平方録

冬休みの特別な勉強

朝ご飯を終えると、漢字を5つ覚え、誕生日にプレゼントしたまどみちおの詩集を読むのを最低限の日課として課せられている姫は、遊びたくてうずうずしているのだが、30分程度は諦めて机に向かうのである。
昨日、その日課をこなした後、突如「ねえ、戦争のお話をもっとして」といわれ、思わず顔を覗き込んでしまうくらい驚いた。

前日、散歩帰りに通った忠霊塔のいわれを説明してあげた時に、もう一冊のプレゼントである安保法制に反対する立場で書かれた絵本に関係して、70年前に日本が大きな戦争をして負けたことなどを話してあげたのだが、その話が記憶に刻まれてインパクトを与えたものと見える。
幼いなりに得体の知れない恐怖を感じたのだろう。恐ろしいが故にもっと知りたいのである。
小1が子どもなのだと侮ってはいけないんである。

それで、戦争というものは兵隊さんだけが怪我をしたり死んでしまったりするだけではなく、兵隊さん以外の赤ちゃんもお母さんも子どもも、おじいさんやおばあさんも、戦争に行かなくたって、みんな辛くて悲しい思いをするんだよ。食べるものだってなくなり、着るものだって沢山はつくられなくなるから、破けたりしてもそれを着ていなくてはならないんだ。誕生日やクリスマスにプレゼントされるおもちゃなんか作られなくなっちゃうんだ、などと説明した。
加えて、戦争をする相手の国にも姫のような女の子がいて、一生懸命勉強しているのに爆弾が飛んできたり、家が壊されたりして逃げ回ったり、友だちが死んでしまったり、怪我したり、辛く悲しい目に遭うんだよ。
お父さんが戦争で死んでしまうかもしれない。
日本も相手の国も、どっちの国の人たちも辛く悲しい目に遭うんだよ、と話してあげると、息を殺すようにしてじっと聞いている。

漢字や九九を覚えたりする勉強も大切。教室ではなかなか学べない、こういう話を聞くのももっと大切。冬休みや夏休みはそういう勉強をするためにあるのだ。
子どもがたくさんのことを学べるように、大人はうかうかしていられないのである。

隣町のこども館に出掛け、プラネタリウムや科学知識を応用した遊具がそろっていて、それが見るだけでなくほとんど体験できるので、好奇心旺盛な姫は大喜びである。
高度経済成長期に内陸部に大型の工場団地を造成して企業誘致に成功した湘南の中核的な都市は財政が豊かなためか、子どもまで含めた公共施設がとても充実している。
しかも、日本では草分けのような施設も多く、このこども館もかれこれ30年以上は経つ斬新なデザインの施設である。

それに引き換え、わが街は住民市民税の高いことで知られる街だが、それがいったいどこに消えてしまっているのか、こども向けの施設は皆無と言ってよい。
子どもを連れてのんびり過ごせる都市公園すらなく、遊具に至っては、他都市で見られる遊び心をくすぐるような遊具ひとつない。
それでも市立と名のついた自然公園が2つあり、いずれもごく近所なのだが、これが呆れて開いた口がふさがらないのだ。

何と12月29日から1月3日まで門扉を閉ざしてしまい、出入りできるのは猫やネズミの類である。
人間サマは締め出されたままなのだ。
一体だれのための何のための公園なんだ?
公園というものは、休みの日に市民が憩うためのものじゃぁないのかい。

年に1度の正月休みに、おせちを食て腹ごなしに散歩に出ても、税金を投入して、わざわざ自然公園と名付けて保全している自然から締め出される光景はブラックユーモアとしか思えない。
へそで茶を沸かす類の噴飯さである。

こういう現実を知ってか知らずか、新聞で触れられた記憶は無いし、議会で問題にならないのかと訝るのだが、何年も現状のままだから問題になったことすらないのだろう。
新聞記者も議員も実に気楽なもんである。オメデタイ話じゃぁありませんか。



円覚寺の日当たりの良い居士林の庭ではロウバイが満開になっている=2015年大晦日
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