西の空は晴れている

絶望の向こうに希望がある............、はず!

久し振りに良い本を読んだ

2012-07-29 07:51:24 | 

【木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか】を読み終えた。原稿用紙1600枚、700ページ2段組のノンフィクション長篇。この作品を27歳から執筆しはじめて45歳に書き終えたという作者の、木村政彦に対する強い憧憬と柔道愛が感じられる。明治、大正、昭和、平成の武道史(柔道、空手、合気道、グレーシー柔術、総合)について詳細に記述されており、当然、大山倍達の真実についても触れられている。はっきり言って柔道贔屓、木村贔屓の作品です。それなのに、空手側の僕が読んでいても全く不快感は感じられず、寧ろ、読み続けるに従って、木村政彦という男にどんどん惹かれていく。

前半は、木村政彦が牛島辰熊と出会い、全日本優勝から天覧試合優勝までのことがメイン。15年間不敗。13年連続日本一。もの凄い練習量。僕の様なヘタレには100%無理だが、格闘技をやる人間とすれば、脳天気に”いいな~、そういうの”と思ってしまう。この時代は、今と違って、柔道はスポーツでは無く武道だったんですね。当然、打撃もやっていた。寝技や関節も立ち技以上に稽古した。高専柔道という単語は、ちょっとした格闘ヲタであれば、耳にしたことはあるだろう。武道としての柔道で、最強を目指す木村の人生にワクワクする。作者の(柔道を愛するが故の)、現代の講道館に対する不満が良くわかり、ある意味、爽快。

私事だが、僕の祖母の弟さん(S氏)が、やはり柔道の天覧試合で勝利したらしい(何回戦までいったのかは知らないが)。祖母が生前によく言っていた。文中にも書いてある通り、この時代の天覧試合というのは、オリンピックより価値があることだったようだ。戦前のことであり、当然、名前さえも出て来ないと思ったのだが、ネットで調べてみた。柔道では見つけることが出来なかったが、S氏の名前と、北大時代に書かれた研究論文(鉱山学?)の表題を見つけることができた。ちょっとうれしい。この時代の人達は、文武両道の豪傑が多かったんですね。

後半は、プロレスやグレーシーとの関わりについて。平成の世となり、グレーシー柔術が一躍有名になる。エリオ・グレーシーを破った男として木村政彦の名に世間の注目が集まった時には、彼はもう逝っていたという皮肉な現実。”第21章マラカナスタジアムの戦い”が、この本の中で僕が一番熱くなれた章。エリオ・グレーシーVS木村政彦の動画はネットで簡単に観ることができる。本を読んでから動画を見ると、感動も2倍。自らが負けた試合を開示してくれたグレーシー一族の漢気に感謝。それに比べて、力道山。現存する木村VS力道山の動画は全て、木村が攻めている部分はカットされている。力道山の一方的なブック破りとはいうものの、公開されている動画だけみると、ホント、木村が弱く見えてしまう。力道山も人には言えない苦労はあっただろう。でも、木村政彦云々は置いといても、こういう自己顕示欲の強い人は好きになれない。たぶん、どういう人間関係にあっても、僕が最も嫌いなタイプだわ。まあ、簡単に言えば”だまし討ち”。木村政彦の人生で唯一油断した瞬間だったのだろうが、この一戦の為、30年以上に渡って負けた側の人生を背負っていくことになる。強過ぎただけに、心の葛藤は、生半可なものでは無かったろう。

最終章で、なんとなく上手くまとめてあるが、なぜ、”だまし討ち”にされた木村が、木村ほどの人間が、力道山を殺さなかったのか、よく解らない。どれだけの資料を見ても解らないと思う。解る必要も無いと思う。でも、世の中、そんなものだろうと思う。世間の賞賛を浴びて生きることが良いことだなんて思えるのは、精々30代までで、自分が信じる者だけに解ってもらえればそれで正しいのじゃなかろうか。

そうそう、ラストで、”えー、そうなんだ!”っていう事が書かれており、救われた気持ちになる。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ちょっとお邪魔します (D表)
2017-07-22 21:11:03
兵法として考えたら、勝者は力道山ではないだろうか?
返信する
好きでは無いですが (くろ)
2017-07-22 21:39:51
たぶん、身近に居れば嫌いなタイプだと思いますが、そうだと思います。それだけに、木村本人や周りの人の無念さと言ったら、”はらわた、煮えかえる”という感じだったと思います。歴史に名を残した人って、存外、力道タイプが多いのでは?
返信する

コメントを投稿