魔女の日記―娘のホームスクーリングと共に

娘に私立中学を退学させホームスクール始めました。ちょっと変わった母が教育や日常生活について感じるままに書き連ねます

相模原の大量殺傷事件を考える

2016-07-28 12:39:44 | 政治


まずは事件の一報をネットの文字で読んでも、すぐには現実のものとは思えないような事件でした。

日本国内にいても、私たちは今日、もしかしたらなんらかの殺人事件に巻き込まれ、命を落としてもおかしくないような、そういう状況、時代になっているのかな、という気がします。覚悟して日々を生きなければいけませんね。

殺された人々、けがをした人々、もちろん気の毒です、ただ、あまりにも大きすぎて、「どうして?」という疑問ばかりが頭に浮かびます。45,6人の人間を刃物で刺すって、普通できないことですよね。

ちょっと話は変わりますが、娘が通っていた幼稚園はある意味でインターナショナルというか、中国人、韓国人、フィリピン人、といったアジア系の子どもたちがいました。小学校には日本人とガーナ人のハーフ(見た目ももろアフリカ系)、その他にも国は知りませんがアフリカ系アメリカ人(?)かな、英語しかまだよく話せないような子供もいました。

娘が小1の時だけ通っていた私立の小学校は、共同教育というのを謳っていて、学年に数人ずつ障碍のある子供たちを入学させていました。(ただし、最低限の集団生活が可能なレベルの障碍)。

娘のクラスには耳が聞こえにくい子(男の子)がいましたが、娘は結構気が合って仲良しでした。ほかのクラス、学年には結構足が悪くて車いすのお子さんもいました。学校を上げてその子たちのためにエレベーターを導入しようという運動もあり、寄付金を募られたりもしました。

それから、身体の障碍でない場合で表面的に分かりにくいのですが、やはり障碍を持つ方は結構いますよね。最近はgiftedという言葉で表されたりしますが、LDだとかADHDだとかADD(AD)だとか、いろいろな症候群(?)があるみたいですね。

私の身近にも多分そういう気があるな、という人がいますし、娘が通うS塾(駿ではない)にも、もしかするとそうではないか、と思われる人がいるみたいです。多分giftedだろうと。


周りにいろいろいると、それが当たり前なので、特にそういう人たちを特別視することはないですね。もちろん、なるべくこちらが迷惑をかけないように、とか、困っているようなら失礼のないように手助けした方がいいのかしら、とか、そういった気遣いはしますけれども。

むしろ、テレビなどで障碍者を美化するような番組があったりしますけれど、ああいうのは、逆に障碍があることに対する差別ではないか、と感じたりします。

世界中でテロも起こっているけれど、あの人たちの背景といったものをきちんと研究する必要がありますよね。彼ら(も?)(は?)病んでいるわけですから。

なんとなく、暗くて哀しい時代なんですかね・・・

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