HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

旅順 東鶏冠山北堡塁 - 日露戦争最大の激戦地

2013-07-29 | 旅順を歩く
旅順にある東鶏冠山北堡塁に行ってみました。

日露戦争の激戦地となった帝政ロシアの要塞です。

小説「坂の上の雲」に登場します。
近代国家の建設を急いだ日本が、多くの命と鮮血を贖い、「近代」というものの恐ろしさに接した最初の体験であったかもしれない、と紹介されています。
「要塞」というものが、近代を象徴していたのでしょう。


(1920年代に撮影されたと思われる東鶏冠山北堡塁の山頂付近です)

帝政ロシアは、租借権獲得(1899年)から日露開戦(1904年)までの短い期間に、よくぞこれだけの要塞を作ったものだと思います。
岩と石とコンクリートと組み合わせて造られた要塞は、司令部、兵舎、弾薬庫、治療室、台所などが複雑に配置されています。
堡塁の周囲は堀が張り巡らされています。

要塞跡には、今も生々しい戦いの跡が残っていました。


(ロシア軍の宿泊所跡です。ロシア兵とて、相当寒かったと思います)


(すさまじい弾痕や爆発跡が残っています)

日本陸軍は、ここでロシア側の要塞の位置や構造に関する情報が絶望的に少ない中で3回にわたる総攻撃を行いました。旅順の占領に成功するまでに1万人を超える死者を出しました。
日本だけではありません。

帝政ロシア側も名将・コンドラチェンコ司令官をはじめ、多くのロシア人兵士がこの要塞で戦死しました。


(ここから砲弾を撃ち込んだのでしょう)

静かに目を瞑り、深呼吸をして当時の状況を想像します。
今でこそ植栽された緑が多く風光明媚な景色が広がっていますが、ここで両軍相塗れて、多くの貴重な命が落とされたわけです。身が引き締まります。

日本の近代史上、大きな意味のある場所だと思います。
改めて、戦争というものの恐ろしさと悲惨さを考えさせられる場所です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ビール大飲み選手権(予選の... | トップ | 牛肉炸醤麺 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿