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中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

東京 勝どき - 旅順攻囲戦の勝利に由来する地名

2017-02-14 | 東京を歩く
勝鬨(かちどき)橋は、隅田川の最下流に掛かる二連のアーチ橋です。


多くの映画やドラマにも登場する、東京を代表する名橋です。




この橋を築地方面から渡ると、中央区勝どき1丁目に出ます。

この「勝鬨橋」の名称や「勝どき」の住所表示は、旅順に由来しています。

日露戦争の旅順攻囲戦で日本軍がロシア軍に勝利を収めたときの「勝どき」なのです。

1905年1月、旅順戦の勝利を祝う記念として地元有志が「勝鬨の渡し」を名付けられた渡し船を開設しました。
1933年には交通量の増加に伴って架橋工事がスタートし、1940年に現在の勝鬨橋が完成しました。
やがて、月島側の一帯は「勝どき」と呼ばれるようになりました。

旅順攻囲戦の勝利は、日本にとってそれだけインパクトのある、歴史的な出来事だったことが伝わってきます。

勝鬨橋の築地側のたもとには、渡し船の開設を記念した石碑が残っています。


側面には、明治39年の刻印があります。


説明書きです。

勝鬨橋は、日本では珍しい可動橋です。橋の中央部が跳開できるように設計され、船舶の航行を可能としていました。

交通量が劇的に増え、海上物流が改善された今では橋の跳開は行われていませんが、1970年まで行われていたそうです。

日本の技術力を結集し、威信を掛けて完成させたこの橋は、「東洋一の可動橋」と呼ばれました。


跳開していたときの古写真が残っています。


制御塔は今もそのまま残っています。


信号も残っています。もちろん今は点灯することはありません。


橋の中央の開閉部分です。ここが上に持ち上がって左右に開いていたようです。

驚くべきことに、建築当時、この橋にはレールが敷設され、都電が通行していたそうです。
約80年も前にすごい技術ですね。


勝鬨橋は、2007年に国の重要文化財にも指定されています。

僕が行ったときも、多くの見物客で賑わっていました。

東京の地名や橋にも旅順の名残りが残っています。
地名も橋も、「勝どき」の名は半永久的にここに残っていくことでしょう。




コメント
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