身の丈の幸せ

シルバーデビューですが、日々こもごも何となく、心に残ったことを、かこうかな?

岡山に一人旅して来ました。

2016-09-25 21:48:11 | 日記

母は、生前岡山の最上稲荷を信仰していましたが、管理が難しくなったので、返納の為に

岡山に新幹線で出掛けました。私の弱点は方向音痴 自他共に認めている事実です。

計画は1か月前から、まずネットで

JR西日本おとなび https://www.jr-odekake.net/cjw/otonavi/ で

電話片手に、パソコンを開け、相手の指示道理に登録し、行き先を告げ(岡山)

希望の、行き帰りの時間を言うとパソコンにおとなびが利用できる新幹線時間が

表示されます。

こちらがOKを出すと、座席表が出てきて、座席も予約が出来ました。

料金は往復で半額以下でした。

行きの新幹線までのローカル線と岡山から、備中高松までの往復切符は、

緑の窓口で購入し、

最上稲荷には前もって事情を連絡し、御祓いの時間なども詳しくお尋ねし、

何度も何度もシュミレーションし朝早く出掛けました。

備中高松からタクシーに乗り最上稲荷の本殿傍まで行ってもらい、帰りも

同じ場所に来てもらうように運転手さんに予約を入れ本殿に降り立ちました。

無事に御霊の御祓いも受け、母からの大事な宿題をやり終えたと安堵しました。

帰りも迷うことなく、まだ少し、日が残ってる位に帰路に着くことが出来ました。

一人旅 用意周到ときっと仏様の(母)導きで無事に行けたと感謝!





母の事を記憶に残す気持ちになりました。

2016-09-08 19:10:08 | 日記

母が旅立って35日が経ちました。お坊様がおっしゃるには、閻魔大王に裁きを受けるのが、

この頃だとお聞きしました。母の一生を娘なりに思うと、33歳で父と死別し、それからは、

親一人子一人の家族になり、専業主婦だった人生から一変して昼夜2交代の仕事や、保健所の

補助等をして、私を育ててくれました。母が偉かったのは、そんな中女性として、自分を

大切にし、お習字の免許や、お茶の免許、お花の免許全て、、働きながら、資格を取り、

先生として、お弟子さんに教えていたことです。

私が覚えているのは、家では、習ったことの復習を欠かしたことは、無かったです。

私が、テレビに夢中になっていても、傍で、お茶のお点前など、欠かさずにしてました。

私が、成人する頃から海外旅行に目覚め、一人ででも出掛けるようになりました。

行ってないところは、「南極と北極位かな」と言っていました。

若いころに満州に行っていたので、大正生まれの母でしたが、外国には、あまり違和感が

無かったようでした。

父がいない寂しさを、海外旅行で、紛らしていたのだと、思われます。

しっかりもので私には厳しい母でしたが、最後頃、母は娘の姿を、幼子が追うように

見つめ、「ここにいるよ。」と話しかけると、安心したよううつらうつらと、眠りに

ついて穏やかな、寝顔を見せてくてました。

母の最期は、私が、病室に着いてから一時間も経たないで旅立ちました。

私は、母の下の世話もする事無く、病院のお蔭で、苦しむ姿を見る事もなく、

あっけない別れでした。

最後に医師が「老衰でしたね。家族に見守られて遺かれたのが一番良かったことです。」と

説明され、母は生き切ったのだと、生き様に感心させられました。

どうぞ閻魔大王様、母を極楽浄土へと御導き下さい。父と会えるのを心願します。

南無・・・・・