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【勝つには訳が有る】Honda RC166 (1966) - 6-Cylinder 250cc

2016年06月04日 08時59分26秒 | 真実を追及出来るYouTube!!

マン島レースで優勝したゼッケン⑦を公開分解する。

見たら勝つには訳が有る事が少しだけ理解できます。

エンジンサウンドはF1エンジンとピッタリ合うほど近いらしい・・・・・

究極のエンジン!!

F1へ進んだ流れはRC166で創業者宗一郎氏に何かが見えたのでしょうね・・・・・


 MotoGP Honda RC166 Documentary

(Grandfather of RCVs --RC211V,RC212V,RC213V,RCV1000R)

触る事が許された人間も1人だけらしいので

調整が難しい究極のエンジンなんでしょうね

Honda RC166 (1966) - 6-Cylinder 250cc GP Racer


RC166とはどんなバイクなんでしょう?

宮城光は人との出会いに恵まれている。
 オートバイで走るのが好きで、サーキットに行き練習をしていたら
 
「お前、なんか速いなあ。
 
うちのマフラー付けてくれ」などとよく声をかけられた。
 
そしてプライベートチームに誘われ、Hondaのマシンに乗ってレースデビュー。
 
その年にいきなり全日本選手権チャンピオンになってしまう。

 2年連続でチャンピオンをとった後、手首の故障を経て復帰した宮城をHRC
 
(Hondaの二輪レースを専門に担当する会社)が抜擢。
 
自分でも信じられないことに、Hondaのワークスライダーになった。
 
夢のワークスライダーとなった宮城は、NSR500に乗り、全日本GPのトップライダーとなる。
 
 
 
しかし、不慮の事故で両足を骨折し4年目のシーズン後半を欠場。
 
当然ながらワークスライダーの権利を失う。
 
 それでもオートバイレースのことが忘れられず、アメリカに渡り挫折から立ち上がろうとする宮城を、
 
Hondaの面々が応援してくれたのだ。
 
彼らの熱いバックアップにより、宮城は全米選手権スーパーバイク650ccクラスと
 
スーパースポーツ600ccクラスに挑み、参戦初年度に両カテゴリーでチャンピオンをとることができた

 「Hondaの人はあったかいですね。ほんと感謝してますよ。
 
挫折もありましたけど、めちゃくちゃ恵まれたと思いますわ」
 
 


 1998年、アメリカから帰って来た宮城にHondaは再び声を掛ける。
 
その年の鈴鹿8耐のパレードランで、ライダーを務めてくれないかと。

 「8耐に出場するライダーは、レースがメインでしょ?だから、パレードに参加する、
 
ちょっと年式の古いクルマを走らせる余裕がないということで、たまたまアメリカから帰っていた
 
 
 
僕に声かけてもらったんです。これが僕にとって大きな転機になりましたね」

 こうして宮城の歴代Hondaレーサーの動態確認(レストアの仕上げとして、
 
実際に走らせて状態を確認する)の仕事がはじまったのだ。

 「レース中もテストの時も、僕は走行中にエンジンのトラブルなどではほとんど転倒したことがないんです。
 
ちゃんとクラッチを切って止まる。一度ミッションがスタックして、どうしようもなくて転んだことありますけど」
 

 極限の性能を引き出すレーシングエンジンは、トラブルが起る可能性が高い。
 
時として、瞬時にリアタイヤがロックして二輪は簡単に転倒してしまうこともあるのだ。
 
宮城は長いレースキャリアを持ちながら、エンジンの状態を察知して即座にクラッチを切るため、
 
唯一の転倒はミッションがスタックしたときだけであった。レストアマシンを扱う繊細さを、
 
宮城は素質として持っていたのだ。
 
 
市販して欲しい!と思うほど爽快なRC166。

 前置きが長くなったが、繊細な感覚でマシンと対話する宮城のレストアマシン走行インプレッションに移ろう。
 
前回のRC149に続いて登場するのはRC166。250ccの空冷4サイクル6気筒マシンだ。
 
年式は、RC149と同じ1966年。
 
それまでHondaは250ccを4気筒マシンで勝ってきたが、2サイクル勢が力をつけてきたため、
 
さらなる高回転化に挑んだのがこのRC166だ。
 
 

 マイク・ヘイルウッドはこのマシンに乗り、1966年の世界GPで10戦全勝。
 
ライダー&メーカータイトルを獲得。翌1967年もWGPのタイトルを獲得し、
 
マン島TTレースでも勝利を飾っている。
 
レギュレーションでシリンダー数が制限されたため、Hondaはこの年をもって一時GP参戦を休止している。
 
RC166の最高出力は、60馬力以上/18000rpm、最大トルクは2.36kgm/17000rpm。
 


 
   
 
  RC166
 「高回転・高出力のハイパフォーマンスエンジンなんですけど、
 
RC149とはうって変わって、非常にトルクフルですね」

 
やはりエンジンを掛けた瞬間は6000から7000回転。60馬力以上を
 
18000回転で絞り出すエンジンだからかなりの高回転型エンジン。

 


 「クラッチミートは・・・7000回転ぐらいですね。繋げば普通に出ていきます。

これはびっくりしますよ。

 

 こんなんやったら市販できるんじゃないかなと思えるぐらい乗りやすいですよ」
 
乗りやすいといっても、レーシングマシンとしてという前置きが必要だが、RC149とは違いかなり扱いやすく、

 トルクの谷もそれほど感じないという。そしてとにかく速い。

 

 

 

「めちゃくちゃ、よう走りますわ」と宮城は目をまるくした。

「また、音がいいですね。ジェット機みたいな音がしますわ。人気の高いマシンですし、

コレクションホールの方も力を入れてキャブをセッティングして、

きちんと上のサウンドまで楽しんでいただけるよう取り組まれたようですから」

RC166は、排気音もさることながらメカニカルなサウンドに味があるという。

 

 だから乗っているライダー自身も吹け上がっていくエンジンのサウンドを楽しめる。

サスペンションの性能もよく、ツインリンクもてぎの1コーナー前の小さなバンプにもきちんと追従する。

宮城は、RC166のようにタンクの長いマシンの時代からレースをはじめているため、

ライディング自体にあまり違和感はない。しかし、ブレーキが効かない時代のマシンだから、

 

 エンジンブレーキやタイヤの抵抗など使えるものはすべて使い、

シンを横にして減速しながらコーナーを曲がるライディングが必要になる。

 

 

 「スキーでエッジを効かせてスピードを落とすような感じですわ」

と言い、宮城はスキーのジェスチャーをした。ちなみに彼はスキーも得意だ。

今のグランプリマシンは、エンジンブレーキなどじゃまになるくらいブレーキがよく効く。

直線でグッと減速してスパッとコーナーに入るライディング。

しかし、この時代はブレーキを掛けシフトダウンをしながら横を向いてコーナーに入っていく。

 

 フロントも滑っているためカウンターを当てるという感覚でもない。クルマでいうと四輪ドリフトだ。

 

 今は125ccのグランプリマシンも直線で減速するが、つい最近まではこういう走り方をしていたという。

「RC166は気持ちいいですよ。車格もいいですし、夢のような話ですが、もし市販してくれたらぜひ欲しいですねえ」

 

先人の熱い情熱を感じたRC181。


 続いてRC181。これは、500ccの空冷4サイクル4気筒DOHCエンジンを搭載したビッグマシン。
 
小型車で培ったHondaの高回転・高出力の特性を活かし、他を圧倒するパワーで1966年のデビュー戦を優勝。
 
その年のメーカータイトルを獲得。翌1967年は、マイク・ヘイルウッドの頑張りで10戦中5勝を挙げながら、
 
僅差でライダー&メーカータイトル2位となった。
 
マン島TTレースは、やはりマイク・ヘイルウッドが乗り優勝を飾った。
 
最高出力は、85馬力以上/12000rpm、最大トルクは5.23kgm/10000rpm。

 
 「これはでかいですよ。乗ると非常に手ごたえがある」と、
 
宮城はRC181について切り出した。

 


 「エンジンフィーリングで言うと、シングルカムのCB750みたいですよね。

K0とかK1の時代です。そのCB750で、

 

 上があと2500回転ぐらい回るようになった感じですわ」もちろん
 
エンジンを掛けると6000回転ぐらいで回るが、
 
そこからクラッチをつないで走らせるフィーリングは、
 
まったく普通のバイクのようなものだという。シングルカムのCB750のように、気持ちよく吹け上がっていく。

重厚感があってトルクフルなエンジン。

 

「この時代のバイクとしてはめずらしく、

サーキットを周回している途中でウイリーできるくらいトルクフルですね」

これまで小型のバイクしか手掛けていなかったHondaとしては、はじめての大型バイクへの挑戦となった。

 

 

市販車とレーサーでは別物だが、直列4気筒ということで言えば、

Hondaが世界に先駆けて登場させた“ナナハン” CB750へとつながる、

Hondaとしてはじめての大排気量エンジンだ。

 

 そして、歴史にも語られている通り、

RC181はエンジンパワーがシャシー性能に勝ったマシンであると宮城は語った。

「166など6気筒のミドルクラスは、エンジンと車体のバランスが素晴らしいんですよ。

何かが遅れるとかいうことがないんですけども。このRC181に関しては、はじめての500ccクラスで、

エンジンパワーありきだったのかもしれません。シャシーの剛性感が足りていないなと感じましたね」

 

 

しかし、マイク・ヘイルウッドはこのマシンでチャンピオン争いを演じ、マン島TTレースでは勝っている。

「この時代の他のオートバイの性能がどうかわかりませんけど、すごいことですよ。

このマシンで勝つというのは。タンクも大きいですし、

これ身長が180cmくらいある僕でもポジションきついですから」

 

 「ライダーもそうですけど、Hondaの人たちもすごいですね。60年代でしょ?1ドル360円でしたっけ?
 
飛行機もそんなに飛んでない時代で、物もたくさん持って行けないしね。

ましてピット環境も整っていない。昔の写真見たら、木の下でエンジン乗せ替えとかやっている。

 

 その中でマシンを維持管理して、ライダーが安心して走れる状態まで持っていってたことがすごいですよね。

6気筒だったら、キャブいじるのも6つですよ。それを3台走らせていたら、

18個のキャブをバラして組み上げて・・・。

これはもう情熱の塊やと思うんですよね。熱いですよね、Hondaの人たちはやっぱり。

 

 

その意地と情熱があったから、今のHondaがあるんでしょうね。

だからヨーロッパはもちろん、世界中にファンがいる。特に年輩の方にファンが多いっていうのは、

この時代に苦労していたHondaマンを見たからでしょうね」

 

 そういって宮城は、自ら持参した60年代のHondaの二輪レース写真集に見入った。

そして、感慨深げにため息をつくと「さっ、次いきましょか?」と言って我々を促した。

 宮城光の「Honda歴代ロードレーサーの鼓動」次回はHonda空冷時代のラストとして、

彼の中学時代の思い出のマシン、RCB1000をご紹介します。

 

 


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