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隠館厄介氏に学ぶ

2017-05-24 06:22:22 | 
ときどき、押し込んである感情がよみがえることがある。

中学1年生時に技術家庭の試験の解答用紙を返却された。

いくつかのバツ印は正解であった。

担任でもあるI先生に×となっているが正解ではないかと申し出た。

来なさい、と言われ、小部屋について行った。

彼は高校生の息子に採点させて、その上で自分もチェックしたので間違いはない、君がこの答案を改ざんしたのだろうと言う。

もう一人教師が来て、担任は決して間違っていない、君は不正を認めなさい、となった。

時間が経って、不正をしましたと二人に言い、わたしは解放された。

先生に誤りはないの見立てに従っての決着であった。

どうして屈したのかと自らに問うと、それが簡単だったからである。

こんなに尾をひくとは思えないできごとだった。

ここで、ようやく話はタイトルに戻る。

『掟上今日子の婚姻届』 西尾維新著 講談社刊

第一話 隠館厄介、取材を受ける 

68頁~69頁で彼は取材者に返答する。

「・・・犯罪事案に限らず、必ずしも報道のせいというわけでもなく日常的に、知らない人をこうと決め付けたり、事情もわからないまま誤解していたり、面倒臭くて思い込んでいたりするんでしょう。・・・」

「冤罪を避けることは、難しい。と言うより、ほとんど不可能です。どれだけ用心しようとも、ある日突然、あらぬ疑いをかけられることはあるーだけど、あらぬ疑いをかけないことなら、気をつけさえすれば、できなくはないと思うんです」

「・・・いかに自分が、疑いやすい生き物なのかを自覚して、根拠もなく人を非難しないように心がける。みんながそうできれば、冤罪はなくなります」

また、著者あとがき240頁がことにいい。

「そのとき、(つまらないことにこだわっていたんだなあ)と思えればまだいいんですけれど、(いや!こんなに長い間ひきずってきた記憶が、大したことがないわけがない。この落胆する気持ちこそが勘違いに違いない)という風に、頑なに(嫌な思い出)にこだわる方向に気持ちが動くと、なんだか悲惨です。ありもしないトラウマにこだわって出来事の本質自体はもう失っているのに、その幻影がいつの間にか本質にない本体になっているという・・・、まあ、これは(いい思い出)の側にも言えることなので、一概に否定もできないんですけれど。」

読んでよかった本、西尾維新すごい。