daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

山越の風を時じみ寝る夜落ちず

2014年10月30日 | 萬世の歌



〔巻一・六〕
山越の風を時じみ寝る夜落ちず家なる妹をかけて偲びつ
   軍王

(やまごしのかぜをときじみぬるよおちずいへなるいもをかけてしぬびつ)

【意】山を越して、風が時ならず吹いて来るので、ひとり寝る毎夜毎夜、家に残っている妻を心にかけて思い慕うている。

時じみ     : 時ならぬ。(想定していない状況)
かけて     : 心に懸けて。心から離さないで。

住み慣れた家でなく旅の宿で寝つけないのだろうか、
あるいは貴人のお伴で緊張していて寝つけないのかも、
横になっていて吹きつける風の音が聞えてきたのだろう、
山から吹きおろす風には私だって心穏やかに過ごせないよ、

山の向こう側‥都の貴女はどうしていらっしゃるだろうか‥
強い風が吹いてるけれど貴女は元気でお過ごしだろうか‥
山を越して私の所まで貴女のことを知らせる風なのか‥
あなたはどうなさってるかといつも想っていますよ。

親しき仲にも礼儀ありと昔から教わってきた筈なのに
近ごろ「気遣いは他人行儀」と想われているのだろうか
乱暴な物言いが優しさの証ででもあるかのような風潮、
そんなもの優しいと考えてるようなら、私は要らないな。
大事な恋人なら、大事な伴侶なら、大事な家族なら、
大事に大事に接していきたい、幸せであってほしいもの。



舒明天皇が讃岐さぬき国安益あや郡に行幸あった時、軍王いくさのおおきみの作った長歌の反歌である。軍王の伝は不明であるが、或は固有名詞でなく、大将軍いくさのおおきみのことかも知れない(近時題詞の軍王見山を山の名だとする説がある)。天皇の十一年十二月伊豫の温湯ゆの宮みやに行幸あったから、そのついでに讃岐安益郡(今の綾歌あやうた郡)にも立寄られたのであっただろうか。「時じみ」は非時、不時などとも書き、時ならずという意。「寝る夜おちず」は、寝る毎晩毎晩欠かさずにの意。「かけて」は心にかけての意である。
 一首の意は、山を越して、風が時ならず吹いて来るので、ひとり寝る毎夜毎夜、家に残っている妻を心にかけて思い慕うた、というのである。言葉が順当に運ばれて、作歌感情の極めて素直にあらわれた歌であるが、さればといって平板に失したものでなく、捉とらうべきところは決して免のがしてはいない。「山越しの風」は山を越して来る風の意だが、これなども、正岡子規が嘗かつて注意した如く緊密で巧たくみな云い方で、この句があるために、一首が具体的に緊しまって来た。この語には、「朝日かげにほへる山に照る月の飽かざる君を山越やまごしに置きて」(巻四・四九五)の例が参考となる。また、「かけて偲ぶ」という用例は、その他の歌にもあるが、心から離さずにいるという気持で、自然的に同感を伴うために他にも用例が出来たのである。併しこの「懸く」という如き云いい方はその時代に発達した云い方であるので、現在の私等が直ちにそれを取って歌語に用い、心の直接性を得るという訣わけに行かないから、私等は、語そのものよりも、その語の出来た心理を学ぶ方がいい。なおこの歌で学ぶべきは全体としてのその古調である。第三句の字余りなどでもその破綻はたんを来さない微妙な点と、「風を時じみ」の如く圧搾あっさくした云い方と、結句の「つ」止めと、そういうものが相待って綜合そうごう的な古調を成就しているところを学ぶべきである。第三句の字余りは、人麿の歌にも、「幸さきくあれど」等があるが、後世の第三句の字余りとは趣がちがうので破綻云々うんぬんと云った。「つ」止めの参考歌には、「越の海の手結たゆひの浦を旅にして見ればともしみ大和しぬびつ」(巻三・三六七)等がある。


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