剣道家に限らず武道家も、スポーツ全体が、技に終始しておりますし、また、スピードを競っております。
以前から合気道や大東流合気柔術に関心を寄せております。特に、合気道の和を主張する処に共感しております。。
歴史が戦いから未だに抜け出せずにおりますし、地球上で未だに戦争があります。
その張本人は、誰でしょうか?
それは批判をしているあなたであり、私たちです。批判をする人を見たら、その人こそ戦争を起こしている人です。平和、平等、自由といいながら、正しいような批判を展開する唯物論者、それは、正しいように言いながら、実は、既に戦争を起こしているのです。批判は、外に向ければ戦争であり、自己に向ければ、そうです。自殺までさせるのです。批判は破壊であり、核兵器であり、テロと同じです。
また、平等ではありません、体も顔も能力も明るかったり控えめだったり、自由?自由には、規範があるのです。法の下の自由、平等であり、親と子は平等ではありません。上下の位置その場その場で位置が違います。平和、本当に実行していますか?平和は和することです。批判ではありません。100%和でなければなりません。そこには批判は存在できません。
現代にあって、武道を和と話される団体は合気道と我が剣の師、北辰一刀流五世小西重治郎成之先生以外(旧姓小野)にないのではないかと思われます。
我が剣の師、北辰一刀流五世小西重治郎成之先生も剣術に「和」を語られ、また、勝敗を超えた剣道、「あいぬけ」共に生きる剣道を主張されました。(北辰一刀流BABジャパンCD,ビデオ、入門案内の文)
合気道の説明には、剣術で説明できないところを説明してくれます。
固体、液体、気体、剣術的に解釈すると固体、これは形、体と言えます。気体は、心法、見えない気です。しかし、剣道には、液体が明確なものがありません。
しかし、北辰一刀流五世の剣を考えた時、極意がここにあることに気が付きました。
剣道家、武道家が到達できない壁、それが液体にあるということです。
北辰一刀流、免許皆伝、持田盛二十段は、晩年、少し邪念が入る、その為の稽古をしたと伺います。平常心という世界を超えたものを感じます。
遺稿に抜刀術が無い、43本の組太刀をやらないと批判を繰り返す人たちがいます。そのような心構えでどうして極意を悟れましょうか?43本それは、小野派一刀流(総数170本)50本とも60本とも言われる中の43本です。正確には、50本であり60本になります。真実の北辰一刀流を悟るべきが我々の本分とだと修練に励んでおります。
八幡太郎義家こと源義家に誓いを立てた千葉常兼から千葉介常胤、千葉大和、勇者の生き方です。その姿勢が初代から受け継がれている伝統です。
五世の言葉に「自分以外全て師である」と指導されました。我々剣道家の原点だと思います。剣が傲慢になったら、もうお終いだ、とも言われました。
北辰一刀流五世の半生を多くの方が知らないと思います。背が低く、ニコニコした顔からは想像も付かない、剣を使います。警察大学の師範をされたその実力は半端なものじゃないことが分かります。五世を相手に、あの上段の名手千葉先生(現警視庁名誉師範)が上段を下したと伝え聞きました。また、京都大会で模範試合をされ20本位打ちまくってしまった、といいます。日本剣道連盟の責任者に対して「何故こんな者を出した」と叱ったといいます。責任者は、「八段で彼が最高の者です」と答えたそうです。「なんであんなものを出したのか、他にたくさんいるのに」と相手を思いやる。(五世講和より)
同時に、徹底した善と正義と愛の方でした。それは、少年時代から、戦時中の特攻どぐろ隊でも終生変わりませんでした。(「よみがえる北斗の剣」より)
人間の体を見ると固体(体)、液体(血液)、気体(心、霊)になっております。
武産合気(p76~84)は、我々(固体、液体、気体)の穢れを取り除き、地上天国を創造しなければならないと述べております。
北辰一刀流五世の半生は、まさに穢れを取り除き、善と正義と愛であったので、液体の極意に到達されたのだと思います。
それは、まさに武の矛(ほこ)を止める。のが武道の真の姿であり、
批判や争いを止めることであり、善と正義と愛の実践、和の実践であると極意の最終点、地上天国が我々の使命だと思います。牧師である小野派一刀流、宗家、笹森先生(現警察大学師範)も同じ意見ではないでしょうか。
以前から合気道や大東流合気柔術に関心を寄せております。特に、合気道の和を主張する処に共感しております。。
歴史が戦いから未だに抜け出せずにおりますし、地球上で未だに戦争があります。
その張本人は、誰でしょうか?
それは批判をしているあなたであり、私たちです。批判をする人を見たら、その人こそ戦争を起こしている人です。平和、平等、自由といいながら、正しいような批判を展開する唯物論者、それは、正しいように言いながら、実は、既に戦争を起こしているのです。批判は、外に向ければ戦争であり、自己に向ければ、そうです。自殺までさせるのです。批判は破壊であり、核兵器であり、テロと同じです。
また、平等ではありません、体も顔も能力も明るかったり控えめだったり、自由?自由には、規範があるのです。法の下の自由、平等であり、親と子は平等ではありません。上下の位置その場その場で位置が違います。平和、本当に実行していますか?平和は和することです。批判ではありません。100%和でなければなりません。そこには批判は存在できません。
現代にあって、武道を和と話される団体は合気道と我が剣の師、北辰一刀流五世小西重治郎成之先生以外(旧姓小野)にないのではないかと思われます。
我が剣の師、北辰一刀流五世小西重治郎成之先生も剣術に「和」を語られ、また、勝敗を超えた剣道、「あいぬけ」共に生きる剣道を主張されました。(北辰一刀流BABジャパンCD,ビデオ、入門案内の文)
合気道の説明には、剣術で説明できないところを説明してくれます。
固体、液体、気体、剣術的に解釈すると固体、これは形、体と言えます。気体は、心法、見えない気です。しかし、剣道には、液体が明確なものがありません。
しかし、北辰一刀流五世の剣を考えた時、極意がここにあることに気が付きました。
剣道家、武道家が到達できない壁、それが液体にあるということです。
北辰一刀流、免許皆伝、持田盛二十段は、晩年、少し邪念が入る、その為の稽古をしたと伺います。平常心という世界を超えたものを感じます。
遺稿に抜刀術が無い、43本の組太刀をやらないと批判を繰り返す人たちがいます。そのような心構えでどうして極意を悟れましょうか?43本それは、小野派一刀流(総数170本)50本とも60本とも言われる中の43本です。正確には、50本であり60本になります。真実の北辰一刀流を悟るべきが我々の本分とだと修練に励んでおります。
八幡太郎義家こと源義家に誓いを立てた千葉常兼から千葉介常胤、千葉大和、勇者の生き方です。その姿勢が初代から受け継がれている伝統です。
五世の言葉に「自分以外全て師である」と指導されました。我々剣道家の原点だと思います。剣が傲慢になったら、もうお終いだ、とも言われました。
北辰一刀流五世の半生を多くの方が知らないと思います。背が低く、ニコニコした顔からは想像も付かない、剣を使います。警察大学の師範をされたその実力は半端なものじゃないことが分かります。五世を相手に、あの上段の名手千葉先生(現警視庁名誉師範)が上段を下したと伝え聞きました。また、京都大会で模範試合をされ20本位打ちまくってしまった、といいます。日本剣道連盟の責任者に対して「何故こんな者を出した」と叱ったといいます。責任者は、「八段で彼が最高の者です」と答えたそうです。「なんであんなものを出したのか、他にたくさんいるのに」と相手を思いやる。(五世講和より)
同時に、徹底した善と正義と愛の方でした。それは、少年時代から、戦時中の特攻どぐろ隊でも終生変わりませんでした。(「よみがえる北斗の剣」より)
人間の体を見ると固体(体)、液体(血液)、気体(心、霊)になっております。
武産合気(p76~84)は、我々(固体、液体、気体)の穢れを取り除き、地上天国を創造しなければならないと述べております。
北辰一刀流五世の半生は、まさに穢れを取り除き、善と正義と愛であったので、液体の極意に到達されたのだと思います。
それは、まさに武の矛(ほこ)を止める。のが武道の真の姿であり、
批判や争いを止めることであり、善と正義と愛の実践、和の実践であると極意の最終点、地上天国が我々の使命だと思います。牧師である小野派一刀流、宗家、笹森先生(現警察大学師範)も同じ意見ではないでしょうか。