65種類に達しています。


暖帯林と温帯林とが織りなす広葉樹林に、樹齢数百年もの大杉が林立する高尾山。
昭和42年には明治百年を記念して「明治の森・高尾国定公園」となりました。

高尾山は戦国時代、北条氏の治める領土であり、
北条氏の定めた竹林伐採禁止の法によりまもられてきました。

その後、
高尾山地域は徳川家康が治めることになりますが高尾山の保護は踏襲され
高尾山の自然は保管されています。
江戸時代には幕府により高尾山の森林の保護や植林も積極的に行われるようになります。

しかし、
第二次世界大戦に入ると造船のために高尾山の木々が使われることになります。
終戦後も壊れた家屋の再建のために高尾山から大量の木々が切り出され、
長い間まもられてきた高尾山の自然を傷つけることになりました。

昭和25年に東京都立高尾陣馬自然公園の指定をうけ、
昭和42年には国定指定公園になり、
再び高尾山の自然が保護されることになりました。


エコーリフト山上駅
一般料金 1名(山麓駅 ⇔ 山上駅)
片道:480円
往復:930円

ケーブルカー高尾山駅
一般料金 1名 (清滝駅⇔高尾山駅間)
片道:480円
往復:930円


大人気の天狗焼
いつも行列が絶えません。


修験道の行者を山伏といい、彼らは大自然の中に仏を見出し、
自然との対話の中で、声なき声に法身説法の音声を聞き、
上求菩薩、下化衆生の精神をもって、山林とそう修行を行じているのであります。

この山伏が山に入り修行する際、身につける衣帯、装具を見ますと、
身にまとう装束は勿論、上は頭襟から下は八目の(草鞋ソウカイ)[わらじ]に至るまで、
山伏独特の修験十六道具は、それぞれ不二の世界・十界・不動明王・母胎などを象徴し、
ことごとく意義付けがなされ、あたかも教法を身にまとい、
これを以って仏の教えを示しているのであります。


高尾山有喜苑仏舎利宝塔には
真身骨が奉安されています。
昭和 6年に少年団日本連盟(現在のボーイスカウト日本連盟)を通じて、
タイ国王より分贈されたもので、
日本の青少年が、お釈迦さまの教えにより、
正しい心で健全に成長する事を祈念して奉安されました。



不思議な出来事が
一緒に行った者が見たのですが、
『左の方から馬の群れがなだれ込んできた』と言ってました。
もちろん霊的事象ですから写真にも写っていません。


飯縄大権現(いづなだいごんげん)

本尊の飯縄様は、
不動明王・歓喜天(カンギ天)・迦楼羅天(カルラ天)・荼吉尼天(ダキニ天)・弁財天の
五つの仏様が集まった姿をしております。

薬師寺の僧侶行基(ぎょうき)が高尾山を開山してから約600年後の
西暦1375年、荒廃した高尾山を修復し、
さらに現在のような華やかな寺院に改修したのが
京都山城国醍醐山の高僧、俊源大徳(しゅんげんたいとく)だといわれています。

この俊源大徳が高尾山琵琶滝で修業した際に
飯綱権現(いづなごんげん)の霊感を体得したことが、
高尾山での飯綱権現の信仰の始まりです。

高尾山といえば天狗ですが、
天狗はこの飯綱権現の随身であり、古くから神格化されてきました。
高尾山の天狗信仰の起源ですね。

行基菩薩開山以来「薬師如来」を本尊として奉祀してきた高尾山は、
俊源大徳の祈請によって「飯縄大権現」を勧請し、
以来これを本尊として奉安しています。


「飯縄大権現」は、その信仰の起こりとしては、
信州善光寺の北にそびえる飯綱山、戸隠山一帯に淵源を発する。
この地方は善光寺の起こりと共に仏教の歴史も古く、
戸隠、飯綱の山岳信仰も古い修験道の歴史を伝えています。

飯綱山は、戸隠山と共に我が国修験道の始祖、
役の行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃじんぺんだいぼさつ)によって
山岳修験道場の基礎が開かれました。

飯綱山は、初め飯綱大明神と称し、天皇足穂命が降臨した所として崇められていたが、
天福元年(1233年)水内郡萩野城主、伊藤兵部太夫忠縄が山頂に飯縄大権現を祀り、
修行の後、神通力を得て、百才以上の長寿を得たといいます。


この仏舎利塔には、お釈迦さまの教えそのものを表しています。
それは、人はどう生きるべきかという事です。
自分の心に自信を持ち、思いやりを大切にして、正しい物事の判断の仕方で、
正しく生きるべきであると。

お釈迦さまは、「心のふるさと祈りのお山」の高尾山より、
生きとして生けるもの全ての心の安定の様子を見守っておられます。



神山 ・ 御岩山登頂 ( かびれ之高峯 )

2015年05月06日 | 日記
神山・賀び禮山(かびれさん)
古代より信仰の山として祀られ祭祀遺跡が発掘されており
中世より修験の山としてさかえ山伏など信仰者が登拝した。

御岩神社は、何度か参拝してますが、
山頂まで登るのは 15年ぶりになります。


戦前の茨城四十五景、戦後の茨城百景の一つで海抜492メートル。


賀び禮の高峯は古称で今の御岩山です


賀び禮神宮(かびれじんぐう)
御祭神
天照大神(あまてらすおおみかみ)
邇邇藝命(ににぎのみこと)
立速日男命(たちはやひをのみこと)

宮司さんから聞いた話によると、
先代の宮司さんの頃に
かつて、(アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏)が
「宇宙から地球を眺めたときに、1か所ものすごく光って見える場所があって、
その緯度・経度を計測してみて、後日来日し訪ねて来た」と言っていました。
それが、この御岩神社のある場所だったそうです。


日本人初の女性宇宙飛行士である向井千秋さんも、
スペースシャトルに乗って宇宙から地球を眺めたら
「日本に光の柱が立っていて、その場所を調べてみたら日立の山の中だった」
と言っていました、その場所が御岩神社だといわれています。

茨城県日立市にある『御岩神社』(おいわじんじゃ)は
御岩山『賀び禮山』(かびれさん)の中腹にあるのですが、
この山全体がご神域となっていて、拝殿周辺のエネルギーがものすごく、
パワースポットとしても優れているようです。


徳川光圀公が
明暦3年2月11日 奥宮である『かびれ大神宮』にて
「大日本史」編纂の祈願「筆初めの儀」を行ってます。

「大日本史」は凄い歴史書で、『NHK歴史秘話ヒストリア』でもやっていましたが、
光圀公が、火事で大事な書物が燃えて無くしてしまった事で
各地に残る書物も無くなって わからなくなる前に、
集めて編纂しようと、(助さん・格さん)と共に
250年という永い年月をかけて徹底的に検証し作り上げた歴史書です。

歴史家の方々も認める かなり信頼できる本のようです。



山頂にある祠と光の柱。

立速日男命(たちはやひをのみこと)

〔後ろの石柱は光の柱〕

かびれ山には天津神がおられ、名を立速日男命(たちはやひをのみこと)と申し上げ、
またの名は速經和氣命(はやふわけのみこと)である。

もとは天より降りられて、すぐに松沢の松の木の八俣の上にお鎮まりになられた。

この神の祟りは非常に厳しく、人が向かって大小便でもしようものなら、
たちまち災を下し病にならせたという。

このため付近の住人は常に苦しみ困り果て、
その状況をつぶさに朝廷に申し上げたところ、

片岡大連(かたおかのおおむらじ)を遣わされて謹んで祈り奉り

「今おられるところは、民が近くに住んでいるので、いつも不浄でございます。
おられるには相応しいところではありません。
どうかこの様な地からお移りになられて、高い山の清浄な場所にお鎮まりください。」
と申し上げたそうです。

神はこの願いを聞き届けられ、遂にかびれの峰にお登りになられました。



かびれ山頂
山頂奥の宮の岩場などから古代縄文人が神々を祀る祭祀遺跡等が発掘されてます


至る所に奇岩怪石がそびえたち変化に富みその異観に驚かされます。


かびれ山頂 
立速日男命(たちはやひをのみこと)が鎮まる山頂奥の宮付近


かびれ山頂付近
脇道に入れそうな所が幾つかありますが、
宮司さんによると、最近二度ほど ちょっとした遭難があり
救助ヘリが出動したらしいです。
(大した事じゃなくても連絡があれば、出動するようです!)

迷惑をかけないよう決められた注意事項は守る様にしましょう。








八大龍王神 ・入四間不動明王
御岩神社の裏手にあり、これより奥に進むと賀び禮(かびれ)神宮があります。


御神木・天然記念物 三本杉

幹周囲9メートル、高さ50メートル、推定樹齢600年だそうです.
(県指定天然記念物、林野庁 全国「森の巨人たち百選」茨城県で唯一選定)

昔 この木の三叉のところに天狗が棲んでいたという伝説があり、
 「天狗杉」の異名をもちます。


『御岩神社』
御祭神
国常立尊(くにとこたちのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
伊邪那美尊(いざなみのみこと)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
 ほか21柱

御岩山総祭神 188柱

 
『古事記』和銅 5年(712年)『 日本書紀』養老 4年(720年)
と並ぶ、我国最古の地方誌
『常陸國風土記』養老 5年(721年)に

「浄らかな山かびれの高峰に天津神 鎮まる」
とされる事から、古代より信仰の聖地でした

天津神は天(高天原)に住む神で、地上にいる土着の神が国津神です。


 狛犬(阿形)向かって右

狛犬は、 向かって右が「獅子」、
向かって左が「狛犬」だそうです。

獅子は口を開けており(阿形)、狛犬は閉じていて(吽形)。
また、狛犬は角を持っていたようです。

今は、角が無いものもあり両方共 狛犬と呼ぶようです、
御岩神社も角がありません。
諏訪大社 上社前宮の狛犬は角がありました)。
(出雲の日御碕神社(ひのさきじんじゃ)の狛犬は両方)


 狛犬(吽形)向かって左

狛犬の形態(獅子 + 狛犬)が定着したのは
平安時代(『枕草子』『栄花物語』等に登場)だとされ、
それ以前は獅子で、左右の姿に差異はなかった様です。

宮中の御帳の鎮子(重し)として使われていたものが、
神社で神前を守護する像として置かれるようになりました。
高貴な存在の前衛という思想に由来すると思われます。

現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化している様です。


この狛犬(吽形)は角がありません。
よく見ると鬣(たてがみ)を銜え(くわえ)ていますね。


 狛犬(吽形)
狛犬は最強の魔除けと聞きました。



御岩神社の春季回向祭に行ってきました。

2015年05月02日 | 日記
4月18日 御岩神社 春季回向祭(えこうさい)

古来より当社に伝わる神仏混淆の伝統行事祖霊供養大祭
「 回向祭(えこうさい) 」が斎行されます 

神々の恩頼(みたまのふゆ)と 大日如来 阿弥陀如来の大慈大悲
(だいじだいひ)による永遠の救いにより 御先祖様 新仏様 水子様等
すべての御霊を供養し 併せて現世安穏 家内繁栄守護を祈る大祭で
あります
   ―御岩神社HPより―

春と秋に行われ、今回初めて参拝させて頂きました。


普段は出てない屋台が出ていました。





この時期は石楠花(しゃくなげ)が咲いています。





形代(かたしろ)
古来より罪・穢(けがれ)を取り除く風習として伝わっております
身体や心の不安なところを形代でさすりフーと息を吹きかけて流します。

これも普段は、ありません。


御岩神社境内にある
齋神社(さいじんじゃ)で回向供養(えこうくよう)が行われます。
(先祖代々・新仏・水子等の供養)

齋神社(さいじんじゃ)の御祭神は、
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神(たかむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
八街比古命(やちまたひこのみこと)八街比賣命(やちまたひめのみこと)

古事記では天地開闢(てんちかいびゃく)の際、最初に出現した神様が、
天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神です。

齋神社(さいじんじゃ)は
別天津神(ことあまつかみ)の造化三神(ぞうかさんしん)の神様を祀ってます。


別天津神(ことあまつかみ)を簡単に説明すると
天上界で最初に出現した神様の中でも特別な神様と言う事です。


『古事記』によると、
まだ地球の天と地がはっきり分かれていなかった時
「高天原」(たかあまはら)が現れ そこに
高天原を率いる「天御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)が現れ、
天上界の創造神「高皇産霊神」(たかむすびのかみ)が現れ、
冥界の創造神「神皇産霊神」(かみむすびのかみ)が現れました。


 ※TVで見ましたが星が誕生するときは、塵やガスなどが重力で集まり
永い年月をかけて固まり星になるそうです。
「古事記」は712年3月9日(和銅5年)に作られましたが、(今から1302年前)
こんな昔に塵・ガスが集まった状態を書いているのですね。
ちょっと凄いかも。

 ※高天原は「たかあまはら」と読みます、一般的に「たかまがはら・たかまのはら」と
読むようですが、これは、違うようで、「まが」とは曲がると言う意味で
真実が曲げられてしまう と言う意味です。
言霊は生きていて「たかまがはら」と呼んだ時点で効果が曲げられてしまいます。

(「たかあまはら」と唱えるだけで、その場所一帯を
 一瞬で清めてしまう力を持っていて、
 祝詞(のりと)の力の90%以上は「高天原」の言葉だそうです)

多くの神社でも「たかまがはら」と読んだりしますが、
正しいのは「たかあまはら」と読むようです。


話を「古事記」に戻します
「天御中主神」が天地を分けると
次に国土の境もあいまいで、
水に浮かぶ水母(くらげ)のように ふわふわしているとき、
水辺の葦(あし)が瑞々しい芽を吹くように生まれ出た神が
国を育てる「宇摩志阿斯訶備比古遅神」(うましあしかびひこじのかみ)
天の永遠を守る「天之常立神」(あめのとこたちのかみ)です。


この五柱の神様
(天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・宇摩志阿斯訶備比古遅神・天之常立神)は、
姿が見えず、男女の区別がない独神(ひとりがみ)で、
天上界でも特別な神様「別天津神」(ことあまつかみ)と言います。

その中で最初に現れた「天御中主神」・「高皇産霊神」・「神皇産霊神」を
造化三神(ぞうかさんしん)の神様と言います。


造化三神(ぞうかさんしん)の神様の
「天御中主神」は、
「宇摩志阿斯訶備比古遅神」「天之常立神」に
国造りを任せ表舞台から消えてしまいます。

その後「宇摩志阿斯訶備比古遅神」「天之常立神」が

国土の永遠を守る神「国常立尊」(くにとこたちのみこと)
原野の神「豊雲野神」(とよくもののかみ)を生みます(共に独神)

その後に
五組の男女神を生みます、
これらの神様は「神世七代」(かみよななよ)と呼ばれます。

「国常立尊」(くにとこたちのみこと)は、
後にあの閻魔大王(えんまだいおう)になられます。


「宇摩志阿斯訶備比古遅神」「天之常立神」が生んだ
「神世七代」の最後の一組の神様が、

伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
伊邪那美尊(いざなみのみこと)です。

伊邪那岐尊・伊邪那美尊は、
「天御中主神」より国造りを任され
日本の国を造り多くの神様を生んだ神様です。
 (国生み・神産み)

伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)は
「黄泉平坂の戦い」の後 禊を経て

天照大御神(あまてらすおおみかみ)
月読神(つくよみのかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)を生みます。


御岩神社にも天岩戸がありますが、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)による
天岩戸伝説へとつながって行きます。




齋神社(さいじんじゃ)はその「別天津神」の造化三神(ぞうかさんしん)の神様を
祀った神社です。