ヒーメロス通信


詩のプライベートレーベル「以心社」・詩人小林稔の部屋にようこそ。

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十九)その2、小林稔・詩誌「ヒーメロス」27号掲載

2014年09月19日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『自己への配慮」と詩人像』(十九)その2、小林稔・詩誌「ヒーメロス」27号掲載

47来るべき詩への視座

ボードレールにおける詩人像(二)後編

 

パサージュ、遊民、パリ大改造

 いかなる詩人とはいえ、彼の生きた時代や社会とは深い関係で結ばれていることが真実であるなら、ボードレールの眼に映し出されたパリは、どのような様相を呈していたのであろうか。

 ベンヤミンは、一八五二年出版されたあるパリ案内記を引用してパサージュなるものを説明している。「産業によって贅沢の生んだ新しい発明であるこれらのパサージュは、いくつもの建物をぬってできている通路であり、ガラス屋根に覆われ、壁には大理石がはられている。建物の所有者たちは、このような大冒険をやってみようと協同したのだ。光を天井から受けているこした通路の両側には、華麗な店がいくつも並んでおり、このようなパサージュは一つの都市、いやそれどころか縮図化された一つの世界とさえなっている。」「パリ――十九世紀の首都〔フランス語草稿〕)それは街路と室内の中間物であり、遊民(遊歩者(フラヌール))と呼ばれた、そこを居場所とする散歩者たちには、馬車が往来するオスマンパリ改造前のパリは安全ではなかったとベンヤミンはいう。パリのパサージュの多くは一八二二年から十五年間に作られたもので、パサージュの生まれてくる第一の条件は、繊維商業界の好景気があるとベンヤミンは指摘する。デパートの前身である、流行品店が出現し、旅行者たちをも惹きつけた。第二の条件は鉄を使用した建築の始まりとガラスの大量使用があるというのである。

 ベンヤミンはファンタスマゴリーという言葉で、「パサージュ」や「遊歩者」、「パリ改造」を説明しようとする。ファンタマゴリーとは元々、十九世紀に流行した幻灯(劇)を示し、夢幻、幻影、幻想を意味する言葉である。「物のかたちに凝固した事実の無限の連鎖として世界の経過を構成する視点に照応する」という歴史観においては、「文明の宝物殿の中に収蔵された財宝の数々は、以後はいつでも身元を保証されるが、文明のこの物体化的な表象によって前世期から受け継いだ新しい生活の諸形態や経済的技術的基盤に立つ新しい創造」がファンタスマゴリーとして顕在化するという。鉄骨建築の活用であり、店舗をしつらえた都市を遊歩するための「パサージュ」や、娯楽産業との結びつきである「万国博覧会」もそのようにして現れる。「延々とつながる道路が、広い展望の開かれるところに突き当たる」という、オスマン大改造の変貌に顕在化した表現を見せていると指摘する。「万国博覧会は、商品の交換価値を理想化し、商品の使用価値が二次的な位置に退くような枠組みを創り出す。万国博覧会は、消費から力づくで遠ざけられていた群衆が、商品の交換価値と一体化するほどまで、交換価値に確信を持つようになる学校なのだ。こうして万国博覧会は、ひとびとが気晴らしのために中に入ることのできる現像(ファンタス)空間(マゴリー)への道を開く」とベンヤミンはいう。

 

 アレゴリーの詩学

 

  ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』が、救済史的歴史観の崩壊によって事物が死んだ瓦礫と化す事態の「根源」を、ドイツ十七世紀の強烈なアレゴリー志向のうちにとらえようとする試みだとするなら、『パサージュ論』は、この陰鬱な事態のより具体的かつ破局的な後史としての展開、すなわち、これらの死物がエンブレームならぬ商品に姿を変えて大規模に狂乱する現代の産業資本主義の「根源」、十九世紀前半のパリのパサージュの叙述のうちに明らかにしようとする試みである。

道籏泰三『ベンヤミン解読』(白水社)

 

 一七世紀のアレゴリーとしてのエンブレーム(寓意画)が、一九世紀の「商品」をエンブレームの回帰形態として、ベンヤミンは捉えていたと道籏氏は指摘する。つまり、閉塞したバロック世界に新しいエンブレームが次々に作られたことと、一九世紀の「大量生産商品の作り出す欲望と失望の空虚な反復のリズム」とベンヤミンの目にはだぶって見えたということである。「交換価値の支配のもとに本来の使用価値とは無縁なかたちで飾りたてられたフェティッシュとしての商品として大量生産される」一九世紀の産業資本主義が重ねあわされたのである。

 道籏氏によると、ベンヤミンが『言語一般および人間の言語』で述べた、事物が人間の主観的世界のなかに暴力的に取り込まれ、「悲しみゆえに黙して語らなくなった」という事態は、人間の楽園追放とバベルの言語混乱に起源を有し、いっさいの救済の希望を断ち切られ本格化するのは、中世と宗教改革時代の後、つまり一七世紀バロック時代である。死んだ事物がアレゴリー化して気晴らし的意味を散乱させる事態の幕開けとなるが、一時期、市民階級の興隆でシンボル(象徴)として内在性のうちに仮初の世俗的浄化(古典主義のシンボル概念)を経験するが、その後の産業資本主義の勃興と市民階級の頽廃にともない仮初の浄化さえ失い、商品アレゴリーとして虚ろな輝きをまとわされ、もはや逃れようのない絶望的な悲しみを背負わされ、現代の商品地獄へとつづいているという。

 ベンヤミンは、バロック悲劇の作者たちが最後にその虚しさに気づき、絢爛たる建造物がアレゴリーの墓場に過ぎないと悟り、真理と遮断されている己の精神の詩と孤立を痛感し、己自身をいったん滅ぼし、亡霊となって甦り、死んだ廃物としての無限の積み上げのなかから立ち上ってくるメッセージを、謎めいた霊界の言葉でつぶやき始める。こうしたバロックのアレゴリー詩人たちの姿をボードレールの姿に重ね合わせると道籏氏はいう。つまり遊歩者ボードレールは、商品経済に身をどっぷりつかりながら同時に拒絶し、はじき出され、あてもなくパサージュをぶらつく、パサージュの人ごみに出没する亡霊としての位置にあったと道籏氏は述べる。「もしかしたらボードレールは、市場にふさわしい独創性なる観念を抱懐した最初の者かもしれない。この独創性は、まさしく市場にふさわしいゆえにこそ、当時、他のいかなる独創性にもまして独創性なものであった。」「世の流れを中断すること――それがボードレールのもっとも深い意志であった……この意志は、彼の暴力ざた、焦り、そして怒りの温床であった。そしてまたこの意志から、世界の心臓を突き刺そうとする試み、もしくは世界を詩によって眠らせようというたえざる試みが繰り返された。この意志から彼は、自らの作品に死を持ち込み、それによって自らを励まそうとしたのだ。」(ベンヤミン『セントラル・パーク』)

 

アンドロマケー、私はあなたを想う! この小さな河、

 それは哀れにも悲しい鏡、かつて、寡婦であるあなたの、

 あなたの数々の苦悩に対して大いなる尊厳を映した鏡、 

 あなたの涙で嵩を増した、それは偽りのシモイス河。

 

 突然、豊かな記憶が実を結んだのは

 私が新しいかルーセル門を横切っていたときだ。

 古いパリはもう、ない。(都市の形態は

 すばやく変わる、ああ、人のこころよりも!)

                (『悪の花』「パリ情景」の中の「白鳥」の第一連拙訳)

 

 移ろいゆく近代都市にボードレールの視線は向けられる。湯浅博雄『応答する呼びかけ』(未来社)によると、「古典的な美」とは永遠なるものへの憧憬であるが、「ボードレールは近代的・現代的美を、永遠性の要素と偶然性の要素が二重化している美として定義していく」というのだ。

 この詩の冒頭で呼びかけられるアンドロマケーとは、アキレウスに夫を殺され敵将ピュロスの国に連れてこられ、ピュロスの妾にされ捨てられ、別の男に与えられた女であり、故郷のシモイス(シナイス)河に見立てた小川の辺で亡き夫ヘクトールの墓を建て喪に服し、哀悼をつづける女である。(『応答する呼びかけ』参照)新設されたカルーセル門を横切ったとき、詩人は突然神話のアンドロマケーを思い起こし呼びかけるのだ。湯浅氏は、ひとは深い悲しみと苦しみに耐えている女に対して共感と憐れみを感じ、気づかわずにいられないのは本質的に脆さや弱さを秘めているからであり、またそれが詩人の内面における深い喪失感とも通底しているからだという。オスマンによるパリ大改造によって、自分が生きた過去が壊されたことと同じである。詩人は最愛の土地を追われ流浪している者であり、失われた過去や記憶のに服している者であると自ら感じていると湯浅氏はいう。

 

 檻から逃げた一羽の白鳥が

 水かきのついた足で乾いた敷石を引っ掻きながら、

 でこぼこの地面のうえ、水のない排水溝の側で

嘴を開け、白い羽を曳き摺っている。

         (「白鳥」第五連の拙訳)

 

「かつて、動物の見世物小屋がかかっていた」(「白鳥」第四連)とあることから、檻から逃げた白鳥であることがわかる。本来生息すべき自然から都会に連れてこられ生き場を追われた白鳥に、詩人自らの生を重ねているだけではない。湯浅氏は、ボードレールはあるやり方で彼らが無言のうちに訴えかける言葉に耳を傾け、聴き取り、応答しようとしているのであり、これまでの詩・文学の伝統から離れるやり方で「独特なものとしての実存」、つまり今「ここに生きていることの独得さ」へと向かおうとしたのだという。「唯一の、かけがえのない現実(レアリテ)とは、これこれの事象、しかじかの存在である」というイヴ・ボヌフォアの言葉を引用し、それこそ文学が絶えず気づかうべきものであり、発見し直さなければならないものだと指摘する。さらに現代文学の使命は独特さとしての実存の特異性、唯一性に触れるべきであり、プラトン主義的、キリスト教的味方と志向様式への異議提起と主張する。しかし、この私の論考でフーコーの「哲学と霊性」やパレーシアを追ってきた者には、ニーチェを代表とするプラトン批判に異論がある。プラトン哲学の普遍的リアリティーを重視するという特徴があるが、そこに至る精神の葛藤を描いていること、そしてイデアに上昇した者が現実世界へ帰還する道を示していることを考えなければならない。個別的リアリティーを十分に考えられた哲学である。ここでもボードレールの永遠性への憧憬が個別的リアリティーに現れたものと考えていることを無視すべきではない。このことはボードレールが唱える近代性(モデルニテ)(現代性)とつながるものと言えよう。

 

私は想う、誰であれ、決して二度と

再び見いだされえないものをすでに失ったすべての人たちを、

涙に濡れ、喉を潤そうと、やさしい雌狼の乳を飲むように

「苦痛」を飲む人たちを! 花々のように萎れてゆく痩せた孤児たちを!

 

 このように、私の精神が遁れ行く森の中

 息を大きく吸い込んで、年老いた「追憶」が角笛を吹き鳴らす!

 ……さらに他の多くの者たちを!

                         (「白鳥」最終二連拙訳)

 

ベンヤミンは「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」という論考で、『悪の花』数篇に見られる「近代と古典古代との相互浸透」について述べている。生物学的には「黒人女(第十一連)と白鳥」、歴史的には「ヘクトールの未亡人にしてヘレノスの妻」、アンドロマケーを登場させ、「過去への哀悼と未来への絶望を描いて、それらの数篇では「白鳥」がぬきんでているという。近代を内奥から古典古代に結ぶきずなは、このかよわさであると指摘する。またボードレールはシャルル・メリヨンのエッチングを情熱的に賛美していたという。パリ大改造の数年前に完成させたエッチングで、近代と古典古代が二重映しになった、近代のもつ古典的相貌に熱中したという。メリヨンの伝記を書いたジェフロワという人の「それらは、生きているものを直接かたどって製作されているのに、生き終えたものの印象、死んだか、あるいは近く死ぬものの印象を呼びおこす」という言葉をベンヤミンは引用している。「未修復の廃墟が、新市街と一体のものとして現出する「ピラネージの描いた風景画」の影響で、ボードレールにはローマが身近であったという。しかし、ローマという都市の古代の遺跡の散在はいわばオブジェのように扱われ、現代生活とのアマルガムの魅力をもつものであるが、伝統が現代生活に引き継がれ生きている印象を与えるパリにこそ、『悪の花』の詩篇は似つかわしいのである。風土的なものとそこで生きる人々の感受性と深く関係していると私は思う。

 

ボードレールのモデルニテ

 ボードレール美術批評の前半ではドラクロアを中心として、内面性と精神性を重視し、普遍的なものに対する愛と自己の創造的魂の融合を主張していたが、後半の美術批評『現代生活の画家』では、風俗のクロッキー画家Gについて論じていくようになる。正確にいえば芸術家ではなくむしろ世界人、世界を理解し世界のあらゆる慣用の不可思議で正当な理由を理解する人とボードレールが表現するGとは、コンスタンタン・ギースと呼ばれる画家である。「好奇心こそ彼の天才の出発点」とし、「すべてを新しさのうちに見る」子供と天才を比較する。子供にあっては全存在を感受性が占めているが、天才をもつ大人の神経は頑丈で、理性が相当な場所を占める。したがって、「天才とは、意のままに再び見出された幼年期、今や己を実現するために成年の諸器官をもつようになり、無意志的に集積された材料の総体に秩序をつけることを可能にしてくれる分析的精神をもつようになった、幼年期に他ならない」というボードレールの記述はよく知られているものである。「活発な想像力に恵まれ、つねに人間たちの大砂漠を過って旅する孤独な人」とギースを捉え、「彼の崇めるある何ものかを、現代性と名づける」と言い、現代性とは、「流行が歴史的なものの裡に含みえる詩的なるものを、流行の中から取り出すこと、一時的なものから永遠なものを抽出すること」であるという。ボードレールとは全く別のコンテクストにおいて、私は松尾芭蕉の「不易流行」という概念を想起する。「永遠なるもの」を「普遍的本質」とするなら、「個物の個的実在性」を見ようとした芭蕉は、井筒俊彦氏の『意識と本質』の説明によると、事物の普遍的「本質」(芭蕉はそれを本情と呼んだ)は、表層意識では触れることができず、「私意を離れた」瞬間にその「本質」がちらっと光る。それを「物の見えたる光」というのだという。「現代性とは、一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これが芸術の半分をなし、他の半分が、永遠なもの、不易なものである」とボードレールは定義したのであったが、このような考えは前の世代からどのような影響を受け形成されたのであろうか。

ネット批評、白銀敏枝『ボードレールにおける「モデルニテ」(「現代性」)の誕生について』(広島修大論文集第四十三巻第二号、2002年)によると、十八世紀のディドロやスタンダールの美術批評や、同時代のゴーチェからの影響が見られるという。『現代生活の画家』(一八六三年)以前、『一八四六年のサロン』を執筆していた当時、ボードレールはギースを知らなかった。ギースを知ったのは一八五九年である。十八世紀にはデッサンの評価が高まっていて、ディドロの「画家には一瞬しかない」という言葉や、「イメージに変貌する瞬間の世界」(スタロバンスキー)にボードレールは魅了されていたのである。「現代生活の英雄性について」の論考では、現代の表現法をもつことが時代の芸術家に課せられているという、スタンダールの『イタリア絵画史』からの影響が見られると白銀氏は指摘する。「あらゆる世紀あらゆる民族はそれぞれの美をもったのであるからして、われわれも不可避的にわれわれの美をもつ」とボードレールは記述している。

 

あらゆる美は、世にあり得るすべての現象と同じく、永遠なる何ものかと一時的な何ものか、――絶対的な何ものかと個別の何ものかを含む。絶対的で永遠の美というものは存在しない、というかむしろそれは、多様な美もろもろの全般的な表面より掬い取られた一個の対象物でしかない。

               ボードレール『一八四六年のサロン』「現代生活の英雄性について」

 

 白銀氏によると、「ここにはギリシャ・ローマの美の観念から解放され、時代精神と民族性を主張するロマン派的情熱とは異質なものがあるという。ロマン派は、芸術・文学における正統な領域(美学)と民衆的領域(民族的情熱)を分けているが、ボードレールには、「現代性」において、これらを統合している」と指摘する。「現代性」modernité(モデルニテ)は、「現代的」や「近代的」moderne(モデルン)からのボードレールの造語と思う人が多いが、実はゴーチェの『バルザック論』からのもので用法も全く同じであるという。また、一八四六年から一八六三年におけるフランス社会の様相と大いに関係があると指摘する。さらに白銀氏は、ボードレールのモデルニテには当時の歴史画家と風俗画家という階級における価値転換が見られるという。英雄のもつ性格の偉大さや運命の担う至福や悲劇性は客観的価値をもつものとして描いた画家が歴史画家であるが、風俗画家が捉えようとしたのは日常空間に生きる個人的な動作なのだ。しかもそれは決定的な瞬間ではなく、それ以上の感動的瞬間があると思わせる瞬間として描くのが風俗画である。また風俗画にはモード(流行)が重要視される。ボードレールは、ギースの作品が「古典美に対抗する美を表現していることを」賛辞し批評しているのではなく、「相対的」な「偶成的」なものより成り立つ美が、その時代の美として必要であることを強調しているという。二月革命を経て第二帝政期に、パリのオスマン改造計画、人々の物質的幸福への願望、服飾の好みの多様さとその追求へのエネルギーの高まりという時代の相を前に、刻々と変ってゆく流れの中に身を置くことのある種の快感を、ボードレールは何らかの言葉で表現せざるを得なかったのではないか、そしてそれは『悪の花』「パリ風景」や散文詩集『パリの憂鬱』と引き継がれていったと白銀氏は指摘している。

 

 ベンヤミンのモデルニテ批判

 

 近代芸術論は、近代についてのボードレールの見解のなかでもっとも弱い点である。近代論では近代的モティーフが明示されている。近代芸術論のほうのなすべきことはおそらく、古典芸術論との対決だったろう。これをボードレールはけっして試みなかった。

(ベンヤミン『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』(岩波文庫)

 

 ボードレールが試みなかったとベンヤミンのいう古典芸術論とはいかなるものか。ネット批評、富田雄一郎『ベンヤミンと現代性、或いは〈ボードレール以後〉のワグネリズム』によれば、ベンヤミンは、ボードレールの主張する現代性は詩作品においては十分実践されているものの、批評においては不十分であるのは、アレゴリー的思考が欠如しているからだと述べている。『ドイツ悲劇の根源』(法政大学出版局)において、ベンヤミンは「百年以上も前から芸術哲学は、ロマン派の騒動に乗じて権力を簒奪した概念にうっとうしく支配されている」とし、象徴概念を敵視していたことを指摘する。ベンヤミンはアレゴリーの復権を呼びかけることで、象徴主義にどっぷりつかった近代の思考回路をアレゴリー志向に転換させようとしたのだと富田氏は指摘する。ベンヤミンには象徴主義の何が問題であったのか。「象徴主義が言語の多様性と〈万物照応〉という一種の文学的神秘理論を原理とした〈アウラ〉芸術の最たるものだったからだ」と富田氏は指摘する。富田氏によると、十九世紀の科学万能主義に反発する形で芸術のための芸術、デカダンス、象徴主義は発生したのであり、科学的理性によって探知しえない霧に包まれた超越空間に〈純粋芸術〉のありかを探索する傾向が、芸術フィールド全般に見られるようになる。このような事態をベンヤミンは「芸術の神学」あるいは「否定神学」と呼ぶようになり、その最初の人がマラルメであったという。「観念の交響楽」はボードレールの「万物照応」理論を発展させたものであり、言語の神秘主義というべきアウラ性に依拠し、美を従来の神に変わる絶対的存在として崇拝する礼拝芸術の形式をとるようになったと富田氏は指摘している。さらに象徴主義のアウラ性は、ファシズムを容認してしまう危険性を秘めているというのだ。しかしこれらはボードレール以後の問題、ボードレールの詩が与えた影響である。おそらく、戦後の詩の、芸術性(アウラ)から遠のいたというよりむしろ否定した、日常生活重視の詩に価値を置く詩人たちの矮小性と深く関連しているのかもしれない。この論考においても、「詩は可能なのか」「詩は終わってしまっているのか」という問題としていずれ取り上げなければならないだろう。

 

ボードレールとワーグナー

 ネット批評、富田雄一郎『〈鏡像〉のテクスト、或いはボードレールと〈ワーグナー以後〉』、『ベンヤミンと現代性、或いは〈ボードレール以後〉のワグネリズム』という二つの論考によると、ボードレールがワーグナーの管弦楽コンサートに初めて臨席し、衝撃を受けたのは一八六〇年である。直ちにワーグナーに手紙を出すが、その内容をもとにボードレールは「ワーグナー論」をしたためるのであった。さらにその後の「第二ワーグナー論」というべき批評をものするが、「批評」は「手紙」の拡大・進展であるという。

 手紙でボードレールが主張したものは三つに分類できると富田氏は指摘する。まず第一は、己の詩学との類似性である。「私はこの音楽を知っているという気がしました。」「後にその幻覚(ミラージュ)がどこから来るものなのか理解しました。」mirage(ミラージュ)という言葉はmirer(ミレ・鏡に映す)を語源とするので「鏡像(イマージュ)」とも無縁ではない。ポオを発見したときと同じ「自己投影行為」であり、ボードレールの他者理解の基本パターンと言える。したがってワーグナー讃歌論は自己確認・自己肯定の作業を裡に含み、逆投射的にボードレールという芸術家の輪郭を顕わすことになると富田氏は述べている。このようないわば「鏡像化」はポオの場合は自己形成の契機として機能したが、自己確立が済んだワーグナー経験の後では、自らの限界を意識させられ、その先の模索、常に「新しきもの」の希求に向けて脅迫観念に運命づけられたボードレールのような詩人には、分身を見つけた「快」は同時に自己存立の不安、つまり「不快」を引き起こしたであろうと富田氏は類推する。ワーグナーの衝撃は自己の再確認と微調整を要請したという。やがて来るボードレールの詩学に多大な影響を与えたのであった。

「自己同一化」につづいて「大きさ」(grandeur)である。「絶対的に大」である対象に感じる動揺の感覚を「数学的崇高」、圧倒的な威力を伴う畏怖の念を「力学的崇高」と分類したカントの『判断力批判』に倣い、「自然の大きな音や大きな相貌のもつ荘厳」や「人間の大きな情熱のもつ荘厳」は量的に巨大ゆえに数学的崇高と見なせるだろうと富田氏はいう。また「空気のなかを上昇したり海の上を浮き流れたりする逸楽」の激しい運動エネルギーに翻弄される心的動揺は力学的崇高の体験であり「強烈さ」の詩学とも呼びうるだろうという。(カッコ内はすべて手紙から引用)。つまり「大きさ」と「強烈さ」の二種類の崇高という主題系である。このような「自己同一性」「大きさ」「強烈さ」の三要素には、第一に「崇高」、第二に聖俗二面性の「二元論」世界、第三に「共感覚」現象があり、それらを統一する「自己同一性」が手紙の構成要素として挙げられると富田氏は分析する。富田氏はそれぞれの要素に、『悪の花』の詩句を引用して解いているが、ここでは割愛しよう。しかし「ワーグナーによって開示された〈音楽〉という現象の圧倒的な威力が、自らの抒情詩を超える何かを予感させたはずである」という富田氏の指摘は重要であろう。

 その何かを富田氏とともに具体的に追ってみよう。「手紙」と「批評」を重ね合わせ読み直すことで拡大されたものと付加されたものが浮かび上がってくる。〈鏡像〉の限界の外にボードレールが模索したものを知る手がかりはその差異にあるという。ボードレールの書いた「批評」にその結果が現れる。富田氏は、「継承」「拡大」「付加」という観点から具体的に考察している。

 富田氏の細かい指摘はここでは省略するが、印象の精密化と正当化が「継承」されているという。例えば、至福、精神と肉体の二元構造、崇高としての無限の大きさと強烈さ、光の知覚、孤独を喚起する広大な空間の知覚などの表現である。次に、第一の「拡大」として詩篇「万物照応」からの引用を活用することによって宇宙理論へ拡大され、ワーグナーの象徴主義に接点を見出す。つまり『悪の花』ではたんに一篇でしかなかった「万物照応」が象徴主義理論として拡大されたことである。しかしボードレール自体は「真の音楽は異なった脳髄のなかに類似の観念を暗示するものであることを証明するため」であり、象徴主義の宣言ではないことに注意を促している。ボードレールは、「音楽書簡」の詳細な分析を通じたワーグナー理論の解明と、オペラ・テクストの分析を付加することによって「手紙」を補完したと富田氏は指摘する。『タンホイダー』の主題は「肉体と精神との、地獄と天国との、魔王と神との闘争を表徴する」「ワーグナーを「詩人であると同時に批評家」と規定し、「批評家が詩人になったりすることがあれば、芸術の歴史におけるまったく新しい出来事であろうし、あらゆる心的法則の顚倒、一個の奇形であるだろう。これに反して、あらゆる大詩人は、自然的に、宿命的に、批評家となるものだ」を「批評」は提示する。(カギかっこ内はボードレールによる)

 

 いかなる人間の裡にも、いかなる刻にも、二つの同時的な請願があって、一方は神に向かい、他方は〈魔王〉へ向かう。神への祈願、すなわち精神性は、昇進しようとする欲望だ。〈魔王〉への祈願、すなわち獣性は、下降することの歓びだ」(ボードレール『赤裸の心』)

 

聖と俗、精神と肉体、天国と地獄、神と魔王、認識と逸楽、理性と感性、古典主義的精神とロマン主義的精神、批評家と詩人という安定した二元構造は最終節で崩される。二元構造の『タンホイザー』と二元思考を原理とする詩人の邂逅があり、その触媒作用の中からワグネリズムとワグネリアン象徴主義が発動したのだと富田氏はいう。

 前者の形式・統一を打ち破る後者の内的欲動、すなわちセミオティック(記号論的)な力の発現が優先され「逸楽的で狂宴的な部分」のエネルギッシュな表現力の優先的賞賛は結局は「悪」の崇拝に至ると富田氏は指摘する。それは『悪の花』の地上的美学・悪魔主義的なイデオロギーへのボードレールの読み替えに過ぎないのだが、自己と似つつも自己を超える「何かしら新しい物」とは神経的強烈さ・暴力的激烈さであるという確信は、「手紙」から一年を経るうちに内部で音楽の能力であるセミオティックな表現力への欲動が増大してきたことを意味すると、富田氏は指摘する。そしてそれは『悪の花』改定作業と、「モデルニテ」の問題、散文詩における新しい形式の試みへと飛び火したという。

 富田氏によると、ワーグナー芸術はフランス象徴主義の詩的言語革命、内的独白や意識の流れの小説エクリチュールの革新、アドルノ、ベンヤミン、ハイデガーの思想、レヴィ=ストロースの構造主義神話学もワグネリズムの言説との交流のうちに形成されたという。またドイツ統一運動の精神的バックボーンとして機能し、ついにナチスのアーリア主義ファシズムと共犯関係を持つことになったという指摘。ワグネリズムから象徴主義が生まれ、モダニズム、現代のポストモダニズムに導かれるようになったと考えるなら、「近・現代文学はボードレールとワーグナーの詩学が結びついた瞬間に始まった」(ワイリー・サイファー『ロココからキュビズムへ 十八世紀~二十世紀における文学・美術の変貌』)と言えるだろうと富田氏は主張する。

 

ベンヤミン(『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』)によると、近代とは古典古代へと近づけてゆく力をも指す。ボードレールはユゴーにそれを認めたが、なんといってもワーグナーにこの力の無制限な奔出を見たという。古典が規範とするのは構成の面であり、作品に生気を吹き込むのはモデルニテ(現代性)であるというのがボードレールの考え方である。先述したように、ボードレールの現代芸術論でもっとも弱いとベンヤミンが指摘したのは、「古典芸術との対決」であるが、富田氏によるとアレゴリー的思考の欠如であった。象徴主義の何が問題であったのか。「それは象徴主義が言語の多義性と万物照応という一種の文学的理論を原理とした「アウラ」芸術の最たるものであったからだと富田氏は指摘する。十九世紀の科学万能主義の土壌から、科学的理性によっては探知できない超越空間に純粋芸術のあり方を探索しようとする傾向が芸術全般に見られるようになっていたと富田氏はいう。複製技術の発達は「アウラの衰退」を促し、一回性という側面によってアウラを温存していた芸術作品は本質的に変化する。ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』というテクストで「アウラの衰退」をこのように論じたのであるが、それは象徴主義のアウラ性はファシズムを容認してしまう危険性を秘めているからだと富田氏は指摘する。「アレゴリーはある対象をそれとは違う別のものに置き換えることで成立する修辞法である。したがって「異化作用」「脱構築」をその原理とする」と富田氏は述べる。ベンヤミンにとってアレゴリーとは、ファシズムの思想的基盤を形成している古典古代という過去の伝統的イデオロギーの正当性を破壊するための「近代の武装」だったのだと富田氏は解釈する。後の象徴主義を導いた機縁としてのボードレールがここでは問題となっているのであり、見方を変えればベンヤミン論を要求するものと言える。従って他のボードレール解釈も十分可能である。また、「アウラ」とポエジーの類似性、ベンヤミンのアレゴリー理論については、この論考の冒頭で記したように、私は別の論考で徹底して論じるつもりでいるが、ベンヤミンの「アウラ」に対する考えをある程度、ここで明証しておく必要があるだろう。なぜならこれまでの論考ではベンヤミンは「アウラ」を悪しきものとして全否定していると誤解しかねないからである。

 

 流動するアウラの活用(付記)

道籏泰三氏は、ネット批評『ベンヤミンにおける「アウラ」の展開』で、ベンヤミンは「アウラを軸とした思考方法を根底に据えることによって、そこから自らの時代の現実に対処し、また時代に対する根本的な批判の目をやしなっていったのだ」と主張する。道籏氏は「流動するアウラ」と「フェティッシュとしての神話的アウラ」という二つの成立の仕方をするアウラを区別し、前者の内実をしっかり確認したうえで後者と対照させることによって後者を捉え直し、これら二つを橋渡しすることが重要であるという。そして前者のアウラを、認識、言語、経験の領域に分け検証し、そのうえでアレゴリーを軸として、後者とのかかわりを明らかにしようとしている。またベンヤミンが複製技術論や写真論で目指したものは、知覚そのものの変化とともに経験が空洞化し、アウラの感知能力の乏しくなった時代の人間を、写真や映画などの複製のもとで、アレゴリーの生命というべき流動的アウラに触れさせ、経験の空白の隙間に強力な力を持って侵入してくるフェティッシュとしての神話的なアウラを徹底的に粉砕することであったと指摘する。つまりそれは、「生涯アウラを求め続けた彼の哲学、芸術、言語その他の領域を大きく包括しながら、これらをはるかに超え出てゆくきわめて広範囲な射程を持ったものである」と道籏氏は主張している。その内実については別の論考で探求していきたいと私は考えている。

 

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詩誌「へにあすま」47号、小林稔最新作品「茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ」

2014年09月17日 | 詩誌『へにあすま』に載せた作品

茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ

小林 稔

 

 

茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ

あなたの背に血の滴りがかすかに見えます

わたしはいまだ闇に惑い外部へ開かれる

光の糸口さえ見出せずにいます

ここは確かにかつてあなたが足を留め

織物を紡いだところだが

あなたの遺した百丈もの布を広げて

そこに描かれた雉や牡丹を遊ばせています

世間の人は空箱をもてはやし投げ返していますが

彼らはそのことに無知なのではなく

空疎であるがゆえに飾りたて

お祭り騒ぎに乗じているように見えます

わたしがそのようなところから抜け出し

言葉の大海に乗り出せたことは幸運というべきでしょう

いったい誰に読まれるために書くというのですか

それにしても探し求めるべきほんとうのこととは何

闇を疾走する一条の光

それが存在しないとしたら

わたしはいますぐ書くことを辞めます

いくつもの声がわたしを呼んでいますが

わたしは孤島に佇み脳髄に絡む声の渦中から

わたしに発信される言葉を受信しようとしているのです

生涯の全経験を貫いて火のように立ち上がるものを待つ

邂逅を果たすべき他者をこの胸に抱き寄せるため

その瞬間にわたしは賭けているのかもしれません

その他者はすでにどこかですれ違った者であるにしても

それともこれから生まれてくる者であるにしても

互いに無疵であるはずはなく言葉によって

自己を奥底まで掘り進めた者同士にのみ許されるのです

ほんとうのこととは見える世界を夢想し

ふたたびこの世界を言葉に創り直すことで見えてくるものです

茨を解きほぐしすでに行き過ぎし者よ

わたしは虚空を見つめているあなたを追い見つめ

捨て切れなかった夢の破片をしかと読み解きます

あなたが倒れ伏したところから一歩踏み出し

ほんとうのことを世に知らしめるため

百年の闇を礎にわたしは柱を打ち立てます

 

copyright2014以心社

無断転載禁じます。


長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十九)その1小林稔・詩誌「ヒーメロス」27号掲載

2014年09月16日 | 連載エセー「自己への配慮と詩人像」からの

長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十九)

小林 稔

 

 

 

47 来るべき詩への視座

 

  

ボードレールにおける詩人像(二)

 

 ボードレールの強度

ロマン派の第一世代のジェラール・ド・ネルヴァルからボードレールに引き継がれたもの、そして時を隔て二十世紀初頭にプルーストによって、さらに探求されたものが見えてくるのだが、そのものとは集約していえば、ポエジーの正体(本質)と呼ぶべきものではないかと私は思う。小説と詩の形式の違いを超えて、あるいは異常接近して行われた文学現象であるそれは、ヴァルター・ベンヤミンの批評の根底を形成する「アウラ」の概念と交錯する点であろう。

 

アウラとは一体何か? 空間と時間からなる一つの奇妙な織物である。つまり、どれほど近くにあろうとも、ある遠さの一回的な表れである。安らかな夏の午後、地平に連なる山並みを、あるいは安らかにしている者に影を落としている木枝を、目で追うこと――これが、山々のアウラを、この木枝のアウラを呼吸することである。(ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』一九三六年)

 

ネット批評、道籏泰三『ベンヤミンにおける「アウラ」の展開』(一九九一年京都大学紀要)によると、アウラには否定的なものと肯定的なものがある。前者の近代科学文明によって弱体化した経験(すなわち「アウラ」)は、科学技術の進展による新しい知覚において「悪しきアウラ」を生み出し、ファシズムに与するほどに変貌したが、人間から「アウラ」を締め出すことは不可能である。過去の遺物から何かを経験することはやめて、「アレゴリー」の概念で「アウラ」を「廃墟」に導き、そこから立ち上がる「アウラ」をベンヤミンは求めていったのだという。本来、アウラは芸術のすべてにつきまとう属性のようなものである。否定的な側面を持つアウラは、「集団ないし伝統の圏域にあって何らかの事物、事象が人間を強烈な力でもって集団的に呪縛する場合」に成立するものであり、肯定的な側面を持つアウラは、「個人としての人間が今というこの一瞬の時点において、自らの存在の内側から何らかの事物、事象と強い結びつき持ち始める場合」に成立するものであるという。そしてベンヤミンの志向の根底にあったのは、後者のアウラによって前者の「フェティッシュとしてのアウラ」を紛糾しようとすることであったと道籏氏は分析する。そして後者の「流動するアウラ」で前者の「フェティツシュとしての神話的アウラ」を脱構築するものがベンヤミンにとって、「破壊と創出の同時的生起を生命とするアレゴリーであった」と主張する。アウラとは私にとってポエジーと代置できる概念であり、私の「来るべき詩学」を構成する場合の重要なテーゼとして深く考慮すべきものであるが、それだけで別の論考を必要とするので、取りあえずここではベンヤミンのボードレール論の領域に限定して述べておこう。

 

さて先回に引き続き、ゴーチェとボードレールの差異はどこにあるかを明確にしなければならない。ロマン派の第二世代であるゴーチェの提唱した「芸術のための芸術」にボードレールが共鳴し、『ゴーチェ論』(一八五九年)において、文学の世界に「ディレッタンティシズム」(趣味性)が現れたと主張した事実がある。しかし、もしもボードレールの詩の行為が「ディレッタンティシズム」に終わっていたら、後世に残した遺産はわずかであったであろう。

 書かれたものはエクリチュールとしていかようにも読まれうるものであるが、作者の一義的に意図されたものを考えたとき、文学と主体との関わりはずいぶん違ったものに見えてくる。今問題になる「ディレッタンティシズム」を趣味性の範疇におく限り、『悪の花』はその埒外にあると考えられる。『美』は『真』や『善』と、かつてはプラトンの著作において強く結びつけられた哲学的思考であったが、ロマンティシズムにおいては、内面性の探求は『美』への憧憬のみに牽引されていたのである。プラトン哲学は絶えず政治と隣接していたように、真のロマンティシズムを自称するボードレールの詩学は、「芸術のための芸術」と深く関与しながらも、政治と社会現実から視線をそらさずにいた。「進歩のための芸術」を唱えるユゴーを、ボードレールが『ユゴーの「レ・ミゼラブル」書評』で、ユゴーを隣人愛のモラリストと呼んで遠ざけた。ゴーチェのようにディレッタンティストでもなく、ユゴーのように社会派でもないことを自覚していたボードレールは、詩作が己の生存と深く関わっていた。詩を政治と芸術から切り離し、詩人としての実存的立場から現実に向かって衝撃を与えていったと言えるであろう。

 あらゆるエクリチュールは、自分の、あるいは他者の生存に影響を及ぼす可能性はある。しかし強度において、ネルヴァル、ボードレール、プルーストには、同時代のほかの作家と比べて、文学と人生の時間との、のっぴきならない挌闘が歴然としている。ポエジーを獲得するためにあらゆる代価を厭わない激しさがある。言い換えるなら、彼らにとって元来、文学が自己変革のためにあるのだと思わせるものがあるということだ。ランボーには「私とは他者である」と言い切れるまでに徹底的に追求した「生の変革」というべき「見者の詩法」があった。読み物に堕した文学、「商品」として扱われる文学を否定したものであったとさえ思われる。そうした行為を貫徹させたものとは、ポエジーへの全幅の信頼にあったのではないだろうか。

 

 扇動者の形而上学

 ベンヤミンは、マルクスの『新ライン新聞政治経済評論』(一八五〇年)に記された陰謀家たちの相貌に、ボードレールのそれとの類似性を見るという。マルクスによれば、プロレタリア秘密組織の形成にともない、ふだんの仕事の片手間に陰謀にかかわる臨時の陰謀家とプロフェッショナルな陰謀家に分類されているが、不安定な生活を送り不規則で、安酒場が陰謀家たちの密会の場所になっていて、いろいろないかがわしい人たち(マルクスがいう「フランス人がラ・ボエームと呼んでいる曖昧な、ばらばらな、浮き草のような大衆ばかり」)ボヘミアンたちとの交流を持たざるを得ない生活環境に組み込まれていったという。ナポレオン自身がそのような環境から成り上がった人で、秘密主義、突然の攻撃などが第二帝政の国是をなしていたとベンヤミンは、『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』で述べている。「一八四六年のサロン」という美術批評を「ブルジョワに捧げる」と記したかと思えば、後にはボヘミアンの口調で罵倒する。また芸術の有効性を述べた数年後には、純粋芸術(芸術のための芸術)を主張したりしたと指摘する。

「ぼくが革命ばんざい!というのは、破壊ばんざい! 懲罰ばんざい! 死ばんざい!と仮にいうのと、同じことなのだ。---(中略)---ぼくたちはみな、骨のなかに梅毒菌をもつように、血のなかに共和精神をもっている。ぼくたちはデモクラシーと梅毒に感染しているのだ。」(ベルギーについての草稿メモ)ベンヤミンはこのような考えを、扇動家の形而上学と呼べるかも知れず、「ボードレールのなかには、マルクスが陰謀家たちに見いだしているテロリスト的な願望夢にさえ、対応するものがある。」と述べている。また、「以前に幾度かもったことのある緊張感とエネルギーを、再発見することがあるとしたら、恐怖をひきおこす書物を書いて、ぼくの怒りを発散させることでしょう。ぼくは人類の全体を敵にまわしたい。それはぼくには、いっさいを埋め合わせてくれるほどの快楽となるでしょう。」と書かれた、一八六互年一二月二三日の母宛の手紙をベンヤミンは引用し、『悪の花』の最後におかれるはずだった断片、「砦にまで高くそびえたつ魔術的な舗石」から「陰謀家運動の原点であるバリケード」を思い起こし、この「魔術的」なパトスは、ブランキシズムに負うものかもしれないと述べている。マルクスが、「革命的共産主義者」と称揚したルイ・オーギュスト・ブランキは武装した秘密結社「季節協会」を結成。一八四八年に二月革命に参加して国会に乱入し逮捕された。「レーニン以前には、誰も、プロレタリアートのなかに、ブランキ以上に明確な相貌を残したひとはいない」とベンヤミンはいう。

 ボードレールは、しかしながらたんなる革命家ではなくテロリストでもなく、精神の革命家というべき詩人なのである。政治を変え世界を変えるには、先ず自分を変革しなければならない。

 

 至高なる力の命じるところによって

 「詩人」がこの陰鬱なる世に現れたとき

 母親は不安に慄き、呪詛の言葉を胸に留め、

 憐れみを与えたまう神に向かって、拳を握りしめる。

 

 ――「ああ! まったく、なぜ私は蝮らの一塊を産み落とさなかったのか、

 こんな嘲笑の種を養い育てることになるくらいなら!

 夜よ、呪われてあれ! 仮初の快楽に

 私の胎内に呼気を宿したあの夜。

(『悪の花』の「憂鬱と理想」の冒頭の詩「祝福」の、最初の一、二連の筆者の拙訳。)

 

詩人が疎まれるのはいつの世も同じである。第二連以降、「詩人」を宿して、「陰鬱なる」この世に生を誕生させた母親の嘆きがつづく。ボードレールの詩人像が色濃く反映した詩と言えよう。

プラトンの対話篇『パイドロス』に描かれたように、人間はかつて神々の住む天上界にいて、神々の行進に従っていたが、「欲望」の馬と「理性」の馬の二頭立ての馬車の操縦を誤り、地上に落ちたとされるダイモーンの種族であり、この地上にて「美」を目の当たりにするとき、「エロース」の情動に捥がれた羽根の付け根である肩甲骨が疼くのを感じ望郷の念に駆られるゆえ、「詩人」とはそれを強く意識し、その末裔であるという思いをメタファーに持つ人間ではないだろうか。

 ポエジーは、限りなく遠い彼方から、「私」のいる日常世界に、恩寵のように足許に降りてくる。この世に亀裂を与えるものとして到来するのは、一種のインスピレーションとして言葉を

獲得することから始まり、日常言語の分節を引き離して深層言語を見出さんためである。このように、詩はプラトンの描いて見せたイデア世界と深くつながれている。『悪の花』の最初の詩篇群にボードレールが「憂鬱とイデー(理想)」と命名したのは示唆的である。ボードレールは、後に彼の詩からインスパイアされ、純粋言語の世界に執着し現実世界に事物の本質を見なかったマラルメとは違い、この世の神性を奪われた事象にどっぷりと浸かり悪を振りかざしていくのだ。

 

 なぜなら、主よ、それは真により良き証ゆえに、

 われわれが自らの尊厳を自らに与えるという証。

 時代は次々にめくり、われわれの熱烈なむせび泣きは

 やがて死に絶えることになるという証、そなたの岸辺で!

                   (『悪の花』「灯台」最終連の拙訳)

 

 ルーベンス、ダ・ヴィンチ、レンブラント、ミケランジェロ、ゴヤ、ドラクロアといった画家たちの描き出したのは人間の悪なのだ。「これらの讃歌(呪い、冒瀆、嘆き、法悦、叫び、涙)は千の迷宮を潜り抜けて繰り返される、同じ一つの木霊に過ぎない。これぞ死すべき人間のための、神から贈られた阿片」と言い、人間の悪から発する叫びは「千の拡声器で送られる指令」、「深い森で道に迷う猟師の叫び声だ」という。芸術家が描き出す人間の悪は「われわれが自らの尊厳を自らに与えるという証」であり、「そなたの永遠の岸辺で」死すべき人間の証だと神にささやくのである。ここにはもう「エロース」の羽ばたきはなく、プラトン哲学を咀嚼したキリスト教の神学が、ダイモーンを祖とする「堕天使」の叫びが反響しているとみてよい。だが、ボードレールにはランボーのような、人間を救い出そうとするプロメテウス的使命はないだろう。

 

 「祝福されてあれ、苦しみをお与え給いし私の神よ、

 われらの穢れを癒す神聖なる薬のように、

 そしてまた強き者たちを神聖なる逸楽に導く

 より良き、より純粋なる神髄のように!

 

 私は知っております、苦しみこそが高貴さであり

 この世も冥界も決してそれに噛みつくことができぬことを、

 すべての時代とすべての世界に代価を果たさねばならぬことを、

 私の神秘の王冠を編むために。

                         (『悪の花』「祝福」第十五連、十七連の拙訳)

 

 かくしてボードレールは、詩人としての使命を、passion(受難)の上におき、人類の悪を引き受けて十字架に磔になったキリストに自らをなぞらえるが、身の潔白を明かす者としてではなく、悪を具現することにより、自ら悪そのものになることによって浄化していこうとするかのように! ボードレールの悪に向かう激しさは、「照応」や他の詩篇、この「祝福」で時折見せる太古の無垢な精神の「健康」に一方で支えられているように思えてくる。また、この詩の「詩人」そのものが、ジャン・ジュネの存在を予告するものとも思える。「創造者は、彼の創造したものたちが冒す危険をとことんまで自分自身に引き受けるという恐ろしい冒険に身を投げ入れたのだ。(中略)創造者は彼の人物たちの罪の重さを自ら背負うだろう。イエスは人間となった。彼は贖罪する。神と同じく、彼は人間たちを創った後、彼らをその罪から解放するのである。―-―彼は鞭打たれ、顔に唾され、嘲弄され、釘づけにされる。」(ジャン・ジュネ『泥棒日記』)

 

右に引用した「祝福」第十七連とそれにつづく第十八連に出てくる「王冠」とは何の象徴なのであろうか。「私の神秘の王冠」、「眩いばかりに澄んだ美しい王冠」と形容されている。「すべての時代とすべての世界に代価(代償)を課せねばならぬこと」を「詩人」である私が知っているという「編まれる」べき「王冠」とは、「永遠なるもの」の徴(すなわちイデア界に到達しようとする仰望の形象化ではないだろうか。最終十九連では、「王冠」は「原初の光線の聖なる源から汲まれた、純粋な光でしか作られない」という。それは『悪の花』の詩篇「照応」で表された「象徴の森」に建つ、「香りと色と響き」が「応え合う」「神殿」と称える「自然」と、イデア界への憧憬から、ポエジーが舞い降りてきた根源へ遡行しようとする、ミューズの神々に吹き込まれた「詩人」の精神の羽ばたきが織りなす「詩の勝利」の謂いであろう。

 

 その想いは、雲雀のように、朝、天空に向かって

 自由な飛翔をとげる者たちに幸いあれ、

――人生の上を飛び、苦もなく解き明かす者たち

花々と黙り込んだ物たちの言葉を!

               (『悪の花』「高翔」の最終連の拙訳)

 

 だが、彼は天上の花々と対照をなすこの世(冥府)のそれらに身を引き裂かれ、トポス(場所)としての縦軸とクロノス(時間)としての横軸の交差する地点に居座り、「おおよ! 時は来た! 錨を挙げよう!」(『悪の花』「旅」)と叫びつづけている。

 

 copyright2014以心社

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詩誌「ヒーメロス」27号、掲載作品

2014年09月14日 | 「ヒーメロス」最新号の詩作品

詩誌「ヒーメロス」27号掲載作品

タペストリー 6

小林 稔

 

 

時の迅速な流れは止まることなく

追億に映し出される人生は

滔々(とうとう)と流れる大河

神経の痺れが意識の岸辺に辿りつく

〈死の領土〉の敷居を跨ぐようにと

睡魔がしきりに手のひらを返す

 

波は舟に横たえた私の身体を揺らし

遠ざかりつつ近づく石の建物の群れを

私は一つ二つと数えている……

……眠れよ眠れ、この静かな真昼

少年の息の根をふさぎ

 引き抜いては小わきに抱え

連れ去ろうと夢見る邪悪なものから逃れよ

 

とある駅前広場

左から右から寄せる人ごみからはみ出し横切って行く

坊や、人生は残虐だ

おまえのかろやかな立居、たおやかな身体

家庭の日常から遮断され

おまえがそこにいることがすでに奇跡だ

かりそめの形姿を身にまとい立ちすくむ者

この不可思議な生きものでさえ

時は無数に伸びたその足で容赦なく踏みにじる

 

あこがれを牽引させ、虚空に私を引っ張りだす

そいつはいったい何者か、と問う私に

そいつはかつてのおまえだよ

という声がどこからか返ってきた


詩誌「ヒーメロス」27号刊行なる!

2014年09月05日 | お知らせ

詩誌「ヒーメロス」27号刊行なる!

Content

 

 詩 タペストリー 6 小林稔

  トビーの壜 河江伊久

  寝台の下の暗闇 原 葵

  長いほうのたましいは 原 葵

      小雨の降る庭園は 天野 英

 

評論

  長期連載エセー『「自己への配慮」と詩人像』(十九) 小林稔

    ボードレールにおける詩人像(二)

      ボードレールの強度

      扇動者の形而上学

      パサージュ、遊民、パリ大改造

      アレゴリーの詩学

      ボードレールのモデルニテ

      ベンヤミンのモデルニテ批判

      ボードレールとワーグナー

      流動するアウラの活用