KK倒した取手二V腕石田さん急死、41歳(日刊スポーツ) - goo ニュース
早すぎるよ。
そういえば、数日前、「桑田も野球選手としてのキャリアにひと段落ついたし、
清原もそろそろだよなぁ、そういえば岩倉の山口は阪神で打撃投手、
取手二の石田も横浜で打撃投手やってたよな、元気で生きているのかなぁ」
と思ったらこれだ。
自分って、どうもメディアとかで気になる名前を聞いて、その人の仕事を追って、
でも積み重なっている日常にかまけていつの間にか消息不明になって、
これを何かの拍子で思い出して「そういえば、元気であんじょうやっているかな」と
心の中で思い出した数日後、新聞やネットで訃報を知ることが多い。
もう少し生きてるうちに思い出してくださいよ、こんな「特殊能力」要らないよ、
と今さっきまで自分で自分を責めていたけれど、
いろんなことをぽつぽつと思い出して考えてみる。
自分がこの世に生まれてからいろんな人たちが自分の前を通り過ぎて行った。
・・・自分の人生に積極的にかかわっていた人たちは普通の人よりやや少なくて
人生見てきた、といったら傲慢に聞こえるけれど、いろんな人の
いろんな生き方があったことを知らない間に触れてきたのかもしれない。
「打ち上げ花火」のような華々しいものもあれば、地味だったけれど
丹念に誠実に生きてきたもの、有り余る才を持ちながら不遇に沈んだもの、
あるいは蕩尽、ただ蕩尽だけだったもの、
まさしく「人の歴史は十当り」というのは本当だった。
でもな、人はその人の人生自体に一区切りつけて「さよなら」するときに
何かしらひとつの「無念」をどこかの「誰か」に背負わせてこの世を離れるのだ。
それはまるで、「私はこの場所でこうして生きてきました、
ほんの少しのうれしいこと、その何千倍になる悲しくて苦しいこと、
そしてたどり着きたかったけれど、時間切れでたどり着けなかった場所が
あるのだよ、ひとつその場所まで私を連れて行ってくれないか」といわんばかりに。
そして、それを託された人はこの「無念」を背負って人生という「山道」を
再び歩き出す、たくさんの「無念」を背負いながら。
だから一つ一つの生活をおろそかにできないのですよ。
おろそかにしたら、「無念」を預けてくれた先人たちに申し訳が立たない。
そういう世界観を充分に見せてくれたヒットステージの「白波の食卓」
佐世保公演、今週の土曜、日曜です。
5月に西鉄で見て、理解できなかった人も、初めて見る人も一人でも多く、
この重さを知っていただけたら。
R.I.P