彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

山鹿市 チブサン古墳、オブサン古墳

2012年05月06日 21時05分00秒 | 全国各地

3月に山鹿市に旅した時にこのレプリカの石室を見たのです。
即座にうそだろ!? 嘘に違いないと思いました。こういう衝撃的な図柄が
発見されているのに、全国的な話題にならないのが不自然に感じました。


カビが生えまくって、ほとんど絵柄が見えない高松塚古墳が学術的に価値が
あるからってことで、話題になることが多いに引替え、このチブサン古墳の
壁画はあまりにも無名です。

おかしいじゃないですか! 芸術的にはこっちの方が断然価値があんのにねー。
新聞社の文化部なんてね、お馬鹿さんが多いので、彼らの評価を信用したら
駄目だってこと、こういうことでも分かるよね。


チブサン古墳は
岡本太郎以上でピカソ以下ぐらいの水準いってるよなんて、
与太を飛ばしたくなるくらいの結果的なアブストラクトなんだ。
すごいよね。


3月のその日は無理だったけど、近くにある山鹿市の博物館に申し込めば、
古墳の中に眠っている現物の「壁画」を午前と午後に一回ずつ見ることが
できるんだってことが分かってね、今回の旅行を企画したんだ。
下関の仲間にもぜひとも見てもらって、感動を共有したかったんだ。


で、僕達一行は古墳の中に引き入れてくれて説明してくれる博物館の
学芸員さんの到着を待っているところの写真なんです。


僕達は学芸さんに導かれて、このステンレスの扉から入ったんだ。
ギ、ギ、ギッギー!

古墳の中に本物の壁画はありました! そりゃー、レプリカみたいには、くっきりとは
見えません。アクリルだかガラスだか分かりませんが、透明な仕切にさえぎられて、
少し曇ってはいましたが、紛れもなく本物の壁画が目の前にありました。

でも、本物を見ると、「ああ、レプリカと同じだったんだ」とういう感激が、ぶり返して
くるのです。レプリカを制作してくれた人、精密な模写、ありがとう!


おまけにさ、このチブサン古墳からは、「石人」も発見されているんだ。
この石人も味のあるモニュメントとして、僕はすごく気になっているのです。
大和朝廷が恐れた「熊襲」そのものを僕らは体感しているのかもしれません。


ね! 熊襲の親分が眠ってるんだよね。


チブサン古墳の近くにオブサン古墳ってのもあります。
復元された古墳の形、僕は好きです。古代人が眠っているという、静けさを
漂わす品の良い古墳です。


ただし、こんな辺は田原坂だけが有名ですが、ここも西南戦争の激戦地だったようで、
このオブサン古墳も政府軍の陣地になっていたようです。


だから余り出土品はないのですが、古墳の入口を塞いでいた石が展示されて
いたことには興味を持ちました。


ま、石と変わらないくらいの恰幅を誇る同期生にそばに立ってもらったので、
石の大きさを感じてください。


「閉塞石」なんて言葉、驚きますね。
僕らは「時代を被う閉塞感」なんてね、メタファとしての[閉塞]しか馴染んで
なかったのにさ、「閉塞石」なんてストレートな言葉を初めて聞いてさ、
うん!やっぱ、こっちを先に聞くのが真っ当な言語空間だよなと、妙に納得したのでござる。


チブサンもオブサン古墳も鍋田横穴古墳から近くにあるのです。

以下は現地にあった説明文ですが、このブログの読者400人中、10人ぐらいしか
興味を持たないと思いますので、基本、ここで終りにします。
以下は読みたい人だけ読んでください。


チブサン古墳の現地の案内文です。字が小さくなりますので四分割します。









by K

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