風に吹かれて

その日、その時を・・・

酒井雄哉大阿闍梨

2009年03月29日 | なんじゃかんじゃ

酒井住職の講演があると聞いて京都へ出かけた。ずいぶんと昔、酒井住職の「千日回峰行」をテレビで見て、
死と隣り合わせのこんな凄まじいまでの行をする人がいるのかと思った。
それからしばらくして、同じ行を再度挑戦すると聞いてびっくり。
「千日回峰行」とは7年間をかけて計千日歩き継ぐことから呼ばれる。ただ歩くことではなく、最初の3年間は、
1年のうち100日を1日30㌔、続く2年間は、1年に200日同じ修行を行い、5年間で700日歩く。
これが終わると、9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行」の堂入りに入る。この行を修めないと次の行に進むことが許されない。
生きたまま出堂できるかわからない為、別れの儀式をして籠る「生き葬式」と言われる過酷な行である。
この後、6年目は1年間に100日だが歩く距離は1日60㌔に増え巡拝する場所も増える。7年目は、100日が1日84㌔、
最後の100日は最初の1日30㌔に戻る。1日84㌔も歩くとなると夜中の12時から歩きはじめて睡眠もほとんどとれないとか。
映像だが、夜中に白の装束を着てわらじを履いて真っ暗な山に出かける酒井住職を今でも覚えている。
合計千日、歩く距離は地球1周に匹敵する4万㌔に及ぶそうだ。これを満行した僧に「阿闍梨」という称号が与えられる。
延暦寺の記録に残る千日回峰行者は、酒井大阿闍梨の弟子まで47人、そのうち、二千日は僅か3人である。
現在83歳、檀上で1時間半椅子に座ることもなく話される僧は「生き仏様」そのものだった。


「一日が一生、と思って生きる」
今日の自分は草鞋を脱いだ時におしまい。そこからは明日生まれ変わるために、一生懸命反省すればいい。
復習するわけだな。今日はなぜこういう悪いことがあったのか。じゃあ明日は二度とふたたび同じことは
おこさないように努力しましょうって・・・そしてまた、新しく蘇って出て行く。今日の自分は今日でおしまい。
明日はまた新しい自分が生まれてくる。一日が一生、だな。今日が失敗したからって、へなへなすることない、
落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない。それには、今日を大切にしなかったら、
明日はありませんよっていうことでもある。今が一番大切だってことだよ。(一日一生より)
本を読んだから、話を聞いたからといって、すぐそのようになれるわけでも悟れるわけでもない。
「一日一生今日を大事に」この言葉を噛みしめて、これからの人生「あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない」で
ゆったりと生きていきたいものだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 富田林・寺内町 雛めぐり | トップ | レインコート »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

なんじゃかんじゃ」カテゴリの最新記事