常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

秋の山遊び

2010年09月30日 | 季節の便り



子供のころ秋の山行きは、何にもまして楽しくてその情景が今でも脳裏に浮かんでくる。

しかし 山の好時期は秋の農繁期と重なって、子供といえども遊び時間は極端に制限されてしまった。

あの頃の農作業はおしなべて人手に頼っていたからである。


何しろ 小学校にも農作業を手伝うための農繁休日が1週間ほどあったのだから。

都会の1カ月に及ぶ夏休みの長さをずっと羨望し続けたけれど、春と秋の農繁休日、厳寒期の寒中休みを加えたら逆にお釣りが出たかも知れない。


農作業が一段落したころ合いに親父の口から「今日はキノコ採りに行くか」なんて言葉が聞かれると子供たちは有頂天になった。

あの頃の里山は生活の一部で、良く手入れされた林や草原が連なっていた。

 

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多重債務のこと  塩尻ぶどうの郷ロードレースで優勝  

2010年09月29日 | 季節の便り

ウメモドキが色づいて秋が深くなる。
それぞれに、それぞれの出来事があっても、季節は無関心である。
社員の家族が多重債務を抱えて行き詰まっているらしい。
その筋から、事務所に「社員を出せ」と凄みを利かせた電話が頻繁と入るようになったという。
昨日弁護士に相談して、その種の電話が来たら「弁護士が対応しますので、お手数でも00番にお願いいたします」
と応答することにした。
今回の多重債務についての詳細は知らないが、借りたものは必ず返すという、社会の基本的ルールがないがしろになっているように思えた。
また そのようなルール違反を正当化する専門家も存在するようで、世の中はますます混迷を深くする。
社員の家族が一致協力して返済する誠意を示すことから打開策が生まれる。
安易なその場しのぎが今の事態を招いたことを反省し、その上で法の助けにすがることだ。


第3回塩尻ぶどうの郷ロードレース
中学生の部表彰式
  


26日に開催されたロードレースで中学生の部を走り、大会新記録で優勝した孫星矢君。
夏休みの鉢伏山登山が良いトレーニングになったらしい。
弟の桂悟君も小学生の部を走り100人中17位と健闘した(ゼッケン3081)。



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しゅうりん

2010年09月28日 | 季節の便り


秋霖というのだろう、ぐずついた空模様が続いている。

昨日は隣組の103歳で大往生した人の告別の式があった。

この方(女性)がなくなったので、町会に明治生まれはいなくなってしまった。

年々自分より年上の人が少なくなって、番付けが少しづつ上がってゆく事にくすぐったい思いがする。

100歳を越した人の告別式にはある種の明るさがある、隣席者に「俺も後30年か 長いなあ」と能天気な事を言ったら、「せいぜい精進に励め」と10年先輩が忠告してくれた。

 

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柿の効用

2010年09月27日 | 来し方


「柿が赤くなると医者が青くなる」
「柿が色づく頃は気候も良くなって、病人が少なくなるから」と「栄養豊富な柿の効用で病人が少なくなる」が語源にあるらしい。
私が実感したのは、深酒した時に食べる柿の効果である。
これは自信を持ってお勧めできる、。
あるテレビを見ていて柿の威力を知ってから気がついたことがある。
昔は 家の周りや、畑の土手に大きな柿の木があって、秋になるとたわわに実った赤い柿を見るとなぜか安心したものだ。
冬 炬燵に当りながら食べた熟柿や、真っ白に甘い粉をまぶしたような干し柿をおやつ代わりに食べて育った。
それが今の元気に連なっているように思へた。
庭先の柿の木に熊が昇って柿を食べていたという話もよく聞いた。
年を経て世代も変わって、いつの頃からか柿を食べなくなった、熊が登った柿の古木も切り倒され、その切株も朽ちて久しい。
果物文化から柿は消えてしまった感がある。
しかし 柿の持つパワーは、サプリメントをはるかにしのぐ事を改めて知った。
今年は柿を食べよう


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放射冷却

2010年09月26日 | 常念100景



今朝の寒さを予言するような昨日の夕空だった。
雲や霧は地球を優しく包む衣類なのだろう。
それらをはぎとられて地表はすっかり冷えてしまった。
温度計は8℃を指して、人は活動力を失ってとりあえず小型ストーブで暖をとった。
もうすぐとりあえずでは済まなくなる。
春の終わりに戸外に出した「寒がりたち」を屋内に呼び戻す準備も始めなくてはならない。



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金木犀

2010年09月25日 | 季節の便り

秋明菊


金木犀の香りがするので風の方向を振り返ると、小粒の黄花が群がって咲いていた。
いつもの事だけれど秋の澄んだ匂いで開花を知らされる。
そうなると、集落の中を抜ける小道に沿った家々をたどりながら、香りの散策に出る。
鼻炎で一時臭覚が著しく減退し、香りのない世界に生きた事がある。
それは味気ない世界であった。
いつだったか金木犀の匂いが嫌いだという人に会った。
理由を聞くと、トイレの様な匂いだからと答えた。
何と罪深い芳香剤であることか。


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秋の夜の酒

2010年09月24日 | 常念100景


夕焼けの舞いが終わると空はせかされるように色あせて、残っていた空を,黒い雲が,幕を引くように覆い始めた。
気が付くと、空の青い色彩を背景にした山脈の頂までが、夜の闇に包まれいた。
急激な気温の低下に耐えきれず、晩酌は超辛口という日本酒「熊ころり」を熱い燗にした。
喉に伝わる熱燗と、小芋の取り合わせが心地良さを誘う。
僅かな酒と、季節の食べ物が少しあれば充分だ、至福の一時である。、ここでも本物の秋を見つけた。
先日まで、冷えたビールに涼を求めていたことが、遠い日のことのように思われた。
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夕焼け

2010年09月23日 | 常念100景




秋彼岸は雨の一日になった、墓参りに集まった近在の姉妹たちも仏壇に向かっての焼香で供養を済ませた。
夕方雨が上がって、ひと時の美しい夕焼けを見た。
雨に洗われた空で、流れる雲が形を変え、色を変え、めくるめくように乱舞した。
今年の長い夏が終わって、次の季節に進む自然のセレモニーなのかもしれない。
北国の高い山には、もう白い冬の調べが漂い流れて積もり始めたらしい。


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仲秋

2010年09月22日 | 季節の便り




予報によると月が出るころの天気は雨マークになっていた。

仲秋の満月が気になるのは、月の名所で名高い姨捨を三日前歩いにたからである。

高台に位置する、20基近い句碑が林立する月の名所に立って東の空を眺めた。

ここから眺める月は、狭い谷間を囲む山頂から昇る月に比べて、霊感に与えるインパクトの種類や深さが違うのかもしれない。

信濃毎日新聞は「けさの一句」に姨捨ゆかりの句を取り上げた。

(おもかげ)(をば)ひとり泣く月の友 松尾芭蕉

姨捨山は古来棄老伝説で知られたところで、月の名所として名高い。

月をみていると棄てられた老婆の面影が浮かんでくる。今宵は彼女を友として月を眺めよう。

我が「信濃の国」唱歌にも「来る人多き、筑摩の湯(浅間、湯ノ原) 月の名に立つ姨捨山」と歌われている。

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姨捨山

2010年09月21日 | 季節の便り
彼岸花
棚田に彼岸花 が咲いていた。


姥捨山の麓に耕された小さな水田群は取り入れの秋を迎え活気にあふれていた。
棚田をめぐりながら、そこここで姨捨ゆかりの伝説を諸説聞くことができた。
それらの話は全て美しかった。人の心とはそういうものであろうと思う。
しかし 人減らしのために棄老、間引きがあったことも、客観的に考えて否定できない。
美談と残酷物語は裏腹である、だから人は月を見て心が洗われるのだろう。
仲秋の名月が間近い。

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