マン島レースで優勝したゼッケン⑦を公開分解する。
見たら勝つには訳が有る事が少しだけ理解できます。
エンジンサウンドはF1エンジンとピッタリ合うほど近いらしい・・・・・
究極のエンジン!!
F1へ進んだ流れはRC166で創業者宗一郎氏に何かが見えたのでしょうね・・・・・
MotoGP Honda RC166 Documentary
(Grandfather of RCVs --RC211V,RC212V,RC213V,RCV1000R)
触る事が許された人間も1人だけらしいので
調整が難しい究極のエンジンなんでしょうね
Honda RC166 (1966) - 6-Cylinder 250cc GP Racer
RC166とはどんなバイクなんでしょう?
2年連続でチャンピオンをとった後、手首の故障を経て復帰した宮城をHRC
「Hondaの人はあったかいですね。ほんと感謝してますよ。
1998年、アメリカから帰って来た宮城にHondaは再び声を掛ける。
「8耐に出場するライダーは、レースがメインでしょ?だから、パレードに参加する、
こうして宮城の歴代Hondaレーサーの動態確認(レストアの仕上げとして、
「レース中もテストの時も、僕は走行中にエンジンのトラブルなどではほとんど転倒したことがないんです。
極限の性能を引き出すレーシングエンジンは、トラブルが起る可能性が高い。
前置きが長くなったが、繊細な感覚でマシンと対話する宮城のレストアマシン走行インプレッションに移ろう。
マイク・ヘイルウッドはこのマシンに乗り、1966年の世界GPで10戦全勝。
RC166 |
「クラッチミートは・・・7000回転ぐらいですね。繋げば普通に出ていきます。
これはびっくりしますよ。
トルクの谷もそれほど感じないという。そしてとにかく速い。
「また、音がいいですね。ジェット機みたいな音がしますわ。人気の高いマシンですし、
コレクションホールの方も力を入れてキャブをセッティングして、
きちんと上のサウンドまで楽しんでいただけるよう取り組まれたようですから」
RC166は、排気音もさることながらメカニカルなサウンドに味があるという。
サスペンションの性能もよく、ツインリンクもてぎの1コーナー前の小さなバンプにもきちんと追従する。
宮城は、RC166のようにタンクの長いマシンの時代からレースをはじめているため、
ライディング自体にあまり違和感はない。しかし、ブレーキが効かない時代のマシンだから、
シンを横にして減速しながらコーナーを曲がるライディングが必要になる。
「スキーでエッジを効かせてスピードを落とすような感じですわ」
と言い、宮城はスキーのジェスチャーをした。ちなみに彼はスキーも得意だ。
今のグランプリマシンは、エンジンブレーキなどじゃまになるくらいブレーキがよく効く。
直線でグッと減速してスパッとコーナーに入るライディング。
「RC166は気持ちいいですよ。車格もいいですし、夢のような話ですが、もし市販してくれたらぜひ欲しいですねえ」
先人の熱い情熱を感じたRC181。
続いてRC181。これは、500ccの空冷4サイクル4気筒DOHCエンジンを搭載したビッグマシン。
「エンジンフィーリングで言うと、シングルカムのCB750みたいですよね。
K0とかK1の時代です。そのCB750で、
重厚感があってトルクフルなエンジン。
サーキットを周回している途中でウイリーできるくらいトルクフルですね」
これまで小型のバイクしか手掛けていなかったHondaとしては、はじめての大型バイクへの挑戦となった。
Hondaが世界に先駆けて登場させた“ナナハン” CB750へとつながる、
Hondaとしてはじめての大排気量エンジンだ。
RC181はエンジンパワーがシャシー性能に勝ったマシンであると宮城は語った。
「166など6気筒のミドルクラスは、エンジンと車体のバランスが素晴らしいんですよ。
何かが遅れるとかいうことがないんですけども。このRC181に関しては、はじめての500ccクラスで、
エンジンパワーありきだったのかもしれません。シャシーの剛性感が足りていないなと感じましたね」
しかし、マイク・ヘイルウッドはこのマシンでチャンピオン争いを演じ、マン島TTレースでは勝っている。
「この時代の他のオートバイの性能がどうかわかりませんけど、すごいことですよ。
このマシンで勝つというのは。タンクも大きいですし、
これ身長が180cmくらいある僕でもポジションきついですから」
ましてピット環境も整っていない。昔の写真見たら、木の下でエンジン乗せ替えとかやっている。
6気筒だったら、キャブいじるのも6つですよ。それを3台走らせていたら、
18個のキャブをバラして組み上げて・・・。
これはもう情熱の塊やと思うんですよね。熱いですよね、Hondaの人たちはやっぱり。
だからヨーロッパはもちろん、世界中にファンがいる。特に年輩の方にファンが多いっていうのは、
この時代に苦労していたHondaマンを見たからでしょうね」
そして、感慨深げにため息をつくと「さっ、次いきましょか?」と言って我々を促した。
宮城光の「Honda歴代ロードレーサーの鼓動」次回はHonda空冷時代のラストとして、
彼の中学時代の思い出のマシン、RCB1000をご紹介します。