月刊「祭御宅(祭オタク)」

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欄間彫刻不明場面解明? 三木市大宮八幡宮明石町屋台<月刊「祭」第35号 2014.解明特別号>

2014-11-02 10:04:30 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の題材-

 播州だけでなく全国的、全世界的に見ても、三木市大宮八幡宮の明石町屋台が類稀なる名屋台であることは論を待ちません。しかし、その素性は謎に包まれている所が多く、マツ(祭オタク)の頭を悩ませます。

 その謎の1つが欄間彫刻四面中二面が何の場面なのかが明らかになっていないことです。片方は合戦物で、もう片方が祝物と呼ばれる場面ですが、具体的に何の場面かは詳しく分かっておりません。
 しかも祝物の方は、人物が欠損しており、それが余計に解明を困難なものにしています。

⚫︎合戦物

↑不明場面、合戦物

①菱紋

 そこで、不明場面のひとつである合戦物の場面の幟の菱形の紋を手掛かりに考えてみることにしました。菱形の紋には色々ありますが、代表的なのが四菱や花菱です。その菱紋を愛用していたのが、武田家です。四菱や花菱のように四つにわかれた菱形ではありませんが、人物を岩に変えるという荒技修理を行った業者が、四つに別れた菱を塗りつぶしたという可能性もあります。
 合戦物二面のうち、わかっている場面は、武田信玄と上杉謙信が相対する川中島の戦いですので、同じく武田家の合戦を表したものである可能性は充分に考えられます。

②鹿の角の兜

 もう一つの手がかりになるのが、鹿の角を兜につけている武将です。右手には細い棒のようなものを持っています。
 武田氏と一戦を交えている、鹿の角の兜、細い軍配で浮かび上がるのが、長篠の戦いでの本多忠勝です。

③馬を駆り兵を吹っ飛ばす武者
 そうなると、周囲の兵を吹っ飛ばしながら馬で突進するこの彫刻の主役は、武田方の武将の可能性が高くなりそうです。そこで、武田二十四士を調べていくと、馬場信春たる人物に行き着きます。
 この人物を描いた浮世絵がこちら。彫刻の騎馬武者と浮世絵の構図が非常に似ていますね^_^

⚫︎祝物

↑祝物と呼ばれる不明場面 間違いが判明しました(T T;

 先述の合戦物が、武田氏の長篠の戦いであることが分かってきました。既知の川中島の戦いも、上で判明した長篠の戦いも、合戦物二面は武田氏のものになります。
 そうなると非合戦物二面も、同じ人物に関連した場面である可能性が高くなりそうです。既知の場面である「小督の局」に関連する人物を紐解きましょう。

↑小督の局琴引の場

 小督の主役は小督の局本人と、馬に乗って笛を吹く源仲国、そして便りを寄こした高倉天皇です。「平家物語」では、高倉天皇の死後にその生前のエピソードを語る形で、「小督」の話が他の幾つかの高倉天皇の話と共に収録されています。
 そこで、残っている彫刻の特徴を見いだし、それと「平家物語」の高倉天皇の説話に合いそうなものはないかを見ていきます。

彫刻の特徴
①腕を組む人物

 顔が龍を彷彿とさせます。龍顔は天子の相とされ、「平家物語」の「小督」では高倉天皇が涙を流す様子を「龍顔より涙を流され」と表現しております。
 おそらくこの腕を組む人物が高倉天皇であると思われます。

②高倉天皇に外での出来事を伝えようとしている人物
 外での出来事を目上の人・高倉天皇に申し上げる=奏上しようとしています。


③建物と外の人々
 立派な建物ながら都とは思えない立地です。また、建物の外にいる人たちも、内裏の周りというより、普通の村人と思われます。よって、天皇の外出先での場面と思われます。

 上の彫刻の特徴①高倉天皇、②奏上、③旅先に合致する話を「平家物語」から探してみると、「高倉天皇の御衣の沙汰」という場面があたりそうです。

①高倉天皇の説話であり、②衣装を盗られ困っている女児がいることを奏上しています。そして、それは③方違えをした大原山中での出来事でした。

 つまり、不明場面のうち、祝物と呼ばれていた場面は、「高倉天皇御衣の沙汰」の場面と言えそうです。
と、偉そうに宣いましたが、「祝物=高倉天皇御衣の沙汰」の月刊「祭」説は間違いでした。よくみるとこの彫刻の後ろに煙が出る建物があります。これは難波宮や竃の煙と呼ばれる説話をモチーフにしたものだそうです。 これは竃の煙も出ない民の生活を見た仁徳天皇。天皇は民の税を免除し、自らの屋根も葺き替えずに過ごしました。 その甲斐あって民の生活は向上し、民は感謝の貢物を持って仁徳天皇のもとを訪れます。 この物語の舞台は大阪の高津宮と言われています。この摂社には^_^「高倉」稲荷があり、小督の局とはやはり高倉つながりといえる。。のかもしれません。
⚫︎合戦物、非合戦物各二面の構図的な一致
 合戦物二面は武田氏に関連したものでした。その構図は攻め入る騎馬武者を右に大きく配し、左に迎え撃つ武者を配しています。上の川中島では武田信玄本人が左、下の長篠の合戦では武田方の馬場が左に配されます。



 非合戦物二面は高倉(天皇×かっこ内の言葉は間違いが判明した時点ではぶくべきですが、間違いの記録として残します。)に関連した場面です。いずれも左側が屋敷、右側に来訪者という構図になっています。上の竃の煙(×御衣の沙汰)は仁徳天皇(×高倉天皇本人)が屋敷の中におり、一方下の小督の局の方は高倉天皇の使いである源仲国が右側の来訪者となっています。




⚫︎編集後記⚫︎
 今回は長年謎だった明石町屋台の欄間彫刻に挑みました。きっかけは、笑い飯の西田さんが武田氏と四菱について話している動画をみたことでした。
 また、六月に西宮市の大市八幡神社の下大市太鼓台の調査に参加させていただいた経験も大いに役立ちました。欄間彫刻は源平物三点、神功皇后の応神天皇ご生誕です。これは源氏の氏神・岩清水社からの分霊をいただいたという大市八幡神社の創建伝説を反映していると思われます。
 彫刻を一点一点見るだけでなく、他の面との関連性を見ることで、より彫刻の意図が見えたという経験がなければ、今回の発見にも巡り会えなかったと思います。
 この場をお借りして、調査に誘ってくださったSさん、大市八幡神社の御神職さまに改めて御礼申し上げます。

間違い訂正後後書き かす谷氏の御著作に、祝物と呼ばれていた彫刻を難波宮としていました。また、青年団の先輩から、彫刻の屋根から煙が出ているという指摘を賜りました。 若い頃は間違いをすると落ち込むことが多かったのですが、悪い意味でもいい意味でも間違いに気づくことが楽しくなっている昨今です。


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