陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

塩の話

2008-08-01 23:21:36 | weblog
暑くなると喉が渇く。ついどうしても冷たい飲み物がほしくなる。麦茶を毎日作り、冷蔵庫にストックしておくが、すぐになくなってしまう。
ところがついうっかり飲み過ぎると、こんどは胃が痛くなったり、気持ちがわるくなったりすることになってしまう。胃液が薄くなってしまうからだろう。

スポーツドリンクというのは、あの薄い甘みが好きではなくて、あまり自分から進んで飲むようなことはしないのだが、やはり汗を大量にかいてしまうようなときは、お茶よりもスポーツドリンクの方がいいのかもしれない。
だが、スポーツドリンクのラベルには、なんのかんのと書いてあるが、結局のところは麦茶を飲んで、塩をちょっとなめるだけでいいのかもしれない。

塩は人間が最初に使うようになった調味料である。紀元前2000年以前のパピルスにも「塩漬けの野菜ほどうまいものはない」と書いてあるらしい(『「塩」の世界史』)。これは塩が人間の体を維持していくために必須のものだから、おいしく感じる、ということなのだろうか。

けれども、いまは「食卓塩」というかたちで食卓に塩を置いて、味が足りなければ料理にじかに振りかけるようなことはしない。外で食事をするようなときでも、塩入れの容器がテーブルに置いてあっても、あまりそれを使うことはない。
さまざまなものに「塩分の摂りすぎに注意しましょう」と書いてあるし、塩よりもほかの調味料(たとえば醤油、あるいは胡椒)の方がおいしいように思っている。

ところが昔は、塩は高級品だったのだという。
 長い中国史上、食物に直接塩をふりかけることは、ほとんどなかった。たいていは料理の過程で、さまざまな調味料――塩味のソースやペースト――から塩味がつけられる。塩は高価だから、こういった調味料で薄めて使うという説明がよくなされる。古代地中海から東南アジアまで同様の嗜好が見られたが、中国では魚を塩漬けして発酵させた調味料が一番好まれた。これはジャンという。しかし中国では魚を発酵させるさいに大豆が加えられ、やがて魚そのものは材料から消えて、ジャンが「ジャンユ」、すなわち今日の西洋世界で言うところの「醤油(ソイ・ソース)」となった。
(マーク・カーランスキー『「塩」の世界史』山本光伸訳 扶桑社)
高級品である塩を薄めて使うためにできたのが、醤油だったのだ。漬け物も、米に塩味をつけるためのものだったのである。

同書には、こんな記述もある。「貴族は晩餐の席で、卓上に純粋な塩を出すという法外にぜいたくなまねをして財を見せびらかした。これは中国ではめったにないことだったが、豪華な装飾をほどこした容器に入れたりした」

だが、塩の役目は味付けだけではない。むしろ、塩の防腐作用が主な役目だったと言っていい。近代に入って「瓶詰め」が登場するまで、食料保存の中心は、塩漬けにすることだったのである。

生命を維持するはたらきがあるだけでなく、腐敗を防ぐはたらきもあるために、「塩の力」が一種の象徴性を持って受け入れられたことは想像に難くない。
お相撲さんは土俵入りするとき、塩をまくし、お葬式から帰ってきた人は、清めの塩を使う。
旧約聖書のエゼキエル書にも「誕生について言えば、お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布にくるんでくれる者もいなかった。 」(16章4節)のように、当時のユダヤ人たちは、新生児を悪魔から守るために塩で体を浄めていたらしい。
ハイチのブードゥー教では塩を用いてゾンビを生き返らせるというし、古代のエジプト人はミイラを作るのに塩を使ったが、おそらくそれは単なる「防腐作用」というはたらきだけではなかったはずだ。

以前、肩が凝るときは指先に塩をのせてどうにかする、と言っていた人がいて、こちらは一種のおまじないだろうと思って聞いていたら、相手は本気だったので、ちょっと驚いてしまった。塩には力があるから、何やらを吸い取ってくれる、というようなことを言っていたような気がする。そのときは何とも変わったことを言う人だなあ、と思ったのだが、どこでそういうことを聞いたのか、いったい何に由来するものなのか、もっとちゃんと聞いておけばよかった。

高校時代、調理実習でパンを焼いた。ひとつのパン種に、小さじ一杯の塩を入れ忘れ、そのパンだけ、味も素っ気もない、というか、ほんとうにおいしくない味気ないパンで、ふだん意識したこともなかった「塩のおいしさ」を初めて実感した経験だった。

病気の時は、お粥にひとつまみ。
おにぎりのときには手に少しつけてから。
毎日料理をするたびに塩を使う。あまりに身近で、使う量も少ないので、一度買うとなかなかなくならない。ほかの調味料に比べれば、値段だって安いので、ほとんど意識することもない調味料だが、塩がなくなれば料理ができない。
 フランスには、王女が王に向かって「塩のようにお父様を愛します」と言う民話がある。王は無礼を受けたと思って腹を立て、娘を王国から追放してしまう。のちに塩を得ることができなくなってはじめて、王は塩の価値に気づき、さらに娘の愛情の深さを知る。塩はどこにでもあり、入手しやすく、しかも安価なので、文明の起源から、つい百年前までは、人類史上もっとも渇望されていたものの一つだということを、皆忘れがちなのである。
(『「塩」の世界史』)

そういえば、"Could you pass me the salt please?"(塩を取ってくださいませんか?)というフレーズを中学時代覚えたものだ。
映画の《アダムズ・ファミリー》だったと思うが、"Pass me the salt."(塩を取って)という娘にお母さんが「何か足りないものはない?」と聞く。お母さんは"please"を子供に覚えさせたいのだ。
それに対して子供はひとこと。
"Now."(早く!)

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