ご近所の遺物散策

自宅近くに在る、古そうな物を改めてみて回る。

日テレ『ダーツの旅日記』で…

2007-10-31 23:54:23 | Weblog
 わが玄海町が本日、日本テレビの『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』内の『ダーツの旅日記』で紹介されました。
 私は知らなかったのですが、和歌山に居る叔父がワザワザ電話して教えてくれました。
 しかし、時既に遅くコーナーは終わっていました、残念!!
 母が電話を取ったんですが、叔父は故郷が全国放送で流れてよっぽど嬉しかったのか、かなり興奮していたそうです。
 故郷を離れて45年余りですが、その思いは変わらないのですね(^∇^)


◎日本テレビの『1億人の大質問!? 笑ってコラえて!』

ダーツの旅日記  佐賀県玄海町 10月31日放送  

日本有数の漁場として知られる玄界灘に面した自然豊かな町、それが今回ダーツの旅でおじゃました佐賀県玄海町です。海と山に囲まれた、のどかな町内で出会ったのは楽しい方ばかり。
第一町人のお父さんが強烈におすすめしてくれた「海上温泉」は、2004年にオープンした、町の人々の癒しの場です。文字通り建物の半分が海上に張り出していて、入浴料の500円を払えば雄大な日本海を眺めながら、海に浮かんだ気分で温泉に浸かる事ができるんです。
また地元の子供達も登場しましたが、町内に4校もある小学校の子供たちはみな活発で、玄海町の未来は明るいなと感じました。

今回ご好意でスタッフが海の幸をご馳走になった漁師のお父さんのお宅は半島の突端にあり、陸路は山道が険しいために車では行けないんですって!!
お孫さんを保育園へ送り迎えするために毎日船で町の港までやって来るんです。そして、お孫さんを送り届けた後は、その船で夕食のおかずを獲りに行く…そんな生活を送るお父さんの作る料理は、都会育ちの僕らにとっては豪勢そのもの。アワビの刺身や鯛の押し寿司(!)、サザエの壺焼きまで!毎日こんな料理が食べられるなんてうらやましい…。

 海の幸にばかり目が行ってしまいがちな玄海町ですが、実は農業や畜産も盛んで、最近人気の佐賀牛も数多く出荷されています。番組では紹介できませんでしたが、中山牧場さんの佐賀牛は、まさにとろけるウマさ!さらに玄海町産のコシヒカリやハウスみかん、いちごなども人気で、「何を食べてもおいしい町」…それが玄海町の印象でした。




吉田さんの作った押し寿司のレシピです!
新鮮なお魚が手に入ったら、是非お試しください!

鯛の押し寿司


(1)鯛のウロコを取ってさばき、切り分ける。
(2)鯛に塩をまぶし、2時間おく。
(3)鯛を水洗いし、コンブの入った酢に15分間入れ、しめる。
(4)酢メシを作る(米2升に対し酢500g、砂糖70g、塩150g)
(5)押し寿司用の箱に鯛をしきつめる。
(6)レモンをしぼる
(7)トロロ昆布を敷く
(8)大葉を敷く
(9)シャリを入れる
(10)上から押す(押し寿司用の箱がない場合は、さらしできつく巻いてスノコなどで押す事で代用可)
(11)箱から出し、鯛の上にバッテラ用の薄い生コンブをのせて完成。

エネルギーの町

2007-10-31 23:07:03 | Weblog
 原子力発電所の隣に、九州電力が建設した「玄海エネルギーパーク」があります。
 玄海町の数少ない観光資源の一つです。
 ここでは、原子力テーマにした「エネルギー館」と、九州の物産や祭り等を展示した「九州ふるさと館」があります。
 敷地内には珍しいスウェーデン製の遊具が置かれ、町民の憩いの場になっています。

玄海エネルギーパーク



 隣には同時期に建設された、発電所の温排水を利用した「観賞用温室」もあり珍しい熱帯の植物を鑑賞できます。

観賞用温室



 しかし、年々入館者は減り続けています。
 そんな中、新しく「玄海町次世代エネルギーパーク計画(仮称)」が持ち上がっています。
 今回は単に原子力だけではなく、次世代のクリーンエネルギーをテーマにした施設です。
 主な施設は太陽光、小型風力、小型小水力等の設備を備え、エネルギー学習機能、体験交流機能、エネルギー供給機能を有する施設を設置されます。

次世代エネルギーパーク

実際に普恩寺地区に単機容量では国内最大級の1500kW風車6基が既に稼動しています。
 玄海町だけでなく唐津市の沿岸部は風力発電に最適な地域とされ、近年風力発電機の建設ラッシュが続いています。

玄海ウィンドファーム


新たな産業、薬草栽培。

2007-10-31 23:04:49 | Weblog
 玄海町の主な産業は、農業と漁業です。ハウス栽培のミカン・イチゴ・メロン、特にハウスミカンは『J-PON』と言う海外向けブランド名で台湾などにも輸出しています。その他に棚田の温度差を利用した「棚田コシヒカリ」なども新ブランドとて人気を得ています。最近では肉牛が成長して「佐賀牛」としてブランド化にも成功しています。海産物ではタイ・ハマチ・フグなどの養殖業が盛んです。

 しかし、それらの産物は玄海町独自とまでは言えません。そのために玄海町独自の製品開発が急務となっていました。それで考え付いたのが、薬草栽培です。
 来年度より3ヵ年計画で、研究施設を建設する予定です。その後、5年位の目処で研究を進め、一般へ普及を図る予定だそうです。これが成功して玄海町が、日本の薬草研究の中心地にでもなれば最高ですね。


【甘草(かんぞう)】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


【芍薬(しゃくやく)】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


【桔梗(ききょう)】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


◎佐賀新聞より引用
 玄海町に九大の薬草栽培研究施設建設へ

 東松浦郡玄海町は7日、九州大学の薬用植物の栽培研究施設を町内に建設する計画を進めていると発表した。町が土地と建物を提供し、九大が漢方薬に使われる甘草(かんぞう)などの薬草の栽培法を研究する。本格的な薬草の栽培研究施設は国内初となり、岸本英雄町長は「上場台地の新たな産業として花きや薬草の栽培を普及させたい」と地元産業への波及効果を期待する。

 計画では、町が玄海原発の周辺に栽培温室、苗の培養施設、地盤工学の研究施設などを建設。九大の薬学研究院と工学研究院が土壌の研究から温室での栽培までを一貫して行う。甘草をはじめ、芍薬(しゃくやく)、桔梗(ききょう)などの栽培に取り組み、原発で発生した熱を温室に利用すことも検討する。

 今後、研究費の費用分担などについて協議を行い、来年度に実施設計に入る予定。5年後をめどに全施設を完成させる計画で、町は数億円の建設費を見込む。

 町によると、国内で使われる薬草の90%以上が海外からの輸入品。多くの漢方薬に配合されている甘草も国内では栽培されておらず、重要な薬草の栽培研究には注目が集まっているという。今回は大学などの研究施設の誘致を目指す玄海町と、漢方薬の研究に以前から取り組んでいる九大との思惑が一致した。

プルサーマルを御存知ですか?

2007-10-31 23:02:53 | Weblog
 私の町には原子力発電所があります。そこで、国内初のプルサーマル計画が進めれれています。プルサーマル計画とは原子炉の中でウラン燃やした後に残るまだ燃えるプルトニュームを、またウランと混ぜたMOX燃料にして原子炉で燃やそうと言うものです。核燃料のリサイクルですね。

プルサーマル】 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 しかし、ウランに比べMOX燃料は反応が大きく、放射能も多いと言われています。そのために県内では反対運動が起こりました。プルサーマル計画の是非を、18歳以上の県民投票で問う署名運動が起こりました。多くの署名が集まり県に提出さらましたが、古川知事は県民投票は不要だと判断しました。現行の法律に沿った手続きがなされての決定なので、その必要が無いとの判断です。そのために県内では、未だにその問題が燻っています。

 そう言った状況に中で、地元の玄海町住民はどうでしょうか。実は一番冷静かもしれません。
 玄海町は正直、原発でも無ければ貧乏な半農半漁の町です。
 それが平成の大合併で隣の唐津市との合併を拒否して単独自治の道を選べたのは、ひとえに原発の交付金のお陰です。それでもこの不景気で雇用は減る一方です。交付金も永遠に続く訳では無く、町の試算では10年後には地方交付税の交付自治体になるそうです。この時期に雇用が見込めて(玄海町は町の規模に対して建設業者数が多い)且つ、新たな交付金が見込めます。

玄海町】 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

唐津市】 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 プルサーマル計画が危険性を孕んでいるのも分かっています。将来的に残留放射能が、子や孫の世代にどう影響するかは未知数です。しかし現状の生活を考えれば、事業実施に傾くのも無理からぬ事です。
 その点で玄海町の町民が一番冷静だといえます。外の騒ぎを敢えて静観していた形でした。現状で計画実施はほぼ間違い無いでしょう。逆に騒いでくれればくれる程、国や九電にプレッシャーが掛かり安全性に神経を研ぐすます事を期待していました。長い間原発と付き合ってきた事で身につけた、したたかさでしょうか。

九州電力】 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

今更ですが、私の町を紹介します。

2007-10-31 22:55:14 | Weblog
概要
玄海町は九州北西部佐賀県の東松浦半島の中央に位置します。

西部は玄界灘に面し、遠くは壱岐対馬を望むことができ、北・東・南を唐津市に接し、リアス式の美しい海岸線は、玄海国定公園の一部を成し、対馬海流の恵みを受け海の幸が豊富で、釣りのメッカにもなっています。

昭和31年9月30日、旧値賀村、旧有浦村の合併によって玄海町が誕生、翌年、旧切木村の一部を編入し、現在の行政区となり、平成17年の国勢調査で人口 6,738人、面積36k㎡、産業別就業人口割合は、平成12年国勢調査で、第一次産業25.7%、第二次産業30.3%、第三次産業44.0%となっています。

昭和31年町村合併当時は、炭鉱労働者も多かったのですが、石炭から石油へとエネルギーの転換が進むにつれ、昭和40年春、町勢発展を願って原子力発電所の誘致が持ち上がり、昭和46年から発電所の建設が始まり、これまで減少していた人口は定着してきました。

また、電源三法交付金事業などにより、道路をはじめ各施設の整備が進み、経済的波及効果は大きいものがあります。

町名に由来する「玄界灘」は、全国でも有数の漁場として知られ、町内の外津(ほかわず)と仮屋の港で水揚げされる豊富な海の幸と、低い山が波状的に起伏する「上場台地(うわばだいち)」と呼ばれる玄武岩特有の丘陵性台地がもたらす豊穣な農産物が自慢です。

「豊かで住みよい魅力と活力のある町づくり」を目指しています。


気候
玄海町の気候は、対馬海峡を北上する対馬暖流の影響を受けて比較的温暖で、寒暖の差が少ない海洋性気候の特性があります。

この暖流が流れる玄界灘は全国でも有数の漁場として知られ、町内の外津と仮屋の港で水揚げされる豊富な海の幸と、海洋性気候がもたらす新鮮な農作物が自慢です。


地勢

玄海町は東経129度52分、北緯33度28分の佐賀県の北西部、東松浦半島の西部中央にあります。西は玄界灘に面し、遠く壱岐・対馬を望むことができ、北・東・南は唐津市に接し、リアス式の美しい海岸線は、玄海国定公園の一部を成しています。

東西約7キロ、南北9キロ、総面積36平方キロメートルで標高100~200メートルの低い山が波状的に起伏する「上場台地(うわばだいち)」と呼ばれる玄武岩特有の丘陵性台地となっています。


町章

町章の図案は、「玄海町」の「玄」の字を片仮名の「カ」と「イ」で丸く囲み、町名をデザインしたもので、町民の融和、結束、そして将来に向かっての飛躍、発展を表わしており、昭和58年5月7日に制定されました。


町花:さくら

さくらは春いっせいに一群となって開花し、快い景観を見せ町民に親しまれており、町花にふさわしいとして指定しました。


町木:けやき

けやきの成木は、高さが30メートルにも達し、枝は大きく、材質は堅く、木目は大変美しい。
町がこの木のように大きく発展することを願って指定しました。

2007佐賀インターナショナルバルーンフェスタ

2007-10-30 21:50:27 | Weblog
 明日10月31日~11月4日まで『2007佐賀インターナショナルバルーンフェスタ』が開催されます。佐賀県佐賀市嘉瀬川河川敷をメイン会場に行われるアジア最大級を誇る熱気球国際的なフェスティバルです。
 大会も今回で28回目を迎え、完全に佐賀県唯一の国際的イベントとして定着しました。

『熱気球』 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




『日本の棚田百選』そして『恋人の聖地』

2007-10-26 23:04:34 | Weblog
 玄海町は半農半漁の町で自然には恵まれています。ですが、目玉となる観光資源は少ないものです。それでも平地の少ない地形は日本農村の原風景の代表である"棚田"が発達しています。ここからは「棚田コシヒカリ」と言う美味しいお米が採れます。
 そんな中で"リヤス式海岸"の真西海岸に接した棚田があります。それが「浜野浦の棚田」です。田植えの時期の4月下旬から5月中旬は水田に張った水面に、水平線に沈む夕陽が反射して幻想的な風景を現します。この時期は沿線の道路沿いに、百人以上のカメラマンが並ぶ事さある、観光スポットのひとつです。ここは農林水産省が認定する『日本の棚田百選』にも選ばれています。

浜野浦の棚田


夕陽の中の棚田

◎ネット上からライブカメラ(可動式)で閲覧出来ます。
※要 Java Runtime
 

 この「浜野浦の棚田」が今年、地域活性化・少子化対策を目的に活動する"NPO法人地域活性化支援センター""恋人の聖地プロジェクト"『恋人の聖地』に選ばれると言う嬉しい話題が飛び込んで来ました。

玄海町『恋人の聖地』ブログ


 来週の日曜日(2007/10/28)に『恋人の聖地』認定を記念し「ピュア・ラブ応援祭り」と銘打って、ウオークラリーが開催されます。
佐賀新聞(2007年10月26日)

小加倉年中行事(正月行事-正月ノ八)

2007-10-24 23:53:24 | Weblog
ヒョーケンギョー

 正月七日はヒョーケンギョーゼックともいい、オニビタキとも言う。行事は全て小・中学生だけで行っていた。
 前日の正月六日に、各家を訪問し「ヒョーケンギョー藁をもらいに来た」と言って藁を一、二把もらって歩く。各家でも「藁取りに来るばいね」と、準備している。
 真竹と、中心に使う孟宗竹を、個人の山から持ち主に告げずに、勝手に切ってくる。薪も個人の山から黙って取ってくる。また、炭焼きで不要になる小枝ももらってきていた。切るのは上級生である。
 また、原野に自生しているカンネカズラ(葛:クズ)取って来て神社の湧き水の小池に浸けて置き、保存してする。これは、カンネカズラのツルを腐らせて、繊維質だけを取り出すために行う。この繊維で集めてきた竹の芯に集めてきた藁や薪・小枝を、縛り付ける。
 
 今は、チップ材の屑をもらって、子供クラブの役員と小・中・高校生がしている。昭和60年代まではヒョーケンギョーに参加出来る者は中学生までだった。
 作る場所は、原発道路沿いの遊園地、昔は地区の真ん中の田圃や道路などだった。そこに円錐形の竹と薪と藁の建築物を作る。
 正月六日には作り上げ、七日の晩(夕方薄暗くなったころ)に、火を点けていた。
 家によっては冬のうちに荒神様の藁エビを作り、前年のと取り替えておき、古いのはヤマの隅にでも置いておく。この藁エビや、注連飾る、ワカキムカエの木、門松などを子供に持たせて行かせ、ヒョーケンギョーで一緒の燃やす。トシギはくべないという。
 大人は見に来る人が少々いた程度で、ヒョーケンギョーは子供だけの行事だった。この火にあたると一年中風邪をひかないという。
 子供達はヒョーケンギョーをしながら、その火で餅を焼いて食べていた。正月に供えた餅を下げてきて、焼けて倒れた竹の先端を尖らせて、モチヤキとかモチサシと称する竹串を作り、これに餅をさして焼いたり、火勢が弱まったらオキ(燠)を手前によせて、石を両側に置いて上に金網を渡し、餅を載せて焼いていた。その場でも食べたし、家にも幾つか持って帰る。この火で焼いた餅を食べると家内繁盛など御利益があると言い、牛にも与えていた。モチサシは、餅を焼いたら火にくべてしまう。
 後片付けは、現在、子供クラブの役員と子供達で行っている。昔はある程度消えるまで、上級生が残っていて、焼いた後に土を被せていた。燃え残りはほとんど無く、灰が残る程度だある。燃え切るまでの間は、神社の蘇鉄の実を取ってくる「肝試し」等して時間を潰した。田で行っていたころは、灰は田に撒いて肥料代わりにしていた。

東京・日本橋から福岡・YAHOOドームまで…

2007-10-15 16:57:27 | Weblog
電動車椅子サッカーのレポートの中でも触れましたが、凄い企画です。
東京・日本橋から福岡・YAHOOドームまで、1,200kmあるそうです。
そこを10日間で完走しろと言われれば、健常者のアスリートでも躊躇するのではないでしょうか。
ところが、そこを障害者の方がハンドサイクル(手漕ぎ自転車)で走破する企画あります。

「TE-DEマラソン」
http://five-force.com/

これは単にスポーツと言うだけでなく、道のバリアフリーも提言意味も有るそうです。
障害者と健常者が共生出来る、ユニバーサルな環境を実現するための大きな試みですね。
私も応援して行きたいと思っています。


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【TE-DEマラソン1年前イベント】
「誰でもできるレボリューション VOL.1」
合言葉は「I can do it」

会場・cafe de h (カフェ・ド・アッシュ)
住所・福岡市中央区今泉1-18-50
TEL・092-732-3167
開始時間・13:00
終了時間・15:00

※近くにコインパーキングがありますが、
4台分しか駐車スペースがありませんので
お越しの際は公共交通機関をご利用ください。

趣旨:2008年10月10日-19日まで
東京から福岡までハンドサイクルで走る永野明の
1年前プレイベント。

プログラム
・ 講演(アスリートによる講演) 13:30-14:15
・ TE-DE企画説明

(ブース内容)
今年に入っての走行距離掲示 (1/1~9/30分)

長距離レポート配布(過去4回分)

応援者署名受付(2007/10/10以降HPに掲載)

TE-DE協力企業の物品展示

【講演】 

話し手:藤野一成
(日本人初IPCハンドサイクル世界選手権出場)

【内容】
自転車としての魅力(ここではハンドサイクルも含む)、
自転車の基本的な楽しさから競技世界の凄さ等についてです。

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東京に行ってきました。

2007-10-15 07:40:56 | Weblog
 10月7日(日)~14日まで第1回FIPFAワールドカップ2007(電動車椅子サッカーワールドカップ)が、BumB東京スポーツ文化館(夢の島)で開催されています。
 そのネット中継を佐賀総体の携帯電話中継で「チームU」がお世話になった、「NPO法人STAND」さんが行います。
 そのお礼に13日の準決勝・決勝のお手伝いに行ってきました。
 
◎第1回FIPFAワールドカップ2007公式サイト
http://web-jpfa.jp/wc/

◎電動車椅子サッカーW杯・モバチュウ TOP
http://www.i-project.jp/stand/mobachoo/w-cup/



※追記

第1回FIPFAワールドカップ2007の事が、今朝のTBS「みのもんたの朝ズバッ!」出ましたね。
決勝トーナメントでは4位になってしまいましたが、試合内容は格上のチームとの対戦で頑張り、惜敗と言って良い試合でした。
実はこの記者会見の模様は、私も報道関係者としてビデオ撮影をしていました(^∇^)
次の大きな大会は、2007年10月27日(土)・28日(日)の大阪で第13回日本選手権が開催されます。
この大会にも「チームU」からネット配信の技術スタッフとして1名参加させる予定です。
因みに次のワールドカップ開催国はデンマークだそうです。
日本チームのキャプテンの方の次の目標として、パラリンピックへの正式種目になることだそうです。

福岡でも電動車椅子サッカーチームを作ろうと言う動きがあるそうです。
そうなれば、九州では鹿児島に次いで2番目だそうです。
福岡の活動の代表者の方は、次のワールドカップに絶対に代表を1名以上出すと、目標を立てていらっしゃいます。
実はこの代表者の方自身、障害者プロレスや障害者マラソンの選手で、自分自身が日本代表になりたいと意気込んでいらっしゃるようです(^▽^;)