噛ませ犬のゲシュタルト

基本スタイルは、壁ハメ。

約一年。

2009-04-13 02:07:11 | 
久しぶり、少し整理。
気まぐれだけど。

後記

2008-02-17 23:01:33 | 
『-Fake-』、載せてみました。
正直、オチが最低なんですが
(っていうか、困ったら人死なせるのはやはり良くない)
とりあえず、無理矢理でも最後まで一つの作品を書き上げたいと思い
書いてみた次第です。
元は、大学一年か二年ぐらいの頃に創ろうと思っていたドラマ脚本です。
『Fake』の他に、『Face』・『Fate』という別の話も考えていて
それら3つの作品をまとめて
『F』という短編集的なドラマを創ろうと思っていました。
が、脚本がまともに書けず、あえなく没に。
今回、脚本の1つを最後まで完成させて載せてみました。
他2つは、気が向いたら書き上げます。

文章を上手く書くのは難しいですね。
話作るのはさらに難しい。
これで飯を食ってる人達はホントすごいです。

-Fake- (2)

2008-02-17 22:51:40 | 
 そうやって幾度依頼をこなしただろう。幾年が過ぎただろう。彼はあるアパートの一室に向かっていた。昨日、彼の家に依頼の電話を寄越した依頼主を訪ねての事だった。金具がやや錆びかけの、古いアパートの扉を開いた。狭くて暗い部屋にいたのは、一人の老人だった。だいぶ高齢なのだろうか、随分と髭が伸びており、その顔には人生の苦渋を体現したような皺が多く刻まれていた。老人は彼に写真を手渡し、写真に写っているものを複製して欲しいと頼んだ。

 写真に写っていたのは

 生後間もない、赤ん坊だった。

 仕事場に戻った彼は考えた。人間を複製しろ、などというでたらめな依頼は未だかつてなかった。まともな神経の持ち主ならば、そんな依頼は決してしないだろう。しかし、彼にとってはそんな理屈など取るに足らない事由だった。彼は人体を構成する物質を調達し、いつもの要領で複製を開始した。
 数日後、彼の部屋には紛れもない写真の中の赤ん坊がいた。誰がどう見ても件の赤ん坊だった。

 見た目だけは。

 そう、見た目だけは。彼が創った赤ん坊は、呼吸もしないし、笑いも泣きもしない。言わば、肉で組成された醜い人形だった。生命という、最後の1ピースだけが。どうしてもそれには足らなかった。
 初めて、彼は複製につまづいた。打開する方法も見えない。このままでは依頼不履行。だがそれ以上に、自分に複製出来ないものがある事が、彼には心底気に入らなかった。
 考えてもどうにもならない。八方塞がりかと思われた時、彼は閃いた。

 もし命を目で見る事が出来たら、複製ができるだろう、と。

 窓の外を通りがかる人を見ていても、命そのものを見る事は出来なかった。やはり、命はなくなる瞬間、つまり死の瞬間にしか見えないらしかった。消去法のような方法でしか。生命は見る事が出来ない。彼はとりあえず、最も手近な命を見る試みを行った。それはつまり、自分の命だった。複製の最中の彼は、本当に夢中で。自分の試みによって起こる悲劇など予想だにしていなかった。彼は自身の生命を目にするべく、包丁で自身の手首を切った。

 あっという間に。彼は自身の中から生命の輝きが抜け出ていく感覚を味わった。目に見えこそしなかったが、これならば複製は可能な気さえしていた。だが、それももう叶わぬ夢だった。
 薄れる意識の中で、彼の部屋の玄関が開くのが見えた。開いた玄関の向こうに立っていた女性のようなヒトガタは、本当に小さな小さな声で。この子は失敗作だったわと。呟いていた気がして。玄関のドアが閉まると同時に、彼には、もう何も見えなくなったし聞こえなくなっていた。秋も終わろうかという肌寒い日の、夕方の事だった。

<終>

-Fake- (1)

2008-02-17 22:50:11 | 
 偽者を創る、という技能に関して彼の右に出るものはいなかった。いつから、という事もなく。彼はその目的のために生まれてきたかのように、物の複製を始めた。父親の存在を彼が知る前に、家の中に父親はいなかった。母親も、その事がさも当然であるかのように振舞い、当然かのように独りで彼を育てた。彼がまだ小さかった頃。ある日、母親は台所でガラスの皿を割ってしまった。彼はその光景を横目で見ていた。母親が気に入っていた皿だった。次の日彼は、学校に行く途中で町のゴミ捨て場に行った。朝の光景としてカラスがたかっていたが、そんな事を気にする様子もなく彼はゴミの中身を一瞥した。手が汚れる事を気にもせず、彼はゴミの中からガラス製品のゴミを選り分けた。学校の始まる時間だったが、彼にとってそんな事はどうでもよかった。学校をつまらないと感じた事はなかったが、取り立てて面白いと思った事もなかった。母親と義務教育制度が薦めるままに通っていただけ。それだけだった。その日、彼は学校に行かなかった。材料を、探していた。一日中。そして、家近くの空き地で創った。数時間後に彼の手元にあったのは、母親が昨晩壊した「それ」だった。帰宅した時、母親は家にいなかった。買い物にでも出掛けたのであろうか。彼はそっと、皿を台所に置いておいた。

複製は習慣のようなもので。彼の生活の一部となっていった。中学卒業まで人並みには進み、同年代の他の人間とは違う道を彼は選んだ。つまり、彼は高校に進まなかった。彼の進路選択に対して、母親は何も口を出さなかった。
 中学生の頃からだったろうか、彼の元には物の複製依頼が舞い込むようになった。どういった情報の経路を辿ったのかは定かではないが、見ず知らずの人間からの依頼が多かった。時には、同級生からの依頼を受けたりもしたのだが。彼は淡々と依頼をこなした。最初のうちは無料で依頼を受けていたのだが、金を取った方が賢い事に、彼は次第に気付いた。代金は法外だった。というのも、世間一般における物価の知識など、彼は持ち合わせていなかったからである。それでも依頼は絶える事はなかった。それも当然の事。彼の才能を使えば、創れないものなどなかったのだから。依頼を持ってくる人間の目的は様々だった。ビルに侵入するための合い鍵の複製。護身用のための拳銃の複製。紛失した会議書類の複製。様々な人間が、様々な依頼を持ってきた。それに対する彼の対応は常に同じ。依頼のものを創り、引き渡す。依頼の成功率は百パーセントだった。彼に依頼するには、複製して欲しいものの現物か写真を持参する事。それだけで、彼は仕事が出来た。依頼主が誰であろうと、目的が何であろうと、彼は決して依頼を断る事はなかった。複製に際する物事の善悪など、彼にはどうでもよかった。複製する事、ただその行為だけが彼にとっての正義であり、目的だったから。複製さえ出来れば、他の事などどうもよかった。高校に進まなかったのは、そういった理由があった。彼は、近所の人目に付かない場所を選んで複製を行っていた。だがじきに、スペースや道具調達の利便性を考えてアパートに部屋を借りた。母親には住所を伝え、彼は家を出た。母親は何も口出しをしなかった。

起死回生

2008-01-02 15:31:51 | 
去年の自分は
起死回生
が多かったです。
ので、
大学を卒業するまでに
今まで形にされずに消えてきた話達に
少しずつ形を与えてやろうかと。
起死回生のチャンスをあげようかと。
そんな事を思う。

不殺の心。

ひさぶり。

2007-12-23 03:09:30 | 
何気に半年も更新停滞しましたが
またちまちまと
創作記録でも書きますよ。
文章は、まず書いてなんぼです。
下手は下手なりに、数を書け。
という事です。
というわけで。

もう見ている人もいないと
思いますがねー。
フヒヒwwwサーセンwwww
またたくさん書くよー。
おー。

人身事故

2007-06-25 13:19:04 | 
駅のホームに、突然アナウンスが流れた。

「只今、隣駅にて人身事故が起きました関係で、列車の運行を見合わせています」

時刻は朝のラッシュの時間。
人々は皆急ぎ、焦っていた。
会社に行く人、学校に行く人、待ち合わせに行く人。
外はとんでもない暴風雨で、外に出て歩くという発想は見込めなかった。
しかもここは地下鉄の単線しか通らない駅。
電車が来ない限り、決して移動の許されない状況だった。
どれだけ人々が焦っても、駅には無情なアナウンスが流れるだけ。

アナウンスが流れ始めてから5分ほど経った所で、一人のサラリーマンが線路に降り立った。
ホームで電車を待っていた人々は騒然としたが、彼の取った選択が強ち間違いでない事にだんだんと気付いていった。
事故で電車が止まっているならば、線路を歩いていても決して電車は来ない。
しかも、地下なので雨にも濡れない。

人々は、彼の先導の元に、次の駅へと線路の上を歩いていった。
次の駅まで行けば、別の路線に乗り継ぎができる。
そう考えるのが精一杯で、線路の振動などには全く気付く由もなかった。

それは、一瞬のうちに。
線路上を歩行中の人々をドミノのように跳ね飛ばしていった。
時刻表通りに駅に向かっていた、朝の電車だった。
人々がもう少しで隣の駅に着こうという地点で、それは起きた。

被害者の家族から、その日のうちに猛烈な抗議が寄せられたのは必然の事だった。
「人身事故が起きた、というアナウンスがあったらしいが、そんな事故はなかったらしいじゃないか!」
そういった怒号や叫びが鉄道会社に寄せられた。
それに対する、鉄道会社の一貫したコメント。

「何言ってるんですか。事故、起きたでしょ」


<終>

文集原稿

2007-05-30 15:17:18 | 
お昼のコメント研究所

ヽ<・ω・>ノ

 さて、皆さんは今までに食べた米粒の数を覚えているだろうか。無論、覚えているわけはない。もし、覚えている方は、その情熱を何か別の事に使うようオススメする。日本人の主食である米。なぜか日本人は米の事を全て知ったような気になっている。しかし、それはとんでもない間違いだという事を、今から私が書く事によって示していきたい。

 日本で米の栽培が始まったのは、弥生時代だと言われている。驚く事に、この頃には既に三角おむすびが作られていたそうである。さて、ここで問題となるのは、なんのために米の栽培が始まったのかという事である。
それは、食べるためではなかった。武器として使用する意図で、米は栽培されていたのである。読者諸君は、米を投げた事があるだろうか。もし今、これを読みながら食事中である読者は、手持ちの米を隣にいる人に投げてみて欲しい。米は、一粒一粒は小さく弱くても、ふっくらと炊き上げ手の中で握る事で、尋常ならざる威力の爆弾と化すのである。その威力たるや、象を一撃で昇天させるほどであるという。天文学者ケプラーは、かつて宇宙創生の大爆発ビッグバンは、宇宙における米粒の大規模な爆発である事を証明した。一説では、米の主成分であるデンプンが麦芽糖に変わる瞬間、核融合に近い性質のエネルギーが生まれるのだという。つまり、一杯の茶碗とは言わば小さなプラントのようなものである。
古代の人々は、武器としての米を、まず高床式倉庫に群がるネズミの撃退に用いた。米をかすめ取るためにノコノコとやってきたネズミに、ふっくらと炊き上げた米の塊をよってたかって投げつけるという強烈なアイロニー。それがだんだんと対人間の兵器へと変わっていった。人々は「クニ」を作り、領地を奪い合うようになった。その際、戦争では人々は互いにふっくらと炊き上げた米を投げつけあった。一度の戦闘において、百キロもの米が消費されたというから驚きである。この、米を互いの陣地から敵陣に投げ合うという行為は、後のバレーボールの起源となった。

そんな日本に、リア=ディゾンよりも早く、ある黒船が来航した。モンゴルから遠征して来た彼等の侵略を、後の世の人は「元寇」と呼ぶ。彼等は自慢のてつはうを主力武器として日本相手に戦いを繰り広げた。だが、日本には一人の猛将がいた。それが、竹崎季長(すえなが)である。彼は、当時の日本の中で一番の米投げ野郎として名を馳せていた。彼の米投げがなぜ、そこまで有名であったのか。それは、彼の投げていた米が、干し飯や強飯だったからである。米を乾燥させて作るそれは、ふっくらと炊き上げたものより、無論硬い。つまり、より攻撃力の高い米を、武将ならではの筋力で投げつけていたのである。まさに、侍ジャイアンツさながらである。こうして、日本は神風も助けとして、元を追い返した。日本は、米に救われたのである。もし、日本に米がなかったら、今の相撲界は全員モンゴル人力士だった事だろう。

その後、日本では戦国の世を迎えるが、実は海外でも米が国を動かしていた。フランスでは、皇后マリー=アントワネットが「パンがなければ、コメを食べれば良いじゃない」と言った事に端を発する、フランス革命が起きた。ドイツの宗教家ルターは、著書「キリスト者の自由」の中で、「キリスト教とは何か。お米である」と書き記し、宗教改革の口火を切った。ソ連の有名な革命家レーニンの髪型は、米粒を意識したものだと言われている。

日本に話を戻そう。戦国時代、織田信長は日本で初めて、合戦において米に海苔をつけた。たくあんも添えて。彼はその柔軟な発想で、武田の軍を始め多くの軍勢を破っていったのである。その思想は秀吉に受け継がれ、そして家康にも受け継がれていった。そうして訪れた平安の世に、米の申し子と言える男が登場する。
それが、徳川第八代将軍、吉宗である。彼は、世界は米でできていると考え、日本全国全ての土地を水田にする計画を立てた。アメリカのライス長官は、彼の子孫と言われている。また、後に日本で米騒動を起こした人々は、吉宗の思想に強く影響を受けていた。彼らが、米問屋を打ち壊す際に、その手に直心Ⅲを携えていた事はあまり知られていない。
この米将軍の思想に目をつけたのが、平成の世の暴れん坊将軍、松平健その人である。彼は、吉宗の思想を世に広めるべく、ある歌を書き上げた。しかし売れなかったためもう一度書き直し、結果として大ヒットを記録したのがあの「マツケンサンバⅡ」である。あのステップは宇宙を、そして上半身の動きは水田にすくすくと育つ稲穂を表現していると言われる。つまり、宇宙の上には米があるという主張を、身をもって体現したパフォーマンスなのである。

さて、如何だろうか。自分がこれまで、いかに米の事を知ったような気になっていたか。まざまざと思い知らされたに違いない。ここで一つ言っておきたいのは、この文章に書いてある事はほぼ全てウソであるということだ。もし信じてしまった人は、米でも食べてしっかりと頭に栄養をつける事をオススメする。一粒の米には六人だか七人だかの神様がいると言うが、ならば一度の食事でどれだけの神様を噛み殺しているのか。これはもはや虐殺と言わざるを得ない。まさに、「神は死んだ」のである。

なぜ、今回は長々と米の話を書いたか。それは、私の弓の師匠が「米」津さんだから、である。他に理由などない。こんな四年生で申し訳ないとは思うが、私は反省も後悔もしない。なぜなら、ディズニーやサンリオの真似もしていないし、タバコを吸って解雇されるような行いもしていないからである。

ありがとう、日本。

ラフ・メイカー (2)

2007-04-02 00:55:56 | 
せっかく外に出たんだし。
そう思ったので、アパート近くの公園に向かった。
別に、何をするでもなく。
ただ、自然と足がそっちに向いていたから。

公園にはこれまた家族連れやら爺さん婆さんやらが多くいて
もう、正直気が滅入ってしまった。
立ちっぱなし、歩きっぱなしで足がだいぶ疲れていたので
近くのベンチに腰掛けてみた。
ベンチに座って、改めて周りを眺めてみる。
桜の木と、それをもてはやす人々。
少し暖かくなったからって、外出てきやがって。
見る人見る人が目障りに映った。
今日明日ぐらい、こんな気分でいたって良い。
オレにはその権利がある、と開き直る事にした。

しばらくベンチに腰掛けていると
調子の外れた鼻歌がどこからか聞こえた。
落ち着いた状態で聞いていればかなり笑えるぐらい
その鼻歌は調子っぱずれだった。
だが、今のオレの気分では
どう聞いても、ただの耳障りな騒音だった。
聞けば聞くほどイライラしてくる。
音の発信源を探そうと、周りを見渡した。

・・・いた。あいつか。
中肉中背、これといって特徴のない男が、発信源だった。
近くでは、子供達がそいつを取り囲んではやしたてていた。
オレの位置からじゃ顔は見えないが
そんなにおかしな顔なのだろうか。
近くに寄って、イライラした分一発ぶん殴ってやろうかと思ったが
それすらもやる気が起きなかった。
しばらくは、何もやる気がしないのだろうな。
そう思った。

このまま公園にいてもイライラが募るだけなので
とりあえずアパートの部屋に帰る事にする。
ベンチから立ち上がった時、近くでしていた犬のションベンがひっかかった。

もう、なんというか、最悪だった。

行きと同じように桜並木を眺めながら
アパートの一階にある自分の部屋に
一時間ぶり、に帰った。
気分が、外出する前より悪くなっていた。

部屋の中には、ただ一人。
自分の現状を、冷静になって振り返ってみる。
田舎から出てきたが、大学受験には全部落ちた。
田舎にいる彼女には、もう振られた。
この先の見通しなんか、何もない。
外に出れば、人が幸せそうでムカつく。
散歩すれば、犬にションベンひっかけられる。

なんなんだよ。
オレの人生、一体なんなんだ。
今はもう、ただ
自分が可哀相で
みじめで
哀れで

気づいたらオレは泣いてた。
涙を止める方法があるなら、教えて欲しかった。
すごい量の、涙。
部屋の畳を、あっという間にびしょびしょにしてしまった。
でも、そんな事どうでもよかった。今は。
ただ、泣くという単純な行為を
しばらくの間続けていたかった。
涙が枯れるまで。

そんな時だった。
玄関の扉がノックされたのは。

ラフ・メイカー

2007-03-28 11:49:59 | 
憂鬱な気分だった。
それも、ただ憂鬱なだけじゃない。
とんでもなく、憂鬱だった。

季節はもう春になろうとしているのに
オレには何も良い知らせなんかなかった。
むしろ、逆の知らせの方がよく来たというべきか。
一年前に田舎から上京してきて
東京の大学に入ろうと、この一年間必死に勉強してきた。
住居は、四畳半の狭くて息苦しいアパートに一人暮らし。
良い環境、とは言えなかったが
大学に入る事を考えたら少しも苦じゃなかった。
なのに

受ける大学という大学に
全て落ちた。

滑り止め程度に考えていた所にすら、かすらなかった。
この春から晴れて浪人決定。
そんな事実がオレを強く打ちのめしている真っ最中だった。
田舎にいる彼女には、試験の結果は逐一報告していた。
最後の大学に落ちた、という連絡をしてからというもの
彼女に電話がつながらなくなった。

生きていれば何か良い事がある、なんて
とんでもない大嘘だ。
じゃなきゃ、なんで今オレには
良い事が何もないのか。
もう、世界を呪いたい。
そんな気分だった。


部屋にずっといても気分が塞いでしまう。
そう思い、外に散歩に出る事にした。
外は桜が満開で
並木道には大勢の人が桜を見ながら散歩していた。
ひどく、
腹立たしい光景だった。
理由はなかった。
ただ、晴れやかな光景を見ているだけで妙に気が立ってしまう。
これじゃ、何の気晴らしにもならないじゃないか。

(続く)