(引用文)
コスモスという草は、一度植えると、それから後数年間は、毎年ひとりで生えて来る。 今年も三、四本出た。 延び延びて、私の背丈(せた)けほどに延びたが、いっこうにまだ花が出そうにも見えない。 今朝行って見ると、枝の尖端(せんたん)に蟻(あり)が二、三疋(びき)ずつついていて、何かしら仕事をしている。 よく見ると、なんだか、つぼみらしいものが少し見えるようである。 コスモスの高さは蟻の身長の数百倍である。 人間に対する数千尺に当たるわけである。 どうして蟻がこの高い高い茎の頂上につぼみのできたことをかぎつけるかが不思議である。 (大正十年十一月、渋柿)
(大正十年十一月号掲載文を読んで)
色んな物差しがあるけれど、寅彦は「蟻の身長」で考えるらしい。
花は「香りの物差し」を持ち、種(しゅ)ごとにサイズは異なる。
バラの香りは強いけれど、金木犀の香りほどには強烈に匂わない。
コスモスの香りは強くないけれど、傍らを通る人に判るでしょう。
それならコスモスの根元を行き来する蟻に判らない事があろうか。
「ぼちぼち、蜜の採集の頃だぜ」と、語り合ってるか知らないが。
世の中、何でもかんでも己の偏見で決めつけてはいけないだろう。