HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

大連駅

2013-05-06 | 大連を歩く
大連の陸の玄関口である大連駅は、1903年にロシア主導で東清鉄道の駅として開業しました。
現在の駅舎は、日本租借時代の1937年に建てられた2代目です。

建設から76年が経過します。
2000年代に補修工事を施したようですが、まったく古さを感じさせないしっかりした作りです。

設計や施工は、もちろん満鉄です。



上野駅がモデルとされています。

上野駅より一回り大きいですが、形は同じです。
出発口が2階、到着口が1階と分けられているのも同じです。

ちなみに、上野駅の竣工は1932年ですから、大連の5年前ということになります。

上野駅といえば、東北地方と東京の玄関口として長らくその役目を果たしてきましたが、ここ大連駅も、日本租借時代には同じように満州に向かう日本人の玄関口としての役目を果たしてきました。
大連からみると、当時の満州も同じ東北方向です。

このように同じような役割を担うからという理由で上野駅をモデルにしたのかどうかは不明ですが、そういう想像を誘うような奥深い雰囲気を持った姿をたたえています。

東京駅のような優美で壮麗な作りではありません。シンプルで、風格と重厚感を持った佇まいです。

僕には戦時中、招集を受けて満州の興安北省(現在の黒龍江省)に駐在した経歴を持つ親戚がいるのですが(以下、「大叔父」と呼びます)、この大叔父も、門司港を出発して大連港に到着し、その後この駅から満鉄に乗って満州に向かったそうです。

大叔父は、初めて見た大連駅について「とても大きい駅だったのを覚えている」と話していました。

大叔父が見たのは、おそらく建設直後の駅の姿でしょう。大叔父が育った(同じく、僕も育ちました)九州の田舎の小さな駅に比べたら、そう感じるのは自然なことだったと思います。

その後も変わらず、大連駅は、かの大戦を経て七十数年の歴史を見守り続け、今も多くの旅人を受け入れ続けています。

大連の表玄関で、今も堂々と日本が生きています。

大連駅は、日本人としての誇りを感じるスポットのひとつです。

大連市重点保護建築に指定されています。
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