ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

◆ 『死者の書 身毒丸』  折口信夫  中公文庫  

 久々にブログをup。

 なにかと、雑用というか、雑文の執筆に追われる日々で、生来の怠け癖と、やる気のなさと、ルーズさの所為と、そんな状況にあっても、チャンスがあれば速攻、旅人になりたい性癖とが相まって、ズルズルとブログをご無沙汰してしまった。

 ありがたくも、こんなしょうもない拙文を読んで下さっている方々には、本当に申し訳ないと、思っている。(いつも言い訳ばかりで生きている私です。)                    

 

                  


 いつか、『死者の書』について、

 〈まれびと〉について、

 書いてみたいと思っていた。


 折口が『死者の書』で綴っている、大阪府太子町と奈良県葛城の境にある二上山には、何度も登った。

 二上山は、葛城の都から見ると西方になり、大津皇子のお墓がある。
 その山麓には、中将姫の曼荼羅で有名な当麻寺がある。
 中将姫は、藤原郎女と言われている女性である。

 『死者の書』は、この二人のドラマティックな悲劇を語っている物語である。


 当初、『死者の書』を読んで、二上山に行ったのではない。
 
 なんとなく、二上山が、黄泉との結界の山だいうことを、認識していたように思う。

 仕事で太子町に、数年にわたり何度も訪れて、知人のお子さんの小学生2年生だった女の子に伴われて登ったのだった。
 太子町では、小学校の遠足で、二上山をホイホイと登るというのだ。

 ゼイゼイ言いながら、登ったら、山頂に、大津皇子のお墓があった。
 東の方向に葛城があった。



 それから、暫く経ってのち、折口信夫の『死者の書』を読んで、私は衝撃を受けた。

 7年ほど前まで、10年間ほど毎年のように行って登りもしたあの二上山の、大津皇子の物語で、当麻寺の中将姫の物語だったのだ。


 そんなこんなで、この度、〈まれびと〉について、評論を書く機会があり、あらためて10数年ぶりに、折口の『死者の書』を、読んだ。


 あらためて、新鮮な感じで読んだ。

 そして、今年は、久しぶりに太子町を訪れてみようかという気持ちになっている。
 あの時の小学生だった少女は、高校生になっているらしい。


<余談>
 中将湯というものがある。
 漢方の煎じ薬だ。
 私の子どもの時に、家の戸棚の中に、中将姫の絵が描かれた紙の封筒が入っていた。

 その封筒の煎じ薬は、いつもストーブの上の土瓶で煎じられていた。
 その匂いが、今でも思い出される。

 当麻寺へ行って、かの有名な曼荼羅よりも、中将姫が描かれた図に、驚いたものだった。

 戸棚の隅に置かれていたあの中将湯の絵だったのである。


 

 

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