(参考)絵になっている俳句
>ところが、初案の句になると事情が違ってくる。
これって何の事?…って考えました。それでなんとか判ったのは、
この「初案の句」ってどうやら、図1に書かれた芭蕉の俳句らしい。
だけど、芭蕉の図1の句と櫂氏の示した初案の句は微妙に異なる。
* 枯枝にからすのとまりたるや秋の暮 芭蕉 (図1)
> 枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 (櫂氏の句?)
結局、櫂氏は「図1」の芭蕉の句を「初案」と言って、貶めているワケ。
だけど、図1は初案だって言うの?その反省文を芭蕉は遺してるの?
>この初案では芭蕉は…持続を表す「たる」に「や」を重ねているだけである。
文学部教授の櫂さんのお説だけど、今まで何べんも間違ってるよね。
口先で貶すのは幼児レベル、於多福姉は絵と句を検証して比べるわ。
>芭蕉の心の動きも伝わってこなければ、
>烏の静かさも秋の暮の静けさも感じられない。
>これなら烏は何羽いても構わないだろう。
>「かれ朶に」の句の初案と推敲後の句は似ているが、まったく違う句なのだ。
櫂さんの考えは、図1の図柄に似合うのは図3の句ってことらしい。
烏が鳴き騒いでいる図柄に似合うのは悄然とした烏の句だって思う?
ギャーギャー騒ぐ烏を見て、静かに落ち着いた烏だなぁって詠むの?
本気で言ってるなら【長谷川櫂さんっておバカさんでちゅねぇ~】
騒ぐ烏を見て「静かねぇ…?」櫂さんには人の感覚が分ってないよ。
騒ぐ烏は騒ぐように詠む「古池」流儀の庶民の俳句、芭蕉の俳句よ。
くり返すけど「芭蕉は庶民」だから、蛙は河鹿でなくカエルなのよ。
長谷川櫂さん、芭蕉を貶めるなら・それなりの物的証拠が必要です。
誘導尋問の手口やマインドコントロールするやり口は感心しないわ。
東京大学・法学部卒業生に相応しく、堂堂たる論陣を張るべきです!