昭和記念公園の寒桜です。
盆栽にしたてられており、見事です。
こんなところにも亭主の心配りがあるのですね。
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入れものが無い両手でうけとる 放哉
(放哉の代表作と言われますが、放哉全体を読んでから改めて読むと「なるほど」と思うのですが、そうでなかったら「なにこれ」で終わってしまいますね。短詩ともいえる自由律俳句にはそのような宿命的な問題が内在していますね。素人の私にはだからどうだという考えもありませんし、主張もありません。でも季語となるような風物が見えない時代であるし、過剰に自分を表現しても足りない時代ですので、そこで新しい形が生まれて来るのではないかと思います。珍しい、これは面白い感覚だという程度ではおさまらないでしょうね。絵手紙のような絵俳句とかフォト575と言われるスタイルの方が可能性があるように思えます。俳句は教養人の伝統芸能という生き続けかたをするのでしょうね。)
盆栽にしたてられており、見事です。
こんなところにも亭主の心配りがあるのですね。
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入れものが無い両手でうけとる 放哉
(放哉の代表作と言われますが、放哉全体を読んでから改めて読むと「なるほど」と思うのですが、そうでなかったら「なにこれ」で終わってしまいますね。短詩ともいえる自由律俳句にはそのような宿命的な問題が内在していますね。素人の私にはだからどうだという考えもありませんし、主張もありません。でも季語となるような風物が見えない時代であるし、過剰に自分を表現しても足りない時代ですので、そこで新しい形が生まれて来るのではないかと思います。珍しい、これは面白い感覚だという程度ではおさまらないでしょうね。絵手紙のような絵俳句とかフォト575と言われるスタイルの方が可能性があるように思えます。俳句は教養人の伝統芸能という生き続けかたをするのでしょうね。)