今日も日曜日(旧ヒストリア)

定年退職後の毎日についてブログにしました。
当初は定年後立ち上げた「掛川ヒストリア」というグループのブログでした。

4月常会①

2017-04-02 | 大日本報徳社 2016~

20170402

新年度に入り、最初の常会だった。

二宮尊徳・佐藤信淵両先生例祭が毎年行われているようで、今回の常会でも実施された。大日本報徳社大講堂には「先聖殿・先農殿」という額がある。どうもこの額に書かれているものと関係あるようだがよく判らない。昨年4月の資料を見てみると岡田良一郎の時代からこの例祭が続いているという。特に佐藤信淵(先農殿)という人物については全く知識がない。

ネットで調べると、江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家(経済学者)、農学者、兵学者、農政家。出羽国(現秋田県)出身とある。「先聖殿・先農殿」と佐藤信淵についてはまた機会を見て調べてみたい。

 

さて今回の常会の講師は岡本信子氏。肩書は県立農林大学校非常勤講師とあり、演題名は「働くことは幸せ」。私は退職後、全く農業については無知であったことから1年間、この農林大学校で研修を受けて農業のまねごとを始めており、学校内でお見受けしたこともあるような覚えもある。現役時代の経歴を拝見すると県職員、生活改良普及員として長く勤められたようだ。話の内容はとても現場的であり、直に農村・山村に深く入り込まないと得られない話のように聞いた。

戦後、GHQにより行われた農地解放とともに、農業改良助長法に基づき設置されたのが「生活改良普及員」だという。昔ながらの農村で、家父長制を排除し女性の地位向上や食生活・台所改善などを進めていく役目だったという。具体的には各地に「農業改善グループ」というグループを作り育てていく仕事のようだ。

嫁をもらった家に「いい手間を貰った」という挨拶を日常でしていたという話には驚いた。昔は嫁いだ女性は嫁ぎ先にとって『労働力・手間』だったというエピソードだ。朝は誰よりも早く起き、朝食の準備をし、急ぎ畑に出掛け、遅くまで畑で働き、帰れば食事の準備、最後に風呂に入る頃には湯は少なく、温いお湯に入る毎日だったという。現実には知らないが、さもありなんという印象で話を聞いた。

戦後の食糧難時代から、農村の女性をめぐる環境はどんどん変化していく。日本経済の高度成長期からは兼業農家が増え、農村の次男以下は経済成長を支える労働力として都市にでていく。戦後、零細農家を大量に生み出した農地解放は、食えない農家が大多数となり兼業化がさらに進むことになった。

昨今では、農業も農村、個人も自立せよと追い立てられていく。豊富な情報や高い技術、高価な農業機械で高生産性、高付加価値の農業をせよと云われる。法人化・六次産業化を急き立てられていいる。県の農業に関する政策は規模拡大や施設の高度化で農業を行い、「1割の農業者が、5割の農地で、8割の農業生産額をあげる」(農業ビジネス課)という方向性で政策を進めていく。

一方、農地・農村を守るための政策として、「9割の農業者(兼業・高齢化)が5割の農地を使い、2割の生産額」や農地をを守っていく構図だ。必要な作物をどう栽培し続けるかではなく、農地をどう維持していくかの考え方で、担当部署も基盤整備部という部署の管轄となり、農業・産業部の管轄ではなくなっているという。「選択と集中」とはいえ何とも寂しい、お寒い状況だ。

文章が長くなってしまった。この続きはまた後日UPすることとしたい。