ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

ランボー『地獄の季節』の三作目「地獄の夜」小林稔訳

2016年03月19日 | ランボー研究

地獄の夜

小林稔

 

 おれは毒をたっぷり一飲み飲み込んだ。おれに到来した忠告に、三たび祝福あれ! はらわたが焼ける。毒液の激しさがおれの四肢をねじ曲げ、おれの形相を醜くし、おれを打ちのめす。喉が渇いて死にそうだ、息苦しく、叫ぶこともできない。これはまさに地獄だ、永劫の苦しみだ。火が燃え上がるさまを見よ! 申し分なくおれは焼ける。どうだ、悪魔め!

 おれは善や幸福への改心と救済を垣間見た。その光景をどうしておれは描写できようか、地獄の空気は讃歌を吹き込まないのだ! 魅力ある無数の人間たち、甘美な、霊の合唱、力と平和、けだかい野心などどうして知りえようか?

 けだかい野心! 

 とはいえこれも生活だ! ―地獄の責苦に終わりがないなら! 己の手足を切りたいと願う男は地獄落ちじゃないかね? おれは地獄にいると信じる、ゆえにわれ地獄にいる。公教要理の実践だ。おれは己の洗礼の奴隷だ。両親よ、あなた方はおれの不幸を作り、あなた方の不幸も作った。あわれな無邪気さよ! ―地獄は異教徒をやっつけられない。これもまた生活なのだ。もっと後で、地獄責めの喜びはもっと深まるだろう。罪よ! 急げ、人の掟によって、おれは虚無へと落ちていきたいのだ。

 だが、黙れ、黙れ!……ここでは恥かしめられ、責められるだけだ。火は醜悪なもの、おれの怒りはぞっとするほど馬鹿げているとサタンは言う。うんざりだ!……おれに吹きかけた、さまざまな過ちである、魔術、偽物の香水、子供じみた音楽。――おれは真理をつかみ、正義を眼にしているなんて、考えてもみたまえ、おれが健全で確固たる判断力を持ち完成への用意ができているなんて……思い上がりというものだ。――おれの頭皮は干からびてしまった。主よ、憐れみたまえ! おれは怖いのだ。喉が渇く、喉が渇く、ああ少年のころよ、草よ、雨よ、小石に囲まれた湖よ、鐘塔が十二時を打つときの月の光よ。……こんな時刻に悪魔が鐘塔にいる。マリアよ、聖処女よ!……――おれの愚かさに吐き気がする。

 あそこにいるのは、おれに好意を寄せてくれた正直な魂たちではないのか……来い……口に枕が当たり、魂たちにはおれのいうことが聴こえない。あれは幽霊たちだ。それに、だれも他人に思いが及ばない。誰もおれに近づくな。確かにおれは焦げくさい臭いがする。

 幻覚は数え切れぬほどだ。いいことにおれがいつも持っていた。歴史など信じていないし、

原理も忘れた。おれは黙っていよう。詩人や幻想家たちがうらやましい。おれは千倍豊かだ、海のように吝嗇家になろう。ああ、そうだ!人生の時計はさっき止まったばかりだ。おれはもうこの世にいない。――神学は確実だ、地獄は確かに下にある。――天国は上にある。恍惚と悪夢と眠りは燃えるねぐらの中にある。悪意の印は田舎に現われる。……サタンのフェルディナンが野生の種子を持って走る。……イエスは逆立つ水の上を走ったものだ。エメラルドの波の脇腹に立つ彼を、白衣を纏い、茶色の三つ編みをした彼を、ランタンの灯りがおれたちに照らしてくれた。

 おれはすべての神秘を解き明かしてみよう。宗教の神秘、自然の神秘、死と誕生、未来、過去、宇宙開闢説、虚無を。不気味な幻影など自由自在だ。

 聞け!……

 おれにはあらゆる能力がある!ここには誰もいない、でも誰かがいる。おれはおれの宝を広げて見せたくない。――二グロの歌をお望みかね、それともオリエンタルダンスかね?おれに消えうせて欲しいかね、指輪を探しに水に飛び込んで欲しいというのかね。そうしてもらいたのか? おれは黄金も薬も作ろう。

 ならば、おれを信頼せよ、信頼は気持ちを和らげ、導き、癒してくれるぞ。みんな、来るがよい、――子どもたちもな。おれがあなたたちを慰め、あなたたちのために心を広げてやれますように、――その素晴らしい心を! 哀れな人たちよ、労働者よ!おれは祈りを望まないあなたたちがおれを信じてくれれば、おれは幸いというものだ。

 おれだけのことを考えよう。これで、おれがこの世を懐かしむわけではない。もうこれ以上に苦しむことはない。おれの生活は、心地よい狂気に過ぎなかった。無残。

 なあに、想像できる限りのあらゆるしかめっ面をしてやろうじゃないか。

 確かにおれたちはこの世の外にいる。もう物音ひとつしない。おれの触覚は消え失せた。ああ! おれの城館よ、おれのザクセン、おれの柳よ、夕から夕、朝から朝、夜から夜、昼から昼の繰り返しにうんざりだ!

 怒りのために地獄に堕ち、傲りのために地獄に堕ちなければならない。――これが怠惰の地獄、まるで地獄の演奏会だ。

 おれは疲労で死にそうだ。墓だ、蛆にたかられ死んでいくのだ。なんというおぞましさ! 

サタン、とんだ食わせ者よ、おまえはおれをおまえの魅力で溶かしたいのか。やれ、やれというんだ! 熊手の一撃で、火の一滴で。

 ああ! 再び生活へ戻される! おれたちの奇形に目を向けよ。この毒、千度の呪われた口づけ! おれの弱さ、この世の残虐さ! 神よ、お願いだ、おれを隠してくれ、おれは悪い状態にいる! ――おれは隠されている、しかも隠されていない。

 火は、堕地獄の男を包み込んで燃え上がる。

 

 

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雑記、「ランボーのこと」 小林稔評論集『来るべき詩学のために(二)』に収録より

2016年01月17日 | ランボー研究

ランボーのこと 


 もはやランボーという歴史上、実在した一詩人が問題なのではない。二千年を超える西洋文化史のなかで、固有名詞ランボーという身体を通過した詩の諸問題を考え、さらにはわが国の現代詩の源流である新体詩以降の流れに私たちが位置する意味を考えてみたいのである。
 青春期に患う一過性の熱病のようにランボー体験を捉える人もいれば、ランボーのみならずヨーロッパの詩から直接的な関係を絶ち、すでに日本の詩はそれ自身として確立していると考える人たちも多くいよう。しかし、あえていま私が普通名詞としてのランボーに(現代詩を考える上で避けられない現象という意味で)言及するのは、日本の現代詩が、新体詩以前の詩歌との、あるいは現代においても書き継がれている短歌や俳句との相違を明確にさせていないからである。ジャンルによることなく、詩を感ずればよしとする書き手もいるが、それは読み手の側の論理であり、詩の存在意義を矮小化してしまうことになる。明らかに、詩という形式でしかできない内容があると信じるのである。
 塚本邦雄を嚆矢とする現代短歌の世界は一つの頂点を極めた、とする私の考えが妥当性をもちえるならば、現代詩の世界はいくつかの峰々が屏風のように取り巻いているにすぎない。言い方を変えれば千差万別で、試行錯誤ばかりが目立つのである。つまり混迷のみを深め詩人相互の連関がないのである。確立には程遠いと言わざるをえない。詩人相互の批評が成立していないことの理由も同じところにある。短歌や俳句、さらに小説との分岐線はどこに引かれるのであろうか。詩においてのみなしえることとは何かを考えたいのである。それが私のランボー問題の原点である。
 反発を恐れずに言えば、ほんとうの詩作は詩人の生き方と分離して考えることはできないということである。詩人が何を考え、どのように時間を捉えるか、つまり自分という一過性の生を歴史に位置づけ、いかに生き、何を書きえか、その足跡を残さずして詩人と呼ぶことはできない。しかし、言葉に残したものだけが詩であるという意見に異を唱えるわけではない。このことは詩人の生を重視することと矛盾しない。この点では、読み手の関心とは必ずしも重複しない。あくまで詩人の行き方の問題として提出したいのである。もっとも、詩より詩人の生き方に関心を寄せ、伝説の詩人像に興味を寄せる読み手がいるが、詩作の真相を歪曲するだけであり、書き手は極力避けなければならない。かつてプルーストは、文学を知るにはその作者を知らなければならないと主張するサントブーヴに反論した。日常生活をする自我と、書こうとする自我は同じではない。書こうとする自我には、たとえば一人の詩人に自覚された詩人像があり、その詩人の生を牽引するものであろう。詩人像とは詩人としての生の自覚からなされる理想像である。ランボーのいわゆる見者の手紙が表明している。書かれた詩は詩人自身の生を切り開く啓示となる。プルーストの場合は、彼の生涯を再発見することに小説の使命を悟ったが、詩人はそれ以上に、現在時の生から詩を生みだす者であるという観点では異なる、と私は考える。その生とは、彼の捉える詩人像に牽引された生である。ここで、「個別的なものの頂点でこそ普遍的なものが花開く」と述べたプルースト自身の言葉を引くのも無駄ではないだろう。小説家のみならず、詩人にも言えることだからである。つまり一詩人の存在理由なくして普遍性に到達する詩を獲得できないと考えるのである。詩人自身の生が一つの実験であるという意味もそこにある。


ランボー論 小林稔個人詩誌「ヒーメロス」より掲載

2015年12月23日 | ランボー研究

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(二十二)

小林 稔

 

 

 

 47 来るべき詩への視座

 

アルチュール・ランボーにおける詩人像(三)

 

 

主体の形成と言語

ボヌフォアが指摘した『地獄の季節』で描写された三つの挫折のうちの一つ、見者の企ての挫折を考察することで、ランボーが文学と決別した理由を明確化してみようと思う。

私たちが外的世界、例えば、自然を前にして言葉を失うほどの感動を受けたり、他者との出来事において強い印象を与えられたりしたとき、感覚がいつもとは違うほどに刺激を受け、ポエジーと呼ぶべき源泉を探りあてたような気持になる。そこで何とかそのときの興奮を言語化しようと必死になる。そのときの詩人の主体は、私たちが日常生活を営んでいる主体とは異なる。

ランボーの初期の詩の特徴として、湯浅博雄氏は『ランボー論』(思潮社刊一九九九年)において「野生状態にある水や大地や大気などのただなかへ、直接的に参入する感覚作用の生々しさに、またそれに伴う印象の生気溢れる新鮮さに忠実な言葉へと鍛え直す〈感覚と印象の詩法〉」を指摘している。私も初回の論考で、『感覚』や『わが放浪』などの作品から受けるものは、詩人のみずみずしい感覚が読み手の感覚を刺激し、まるでランボーの身体に触れたように感じさせるものだと述べた。湯浅氏はプルーストを例に挙げ、ランボーと共通する、「印象のうちに伝えられた真実」の探求を目的とする文学行為を解き明かす。〈私〉を取り巻く外界のイマージュに強烈な印象を与えられた経験、例えば「一片の雲、一つの鐘塔、一輪の花、一個の小石」などに精神を集中させ眺める経験の後、「きっとこれらはなんらかの徴しであって、そうした徴の下には全く別のなにものかがあり、〈私〉はそれを発見しなければならない」という思いに駆られる。それは私たちの知性が解き明かすものよりずっと深く、感覚を媒介にしたとき感受されるものである。感受した後では小説は詩と異なり知性の力を駆使し語ることになろう。だが忘れてはならないのは、それらがどれほど「直接的」に感じられようとも、言語はほとんど文化的、歴史的参照の体系に属していて、固定した観念の及ぼす効力に染められているということである。私たちの心を導く慣性の力であると指摘する。もしかろうじて可能性があるとするなら、私たちが必死に読み解くものだけであり、ランボーが見者の手紙」で訴えた「錯乱の詩法」を駆使して、「未知なるもの」へ至ろうとするものだけであろうと湯浅氏は指摘する。

「生を変える」ということを詩作の第一要因と考えたランボーにとって、詩的言語を創り出すことは、人生を変革することでもあった。私たちが信じている自己同一性、自己自身に常に立ち会っている〈私〉がいて世界を捉えるときの起点になっているという考えは錯覚に過ぎないことにランボーは気づいていたと湯浅氏はいう。ランボーやニーチェが先陣を切って指摘したそれは、以後フロイトやメルロ・ポンティらによって深められることになる。「われわれは言葉が制度づけられている一世界に生きている。われわれはその世界を世界そのものと区別しなくなり、われわれが思考活動を行なうのは、既に語られ、語られつつある一世界の内側においてなのである」(メルロ・ポンティ『知覚の現象学』)を引用して湯浅氏は解読している。

湯浅氏の説明を要約してみよう。人間は死を怖れ意識するようになることで、自然的な直接性、すなわち動物性から離脱し、ノンを突きつけ、シンボル的なものの次元、つまり言語的なものに参入するようになったという。この言語なるものの法則性をもって、「社会的、歴史的、文化的な伝統として継承されている共同主観的なものを受容し、自分のものとしていく」、つまり、そのように「人間主体」が形成されていくという。仏教哲学者、井筒俊彦氏が『文化と言語アラヤ識』で述べていたように、「世界は始めから、一定の形で分節された存在秩序として、我々の前に現われている」という。実際には逆に「母国語の中にある分節の仕方、区切り方がすなわちそうした恣意的な価値づけが、〈言語の外の〉現実に作用を及ぼしているのであって、現実を分節化し、秩序づけているのだ」と湯浅氏は指摘する。このような認識に立てば、デカルトのコギト(われ思うゆえにわれあり)の明証性は疑わしいものになる。疑わしいものと考えている「私」もまた疑わしいものになろう。そこで「私とは一つの他者である」というランボーの言葉が甦る。湯浅氏によれば、「自らのうちに、他なるものとの関係を含んでいる」ということである。そしてランボーのいう「主観的な詩」(ランボーは手紙で客観的な詩を主張している)とは、自己同一性を確信して疑わない詩のことであろうと推測する。

『地獄の季節』の「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」において、ランボーは一八七二年に書いた「新しい韻文詩」(後期韻文詩)を自ら引用し、見者の詩法の挫折した理由を語っている。その口調は完全に「済んだことだ」という思いで書かれている。湯浅氏も言うように、「新しい韻文詩」ではランボーは言葉のかかわり方を根本から変えようとしていたし、新しい文体を創り出そうとしていたのである。それらの作品をここで披露しながら、嘲笑し、揶揄していると湯浅氏はいう。「からかいながら浮き上がらせ、その価値を確認し、称揚してもいる」。注意すべきは自らの作品を否定しながら肯定するという両義性であり、ランボーにおいては本質的なことだと湯浅氏は指摘する。それはランボーという行為する詩人の叛逆性や、人生のすべてを文学に賭けた潔さの魅力と関連する。

 

 思想の開花に立ち会う

 いわゆる「見者の手紙」をランボーは一八七一年五月に書いた後、ヴェルレーヌに会い、翌年一八七二年の夏にかけて「新しい韻文詩」を書く。そしてその見者の詩法が壁にぶち当たり、ヴェルレーヌとの共同生活の破綻もあって、この二年余りに及んだ文学的探求に内省を課す必要に迫られたのであった。(この時期のランボーの人生の時間は何と迅速に過ぎていったことだろう!)それが『地獄の季節』を記述する引き金になったのは確かである。湯浅氏の指摘として先述したように、自身の文学的試みを称揚することと、否定しようとすることの両義性を示しながら、「ぼくの運命はこの本にかかっている」と言わしめた。彼はエクリチュールに賭けたと言えよう。そして私は「ランボーからデリダへ」を連結するエクリチュール理論を考察していこうと考えている。「ぼくは思想の開花に立ち会っているのです」(見者の手紙)というエクリチュールの本質を示す言葉が、『錯乱Ⅱ』の最後の、Cela sest passe. Je sais aujourdhui saluer la beaute.(済んだことさ。今では美に挨拶することができる)という言葉と響き合い、文学への断念と以後の彼の人生の結末に思いを馳せるとき、(ハラルの道端で禅僧のように座るランボーの写真を見よ!)小林秀雄の「文芸の道は人が一生を賭して余りある豊富な真実の道の一つだ」という言葉ともさらに響き合い、私は複雑な気持ちに襲われ眩暈を覚えるのである。

 ランボーに触発され詩作を始めた私が、ランボーが詩作を放棄したにもかかわらず続行する理由がどこにあるのか、まずはランボーが詩作を放棄した理由が何だったのかを明らかにしなければならないだろう。湯浅氏は『ランボー論』でそれを推測しているので要約してみよう。それはまさに「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」の短い物語でランボー自身が語ってもいるのである。外界のさまざま事象が感覚に作用する印象を読み解こうとするが、しかし、「世界を制度づけている言葉」によっては読み解くことができない。法的効力を持つ言葉の世界では知性や理念が論理的な真実を行使することになるが、強烈な印象を伝達しようとする、つまり「過剰な出来事を生きる経験」を言葉にしようとするとき、どうしても沈黙を強いられてしまう。湯浅氏によると、言葉はある現実を浮上させることはあるが、それを〈意味を持った現実〉、〈実際の世界〉と信じてしまう。しかし、言葉によって現出する世界は、事象そのものの現前ではなく、「事象それ自体が消え去り、無化し、不在化することによって、その不在化するものの現前になっているのではないか」という。なぜなら、「言葉というシーニュ(記号)は、直接性から切り離された間接性の次元」であり、「実体のレヴェルとは切り離されたシンボル性のレヴェル以外にはありえないから」である。「言葉が出現させる現実は、つねに事象の模擬、擬態としての現前であり初めから現前を模擬している」と湯浅氏は説明する。

 一般的な伝達世界では、言葉の機能が間接的であろうと不具合を生じることはない。しかし、ポエジーの訪れが詩人に降下し、ポエジーが伝達しようとし言語化しようとする謎を解き明かそうとするとき、真実を伝達することが不可能性を帯びてくるのだ。この「過剰な出来事の経験」こそがまさにポエジーを感知した経験である。一瞬言葉を失うが、つまり沈黙へ誘われるが、詩人はさらに語ろうとするだろう。湯浅氏が言うように、言い表せぬものを書き留めることこそが、言葉の本来の使命であり、栄光であると詩人は熟知しているからである。だからこそランボーは、新しい詩的言語を創ろうとした。(「A(アー)は黒、E(ウー)は白、I(イー)は赤、O(オー)は青、U(ユー)は緑。いつの日か、あらゆる感覚に通じうる詩的言語を発明するのだとひそかに思い込んでいた。」)この「母音」で試みたような世界言語は比喩に過ぎないだろう。実際は言葉使いや文体の創出である。ランボーにおける文学的な試みは、それにとどまらずつねに「生を変える」試みと一体化しているのだと湯浅氏は指摘する。「生を変える」とは、〈世界〉や〈人生〉の見方を一新させることであり、〈生〉や〈存在の仕方〉を変えることである。それはランボーから見れば、「白人的生」から「黒人的生」に変革することであった。ここでいう「黒人」とは実際の黒人ではなく、西洋近代社会の〈法〉やキリスト教的な〈道徳〉に従属していない、近代的な科学や理性から閉ざされている黒人の「眼」を意味すると湯浅氏はいう。

 

 ポエジーの到来

 

 おれは数々の沈黙と夜を書いた。言い表しがたいものを書き留めた。様々な眩暈を定着させた。

「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」より拙訳

 

 やって来い、やって来い

 われを忘れる時よ。

 

こんなにも忍耐した

 永久に忘れよう。

 怖れや苦しみは

 空の彼方に立ち去った。

不健康な渇きは

おれの血管に影を落とす

…………

見つかったぜ!

何がって? 永遠さ。

それは太陽に溶け合った

        海。

 

おれの永遠なる魂よ、

おまえの誓いを見守れ、

ひとりっきりの夜であろうと

燃え上がる昼であろうと。

 

すなわちおまえは解き放たれる

人間たちの同意から、

ありふれた高揚から!

思い通りにおまえは飛んで行く

 

―絶対、希望なんてない、

昇天なんてない、

学問と忍耐さ、

責苦は確かだぜ。

 

明日はもうない

繻子の燠火

   おまえたちの熱烈こそ

   果たすべき義務というもの。

 

見つかったぜ!

何がって?

それは太陽に溶け合った

        海。

        

「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」より拙訳

 

湯浅氏によると、「日常的に生きている時間が途切れる瞬間」、それは「濃密で強烈な質としてのみ内的に生きられる時間」であり、「私」が主体として明確に意識する能力が危うくなる時間である。こうした時間に起こる出来事は、通常の経験とは違い、「真の現前性の関係によって関係できる出来事にはなりえない過剰性を内包している」から、「時間の秩序から解き放たれた」ようになり、「私はもう現在にいるかどうか」分からなくなる、「現在がいつも自己の外へと開く時間である」という。わたしはこの瞬間をポエジーの「私」への到来と呼びたい。

宗教的存在論では、「永遠の生」は天国の王国において、来るはずの彼岸において到達する真の存在だが、ほんとうは「苦悩するこの時は、後に来るはずの時のおかげで償われ、救済されるのではない」。「この時は、それ自体として究極性を持つやり方で消失される」、つまり「消尽」されることが義務なのだ、とランボーは考えていた。カトリック教徒の厳格な母の帝国から逃れようとしたランボーは、自然から感受した強い印象と感覚的な交感を通して真実とリアリティを見つけ出そうとしていた。「この大地に実存する、心身的存在としての人間が今まさに生きるこの瞬間、他者への開きと交流のこの出来事こそ、〈永遠の生〉なのだ」と湯浅氏はいう。したがって、引用したランボーの詩、「太陽に溶け合った海」は、ランボーが現実に目撃した「永遠」なのである。

 

文学的ディスクール

ランボーが経験したような過剰な出来事、つまりポエジーを言葉にすることは苦痛を強いられるが、それは「言葉が潜在的に秘めている力を復権させること」であると湯浅氏はいう。通常の言述では、言葉の力とは再び現存させる能力として不都合が生じることはなく機能し、言葉の仕組みや言葉に内蔵している規範性とその法的効力は疑われることはない。しかしポエジーにかかわる過剰な出来事においては、適合できる言葉に出会うのは困難であるが、その模擬、擬態、喩としての現前ならば可能である。あくまで事象そのものの現前ではなく、〈現前すること〉の模擬、パロディであると湯浅氏は指摘する。

 

 おお季節よ、城よ!

 無疵な心がどこにあるというのか?

 

 おれは幸福の魔術を究めてきた

 誰にもそれから逃げられぬ。

 

 幸福に挨拶だ、ゴールの国の

雄鶏が歌うそのたびに。

 

ああ!これ以上望むまい

幸福におれの人生はゆだねられた

 

この魔力に身も心も奪われて

努力する思いは吹き飛んだ

 

  おお季節よ、城よ!

 

ああ!幸福の逃げ去る時こそは

この世からの撤退の時となるだろう

 

  おお季節よ、城よ!

 

       「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」より拙訳

 

 宇佐美氏の指摘によると、「ゴールの国の雄鶏」という表現は陽気で猥らな意味、すなわち「倒錯の愛欲」という意味を持つという。そう考えると、「幸福」はヴェルレーヌを直接意味することになる。しかしあくまで作品を書く動機として作用したに過ぎず、「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」の中での意味を考えることが大切であるという。「おお季節よ、城よ!」という嘆きは、見者の詩法に全身全霊をかけた二年間を振り返ったときの、詩への決別の思いを込めたものであろう。「幸福の魔術」とは、倒錯的愛を人生の代償にして狂気と錯乱に身を投じ、未知に到達しようとした月日への思いを、「すでに済んだことだ」と言いえる現時点で、文学的創作の中で絶望と矜持の思いを込めて語っている。またそのことがランボーという生身の詩人を考えたとき、私たちに深い哀しみを誘うのである。

 Representation(再現)の能力で事足りる一般的な言述では、言葉の本来の力、言葉という特有のシーニュがどのような力をふるうのかという問いは発せられることはない。それに対して文学的ディスクールでは、「言葉の、言葉としての存在そのものを深く気づかうようになる」と湯浅氏は主張する。「言葉はただ、事象それ自体を消滅させ、無化し、不在化させることによってのみ、そしてその不在化するものの出現として現前させることによってのみ、事象に結ばれている」という。先にも述べたように、言葉は事象そのものを現前させるのではなく、事象そのものの模擬、擬態として現前させると指摘する。したがってこのような文学的ディスク―ルでは真実に到達することは不可能であり、自らに異議を唱え、自らを変えようとする、無限に永続するエクリチュールにならざるをえないという。

 本来、寡黙であったランボーは、沈黙に引き寄せられながらも、言い表せるものの限界を越えようとしたと湯浅氏は指摘する。ランボーの経験する過剰な出来事、ポエジーに言葉が適合しないのは、言葉が始めから模擬的な根源を有しているからだという。つまりパロディやメタファーになるしかない。だが、ランボー自身がその模擬性を忘れ、真に現存することと混同しがちである。適合していると錯覚し、単なる饒舌になる。新しい詩的言語を創り出すことは「生を変える」こととつながっており、空疎な饒舌になってしまうなら、「生を変える」ことに寄与しないだろう。この『地獄の季節』では自らの言葉を揶揄したり嘲ったり、皮肉ったりして模擬的に言いかえていると湯浅氏は指摘する。「呪術的な詭弁」、「語たちの幻覚」、「狂気の詭弁」などと呼ぶ表現でもって、ランボーがこれまでの詩作や思想や行動に省察を自ら加えようとするとき、「私は何者なのか」、「私とはだれなのか」、「真実の私というものはありえるのか」などの問いを深く突きつめようとする動機が内在していると湯浅氏は指摘する。「生を変える実践がどこまで歩み、どんな障壁にぶつかってしまったのか」を根本的に問い直そうとしたのだと湯浅氏はいう。「擬態」となるしかない言葉は真実を告げることができず、「模擬する」ことのうちに真実を虚構することと、「嘘」であることが区別できなくなる。自分の語る言葉が、言葉というものが持つ根源的な模擬性であるのか、「擬(まが)い物」であるかの区別ができなくなる、そのとき詩人は言葉を書くことを断念しようとしたに違いないと湯浅氏は主張する。

 

 自伝とエクリチュール

 文学的試みが「生を変える」試みと深く関連するランボーのような詩人にとって、実人生と作品はどのような関係になるのであろうか。これまでかなり多くの人々が『地獄の季節』を「自伝」として捉えてきたと、湯浅氏はそれに疑問を投げている。「自伝」は、生きた経験をそのまま書こうとして事実だけを記すが、それに対して虚構を含んでいるのが「物語」である。湯浅氏によると、両者の根本的な違いは、言葉の働きをどのように捉えているか、言葉が潜在に秘めている力をどこまで引き出すかにあるという。

 ランボーが書くことによって生を変革しようと考えたとすれば、書くことと書くことに費やす以外の時間を生きることに必然的に差異が生じるが、全く無関係ではありえず、両者は補完的関係にあり、生成する未来を追い求めて絶えず前進し続け、休息することはない。このような関係にある「書くこと」が「エクリチュール」の行為と呼ばれるべきであると私は考える。このように考える詩行為が、普通の意味で、つまり現実体験をそのまま記述する「自伝」であるはずがない。それは湯浅氏が言うところの「テクストの次元における現実性」であって、「生活上の出来事や経験のなす現実性」と混同してはならないのである。しかし、日本の現代詩に特に強調されている「詩の虚構性」を題材とし、詩人の主体を消滅させ詩を成立させる方向性が顕著にみられるが、ランボーから私が触発されることは全く別のことである。ランボーの現実の経験は全て彼の書く詩に深く反映しているという事実がある。それは「自伝」と呼ぶことを否定することと矛盾しない。なぜなら、現実に喚起された事実から真実を発見することが彼にとって「書く」ことであり、自己の内面に向かうことは他者に自己を開くことであるからである。

 湯浅氏によると、『地獄の季節』で語られたことは、ランボーが実際に生きた経験や思考、感情であり、その再現であるという見方を人々に思わせてしまうが、ほんとうはそうではなく、生きた経験や思索や感情を出発点にしつつ、文学作品として物語るために、用語法、比喩法、統辞法などを錬成し、〈物語〉のレヴェルへと転置したのだという。つまり〈物語〉として書かれた経験や出来事は、テクストが書かれる以前に完了し、定まっていたものではなく、テクストの運動と共に起こる出来事という様態においてのみ生起するのだと湯浅氏はいう。すなわちそれはエクリチュールと呼ばれるものである。そしてエクリチュールは先述したように、エクリチュールは新しい読みを求めているが、詩人の経験が深く寄与していることを忘れてはならないだろう。しかし、ランボーは現実の出来事のレヴェルから文学的次元に転置させようと目論んだが、たんに文学作品として完成させようとして終わるのではなく、そこにほんとうの現実があると信じていたのではないだろうか。それゆえ、文学的次元からの超出、あるいはそれへの否定と考えてよいだろう。

 ランボーにあっては、言葉と生の間に密接な連関とアナロジーが観察されるように思われると宇佐美氏はいう。錯乱を通して未知のものに到達するという彼の方法も、現実生活における一つの激しい生き方を指示するものであると同時に、それがそのまま詩的創造の方法ともなりえたと主張する。実世界と想世界の仕切り壁を取り払ってしまおうとした。つまり、書くという行為は、現にみずからがあるところのものではないものに向けて、自己を超出しつづけることを意味していたと宇佐美氏は解釈する。私流に言えば、ランボーは自分を取り巻く世界は仮の世界であり、ポエジーが解き明かす世界こそほんとうに生きるべき世界であると考えたのではないだろうか。ポエジーは不意に詩人の脳裏に宿り、言葉によって分節された恣意的な世界に亀裂を与えるものであり、ランボーは言葉が本来持つ秘められた力を取り戻そうとしたのではないかと思う。言葉によって未来を切り開いていくことが生きる意味であった。

 

ランボー以後の詩の方向性

井筒俊彦氏は、表層次元の下に流動的な言語的意味を持つ深層構造層があり、「意味可能体」は絶え間なく生産され、「名」の世界、つまり表層世界に出現しようとしていると主張する。

 

 「何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向って発動し出す時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するもの」である。「個々の語(コトバ)の意味作用とイマージュとの間には、ほとんど宿命的な緊密な結びつきがある。」

                              井筒俊彦『意識と本質』

 

 外的であろうと内的であろうと、どんなに些末なことでも、言語的であろうと非言語的であろうと、私たちのどのような経験もカルマの痕跡を残す深層意識の場所を、大乗仏教ではアラヤ識と考える。また個人の経験を越えて、人々の経験の総体のカルマの痕跡が内蔵されていると井筒氏はいう。カルマが意味種子に変成し表層意識に浮上してくる言葉が、いわゆるポエジーと呼ぶものでなくてなんであろう。「何らかの刺激」とは、例えばランボーの「錯乱」であり萩原朔太郎の「自動器械」と呼ぶものであろう。注意すべきは、ポエジーは私たちの足元に降りてくる、つまり、現実の経験の何ものかが呼応し呼び込むことなのだと私は思う。

 ボードレールに啓発された、ランボーやマラルメの行きついたところは、図らずも仏教哲学のテリトリーであったと言えるのではないだろうか。マラルメの、存在無化と偶然性破壊の彼方に、純粋に光り輝く新しい姿で、それらの事物は立ち現われてくると井筒氏がいう絶対言語を考えてみる必要があるだろう。(拙書『来るべき詩学のために(一)』を参照)

 

別れ Adieu

 

すでに秋だ!―だが、どうして永遠の太陽を惜しむのか、聖なる光の発見に身を投じた私たちであるなら、―季節のめぐりに死んでゆく人々から遠く離れて。(ランボー「別れ」の冒頭より拙訳)

 

 多くの人が指摘するように、この記述はボードレールの「秋の歌」を連想させるものがある。

 

 もうすぐ冷たい暗闇へ、私たちは身を投じるだろう。

 さらば、私たちの短過ぎる夏の鮮烈な光よ!

 私たちにはすでに聞こえている、中庭の敷石の上、薪の束が倒れ、

 不吉な爆発音を響かせているその音が。

            ボードレール「秋の歌」より拙訳

 

 時は一刻も休まず移ろい続け、生あるものは死へと向かうことを免れることはできない。それなのに「聖なる光の発見」の願望を捨てきれずにいながら、太陽の光が弱まることで有限な生命を嘆く。しかし、ランボーは永遠回帰の神話的願望に反抗していると湯浅氏は指摘する。だが、ランボーは何に別れを告げようとするのかを確定することは、矛盾しながら提示し物語っているので難しいという。もちろん自ら発する言葉が経験の真実に釣り合うことができなくなったと感じ、詩を放棄することであると思えるという。また、「愛を作り直す」試みが、「偽りの恋愛」となり、心の底から反省していることも確かであるという。しかし、自分が地獄と呼んだものに今までとは異なる視点を見つけ出し、これまでの態度や対応に別れを告げようとしたと考えられると湯浅氏は結論づける。「une saison」(一つの季節)に別れると語っているのだという。このように考えることで、以後に書かれた「イリュミナシオン」の存在が矛盾なく理解できるのであるが、文学そのものを放棄したのではなく、次に迎えるべき「季節」、つまりイリュミナシオンの詩作の構想を断念したことになろう。

 

「絶対に近代的でなければならない」というランボーの言葉は、近代という与件を「絶対に」引き受けるべきだという意味だと湯浅氏は主張する。「福音は去ってしまった」ということを受け止めることが「絶対に近代的である」ということの意味であろうという。「自らの心が統一されていないことに耐えるべきである」ということ。この論考で論じてきた、表層言語では自己同一性は成立しないことが理解できたであろう。今や深層意識の深みでポエジーの言葉を捉えようとする時が来たと言えよう。ここでも留意すべきは、かつてのシュルレアリズムという生き方の問題が、手法として理解し実践されたに過ぎなかったように、深層意識においてポエジーを理解し詩作することは、部分的な窃取ではなく、全面的な受容の態度、つまり生き方との対決が求められることである。なぜなら、「存在解体」(空化)なくして仏教哲学は成立しないからだ。

 

 見過ぎた。ヴィジオンはどんな空気にも見つかった。

 あり過ぎた。街々のざわめき、夕方に、照らされた陽光で、いかなるときも。

 知り過ぎた。生活の中断。―喧噪と幻影よ!

 新たな情愛と響きのなかへ出発だ!

                   『イリュミナシオン』「出発」より拙訳

  (次回は『イリュミナシオン』について論じることになります。)


アルチュール・ランボーにおける詩人像(四)・小林稔詩誌「ヒーメロス」最新31号掲載。

2015年11月05日 | ランボー研究

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(二十三)

詩誌「ヒーメロス」最新31号

小林 稔

 

 47 来るべき詩への視座

 アルチュール・ランボーにおける詩人像(四)

 

 『イリュミナシオン』の製作時期

 ランボーの『イリュミナシオン』の製作時期が、『地獄の季節』以前か以後かでいろいろ論議されてきたが、決定的な答えはないようだ。『地獄の季節』はランボーの詩作への決別の書として読まざるをえず、久しくそう思われてきたのだが、H・ド・ブイヤーヌ・ド・ラコストの、一九四九年『ランボーとイリュミナシオンの問題』で自筆研究の分析により、いくつかの詩篇が『地獄の季節』以後に書かれたという推測が可能になった。ボヌフォアは著書『ランボー』で、「一八七四年に写された詩があることは、それが同じ年に書かれたことを証明しない」という。後に書き直されたこともあり得るからである。しかし、彼は『青年時(若い日々)』に出てくる、フローベールの《聖アントニウスの誘惑》という語句と、その「三、二十歳」の小題から推測し、一八七四年以降に書かれた詩篇であると主張する。ラコストやボヌフォアの推測を受け入れるとすれば、「ランボーが詩に対して二回目の別れをしたと認めなければなるまい」とチャールズ・チャドウィックは述べている。さらに彼は『イリュミナシオン』が、「一八七二年の後半から一八七三年の前半にかけて書かれたものでないとすると、ランボーはこの時期に何も書かなかった」ことになるとして、この時期に『イリュミナシオン』を書いたのは議論の余地はないという。ヴェルレーヌは、『地獄の季節』の後に書いたと主張するが、ランボーが文学を棄てたのは自分のせいだという非難を逃れるための嘘であると、チャドウィックは主張した。さまざまな意見が成立可能だがいつまでも解決しない不毛な議論のように思えてならない。西脇順三郎は、『イリュミナシオン』と『地獄の季節』とは初めから一つの計画であったかも知れないと述べている。(一九七一年「ユリイカ」4月号ランボオ総特集)私もその可能性は大いにあると考えるが、推論の域を出ない。

 およそ詩人は、漠然としてではあるが、前もって詩集のテーマが存在し、作品を重ねるごとに明確化されていくのではないか。ランボーにおいては一八七一年の二通の「見者の手紙」以降、後期韻文詩を書いていたころは特にその傾向が強い。私たち読み手は、詩が書かれた状況や詩人の心境を、書かれた作品から読み取る場合が多く、両者をそのまま等しいものと考えがちであるが、事実は決してそうではない。特にランボーのような見者の詩法で詩作する場合は、意識から遠い深層から言葉を投げ出すのだ。それらの言葉を基底にしてさらに未知の領域に進んでいこうとする。つまり言葉は先駆けるものであり、事後において理性の秤に架けられるのである。『イリュミナシオン』の構想による詩篇を書き継ぎながらも、以前の言葉の限界や挫折を感じた経験が浮上し、『地獄の季節』として後に完成させたような文学の断念をテーマにした詩集が脳裏を過ったと考えることも十分可能だ。ボヌフォアも西脇氏のように、作家は同じ数か月の間に二つの対立する直観にしたがうこともよくあることだ。つまり二つの形式上の実験を同時に行うこと、『地獄の季節』と同時に『イリュミナシオン』のある数節を書いたりすることができるのだという。詩集の構成段階ではあくまで目論見であり決定されてはいない。したがって詩人は一冊の詩集を完成させることでそれ以前の自分を変革したと言えるのだ。そのようにして次の作品集を目指していくのであるから、かつての作品とは決別しなければならない。『イリュミナシオン』は『地獄の季節』の前後に書かれたものであるというのが私の考えであり、したがって文学の断念は二度あったことになる。二度目の断念は文学のテーマにはならず、断念の理由はエクリチュールと本質的には関係しないと考えるしかないであろう。

 

『イリュミナシオン』の絵画的構成

 詩集名は中世の写本やミサ典書に描かれた極彩色の挿絵と言われている。『イリュミナシオン』のいくつかの詩篇では絵画的構成が意識的になされているが、意味を伝えようとするのではなく、生々しいタブローとしてそのまま定着させていると、宇佐美斉氏は『ランボー私註』で述べている。彼は空間がどのような特徴をもって構成されているかを次のように分析している。

 第一に「地球上のありとあらゆる地域の名前が見出される」ことである。ヨーロッパ大陸、アラビア半島、アフリカ大陸、中国、日本、アメリカ、北極など。例えば「岬」でh、世界中の半島や岬が同一空間の中に納められ、混合され、絢爛たるヴィジオンを作る。さらに「時の流れそのものをも超越しまった一瞬のあいだの出来事、もしくは光景のうちに」描かれている。

 

 険しく起伏する小道から小道。丘を蔽いつくす、えにしだ。大気はじっとしている。

ああなんて遠くに鳥の声、泉の音! 進んでいけばこの世の涯しかないだろう。

(『イリュミナシオン』「少年の日」Ⅳ拙訳)

 

 極限、終境、極地など、ランボーは早くから極限の観念に取りつかれていたと宇佐美氏はいう。

 

 それは彼女だ、死んだ女の子だ、薔薇の茂みの後ろに。―亡くなった若い母親が階

段を降りてくる。―いとこの四輪車が砂の上で軋る。―弟だ―(インドに行ってい

るのだが!)―あそこ夕日の手前、カーネーションの咲く草地の上に。ニオイアラ

セイトウの茂る城壁のなかに垂直に立つ埋葬された老人たち。(『イリュミナシオン』「少年の日」Ⅱ拙訳)

 

インドにいるはずの人や、死んでしまったはずの人が同一空間に同居している、つまり生者と死者、現在と過去、此処と彼処とが入り乱れ、日常的な時間と空間の限定を完全に脱しきった夢幻の世界が描かれていることを宇佐美氏は指摘する。時間と空間の無際限な広がりの中を、縦横無尽に、目まぐるしい速度でかけめぐる時のダイナミズムが『イリュミナシオン』の魅力の一つだと宇佐美氏は主張している。次に現実の風景から出発しながら、ランボー自身の精神の働きによって作り変えていく詩篇を解説する。

 

 灰色がかった水晶の空。橋の奇妙なデッサン、こちらのまっすぐな橋、あちらの

反り返った橋、また他の橋は、最初の橋の上に角度を作って斜めに降りてくる。

これらの図形は、運河の明るく照らされた他の円型の中に入れ替わり立ち代わり

姿を見せている。しかし、すべての橋はほんとうに長く、軽やかなので円屋根を

背負った両岸はますます低くなり、小さくなっていく。これらの橋にはあばら家

を載せたものもあれば、旗竿や信号、壊れやすい欄干を支えているものもある。

 (『イリュミナシオン』「橋」部分、拙訳)

 

ロンドンの橋を描いたと言われるこの詩篇には、宇佐美氏によると、「視点移動によるデフォルマシオン」の手法と呼ばれるものがあるという。ある特定の視点から見える光景を描くのではなく、各視点ごとの異なった光景を同一画面に繋ぎ合わせたり重ね合わせたりして描く手法でり、遠近感がなくなったり、逆になったりして、絵の中のものが動き出しそうに見えたりするという。いずれにしても造形美術の世界で用いられる手法である。

 

次に宇佐美氏は「海景」という詩篇に言及している。

 

 銀と銅の車がー

 鋼と銀の舳先がー

 水の泡を打ち

 茨の株を舞い上げる。

荒れた陸地の潮流と

引き潮の巨大な轍が

東の方へ輪を描いて流れていく

森の列柱の方へ

埠頭の柱の方へ

その角は光の渦巻きと衝突する

(『イリュミナシオン』「海景」全編 拙訳)

 

 ここでは海の光景と陸地の光景が混然と入り乱れ、一つの生の印象を形づくっているという。プルーストの長編小説『失われた時を求めて』に登場する、モネをモデルにしたというエルスチールという画家の絵画の特徴を、作家自身が説明する言葉を宇佐美氏は引用して解釈する。「物を示す名は、私たちの真の印象とは無縁な理知の概念に呼応するのであって、理知は、その概念に合致しないものをすべて、私たちの印象から覗き去ってしまうのである」から、「表現された事物のメタモルフォーズ」とは、理知の概念を忘れ去り、真の印象のみで再創造することを意味するのであろう、つまりランボーのこの詩篇も、理知が介入する以前の「生のままの印象」を描いたものであると宇佐美氏は分析するのである。「陸と海の境界線を取り外し、視覚がもたらす第一印象をまず尊重しようとしたのだというのだ。

 その他、遠近法の観念を取り払うことによる超現実空間の出現を、「大洪水の後」や「都市Ⅰ」に宇佐美氏は読み取っている。印象派の画家たちが自分自身の内面の真実を重視し、自然の風景を独自の見方で再創造しようとしたことから始まり、立体派において極端にまで推し進められ、やがてダダやシュルレアリズムを誘発したと宇佐美氏は指摘する。ランボーも印象派の画家たちとは同時代人であり、高踏派の古典的な造型空間を棄て新しい世界を作り出そうとしたことと無関係ではなく、「精神によって再創造された現実」を描き出そうとしたことが、ロートレアモンと並んで、シュルレアリズムの先駆者と見なされるゆえんであり、「自己の精神の働きにしたがって自然に何らかの積極的な意味を付け加え、大胆にも新しい自然を作り出そうとさえした」と宇佐美氏はいう。

ランボーの詩篇は難解だと言われる。宇佐美氏によれば、「その難解さは多くの精神と激突することによって現実がこうむった著しい変容に起因するのであろう」という。読む人の理性が欠如しているゆえの難解さではなく逆に読み手が理性や常識を捨てきれないゆえの難しさなのだ。

『イリュミナシオン』の多くの詩篇は、ランボーが主張した「見者の詩法」の実践である。『地獄の季節』で自ら展開してみせた後期韻文詩への言及からは、文学への真の断念を読み取ることはできないと私は思う。ランボーはそれ以前からすでに『イリュミナシオン』に取りかかっていたし、その後も書きつづけていたのである。

 

「ランボーの声をよみがえらせよ!」

 先述したように、ボヌフォアは『イリュミナシオン』の少なくとも二、三編は『地獄の季節』の後で書かれたものであると考えている。しかし『地獄の季節』以前に書かれたものが一編でもあるという物的証拠となるようなものはなにもないという。それはとうぜん『地獄の季節』がランボーのなされた詩の全面的な放棄と考えているからである。堂々巡りに終止符を打つために私はこの論考で右のように結論付けたのである。ボヌフォアは『ランボー』の冒頭で、「ランボーを理解するために、ランボーを読もうではないか。彼ほど情熱をもって、自分を知ること、自分を定義すること、自分をつくりかえ自己認識によって他の人間になろうとすることにつとめた作家というものは、数多くいたわけではないのだから、彼のそうした探求を真に受けることにしようではないか、そもそもこの探求が、この上もなく真剣なものだったのだから」と述べた。このようなボヌフォアにしてみれば、『イリュミナシオン』の各詩篇を読み取るには、『地獄の季節』につづく十五ないし十八か月の時期のランボーの行動や思考が不明瞭であることは、「暗がりの中をさぐっていかなければならない」というものであった。

 私は『イリュミナシオン』のいくつかの詩篇と出逢い詩を書き始めたのであったが、その時普通の意味ですべての意味を理解して感動したのではなかった。ランボーの詩句に出会うたびに、読むことを拒絶されるような気持に満たされたのである。読むことから一刻も早く立ち去り、自ら詩を書く行為に駆り立てられたのである、武器を手にして闘いに駆り立てられる兵士のように。以後、私の人生は詩を書くことを核にして生きられたのである。それだけの刺激がランボーの詩にはあったということであろう。そして四十年以上たった現在、ランボーの思考の意味を文学全体の視野から解き明かそうとしているのである。ランボーの詳細な人生の足跡をたどる必要があるのか疑問である。ランボーの詩は経験を忠実に表現したものではなく、経験から立ち上がるポエジーを追跡していったものだから。「思想の開花に出会う」ことが詩作の意義であった。

 しかし、ここではランボーの詩を解体しようとするボヌフォアの跡を追ってみよう。

 

 おお、神聖な土地の巨大な通り、寺院のテラス! 箴言をおれに教えてくれた

バラモンの僧侶はどうなった? あの時、あそこにいた老婆たちさえ今も眼に

浮かぶ!(『イリュミナシオン』Vies「生活Ⅰ」拙訳)

 

 この手厳しい田舎の地味な空気がおそろしく活発におれの残忍な懐疑を養う。

しかし、この懐疑は今後、使うことができず、その上新しい困難に身を捧げて

いるのだから、―おれは、危険極まりない狂人になるのを待っている。

(『イリュミナシオン』Vies「生活」Ⅱ拙訳)

 

 今、さまざまな瞬間の永遠の屈折と数学の無限が、奇妙な子ども時代や巨大な

情愛に敬われて、おれがすべての市民的な成功を受けるこの世界でおれを駆り

立てる。―おれは、当然にしろ、力にしろ、まったく思いがけない論理の、あ

る戦いを夢見ている。音楽の一小節同様に簡単なことだ。(『イリュミナシオン』Guerre「戦い」拙訳)

 

鎮められぬ記憶、期待と挫折とのあいだで分け合われている曖昧な「今」についての、「固定観念」、無頓着にも不明瞭な概念を、右の詩篇にボヌフォアは読み取っている。

 

  再び構成された声。合唱やオーケストラの全エネルギーの兄弟のような親愛の目

覚めと瞬時の適用。おれたちの感覚を解き放つ比類のない機会! 

  売り出しだ、どんな種族も、どんな世界も、どんな性も、血統も逸脱した、掛け

値なしの肉体! それぞれの足どりに迸る豊かさ! 検査なしのダイアモンドの大売

り出しだ!

  売り出しだ、大衆のための無政府状態、高級な愛好家のための抑えきれない満足、

信者と恋人たちのための惨たらしい死。(『イリュミナシオン』Solde「売り出し」拙訳)

 

希望されたものが、夜によって運び去られる前の一瞬のかがやきを見せ、「声」や「目覚め」という語によって、人間の本性のいわば交響楽的な成就を、人間の本質の中にふくまれた潜在的可能性の、荒々しいが、リズムをもって、首尾一貫して、踊りを踊るような解放を、指し示しているのではないだろうかとボヌフォアは解釈する。そしてランボーの、このうえないエネルギーと発明の精神を見るには、フランス語で書かれた最も美しい詩、「Genie」を読みさえすればよいとボヌフォアは言うのだ。「精霊」とも「守護神」とも「天才」とも訳すことが可能である。

「おれたちの感覚を解き放つ比類のない機会」は、「精霊」の中で言われた「彼の肉体! 夢に見た解放…」(「精霊」)であり、「精霊」は耳目を聳動させんばかりの直観の行為であり、ひとつの思案がそこに成就される、暗闇のないヴィジョンの瞬間であるとボヌフォアはいう。

「精霊」は、法悦の幸福でとぎれとぎれな熱烈さをもって、一人の存在、「現在」であると同時に、「未来」であり、現実の空間を通っての無限の「旅」であるがゆえに、もはや限界をも場所をも時間的不具性をも知ることのない一人の存在を、そのすみやかな通過のうちに、それがちらと垣間見られもするが消えることもできるような瞬間において、示しているとボヌフォアは言い、この存在は「永遠」であるという。「一瞬ごとに、われとわが身の痕跡を、即座の自由と所有のうちに消失して、かつての「我Je」の彼方に絶対的な「彼Il」の思考の幸福をとりもどすような一人の存在」。「理性」「節度」「愛される機械」はギリシア思想の世界像を思わせるとボヌフォアはいう。善は節度に同一なものとして、世界の魂は天体の永遠で厳密な機械仕掛けに、愛は感覚界の深部においての、数の無限の合奏と普遍的理性との発見に同一なものとして啓示されているからだという。

 

おまえの指が太鼓を一打ちすれば、すべての音が解き放たれ、新しい調和が始まる。

おまえが一歩踏み出せば、新しい人間たちの招集、彼らの前進。

おまえがあちらを向けば、新しい愛! こちらに向けば、新しい愛!

「おれたちの運命を変え、災いをふるいにかけよ、手はじめに時間おいうものを」

と、この子どもたちがおまえに歌う。「おれたちの運命と祈願の実体を築け」とお

まえは頼まれる。

おまえはいつでもやって来た、どこへでも立ち去るだろう。

(『イリュミナシオン』Á une raison「ある理性に」拙訳)

 

 愛とは、規則正しい運動において、太陽と天体を動かす魂、「宿命的な諸資質に愛される機械」ではないのかとボヌフォアは主張し、法というものが、ランボーがかつて苦しんだ道徳的強制、善と悪の娘である道徳的強制ではなくなり、秩序の反映として節度として存在の理解可能な本質への参加なのであることが表明されていると解釈している。

 

「四つのランボー像」

 プルースト全集の完全個人訳を完遂したフランス文学研究者、井上究一郎氏の「四つのランボー像」(『アルチュール・ランボーの「美しい存在」』に収録)を読み、他のランボー評論家にはない視点を探ってみることにしよう。「四つのランボー像」とは「田舎者ランボー」「透視者ランボー」「ハシッシュ服用者ランボー」「天才ランボー」とされる論考である。

 

まず一つ目は「田舎者ランボー」の像。

十九世紀芸術家の気質、生き方、表現に、肉感的と官能的から暗示されるニュアンスを感じとらなければならないと井上氏はいう。ボードレールの友人であり、彼の肖像画を描いたクールベとランボーを比較し、両者に共通する田舎者気質を取り出す。「肉感的」とは「欲望の原始形態に直入して感覚的合一をとげること」であるのに対して、「官能的」とは「むしろ欲望の形而上的喚起のなかに幻想的快楽を夢みることであるという。もちろんクールベとランボーは前者である。「みずみずしい肉感を通して対象の写実を山野の精霊の呪縛力でからめとる魔術師の肖像をランボーにも認めている。「野生、朴訥、飄々とした歩きぶり、とりわけ眼の美しさ」を特徴とするランボー。ドラエー=カザルス未発表資料によれば、「背丈は少なくとも一メートル八十。顔の輪郭は楕円形、目鼻立ちは繊細ではなく、鼻は少し上反り、唇は厚く、あごは角ばっている。頬はまるくばら色で、腕は長い。田舎者だが、ひどく粗野という感じではなかった。その眼は、真剣になったときは、すべてを擲つ覚悟ができているという勇敢な表情になり、彼が笑ったときは、あどけない子供のような、なんともいえないやさしい表情になる」(筆者短縮)。ヴェルレ―ヌの妻が記憶するのは「青くて美しい眼、しかしそれは陰険な表情をたたえていた」という像であるという。官能の詩人ボードレールと野生の肉感を身につけたランボーの詩句にもそれぞれの欲望の違いが見られるという。『地獄の季節』の「言葉の錬金術」はボードレールの「共感覚的詩法」を強く意識したものであった。ここで見えてくるのは、ボードレールの正統の子と意識していたパリの詩人たちの存在であり、その中の一人にヴェルレーヌがいたという。彼の評論に『シャルル・ボードレール』(一八六五年)があり、第一作品集『サチュルニアン詩集』(一八六七年)がある。ちなみに一八七〇年、十五歳のランボーの前に姿を現したのが、文学の熱を注いだ教師イザンバール。その七月、プロシアに宣戦布告、ランボーはベルギー経由でパリに着く。逮捕、投獄。一八七一年、故郷シャルルヴィルがドイツ軍に占拠され再びパリに発つ。三月、徒歩でシャルルヴィルに帰郷。その八日後にパリ・コミューン成立。ランボーはコミューンの反乱軍に参加したと言われている。このころのランボーの詩には反抗的レアリズムが開花しているという。ヴェルレーヌの『サチュルニアン詩集』には目立たないような反抗的リアリズムに通じるものが数篇あり、「反宗教をひそかにつつみ隠す虚偽と羞恥」をランボーは見破ったであろうと井上氏は指摘し、二人の不幸な出会いの原因がすでにここにあったという。背後にプロシア兵をひかえながら、のんびりとした無気力な、「坐るひま」をもつブルジョワたち。ランボーは初期韻文詩『坐ったやつら』でそのような男たちに対する嫌悪を露わにしている。

 

二番目に「透視者ランボー」の像。

ランボーが己の詩を開花させるにはパリ・コミューンに参加し、その現実を肌身で感じる必要があったと井上氏はいう。なぜならランボーはイザンバールとドメニーへの手紙で、支援部隊に加わり兵隊たちに性的対象にされたことを基底にしたと思われる詩、『しごかれた心』『パリの軍歌』『道化の心』を同封し、「透視者の手紙」(見者の手紙)を送ったが、「私はいま私の思想の開花に直面しているのです」と書いているからである。その「思想」はコミューンという「酔いどれ船」の男たちの体臭から革命を肉感として体験し、シャルルヴィルに帰ったランボーは、「私とは一人の他者」という言葉になって自らを透視者(見者)に仕立てようと強く意識するのである。

井上氏は、ランボーに萌芽した「透視者」の考えの経路を辿っているが、それによるとボードレールの死後に発表された『悪の華』第三版のゴーチエの「序文」を指摘する。ゴーチエはボードレールをヴォワイアンと評していることを挙げている。ゴーチエはボードレールの「コレスポンダンス」(万物照応)と「宇宙の諸関係に対する神秘な直観」、それに「予測されない言葉のアナロジー、類推を発見したこと」を賞賛しているという。先述したように、ヴェルレーヌは一八六五年にすでに『ボードレール論』で誰よりも早く『悪の華』の価値を認めていた。さらに井上氏は、「詩人とは真に火を盗む者であります」と記すランボーの言葉から、ヴォワイアン(見者)という言葉は、ユゴーの『観想詩集』の中の詩「われ行かん」で「空から永遠の火を奪い、神を盗み、裸身のまま、おそるべき未知の幕屋にはいる」から学んだのであろうと推測する。その他、ネルヴァルの『オーレリア』やルコント・ド・リールやフランソワ・コペーにもヴォワイアンという言葉は出てくるが、ランボーの「透視者」(見者)はそれらを越えたものだという。それは「あらゆる感覚の、長い時間をかけた、大がかりな、熟慮された錯乱を通してヴォワイアンになる」ことであり、「未知なるものに達し、その狂気の状態で、自分の視線の識別を失うに至ったとき、そのときはじめて自分の視像」を見ることである。この「未知なるもの」とはボードレールの『悪の華』の最後の詩篇「旅」の最後の呼びかけから発した語であり、「詩は行動を韻律化するものではなく、行動に先駆するもの」というランボーの言葉がその呼びかけに答えるものと言えるだろうという。だが、「詩人たちの王、真の神」とボードレールを讃えるものの、「ボードレールはあまりにも芸術的な環境に生き」、「形式もけち臭いもの」であり、「未知なるものを発明するには新しい形式を要求される」とランボーは批判し、ボードレールの文体にはない散文詩集、『地獄の季節』と『イリュミナシオン』を作り、ボードレールを凌駕したと井上氏はいう。

 

おお 死よ、老いた船長よ、錨を揚げる時がきた!

おれたちはこの国に飽き飽きしているのだ、おお 死よ! 出航だ。

空と海が墨汁のように黒いとはいえ、

おれたちの心はおまえも知るように光明に満ち溢れている!

 

おまえの毒をおれたちに注いでくれ、おれたちに力を取り戻させるために。

その火焔におれたちは脳髄を烈しく焼かれ、おれたちは望んでいる

深淵の底に身を投げることを、地獄であろうと天国であろうとどこでもよい

未知なるものの奥底に、新しさを見つけ出すために!

              (ボードレール『悪の華』「旅」より拙訳)

 

「ボードレールのこの未知なものへの旅のなかに、ランボーの「酔いどれ船」や「母音」の萌芽を読み取ることができると井上氏は指摘する。(「旅」の二に「酔いどれの船乗り」という言葉がある)「未知なるものの奥底に新しいものを見つけ出す」がボードレールから汲んだ第一の源泉であるとすれば、第二の源泉は他者の世界であるという。ボードレールがポーから発想した散文詩、『パリの憂鬱』の「群衆」を井上氏は挙げている。彼は咀嚼して要約しているが、私はさらに要約して述べてみよう。群衆と孤独という言葉は、才能豊かな詩人には、自分であり他者であるという特権を持つことができる、普遍的に交流できることを意味する。それは「群衆と容易に婚姻するものの熱狂的な快楽、行きずりの未知のものに詩と慈愛を捧げる魂の悪魔的な酒宴、魂の聖なる売淫」であり、これに比べれば人間愛は小さなことである。「植民地の建設者、民衆の牧人、この世の果てをさすらう伝道師は」、この神秘的陶酔を知っている。このような考えを伝える詩のなかに、ランボーの詩と人生の方向が封じ込められていると井上氏はいうのである。

 これら二つのボードレールから汲む源泉をもつランボーが、パリのブルジョワ詩人でしかないヴェルレーヌに「酔いどれ船」を携え会いに来たのである。

 

三番目は「ハシッシュ服用者ランボー」の像。

 ヴェルレーヌはパリ・コミューンを支持しながら「流血の一週間」に脅え卑怯な態度に出たこと、政府の極左アナーキスト狩りに密告を怖れ行方をくらませ、転向者の生活おさまったことは同志への裏切り行為として彼の良心に深い傷を残したであろうと井上氏はいう。『敗北者たち』という詩集で書いたように「生活は勝ち、理想は死んだ」のである。「サチュルニアンと反抗者の影は合体し、いっそう深いオプセッシオンになって沈んだ」。パーンの神が死んだとしても、ジェニー(精霊、天才)は、ミシュレが言うようにどこかの田舎の野生の子のなかにひそんでいるかもしれないとすれば、ヴェルレーヌは滅んだ自分の夢が他者のジェニーのなかに宿ることもできるという幻影を抱いたであろうという。そのときランボーが現われたというのである。ヴェルレーヌの詩集、『愛の罪』や『叡智』においてランボーの幻影を描いているが、ヴェルレーヌの詩が美しいのはまれにある誠実な瞬間が慚愧の歌になっていることであろうと井上氏は指摘する。

 ランボーがヴェルレーヌとハシッシュを飲用していたのは疑いえないと井上氏はボヌフォアと同様の見解を持つ。井上氏は、その時期を境に文体が著しく詩的時間,詩的空間を広げていることが理由の一つであるという。『イリュミナシオン』の製作時期を、一八七八年にまで延長してもいいのではないかと主張しているアントワーヌ・アダンは、ランボーの「陶酔の午前」は、最初のハシュシェ体験の直後に書いているとする。「見者の詩法」の実践であるという。自己の潜在力を意志的、方法的に開発し、自己のなかに「さまざまの視線」を挑発し、自己の肉体から前代未聞の快楽を引き出すことである。アダンの考えはボヌフォアに引き継がれ、そのランボーの服用の痕跡を詳細に解き明かしているが、ここでは割愛しよう。とにかくゴーチエの麻薬三部作があり、ボードレールには『ハシッシュの詩』があり、ミシュレの『魔女』の序章、「毒草をつかさどる魔女がかつては民衆のための唯一の医師であった」という記述を、井上氏は指摘する。魔女は「よい女」「美しい女」と呼ばれ、悪が善であり幸福で美であるような世界が異教の詩として存在するということ、そんな要素が民衆の、劣等の、賎しい血のどこかに潜んでいるということであり、ランボ―の散文詩集の詩学にうかがわれると井上氏はいう。

 

四つ目は「天才ランボー」の像

 

Lautomne deja!―Mais pourquoi regretter un eternal soleil,si

nous sommes engages à la decouverte de la clarte deivine,loin des

gens qui meurent sur les saison.

すでに秋! だがなぜ永遠の太陽を惜しむのか、神聖な光の発見に

おれたちが携わっているのなら、―

季節のまにまに死に行く人々から遠く離れて。

Lautomne.Notre barque elevee dans les brumes immobiles

Tourney vers le port de la misere,la cite enorm au ciel tache

de feu et de boue.

秋。不動の霧のなかにそびえ立つ船は、火と泥に染みた空の下、

悲惨の港へ、巨大な都市へ舵を切る。

              (『地獄の季節』「別れ」の冒頭 拙訳)

 

井上氏によると、永遠の太陽を惜しむのがボードレールであり、ゴーチエである。

 

Jai cree toutes les fetes,tous les triomphes tous les drames.

Jai esseye dinventer de nouvelles fleurs,de nouveaux astres

de nouvelles chairs de nouvelles langues.

 

 おれはあらゆる祝祭を、勝利を、劇を創った。おれは新しい花を、

新しい星を、新しい肉を、新しい言葉を発明しようと試みた。おれ

は超自然的な力を獲得したと信じていた。なんということだ!おれ

はおれの想像力と思い出を地面に埋めなければならない! 芸術家

と語り手のすばらしい栄光は奪われて! (「別れ」拙訳)

 

Moi! moi qui me suis dit mage ou ange,dispense de toute morale,

Je suis rendu au sol,avec un dvoir à chercher,et la realite rugueuse

à etreindre! Paysan!

おれが! すべての道徳を免除され、道士とも天使とも称したこの

おれが、求めるべき義務と、抱きしめるべきざらざらした現実と共

に地面に返される! 百姓だ!    (「別れ」拙訳)

 

義務と現実に戻されるランボー。

 

Suis je trompe? la charite serait elle sæur de la mort,pour moi?

Enfin,je demonderai pardon pour metre nourri de mensonge.

Et allons.

Mais pas une main amie! et ou puiser le secours?

おれは裏切られているのか? 慈愛はおれにとっては死の姉妹なのか?

とにかく、嘘に耽ったおれは許しを乞おう。そして出かけよう。

だが友の手などありはしない、どこに救いを求めることができようか?

 

Il faut etre absolumont modern.

Point de cantiques:tenir le pa gangne. Dure nuit! le sang seche fume

  sur ma face,et je nai rien derrier moi,que cet horrible arbrisseau!…

Le combat spiritual est aussi brutal que la bataille dhommes;mais la

  vision de la justice est le plaisir de Dieu seul!

絶対に近代的でなければならない。

聖歌はない。勝ち取った歩みを保ちつづけよう。耐えがたいな夜!

乾いた血がおれの顔の上で煙っている。そして、おれの背にはこの

恐ろしい灌木しかない。…精神の闘いは、人間たちの戦いと同様に

烈しいものなのだ。だが、正義の光景はただ神だけの楽しみだ。(「別れ」拙訳)

 

Cependant cest la veille. Recevons tous les influx de vigueuur et

de tendress reelle. Et à laurore,armes dune ardente patience,nous

entrerons aux splendides villes.

ところで前夜だ。みなぎるすべての生気と真の情愛を受け入れよ

うではないか。そして明け方に、燃える忍耐で武装して、光り輝

く街々におれたちは入っていくだろう。 (「別れ」拙訳)

 

 井上氏も指摘するように、「nous」(おれたち)はかつての地獄の夫婦ではなく、精神の闘いに就こうとする、荒々しい男たちを指す。このランボーの言葉に励まされ立ち上がる一人ひとりの「私」、「彼と共に生を変えた私」である。

 

Que parlais je de main amie! Un bel avantage,cest que je puis rire

Des vieilles amours mensongeres,et frapper de honte ces couples

menteurs,― jai vu lenfer des femmes la ba;―et il me sera loisible

de posseder la verite dans une ame et un corps.

おれは友の手について何を話していたのか! ひとつ良いことがある、

偽りの昔の愛を笑い、あの嘘つきの夫婦に恥辱の鞭を放つことができ

る。下方に女たちの地獄を見た。―やがておれは、真理を一つの魂と

一つの肉体の中に所有することができるだろう。(「「別れ」拙訳)

 

予告された真理は『イリュミナシオン』で示されることになる。百姓になったランボーは再び家を開け放つのだ。

 

Au bois il y a un oiseau,son chant vous arrete et vous fait rougir.

Il y a une horloge qui ne sonne pas.

Il y a une fondriere avec un nid de betes blanches.

Il y a une cathedrale qui descend et un lac qui monte.

Il y a une petite voiture abandonee dans le taillis,ou qui descend le sentier

en courant,enrubannee.

森には一羽の鳥がいて、その歌があなたの歩みを止め、顔を赤くさせる。

時を打たない時計がある。

白い生き物が巣をつくる沼がある。

降る大聖堂、昇る湖がある。

雑木林に見捨てられた小さな車がある。そう思っている、とリボンで飾られ

て、小道を走りながら降りていく。

                                (『イリュミナシオン』「少年の日」拙訳)

 

ランボーはミシュレが『民衆』で出現を促したジェニー(天才)に一致するものをもっていたと井上氏はいう。ボードレールもまた、「少年の小さな悲しみ、小さな喜び、それが絶妙の感受性によって途方もなく大きなものになり、やがて大人のなかで、いつもまにか、一つの芸術作品になる」(ボードレール『阿片吸飲者』井上久一郎訳)と予感していた。ボードレール以降の時代には、ランボーのような天才の登場を待ち望む土壌が熟成していたと言えよう。しかしランボーは、ボードレールをあまりにも芸術的であると誹謗したのではなかったか。言葉は絶えず事物を裏切る。言葉は今を生きる現象世界を引き裂くだけだ。しかしランボーよ、言葉から逃げることは不可能なのだ。

一八七五年すでに、ランボーの中の意識的人間は、「人生を変える」ことを断念していた、とボヌフォアはいう。彼によると、「人生を変えようと欲することは、普遍的なるものを動かすこと、証言すること、万人共通の意識の前へと自ら進み出ることである」。それを断念することは、「一つの運命の中に閉じこもることであり、その運命の私的な性格を人に尊重してもらう権利がある」ことを意味する。したがって断念したものの後を追いかけまわすことは不謹慎であるとボヌフォアはいうのだ。私に言わせれば興味を持てないということになる。一方は詩を放棄し、一方は詩を継続しているのだから。ボヌフォアはシャルルヴィルのランボーの墓前で次のようにいう。「この墓は、ひとつの生命が人生から盗まれたこと、太陽の息子の自由を商人と労働者のひどい境遇と交換しなければならなかったことを確認しうるものである。一般に、自由とは可能性の間の選択であり、ヘーゲルのいうように、「自由とは必然の認識である」。偶然の選択をしたと考えることは好まないゆえに、客観的認識、つまり合理主義に価値を与える。しかしランボーの主張する自由は全く異なる。最善のものを見分けるために可能性を考えるのではなく、欲望を絶対の中に据えたのだとボヌフォアは主張する。「相対的な満足よりも自らのきびしい要請の方を選んだ」のである。こうした思考は、与えられてあるものをも非難する勇気をもち、ありとあらゆる欲求不満、ありとあらゆる悲惨をわが身に引き受け、ひとつの絶対的証言を目指す。ランボーのさまざまな詩句が思い出されるであろう。ボヌフォアは人間的なものの名誉とさえいい、存在を目覚めさせる偉大な拒否において、客観的思考が閉じ込めようとしている関係を、質転換させようとするものであるという。「このランボーの実践を敗北と見なすことができるだろうか」とボヌフォアは問いかける。

 ランボーが愛と呼んだ活動と信頼が、今日において「不在」であるような「真の生活」に参加することがよいと直感し、「我われの実存は、その本質においてごまかされている」と考えたであろうとボヌフォアは指摘する。ランボーは外的世界を解体することによって、「火を盗む者」(プロメテウス)こそが詩人であると考えたのであった。ボヌフォアは、『イリュミナシオン』は、ひとつの挫折の確認であるという。しかし、ランボーの生は我われにとってひとつの方舟となり、矜持が生き延びることを得たともいう。彼が告発した状況、それは「科学とキリスト教との流刑の力の合算から生まれた生の危機」であったが、現代人もまた同様の状況に依然としてあり、ランボーのような無垢な人間から学ぶことが多くあるとボヌフォアは指摘する。

ランボーの闘いは生を道徳的桎梏から解放したが、それはたた、悲劇的なものに由来する「新たな不幸、ニーチェが「よろこばしい恍惚」として描いたあれらの不幸へと、生を開くためなのである。つまり人間の疎外を証言し、道徳的悲惨から絶対との悲劇的対決へと向かう人間を促すところに、ランボーの偉大さがあるとボヌフォアは主張する。

 

  Il nous a connus tous et nous a tous aimes.Sachons,cette nuit dhiver,

de cap en cap,du pole tumultueux au chateau,de la foule à la plage,

de regards en regards,forces et sentiments las,le heler et le voir,et

renvoyer,et sous les marees et au haut des deserts de neige,suivre

ses vues,ses souffles,son corps,son jour.

彼はおれたちのすべてを知り、おれたちすべてを愛した。知ろうじゃないか、こ

の冬の夜、岬から岬へ、荒れ狂う極地から城へ、群衆から川岸へ、眼差しから眼

差しへ、力も感覚も疲れ果て、彼を呼び彼を見て、彼を送り返し、潮流の下を、

雪の砂漠の天辺へ、彼の眼力、彼の吐息、彼の肉体、彼の日に従って行くことを。

                          (『イリュミナシオン』「精霊〈天才〉拙訳」

 

「存在を目覚めさせる偉大な拒否」とボヌフォアは言った。絶対的な自由を欲望したランボーに挫折は必然であった。だが唯一、ポエジーにおいてそれは可能である。彼はそれが失敗であったと認め、詩を放棄したのだろうか。井上氏はいう、「それ(挫折)を確認したランボーと、確認するに至るまで渾身の力をふりしぼって壁と闘っていた精霊とは別物である」と。壁とは、ブルジョワジーとパリ・コミューンであった。

ランボーの詩句を目にする「私=少年」の中の「精霊」は、これからも「私」を詩作に、「書く」ことによって生を変え世界を変革していこうとする「エクリチュール」の実践に駆り立てるであろう。「ぼくは思想の開花に出会っている」というランボーの言葉にすべては要約されている。「彼Il」は、ランボーが自ら自分に与えた詩人像なのである。

 

註ーフランス語表記は入力上、フランス語特有のアクセント記号などは省いてあります。copyright-2015以心社・無断転載を禁じます。


詩誌「ヒーメロス」30号平成27年8月1日発行、「長期連載エセー「自己への配慮と詩人像」(二十二)

2015年08月02日 | ランボー研究

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(二十二)

小林 稔

 

 

 

 47 来るべき詩への視座

 

アルチュール・ランボーにおける詩人像(三)

 

 

主体の形成と言語

ボヌフォアが指摘した『地獄の季節』で描写された三つの挫折のうちの一つ、見者の企ての挫折を考察することで、ランボーが文学と決別した理由を明確化してみようと思う。

私たちが外的世界、例えば、自然を前にして言葉を失うほどの感動を受けたり、他者との出来事において強い印象を与えられたりしたとき、感覚がいつもとは違うほどに刺激を受け、ポエジーと呼ぶべき源泉を探りあてたような気持になる。そこで何とかそのときの興奮を言語化しようと必死になる。そのときの詩人の主体は、私たちが日常生活を営んでいる主体とは異なる。

ランボーの初期の詩の特徴として、湯浅博雄氏は『ランボー論』(思潮社刊一九九九年)において「野生状態にある水や大地や大気などのただなかへ、直接的に参入する感覚作用の生々しさに、またそれに伴う印象の生気溢れる新鮮さに忠実な言葉へと鍛え直す〈感覚と印象の詩法〉」を指摘している。私も初回の論考で、『感覚』や『わが放浪』などの作品から受けるものは、詩人のみずみずしい感覚が読み手の感覚を刺激し、まるでランボーの身体に触れたように感じさせるものだと述べた。湯浅氏はプルーストを例に挙げ、ランボーと共通する、「印象のうちに伝えられた真実」の探求を目的とする文学行為を解き明かす。〈私〉を取り巻く外界のイマージュに強烈な印象を与えられた経験、例えば「一片の雲、一つの鐘塔、一輪の花、一個の小石」などに精神を集中させ眺める経験の後、「きっとこれらはなんらかの徴しであって、そうした徴の下には全く別のなにものかがあり、〈私〉はそれを発見しなければならない」という思いに駆られる。それは私たちの知性が解き明かすものよりずっと深く、感覚を媒介にしたとき感受されるものである。感受した後では小説は詩と異なり知性の力を駆使し語ることになろう。だが忘れてはならないのは、それらがどれほど「直接的」に感じられようとも、言語はほとんど文化的、歴史的参照の体系に属していて、固定した観念の及ぼす効力に染められているということである。私たちの心を導く慣性の力であると指摘する。もしかろうじて可能性があるとするなら、私たちが必死に読み解くものだけであり、ランボーが見者の手紙」で訴えた「錯乱の詩法」を駆使して、「未知なるもの」へ至ろうとするものだけであろうと湯浅氏は指摘する。

「生を変える」ということを詩作の第一要因と考えたランボーにとって、詩的言語を創り出すことは、人生を変革することでもあった。私たちが信じている自己同一性、自己自身に常に立ち会っている〈私〉がいて世界を捉えるときの起点になっているという考えは錯覚に過ぎないことにランボーは気づいていたと湯浅氏はいう。ランボーやニーチェが先陣を切って指摘したそれは、以後フロイトやメルロ・ポンティらによって深められることになる。「われわれは言葉が制度づけられている一世界に生きている。われわれはその世界を世界そのものと区別しなくなり、われわれが思考活動を行なうのは、既に語られ、語られつつある一世界の内側においてなのである」(メルロ・ポンティ『知覚の現象学』)を引用して湯浅氏は解読している。

湯浅氏の説明を要約してみよう。人間は死を怖れ意識するようになることで、自然的な直接性、すなわち動物性から離脱し、ノンを突きつけ、シンボル的なものの次元、つまり言語的なものに参入するようになったという。この言語なるものの法則性をもって、「社会的、歴史的、文化的な伝統として継承されている共同主観的なものを受容し、自分のものとしていく」、つまり、そのように「人間主体」が形成されていくという。仏教哲学者、井筒俊彦氏が『文化と言語アラヤ識』で述べていたように、「世界は始めから、一定の形で分節された存在秩序として、我々の前に現われている」という。実際には逆に「母国語の中にある分節の仕方、区切り方がすなわちそうした恣意的な価値づけが、〈言語の外の〉現実に作用を及ぼしているのであって、現実を分節化し、秩序づけているのだ」と湯浅氏は指摘する。このような認識に立てば、デカルトのコギト(われ思うゆえにわれあり)の明証性は疑わしいものになる。疑わしいものと考えている「私」もまた疑わしいものになろう。そこで「私とは一つの他者である」というランボーの言葉が甦る。湯浅氏によれば、「自らのうちに、他なるものとの関係を含んでいる」ということである。そしてランボーのいう「主観的な詩」(ランボーは手紙で客観的な詩を主張している)とは、自己同一性を確信して疑わない詩のことであろうと推測する。

『地獄の季節』の「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」において、ランボーは一八七二年に書いた「新しい韻文詩」(後期韻文詩)を自ら引用し、見者の詩法の挫折した理由を語っている。その口調は完全に「済んだことだ」という思いで書かれている。湯浅氏も言うように、「新しい韻文詩」ではランボーは言葉のかかわり方を根本から変えようとしていたし、新しい文体を創り出そうとしていたのである。それらの作品をここで披露しながら、嘲笑し、揶揄していると湯浅氏はいう。「からかいながら浮き上がらせ、その価値を確認し、称揚してもいる」。注意すべきは自らの作品を否定しながら肯定するという両義性であり、ランボーにおいては本質的なことだと湯浅氏は指摘する。それはランボーという行為する詩人の叛逆性や、人生のすべてを文学に賭けた潔さの魅力と関連する。

 

 思想の開花に立ち会う

 いわゆる「見者の手紙」をランボーは一八七一年五月に書いた後、ヴェルレーヌに会い、翌年一八七二年の夏にかけて「新しい韻文詩」を書く。そしてその見者の詩法が壁にぶち当たり、ヴェルレーヌとの共同生活の破綻もあって、この二年余りに及んだ文学的探求に内省を課す必要に迫られたのであった。(この時期のランボーの人生の時間は何と迅速に過ぎていったことだろう!)それが『地獄の季節』を記述する引き金になったのは確かである。湯浅氏の指摘として先述したように、自身の文学的試みを称揚することと、否定しようとすることの両義性を示しながら、「ぼくの運命はこの本にかかっている」と言わしめた。彼はエクリチュールに賭けたと言えよう。そして私は「ランボーからデリダへ」を連結するエクリチュール理論を考察していこうと考えている。「ぼくは思想の開花に立ち会っているのです」(見者の手紙)というエクリチュールの本質を示す言葉が、『錯乱Ⅱ』の最後の、Cela sest passe. Je sais aujourdhui saluer la beaute.(済んだことさ。今では美に挨拶することができる)という言葉と響き合い、文学への断念と以後の彼の人生の結末に思いを馳せるとき、(ハラルの道端で禅僧のように座るランボーの写真を見よ!)小林秀雄の「文芸の道は人が一生を賭して余りある豊富な真実の道の一つだ」という言葉ともさらに響き合い、私は複雑な気持ちに襲われ眩暈を覚えるのである。

 ランボーに触発され詩作を始めた私が、ランボーが詩作を放棄したにもかかわらず続行する理由がどこにあるのか、まずはランボーが詩作を放棄した理由が何だったのかを明らかにしなければならないだろう。湯浅氏は『ランボー論』でそれを推測しているので要約してみよう。それはまさに「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」の短い物語でランボー自身が語ってもいるのである。外界のさまざま事象が感覚に作用する印象を読み解こうとするが、しかし、「世界を制度づけている言葉」によっては読み解くことができない。法的効力を持つ言葉の世界では知性や理念が論理的な真実を行使することになるが、強烈な印象を伝達しようとする、つまり「過剰な出来事を生きる経験」を言葉にしようとするとき、どうしても沈黙を強いられてしまう。湯浅氏によると、言葉はある現実を浮上させることはあるが、それを〈意味を持った現実〉、〈実際の世界〉と信じてしまう。しかし、言葉によって現出する世界は、事象そのものの現前ではなく、「事象それ自体が消え去り、無化し、不在化することによって、その不在化するものの現前になっているのではないか」という。なぜなら、「言葉というシーニュ(記号)は、直接性から切り離された間接性の次元」であり、「実体のレヴェルとは切り離されたシンボル性のレヴェル以外にはありえないから」である。「言葉が出現させる現実は、つねに事象の模擬、擬態としての現前であり初めから現前を模擬している」と湯浅氏は説明する。

 一般的な伝達世界では、言葉の機能が間接的であろうと不具合を生じることはない。しかし、ポエジーの訪れが詩人に降下し、ポエジーが伝達しようとし言語化しようとする謎を解き明かそうとするとき、真実を伝達することが不可能性を帯びてくるのだ。この「過剰な出来事の経験」こそがまさにポエジーを感知した経験である。一瞬言葉を失うが、つまり沈黙へ誘われるが、詩人はさらに語ろうとするだろう。湯浅氏が言うように、言い表せぬものを書き留めることこそが、言葉の本来の使命であり、栄光であると詩人は熟知しているからである。だからこそランボーは、新しい詩的言語を創ろうとした。(「A(アー)は黒、E(ウー)は白、I(イー)は赤、O(オー)は青、U(ユー)は緑。いつの日か、あらゆる感覚に通じうる詩的言語を発明するのだとひそかに思い込んでいた。」)この「母音」で試みたような世界言語は比喩に過ぎないだろう。実際は言葉使いや文体の創出である。ランボーにおける文学的な試みは、それにとどまらずつねに「生を変える」試みと一体化しているのだと湯浅氏は指摘する。「生を変える」とは、〈世界〉や〈人生〉の見方を一新させることであり、〈生〉や〈存在の仕方〉を変えることである。それはランボーから見れば、「白人的生」から「黒人的生」に変革することであった。ここでいう「黒人」とは実際の黒人ではなく、西洋近代社会の〈法〉やキリスト教的な〈道徳〉に従属していない、近代的な科学や理性から閉ざされている黒人の「眼」を意味すると湯浅氏はいう。

 

 ポエジーの到来

 

 おれは数々の沈黙と夜を書いた。言い表しがたいものを書き留めた。様々な眩暈を定着させた。

「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」より拙訳

 

 やって来い、やって来い

 われを忘れる時よ。

 

こんなにも忍耐した

 永久に忘れよう。

 怖れや苦しみは

 空の彼方に立ち去った。

不健康な渇きは

おれの血管に影を落とす

…………

見つかったぜ!

何がって? 永遠さ。

それは太陽に溶け合った

        海。

 

おれの永遠なる魂よ、

おまえの誓いを見守れ、

ひとりっきりの夜であろうと

燃え上がる昼であろうと。

 

すなわちおまえは解き放たれる

人間たちの同意から、

ありふれた高揚から!

思い通りにおまえは飛んで行く

 

―絶対、希望なんてない、

昇天なんてない、

学問と忍耐さ、

責苦は確かだぜ。

 

明日はもうない

繻子の燠火

   おまえたちの熱烈こそ

   果たすべき義務というもの。

 

見つかったぜ!

何がって?

それは太陽に溶け合った

        海。

        

「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」より拙訳

 

湯浅氏によると、「日常的に生きている時間が途切れる瞬間」、それは「濃密で強烈な質としてのみ内的に生きられる時間」であり、「私」が主体として明確に意識する能力が危うくなる時間である。こうした時間に起こる出来事は、通常の経験とは違い、「真の現前性の関係によって関係できる出来事にはなりえない過剰性を内包している」から、「時間の秩序から解き放たれた」ようになり、「私はもう現在にいるかどうか」分からなくなる、「現在がいつも自己の外へと開く時間である」という。わたしはこの瞬間をポエジーの「私」への到来と呼びたい。

宗教的存在論では、「永遠の生」は天国の王国において、来るはずの彼岸において到達する真の存在だが、ほんとうは「苦悩するこの時は、後に来るはずの時のおかげで償われ、救済されるのではない」。「この時は、それ自体として究極性を持つやり方で消失される」、つまり「消尽」されることが義務なのだ、とランボーは考えていた。カトリック教徒の厳格な母の帝国から逃れようとしたランボーは、自然から感受した強い印象と感覚的な交感を通して真実とリアリティを見つけ出そうとしていた。「この大地に実存する、心身的存在としての人間が今まさに生きるこの瞬間、他者への開きと交流のこの出来事こそ、〈永遠の生〉なのだ」と湯浅氏はいう。したがって、引用したランボーの詩、「太陽に溶け合った海」は、ランボーが現実に目撃した「永遠」なのである。

 

文学的ディスクール

ランボーが経験したような過剰な出来事、つまりポエジーを言葉にすることは苦痛を強いられるが、それは「言葉が潜在的に秘めている力を復権させること」であると湯浅氏はいう。通常の言述では、言葉の力とは再び現存させる能力として不都合が生じることはなく機能し、言葉の仕組みや言葉に内蔵している規範性とその法的効力は疑われることはない。しかしポエジーにかかわる過剰な出来事においては、適合できる言葉に出会うのは困難であるが、その模擬、擬態、喩としての現前ならば可能である。あくまで事象そのものの現前ではなく、〈現前すること〉の模擬、パロディであると湯浅氏は指摘する。

 

 おお季節よ、城よ!

 無疵な心がどこにあるというのか?

 

 おれは幸福の魔術を究めてきた

 誰にもそれから逃げられぬ。

 

 幸福に挨拶だ、ゴールの国の

雄鶏が歌うそのたびに。

 

ああ!これ以上望むまい

幸福におれの人生はゆだねられた

 

この魔力に身も心も奪われて

努力する思いは吹き飛んだ

 

  おお季節よ、城よ!

 

ああ!幸福の逃げ去る時こそは

この世からの撤退の時となるだろう

 

  おお季節よ、城よ!

 

       「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」より拙訳

 

 宇佐美氏の指摘によると、「ゴールの国の雄鶏」という表現は陽気で猥らな意味、すなわち「倒錯の愛欲」という意味を持つという。そう考えると、「幸福」はヴェルレーヌを直接意味することになる。しかしあくまで作品を書く動機として作用したに過ぎず、「錯乱Ⅱ 言葉の錬金術」の中での意味を考えることが大切であるという。「おお季節よ、城よ!」という嘆きは、見者の詩法に全身全霊をかけた二年間を振り返ったときの、詩への決別の思いを込めたものであろう。「幸福の魔術」とは、倒錯的愛を人生の代償にして狂気と錯乱に身を投じ、未知に到達しようとした月日への思いを、「すでに済んだことだ」と言いえる現時点で、文学的創作の中で絶望と矜持の思いを込めて語っている。またそのことがランボーという生身の詩人を考えたとき、私たちに深い哀しみを誘うのである。

 Representation(再現)の能力で事足りる一般的な言述では、言葉の本来の力、言葉という特有のシーニュがどのような力をふるうのかという問いは発せられることはない。それに対して文学的ディスクールでは、「言葉の、言葉としての存在そのものを深く気づかうようになる」と湯浅氏は主張する。「言葉はただ、事象それ自体を消滅させ、無化し、不在化させることによってのみ、そしてその不在化するものの出現として現前させることによってのみ、事象に結ばれている」という。先にも述べたように、言葉は事象そのものを現前させるのではなく、事象そのものの模擬、擬態として現前させると指摘する。したがってこのような文学的ディスク―ルでは真実に到達することは不可能であり、自らに異議を唱え、自らを変えようとする、無限に永続するエクリチュールにならざるをえないという。

 本来、寡黙であったランボーは、沈黙に引き寄せられながらも、言い表せるものの限界を越えようとしたと湯浅氏は指摘する。ランボーの経験する過剰な出来事、ポエジーに言葉が適合しないのは、言葉が始めから模擬的な根源を有しているからだという。つまりパロディやメタファーになるしかない。だが、ランボー自身がその模擬性を忘れ、真に現存することと混同しがちである。適合していると錯覚し、単なる饒舌になる。新しい詩的言語を創り出すことは「生を変える」こととつながっており、空疎な饒舌になってしまうなら、「生を変える」ことに寄与しないだろう。この『地獄の季節』では自らの言葉を揶揄したり嘲ったり、皮肉ったりして模擬的に言いかえていると湯浅氏は指摘する。「呪術的な詭弁」、「語たちの幻覚」、「狂気の詭弁」などと呼ぶ表現でもって、ランボーがこれまでの詩作や思想や行動に省察を自ら加えようとするとき、「私は何者なのか」、「私とはだれなのか」、「真実の私というものはありえるのか」などの問いを深く突きつめようとする動機が内在していると湯浅氏は指摘する。「生を変える実践がどこまで歩み、どんな障壁にぶつかってしまったのか」を根本的に問い直そうとしたのだと湯浅氏はいう。「擬態」となるしかない言葉は真実を告げることができず、「模擬する」ことのうちに真実を虚構することと、「嘘」であることが区別できなくなる。自分の語る言葉が、言葉というものが持つ根源的な模擬性であるのか、「擬(まが)い物」であるかの区別ができなくなる、そのとき詩人は言葉を書くことを断念しようとしたに違いないと湯浅氏は主張する。

 

 自伝とエクリチュール

 文学的試みが「生を変える」試みと深く関連するランボーのような詩人にとって、実人生と作品はどのような関係になるのであろうか。これまでかなり多くの人々が『地獄の季節』を「自伝」として捉えてきたと、湯浅氏はそれに疑問を投げている。「自伝」は、生きた経験をそのまま書こうとして事実だけを記すが、それに対して虚構を含んでいるのが「物語」である。湯浅氏によると、両者の根本的な違いは、言葉の働きをどのように捉えているか、言葉が潜在に秘めている力をどこまで引き出すかにあるという。

 ランボーが書くことによって生を変革しようと考えたとすれば、書くことと書くことに費やす以外の時間を生きることに必然的に差異が生じるが、全く無関係ではありえず、両者は補完的関係にあり、生成する未来を追い求めて絶えず前進し続け、休息することはない。このような関係にある「書くこと」が「エクリチュール」の行為と呼ばれるべきであると私は考える。このように考える詩行為が、普通の意味で、つまり現実体験をそのまま記述する「自伝」であるはずがない。それは湯浅氏が言うところの「テクストの次元における現実性」であって、「生活上の出来事や経験のなす現実性」と混同してはならないのである。しかし、日本の現代詩に特に強調されている「詩の虚構性」を題材とし、詩人の主体を消滅させ詩を成立させる方向性が顕著にみられるが、ランボーから私が触発されることは全く別のことである。ランボーの現実の経験は全て彼の書く詩に深く反映しているという事実がある。それは「自伝」と呼ぶことを否定することと矛盾しない。なぜなら、現実に喚起された事実から真実を発見することが彼にとって「書く」ことであり、自己の内面に向かうことは他者に自己を開くことであるからである。

 湯浅氏によると、『地獄の季節』で語られたことは、ランボーが実際に生きた経験や思考、感情であり、その再現であるという見方を人々に思わせてしまうが、ほんとうはそうではなく、生きた経験や思索や感情を出発点にしつつ、文学作品として物語るために、用語法、比喩法、統辞法などを錬成し、〈物語〉のレヴェルへと転置したのだという。つまり〈物語〉として書かれた経験や出来事は、テクストが書かれる以前に完了し、定まっていたものではなく、テクストの運動と共に起こる出来事という様態においてのみ生起するのだと湯浅氏はいう。すなわちそれはエクリチュールと呼ばれるものである。そしてエクリチュールは先述したように、エクリチュールは新しい読みを求めているが、詩人の経験が深く寄与していることを忘れてはならないだろう。しかし、ランボーは現実の出来事のレヴェルから文学的次元に転置させようと目論んだが、たんに文学作品として完成させようとして終わるのではなく、そこにほんとうの現実があると信じていたのではないだろうか。それゆえ、文学的次元からの超出、あるいはそれへの否定と考えてよいだろう。

 ランボーにあっては、言葉と生の間に密接な連関とアナロジーが観察されるように思われると宇佐美氏はいう。錯乱を通して未知のものに到達するという彼の方法も、現実生活における一つの激しい生き方を指示するものであると同時に、それがそのまま詩的創造の方法ともなりえたと主張する。実世界と想世界の仕切り壁を取り払ってしまおうとした。つまり、書くという行為は、現にみずからがあるところのものではないものに向けて、自己を超出しつづけることを意味していたと宇佐美氏は解釈する。私流に言えば、ランボーは自分を取り巻く世界は仮の世界であり、ポエジーが解き明かす世界こそほんとうに生きるべき世界であると考えたのではないだろうか。ポエジーは不意に詩人の脳裏に宿り、言葉によって分節された恣意的な世界に亀裂を与えるものであり、ランボーは言葉が本来持つ秘められた力を取り戻そうとしたのではないかと思う。言葉によって未来を切り開いていくことが生きる意味であった。

 

ランボー以後の詩の方向性

井筒俊彦氏は、表層次元の下に流動的な言語的意味を持つ深層構造層があり、「意味可能体」は絶え間なく生産され、「名」の世界、つまり表層世界に出現しようとしていると主張する。

 

 「何らかの刺激を受けて、アラヤ識的潜在性から目覚めた意味「種子」が、表層意識に向って発動し出す時、必ずそれは一つ、あるいは一聯の、イマージュを喚起するもの」である。「個々の語(コトバ)の意味作用とイマージュとの間には、ほとんど宿命的な緊密な結びつきがある。」

                              井筒俊彦『意識と本質』

 

 外的であろうと内的であろうと、どんなに些末なことでも、言語的であろうと非言語的であろうと、私たちのどのような経験もカルマの痕跡を残す深層意識の場所を、大乗仏教ではアラヤ識と考える。また個人の経験を越えて、人々の経験の総体のカルマの痕跡が内蔵されていると井筒氏はいう。カルマが意味種子に変成し表層意識に浮上してくる言葉が、いわゆるポエジーと呼ぶものでなくてなんであろう。「何らかの刺激」とは、例えばランボーの「錯乱」であり萩原朔太郎の「自動器械」と呼ぶものであろう。注意すべきは、ポエジーは私たちの足元に降りてくる、つまり、現実の経験の何ものかが呼応し呼び込むことなのだと私は思う。

 ボードレールに啓発された、ランボーやマラルメの行きついたところは、図らずも仏教哲学のテリトリーであったと言えるのではないだろうか。マラルメの、存在無化と偶然性破壊の彼方に、純粋に光り輝く新しい姿で、それらの事物は立ち現われてくると井筒氏がいう絶対言語を考えてみる必要があるだろう。(拙書『来るべき詩学のために(一)』を参照)

 

別れAdeieu

 

すでに秋だ!―だが、どうして永遠の太陽を惜しむのか、聖なる光の発見に身を投じた私たちであるなら、―季節のめぐりに死んでゆく人々から遠く離れて。(ランボー「別れ」の冒頭より拙訳)

 

 多くの人が指摘するように、この記述はボードレールの「秋の歌」を連想させるものがある。

 

 もうすぐ冷たい暗闇へ、私たちは身を投じるだろう。

 さらば、私たちの短過ぎる夏の鮮烈な光よ!

 私たちにはすでに聞こえている、薪の束が倒れ、

 不吉な爆発音を響かせているその音が。

            ボードレール「秋の歌」より拙訳

 

 時は一刻も休まず移ろい続け、生あるものは死へと向かうことを免れることはできない。それなのに「聖なる光の発見」の願望を捨てきれずにいながら、太陽の光が弱まることで有限な生命を嘆く。しかし、ランボーは永遠回帰の神話的願望に反抗していると湯浅氏は指摘する。だが、ランボーは何に別れを告げようとするのかを確定することは、矛盾しながら提示し物語っているので難しいという。もちろん自ら発する言葉が経験の真実に釣り合うことができなくなったと感じ、詩を放棄することであると思えるという。また、「愛を作り直す」試みが、「偽りの恋愛」となり、心の底から反省していることも確かであるという。しかし、自分が地獄と呼んだものに今までとは異なる視点を見つけ出し、これまでの態度や対応に別れを告げようとしたと考えられると湯浅氏は結論づける。「une saison」(一つの季節)に別れると語っているのだという。このように考えることで、以後に書かれた「イリュミナシオン」の存在が矛盾なく理解できるのであるが、文学そのものを放棄したのではなく、次に迎えるべき「季節」、つまりイリュミナシオンの詩作の構想を断念したことになろう。

 

「絶対に近代的でなければならない」というランボーの言葉は、近代という与件を「絶対に」引き受けるべきだという意味だと湯浅氏は主張する。「福音は去ってしまった」ということを受け止めることが「絶対に近代的である」ということの意味であろうという。「自らの心が統一されていないことに耐えるべきである」ということ。この論考で論じてきた、表層言語では自己同一性は成立しないことが理解できたであろう。今や深層意識の深みでポエジーの言葉を捉えようとする時が来たと言えよう。ここでも留意すべきは、かつてのシュルレアリズムという生き方の問題が、手法として理解し実践されたに過ぎなかったように、深層意識においてポエジーを理解し詩作することは、部分的な窃取ではなく、全面的な受容の態度、つまり生き方との対決が求められることである。なぜなら、「存在解体」(空化)なくして仏教哲学は成立しないからだ。

 

 見過ぎた。ヴィジオンはどんな空気にも見つかった。

 あり過ぎた。街々のざわめき、夕方に、照らされた陽光で、いかなるときも。

 知り過ぎた。生活の中断。―喧噪と幻影よ!

 新たな情愛と響きのなかへ出発だ!

                   『イリュミナシオン』「出発」より拙訳

  (次回は『イリュミナシオン』について論じることになります。)