daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

私の素敵な道標

2014年09月07日 | (転載・記事)  総 合
* ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

>高野山でのくである。この句はもはや説明を要しないだろう。
>翌(元禄)二年春、芭蕉は深川の芭蕉庵を人に譲ってみちのくへと旅立つ。


雉も鳴かずば撃たれまいに…雉の声に私の中に湧く想いがこの格言。
暑い夏の日、河内長野で見かけた雉も・生駒山の雉も鳴かなかった。
綺麗な鶏みたいに見えた雉、己の哀しい過去を知っているのかしら。

そんなに啼いてくれるな。おまえも古里が恋しいのだろうなぁ…。

雉にも芭蕉にも共通の古里、それは温かい胎内に違いありますまい。
この後も、芭蕉の仲間恋しさは生涯已むことが無かったと云えそう。
翌年には芭蕉庵を手放してるし、深川に戻るつもりはなかったのね。

国の中心・江戸を去って、芭蕉の旅は枯野をどこまでも駆めぐる…。
古池には文明に荒らされる前の自然のままの水辺に遊ぶ蛙がみえた。
そして枯野の先に見える水辺に活き活き遊ぶは、元気な蛙や人の影。

芭蕉の俳諧の原点を辿れば、結局・生物発祥の地に戻るのでしょう。
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さて、
次句は「古池や」以前、芭蕉の心情が入った唯一句と…櫂氏の紹介。

>さながら古池の句が芭蕉の発想の型となってしまった観さえある。
>一方、古池の句以前はこの型の句がほとんど見当たらない。
>古池の句の一年半前の貞享元年冬、『野ざらし紀行』の旅の途上、尾張の熱田で詠んだ句である。ただ一つ

* 海くれて鴨のこゑほのかに白し

海は夕闇に没して暗く、その闇の中から鴨の鳴き声が聞こえる。
闇の中にほのかに白い影が見えているが、それが鴨なのだろう。

実際、この句からこれ以上の心情を読取ることは出来ませんね。
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