世界一の瞬間、レッドソックスの
本拠地・フェンウェイパークのマウンドに立って
いたのはやはり上原だった。
最後の打者、M・カーペンターを空振り三振に斬って取ると、 右拳を突き上げ、さらに両手でガッツポーズ。捕手のロスに勢いよく抱きつかれると、咆哮(ほうこう)しながら右手の人差し指を天に向かって高々と掲げた。 自らを「雑草」と称した男が、
38歳にして世界NO・1を誇示した瞬間だった。
「うれしい以外ないです」。世界一を勝ち取った上原は、続けて言った。
「…早く休みたいです」。
大阪・東海大仰星高時代は全くの無名選手だった。浪人を経て入学した大体大で、ようやく才能が開花。巨人入団1年目の1999年に20勝を挙げて沢村賞を獲得するなど実績を積み上げた。海外フリーエージェント権を行使し、2009年にオリオールズ入り。だが、相次ぐ故障に泣かされた。
1年目に右肘腱を部分断裂し、その後も右肘や左太もものけが。レンジャーズでリーグ優勝に貢献した11年は、プレーオフで3本塁打を浴び、ワールドシリーズの出場登録を外されたこともあった。
夢にまで見たワールドシリーズの大舞台。5点差がつき、セーブのつかない場面でも指揮官は迷わずマウンドに上原を送った。
球場を包む大きな「コージコール」の中、「1点、2点ぐらいはいいという気持ち」でマウンドに上がった。そして、先頭打者の8番・ジェイ、9番・デスカルソを連続で左翼フライに仕留めると、最後は1番のM・カーペンターを「あれが生命線なんで」と得意のフォークで空振り三振。見事に3者凡退で期待に応えた。
「今年はちょっと出来すぎ。自分でもちょっと怖いんで、“ゆっくり休め”と自分自身に言いたいですね」と結んだ上原。その目の縁は真っ赤に染まっていた。【sponichi com】
父は日本語・息子は父と同じユニホームで準備運動を真似る、流暢な英語でインタビュウに答える姿が微笑ましい。日本人として自慢げさえ感じさせる・・・・・
日本から流出する優秀選手に抵抗感を感じながらも・・・・
上原、田沢選手に官房長官称賛 「野球少年に夢と希望」(共同通信)
おめでとう!