閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

和本のリテラシーと言う事に・・。

2012-11-17 06:11:52 | 日記
前回からの続き。  このたびの和本は俳句関連のものが多く、今までの扱い本とは少し様子が違って
いる。ものが古今、源氏、百人一首あるいは物語、漢文交じりなら拾い読みでも前後で様子がわかる
し、刊行された参考書は色々あって 何とか正体がわかるが(先の古今集みたいに版本でもよくわから
んものも当然多いが) 句集はもちろん、俳句の本は 版本とはいえ 連綿体の字が慣れなくて読め
ない・・・・!有名な本なら古典文学全集などに載っているけど江戸時代に出た俳句の本は相当な
点数あって地方での出版まで入れたら今読める「刊行物」になっているのはゴクゴク一部だろう。
 中野三敏氏が この頃盛んに「宣伝」していらっしゃる「和本のリテラシー」というのを 見聞き
はしていたが 現実にわが身に降りかかるとはちょっと困った。俳句は短いので一字の読み違えでも
不味いし 俳号が又困る 芭蕉以下の有名人ならともかくも 全集の出ていない俳人は何処のドナタ
さえ探すのは大変。書名さえ「日本の古本屋」で出てこない、ネットで調べても即わかるのは殆ど無い
 題簽の欠けた本となるとお手上げということになる。和本は著作権が無いので刊記もすんなりとは
行かない。後刷、重版、異版は当たり前の世界なのだから。 こうなると普段多くの和本を眼にして
慣れていないと「見当付け」が出来ない。変体仮名と 書誌のおさらいをやらざるを得無いのは 
喜ぶべきなのだろうが いまさら何よ という思いもするし、時間とそして売ってお金にせねば生活
できないのは当然で 困ったものです。
コメント
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