2016年1月号の東洋はり医学会機関紙『経絡鍼療』に年頭所感を投稿、掲載されました。
東洋はり医学会は創設されて57年目 1959年5月17日 福島弘道、小里勝之、高橋泉隆、高橋秀行、里見豊也の5名の視覚障害者の発起人をもって「東京古典はり医学会」として発足。
その後、全国組織に成長しました。1968年に会名を現在の『東洋はり医学会』に変更し、視覚障害者だけに留まらず晴眼者も受け入れ、さらなる発展を遂げています。
国内36支部、海外17支部となっています。
私は長崎支部に所属し、患者様のあらゆる疾患に対して対応できる経絡治療を『素問』『霊枢』『難経』など、古典に根ざした治療法で柔らかいタッチで鍼を扱い、患者様と向き合っています。
今年の年頭所感の掲載は 23名 それぞれの思いが書かれていました。
僕の掲載内容です。
年頭所感 長崎支部 緒方昭浩
新年を迎えると新たな気持ちでスタートできる喜びを毎年味わっています。 夫婦のこと、家族のこと、治療院経営のこと、友人のこと、ご指導いただいている諸先輩のことなど生かしていただけているありがたい気持ちで感謝しています。
今年2016年は私が生まれ育った佐賀県有田町は日本で初めて磁器の焼き物を作り始めて 400年目に当たります。朝鮮から連れて来られた陶工たちによって、有田で日本初の磁器が誕生。(1616年に陶祖 李参平が有田にて日本初の磁器の焼成に成功したとの伝) 白い器が日本で作られるようになりました。
そんな伝統ある焼き物も売上高は伸び悩み、窯業界で新たな奮起が望まれる中で昨年は新しい取り組みが多く目につきました。 伝統とは何だろうか、昔から受け継いだ技術、販売の仕方、器の使い方を継承していくことが伝統を守ることではないと感じさせる思いを強く感じました。
一番の老舗の窯元での話として、内の窯元では職人は作品を作るのではなく、伝統の技術を継承していく技術者。不器用な方が良いと言う。器用は個性に通じ自分のものを作りたくなる。職人になるための反復する修行に耐えきらんことが多いと言われた。
時代が移り変わり変化している中で、昔からの技術を受け継いで行くのが生き残りの技という考えには異論をも感じました。
しかし、もう一人の陶工からは創造するセンスを磨く努力を惜しむなと言われた。世界中の陶磁美術館へ忙しい中でも足を運ぶことを惜しまずに今でも続けていると話されました。写真では感じ得ない大きさ、感触、色合い、使われる環境などを想像しながら器を見ていると新しい発見があると言う。修行で盗み学んだ技術に新しいものに挑戦する心、夢を抱く心を学ぶと言う。
仕事の合間に5%でいいから別の世界を見る目を養いなさい。
その努力が新たなあなたの将来の礎に成るかも知れません。
いろんな人の話も聞きなさい。 自分もいろんな世界を見ながら更なる芸術性を高める努力をしていきますと話されました。
長崎支部、昨年の年頭の辞で中田会長が書かれている実行スローガンに沿った考えを共有し、積極的参加を心掛けました。
新たな年を迎え、新しい支部長の元、会員皆で学術のレベルを更に上げれるよう邁進していきます。
今後とも諸先生、諸先輩のご指導ご鞭撻何卒よろしくお願い致します。
以上です。 時代と共に病態も変化し、病証も時代と共に変化しています。 我々が受けるストレスも多種多様となり、パソコン、スマートフォン等での障害もその一つです。
これからも様々な気の変化をとらえ、患者様に寄り添った治療をしていきます。
いつでも、同じ場所で、同じ気持ちで来院される患者様をお待ちしています。
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