月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

<月刊「祭」2013.10月 第20号>嗚呼、わが町の台車事情

2013-08-15 01:01:50 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-

 全世界約50人ほどの読者さまに支えられて、月刊「祭」も、はや20号を迎えました。
 20号が、祭月の10月号にあたるのも、また何かの縁かもしれません。
 なお、10月は祭とか祭とか祭で忙しいために、早めの刊行とさせていただきます。

●嗚呼、台車  嗚呼、嗚呼、台車  嗚呼、台車
 というわけで、今回は、皆さんが待ちに待った・・・・・・・・・台車特集です\(^o^)/
 たかが台車、されど台車。
 担い式太鼓台や御輿などの担ぐ祭に携る人にとって、これほど複雑な思いを抱くものはないでしょう。
 できることなら使いたくない。だけど、なかったら困る。
 だったら、見せ場の時ははずしましょうと、役目がない時は隅にやられてしまいます。
 また、台車をつけるつけないで、頭に血が上る光景を見た人、当事者だった人というのは、読者さまの中でもきっと多いことでしょう。

 時には憎しみの対象となってしまったり、ヘタレの同義語となることがありながらも、車の往来が多くなったり、人手不足に悩まされる現代の祭には、台車はなくてはならないものとなりました。
 大きな貢献をしてきた台車も、各地方の祭の形態や、太鼓台の形状やその地方の文化を反映しているようです。
 というわけで、大阪から少しづつ西側に、それぞれの台車事情を見ていくことにします。
 なお、あくまで、管見によるものなので、必ずしも正確な分布を述べているわけではありませんので、ご理解の上、読み進めていただきますようよろしくお願いいたします。

●大阪の台車 地車からの変化か 
 
  
1                                   2


3  (1~3)大阪市桜の宮神社の地車



 
4                                    5 (4、5)伊弉諾神宮  里 だんじり(元・高石市等乃伎神社 大園だんじり)

 -まずは地車を-
 大阪の台車を見る前に、ひとまず、地車を見てみます。
 大阪の地車は上だんじりと呼ばれる市内のものや、岸和田を中心に分布する下だんじりとよばれる府南部のものに関わらず、
 方向転換がしやすいように、車輪は台木とよばれる、木の内側についています。
 これは、上地車(1~3・大阪市内などを中心に分布)も下地車(4,5・岸和田市内などを中心に分布)もかわりません。

-大阪市内の枕太鼓と催太鼓、蒲団太鼓の台車- 6~10だんじり型台車(仮称) 11~16大型四輪(仮称) 
 
   
6                                    7


8 (6~8)大阪市阿部王子神社の枕太鼓 台車はだんじりとよく似た形態になっている。 

 
9                                    10(9-10)大阪市桜の宮神社 枕太鼓

 
11                                   12


13(11~13) 大阪市大阪天満宮の催太鼓

   
 14                   15              16(14~16) 大阪市杭全神社の蒲団太鼓


 そして、次は枕太鼓や催太鼓を見てみましょう。この二種類の太鼓は、行列の先駆けをつとめたり、太鼓の打ち手が頭巾を被り、形態も非常によくにているので、同じものを別の呼び方をしていると思われます。おそらく、大阪天満宮の催太鼓が他の地域に伝わり、枕のような筒状の蒲団をのせていることから、枕太鼓の名でも呼ばれるようになったのでしょう。
 閑話休題、写真6~8の阿部王子神社の枕太鼓の台車を見ると、大きな木製の車輪や、台木を思わせる太い木などは、だんじりを思わせます。
 写真9、10の桜の宮神社の枕太鼓も、阿部王子のものより、やや木製の車輪が小さくなっていますが、やはり台車を連想させます。
 
 さらに、大阪天満宮の催太鼓(写真11~13)は、さらに車輪が小さくなっており、上部を覆う板がつけられますが、写真では伝わりにくいのですが、播州のものと比べると非常に大きく、また、前後が大きく泥台からはみ出しています。むき出しになった木製の車輪はだんじりをおもわせます。
 大阪市杭全神社の蒲団太鼓(写真14~16)は、播州の蒲団屋台で使われているものに近くなります。ですが、泥台よりも幅が広い大きな台車は、大阪天満宮の催太鼓に近いのかもしれません。
 


●播州布団屋台(三段蒲団屋根)や淡路だんじり(五段蒲団屋根太鼓台)の四輪台車 小型四輪(仮称)
 
17                                  18 (17,18)明石市(魚住)住吉神社の中尾屋台 
 
19                                  20 (19、20)兵庫県三木市明石町屋台


21 淡路市伊弉諾神宮 大町上だんじり

 ここからは、別ウィンドウで、播州の神社別各屋台分布図 -二つの川上の反り屋根-の図を参照しながらでお願いします。
 播州の三段蒲団屋根屋台の分布地域になると、泥台の幅とほとんど代わらない小ぶりな台車が好まれて使われているようです(写真16~20)。また、大阪の枕太鼓や催太鼓の車輪が木製であるのに対し、多くが鉄製となっています。
 しかし、私のかなり曖昧な記憶によると、かなり大きな木製の車輪の台車が明石市(魚住)住吉神社で使われていた気もします。
 また、兵庫県三木市の明石町屋台は、昔は台車の車輪が外側についていたような気もするのですが、これもまた、自信はありません。
 そして、写真21の淡路市伊弉諾神宮の大町上だんじりのように、車輪がタイヤ式で外側につけられているものも、この神社では見られました。 


●二輪台車と改良型六輪台車 小型四輪(六輪)(仮称) 
 
22                                  23 (22,23) 三木市大日神社 細川中屋台

 
24                   25 (24,25)加西市北条町 住吉神社

 
26                   27 南あわじ市亀岡八幡宮 下町だんじり 

  
28                                   29

 中播磨から北播磨地域(曽根以外の神輿・三段蒲団折衷型反り屋根屋台分布地帯)、淡路島地域では、大きな車輪が2つついた台車やそれの発展形としての大きな車輪が中心に二つ、前後に小さなものが二つずつ計六つついた台車が見られます。このような形の台車だと、4つの台車にくらべて方向転換が容易にでき、少ない人数でも引くことができます。また、前後に激しくゆらすことができるので、担がなくても祭りの見せ場をつくることができます。
 写真22,23のように、多くの場合は大型のタイヤをつけることが多いようです。
 写真24、25は、前後に補助輪ともいえる4つの車輪がついていますが、これで、台車本体を地面にひきずることなく引き回せます。
 写真26、27のように、淡路島南部では、だんじり本体に台車を直接つけてしまっているものが数多く見られます。担ぎ棒も太く担ぐことをあきらめただんじりといえます。祭のメインを、だんじりの太鼓に合わせただんじり唄の奉納と、だんじりの曳き回しにおいているゆえの措置といえるでしょう。
 上記のように、二厘、および六輪の台車は、外側に車輪がついていました。ですが、写真28,29の三木市岩壺神社の東條町屋台は内側についています。車輪部は鉄製でありながら、大阪市の台車の真ん中部分を大きくしたような形態になっています。この傾向は、比較的新しいものと、記憶しています。
 三木市内においては、大宮八幡宮地域、別所地域、加佐などの西側は、四輪の台車が多いようです。
 一方の、岩壺神社などでは、二輪や六輪が多いようですが、吉川地域、細川地域などは確認しておりません。

●浜手の簡易型四輪台車と網干型屋台用の台車
-浜手の簡易型四輪(仮称)台車-

 
 
30                                   31(30、31 明石市大窪八幡宮 西大窪屋台)

 
32                                   33

 
34                    35 (32~35)姫路市松原八幡宮 木場屋台

 播州のいわゆる浜手-灘のけんか祭で有名な練り合わせ型神輿屋根屋台分布地域、曽根天満宮氏子地域などでは、台車は鉄製の車輪を組み合わせて作る、持ち運びの便利な台車がよく使われています。
 また、写真30、31のように明石市でもヨーヤサーの掛け声や、紙手とともに、台車も浜手のものが伝わってきているようです。
 そして、浜手では、写真32~35のように台車をコンパクトにして運ぶように出来ていました。  

●チョーサ型神輿屋根屋台分布地域の台車 網干型四輪(仮称)
          
36(姫路市魚吹八幡宮 坂上 旧屋台)    37(姫路市魚吹八幡宮 天満屋台の台車)

 一方、姫路市の魚吹八幡宮をはじめとする、チョーサ型屋台は、屋台を上下に激しく揺らすチョーサに対応するために、泥台の足は非常に短くなっています。それに対応して、台車の車輪を横につけるのではなく、下につけることで、他の台車よりも高くなっています。そうすることで、台車をつけたときも担ぎ棒の高さを、操作しやすい位置まであげることができます。

●一応のまとめ
 それぞれの台車の特徴をまとめてみました。
 どの形の台車がいつ頃できたかは分からないために、大阪のものが西側に伝わり、少し変わって、さらに西に伝わったとはいい切れません。
 ですが、形としては、西から東にかけて少しづつ形が変わっているということは言えそうです。
 また、小型三輪、簡易型四輪、網干型四輪は、小型四輪から枝分かれしたような形であるということもいえそうです。

 この記事掲載後に、姫路市魚吹八幡宮の祭礼に参加されている方より、台車の写真を頂きました。
 私が、述べたのは魚吹八幡宮など、網干の屋台の台車は、四輪、車高は高い、上部に板がはってあるということです。しかし、送っていただいた写真の台車は、車高は高そう?ですが、他の特徴はそれとは程遠い二輪の台車でした。
 このような例外や間違いは多々多々あると思いますので、それをご了承の上読んでいただくようお願いします。
 また、写真を送っていただいた方に篤く感謝申し上げます。

送っていただいた魚吹八幡宮 高田屋台の台車


編集後記:
 
今回は写真をかなり多く使いました。
 私自身、祭りを見に行っても、できるだけ担いでいるところを見ようとしていたので、写真を探すのに一苦労しました。
 月刊「祭」11月号も少し早めに出す予定、12月号は12月半ば頃に出すことになるかと思います。またのご愛顧をお願いします。

 


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