daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

選集『猿蓑』のこと①

2014年09月07日 | (転載・記事)  総 合

長谷川櫂さん> 元禄二年八月、『おくのほそ道』の旅を大垣で終えた芭蕉は元禄四年九月までの二年間、伊賀上野、京、近江の間を行き来して過ごす。この間、凡兆、去来という入門して間もない二人の新人を抜擢して選者とし、芭蕉自身の後見のもとに姿を現したのがこの『猿蓑』だった。

『おくのほそ道』の旅は試験飛行的なものだったと云えそうですね。
エンジンに異常は認められない、乗り心地も最高だし、申し分ない。
副操縦桿を握る人も育てて、同時に教本も作らなきゃいけないよね。
長谷川櫂さん> 『猿蓑』は元禄四年七月、京で出版された。乾坤二巻から成り、乾の巻には冬、夏、秋、春の順に蕉門俳人の発句三百八十二句を収める。この選集は和歌俳諧の選集が『古今集』以来、踏襲してきた春夏秋冬という部立ての順を捨て去った。

芭蕉は弟子に満点の出来を期待した訳じゃない…二人を育てる事ね。

* 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也  芭蕉

猿も欲しがる小蓑なのね、魅力ある『猿蓑』に仕上げなきゃだわね。
猿の役に立つ小蓑なのね、役に立つ『猿蓑』に仕上げなくちゃです。
猿の小蓑は一冬の物です、けど蕉風『猿蓑』は芭蕉滅後も使うのよ。
 長谷川櫂さん> 凡兆は『猿蓑』のスターだった。ところが、彗星のようにあっという間に消え去る。『猿蓑』が世に出てわずか二ヵ月後の元禄四年九月…芭蕉に会ったとき、同門の路通をあしざまにののしるということがあった。これ以降、芭蕉は凡兆を遠ざけ、凡兆も芭蕉を煙たがるようになる。

芭蕉は雁の棹をイメージしてたのね、勿論、両翼も考えていたけど、
片翼だけで上手に羽ばたけないけど、それが試練なら仕方がないよ。
比翼の鳥は内輪揉めを戒める譬え、飛ぶ前に第一次編隊は傷を負う。

それで両翼は大事だけど、いちばん大事なのは司令塔・芭蕉なのね。
芭蕉に直にぶつかってくる弟子を、芭蕉はきっと高く評価したのよ。
同門を悪しざまに罵る凡兆…芭蕉は「馬謖を切る」思いだっのかな!?

凡兆の人間の小ささに・ガッカリしたってのが実際の所でしょうね。


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