ひらりん

ベース弾きのブログ

履歴書#5

2013-11-13 10:00:00 | Life
 当ブログに「長年お世話になっている音楽事務所」「長年在籍するラテンバンド」
という形で、時折登場するのが1966年8月の結成から今も活動しているフリーのバンド、
僕が95年の4月に入団して今も在籍しているバンドです。

今年4月で在籍18年、バンドマスターを除いて一番古株になってしまいましたが、それも
今年6月までのことで、バンドマスターは引退を決めて後を僕に託してくださいました。

音楽人生において重大な選択でしたが、長年お世話になったご恩返しをさせていただこう
と決めて、今年7月から正式にバンドマスターを引き継ぐことになりました。

以上が今回の大きな「節目」であり、自分の立場や自分を取り巻く人間関係にも変化が
ありました。


履歴書#4

2013-11-10 10:00:00 | Life
 歌手の専属バンドを始めた頃は既にバブルが崩壊していましたが、実際にはその後も
アーティストのサポートミュージシャンとして仕事を続けていました。

ただ次第に音楽業界も不景気の影響が出始めたので収入確保のためにフリーのバンドに
レギュラーとして入団しました。

フリーのバンドと言うのは「拾いのバンド」とも言って、ハコバン(店の専属バンド)
のように毎日仕事があるわけではなく、契約した店に日替わりで出演したり、企業や団体
の主催するパーティーで演奏します。(この頃はほぼ毎日仕事がありました)

ギャラも大抵のハコバンが月給に対し、拾いのバンドは本数制で、一本の金額は人それぞれ
です。

メリットは仕事が重なった場合にトラ(自分の代わりに仕事を引き受けてくれる同業者)に
頼んで、自分はアーティストのサポートや単価の良い仕事、拘束時間の短い仕事など自由に
選べることです。(体調不良で休む場合もトラを頼んで休みます)

特にアーティストのサポート契約はトラが禁止なのでとても助かりました。

デメリットはギャラが安い事ですが、仕事しないでゼロよりは少しでも助かるというわけで
95年の4月に入団して以来、今も在籍しているバンドです。


*トラ=エキストラの略






履歴書#3

2013-11-06 10:00:00 | Life
 ミュージシャンとして生計を立てられるようになって、唯一残念な事は「名をあげる事」
ができなかったことです。

「名をあげる事」とは僕個人の解釈ですが、例えばTVの歌番組等でアーティストのサポート
ミュージシャンとして、またはスタジオミュージシャンとしてCD等で名前がクレジットされ
ることです。

バンドでメジャーデビューしていれば、極端な話し技量やルックスに関係なく、解散しても
「○○バンドのベースです(でした)」って肩書き残せるから、本人さえ頑張れば業界がその
ネームバリューで放っておかないけれど、セッションミュージシャンはそうはいかない・・・
そもそもスタート位置が違う。

僕はバンドデビューを諦め20代半ばで脱サラしてホテルやキャバレーのハコバン(店の専属バンド)
時代に多くを学び、オーディションもいくつか受けて、歌手の専属バンドの仕事を得たのは30歳
の時でした。

その後 J-popと呼ばれる前の Pops系アイドル、ニューミュージックやロックのアーティスト
達のサポートをさせていただけたことは大変感謝していますが、「名をあげる事」なく歳を重ね
てきました。



履歴書#2

2013-11-03 10:00:00 | Life
 ミュージシャンとしてキャリアを積んでいく中、仕事と平行して自分の音楽活動を
始めようとしましたが、仕事仲間には一緒に活動できそうな方はいませんでした。

そもそもキャバレーやクラブで仕事をする方達は大抵ジャズやラテンを好むため、
ポップス系やロック系の音楽をやろうとする事のほうが場違いでした。

僕自身は仕事でジャズ・ファンク・フュージョン・ラテン・レゲエ等を勉強できた事、
Jaco Pastorius、Marcus Miller、Will Lee、Anthony Jackson、John Patitucci 
等を聴いて得たことは財産になっています。

ただ当時はバンドブームでTVでも勝ち抜きのオーディション番組が盛んだった事から、
年齢的にもまだ何とかなるという思いや、焦りもあったんだと思います。

履歴書#1

2013-11-02 10:00:00 | Life
 「節目」の話しをする前に遡ります。

当ブログを読んで下さっている方の中には、登場する機材や匿名のアーティストなどから僕が
携わってきた仕事の時代背景が大体読み取れるかと思います。

僕は中学生からバンド活動を始めて以降、学生時代の大半をバンド活動に費やし将来はバンド
でデビューすることを目標としてきましたが、他のメンバーはバンドは「あそび」と割り切り
就職を選択しました。 

それは至極当然のことですが、幼なじみや学生時代の仲間とバンドで成功している方達は本当
に一握りの幸せ者だと思います。

僕も一度は就職をしましたが就業後や休日を利用して有名作曲家に師事をし、作曲・編曲を学
ばせていただき、25歳で脱サラをして音楽の道を志しました。

あてもない、メンバーもいない、ましてや僕が思い描いた音楽は低迷期で思う様な活動ができ
なかった頃、学生時代の音楽仲間から一流ホテルのクラブバンドの仕事を紹介されました。

高校時代に友人の紹介で横浜のキャバレーで演奏していた頃「ここは自分のいる場所ではない」
と感じた経験から二の足を踏みましたが、職を得る事と人脈を作ろうとの思いで請けました。

内容は歌謡曲を歌う女性歌手の伴奏と、ジャズを演奏するバンドでしたが、譜面の初見ができず、
ジャズのランニングベースも弾けず、イントロ、フォーヴァース、エンディングといった常套句
も分からず、当然ベースソロも弾けませんでしたがメンバーの方に教わり育てていただきました。

その後この手の現場をいくつか渡り歩きキャリアを積んでいきました。