永田町の憲政記念館に、安重根が伊藤博文を暗殺した際に放った銃弾のひとつが展示されています。
1909年10月26日、伊藤を乗せた旅順発の列車はハルビン駅に到着します。
ホームに降り立ち、ロシア要人らと握手を交わしていところ、群衆を装って接近した安重根が伊藤をめがけて拳銃7発を放ちます。
このうち、伊藤には3発が命中したほか、随行者も被弾しました。
ここに展示されている銃弾は、随行者のひとりだった満鉄理事の田中清次郎の足から摘出されたものだそうです。
裁判の証拠としてこの銃弾を預かった大連民政署(2015年6月9日の日記)は、今も中山広場に残る重要な歴史建築です。
大連から持ち帰られた歴史の物証が、こんなところにもあるのですね。
1909年10月26日、伊藤を乗せた旅順発の列車はハルビン駅に到着します。
ホームに降り立ち、ロシア要人らと握手を交わしていところ、群衆を装って接近した安重根が伊藤をめがけて拳銃7発を放ちます。
このうち、伊藤には3発が命中したほか、随行者も被弾しました。
ここに展示されている銃弾は、随行者のひとりだった満鉄理事の田中清次郎の足から摘出されたものだそうです。
裁判の証拠としてこの銃弾を預かった大連民政署(2015年6月9日の日記)は、今も中山広場に残る重要な歴史建築です。
大連から持ち帰られた歴史の物証が、こんなところにもあるのですね。
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