ひからびん通信

日頃思ったことなどについてコメントします。

妥当な量刑判断だったと思う。長男殺害の元農水次官に懲役6年東京地裁「短絡的な面がある」

2019年12月16日 | 事件・裁判


今日東京地裁で元農水省の事務次官だった父親(76歳)が、引きこもりで家庭内暴力を振るう長男を刺し殺した事件の判決がありました。
 被害者は、引きこもりの44歳になる中年ニートで、家庭内暴力を繰り返し、母親はうつ病、妹は被告人の行動などが原因で結婚話も白紙になり、その後自殺するなど家をはメチャメチャにしてきたのであって、その被告人の常軌を逸した行動には責められる点が多く認められます。
 長男は、デパートでおもちゃを買ってと大声で泣き叫び親を困らせる子供と同じで、いい年をしているのなら、勝手に自分で死を選んで欲しかったというのが、世間一般の評価だと思います。

 被告人の父親は、そんな社会性を持たない引きこもりの長男を立ち直らせようと献身的な努力をしてきました。でも長男の暴力的な傾向は改まらず、その暴力が自分に向かってくると、今度は自分を守るための恐怖心から長男を刺し殺してしまうのでした。

 東京地裁は、今日、検察の懲役8年の求刑に対し、懲役6年の実刑判決を言い渡しました。この量刑については厳しすぎるのではないかという見方もあります。
 一部メディアでは執行猶予という温情判決を期待する向きもあったもようです。 でもこれは薄っぺらな見方であって、確かに被害者の長男はとんでもない自分本位のくずであり、やむなく長男の殺害に至った父親の心情を考えると、できる限り軽い刑にすべきであるという意見もあります。
 しかしそのようなくずに本当の社会の厳しさを教えられず、甘やかし続けてしまった父親にも大きな責任があったのだと思います。親子の間でも暴力は許されないというのが、世間で決められたルールですが、ただ言葉で励ましたり、優しくするだけでなく、言っても聞き入れないのなら、初期の段階で鉄拳を食らわせ、体で分からせなければ効果はありません。人と人の関係はきれいごとで片づけることはできないのであって、最後は力による制圧が必要なのです。

 老齢になった父親に長男を殴り倒す腕力や迫力がなければ、警察に頼るしかありません。それをいつまでも家庭内の問題に押し込んで、家族を破滅に追い込む状況を作った責任の一端は父親にもあったと思われます。

 長男を高級マンションに単身生活させ、その間多額の経済的な援助をして甘やかし続け、結局妻や妹をうつ病や自殺に追い込み、最後は自分がやられるのではないかという恐怖から長男の殺害に至った父親は、判決でも指摘するようにあまりにも短絡的だったというべきです。

 東大を出たエリート官僚も結局世間知らずのお坊ちゃま育ちで、本当の困難にぶつかったときにどうすべきかという危機を回避する術を持たない哀れな人間だったのでしょう。
 おそらく被告人であった父親は、口には出さなかったものの、温情判決を期待していたのかもしれません。だからこそ、そこには被告人自身の甘さと人を諭す力に乏しかった一面を見て取ることができます。被告人は自分の育て方がよくなかったことを悔いているのでしょうが、今は控訴などせず、一切の弁解がましい説明はしないで、淡々と刑に服すべきです。

 被害者の長男もくずですが、何もわかっていなかったのは被告人本人だったのです。
 いくら話しても、話だけではインパクトが弱く、最後は物理的な力が秩序をささえるのです。今回は家庭内の問題にとどまりますが、同じ問題は学校、会社、社会そして外国との関係にもつながるものです。
 
 このような背景は社会に多く存在するはずです。当事者間で問題を解決できなければ、警察などの力をもっと早い段階で警察や相談機関の力を借りるべきだったのです。

 今回のような事例はすそ野が広く、深刻な状況があちこちに存在するのを教えてくれます。
 学校や家庭での親や教師による体罰の是非も問題になっていますが、だからこそ時によっては体で痛みを分からせることも必要なのですね。