昼過ぎまで昨日のが残っていたけど、2時過ぎにはた。
久し振りに仕事場へ出かけた。仕事とプライベートのメリハリをつけるため、妻と二人の仕事場を設けたのは、6年ほど前だ。「自宅で仕事をしない」と決めていたのだが、世の中は思い通りに行かない。諸般の事情から、今は自宅で仕事をするはめに陥っている。仕事場へ行くのは、必要な資料を取りに行くのと、郵便物のチェック位で、なんとも納得のいかない状況だ。
今日も、 . . . 本文を読む
ていると油断していたら、いつの間にか。そのままず~とだ。
昼から小学校のクラス会があり、上野広小路近くの会場で盛り上がった。卒業して何年になるのか、計算するのも面倒だが、恐らく50年近く経っているだろう。二人の先生を含めて24人が集まった。僕は生き方自体アバウトだから、これもそれ位はいたということで、正確ではない。ベビーブームど真ん中で、1クラス67人から68人いたから、出席率はいい方かも知れな . . . 本文を読む
朝はだったのに、気がつくとになっていた。
子供達のリクエストで、夕飯はパスタ。我が家のパスタは、ミートソースと納豆が定番になっている。作り手の気まぐれで、時折、タラコイカや梅じそが加わることもある。今は納豆パスタも珍しくないが、僕は学生時代から食べていた。当時、渋谷に「壁の穴」というパスタ専門店があり、そこで生まれて初めて納豆パスタを食べ、感動し、自分でも作るようになったのだ。納豆を包丁で細かく . . . 本文を読む
気持ちよくていたのに、午後から、夕方にはだった。
我が家代々の墓は雑司ヶ谷にある。亡くなった人をどこで感じるか。僕はその感じられる場所が、あちらの世界とこちらの世界の窓口というか、通信場所と思っている。ある人にとっては仏壇の前であり、ある人にとっては墓の前であり、またある人にとっては、一緒に出かけた海であったりもするだろう。僕の場合、感じる相手は父親で、感じる場所は墓の前に限られている。墓の前に . . . 本文を読む
たりたり。
夕飯の買い物に上野まで出た。不忍池の桜は七分咲き。週末はまたバカ騒ぎの人でいっぱいになるのだろう。
花見はもともと貴族の遊びで、古くは桜ではなく梅だった。梅の花を愛でながら、その下で歌を詠んだ。江戸時代に入り、庶民も花見をするようになったが、なぜか桜に変わっていた。落語に「長屋の花見」という演目がある。かまぼこの代わりに大根の漬け物、卵焼きの代わりにたくわんを重箱に詰め、酒がないから . . . 本文を読む
朝から麗らかな。暖かくて Happy。
こんな日は外に出たい。ちょっと遠くまで歩きたいのに、それが出来ない。だからイライラする。夕方まで我慢していたが、結局我慢しきれず、鎮痛剤を飲んでしまった。
なんだか、やたらと鎮痛剤を飲んでいるように思われそうだが、決してそんなことはない。きちんと考えてはいるのだ。この辺、さすがに大人だ。どんな風に考えているかというと、頭痛を四段階にランク付けしている。
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素晴らしいでした。
朝起きると、まずコーヒーを入れる。コーヒーがないと、なんとなく一日の始まりという気がしない。学生の頃は、特にコーヒーが好きということもなかったが、いつの頃からか、コーヒーは生活の必需品になっていた。以前、小さなコーヒーメイカーを使っていた時は、続けて2回入れ、それを大きなポットに移しかえて飲んでいた。小さなコーヒーメイカーが壊れ、今度は大きめの物を買ったので、今はポットに移す . . . 本文を読む
朝からで、昼前から少し。夕方から再びだったね。
久し振りに収録のため大宮まで出かけた。東京生まれの東京育ちの僕は、番組のスタート時、収録は大宮と聞き、正直なところ、遠いなァ…と思った。毎回大宮まで行くのは、考えただけで疲れそうな気がした。以前、この放送局が浦和にあった時代は車で通っていた。つまり、浦和でさえ、僕は電車で行くのが面倒だったのだ。
実際に番組が始まり、大宮まで電車に乗ってみて驚いた。 . . . 本文を読む
ちょっと寒かったけれど、でした。
昼過ぎに高校時代からの友人がやって来た。僕の通った高校は進学校で、まるで予備校のようだった。同じクラスで机を並べていても、彼らは友人ではない。同じ学年の生徒全員が競争相手だ。そんな中で唯一人、在学中から家へ遊びに行ったり来たりしていたのが彼だった。お互いに何が気に入ったのか未だに判らないが、卒業後別々の大学へ進んでも、付き合いは続いた。その勢いで、一緒にデザイン . . . 本文を読む
一日、穏やかな。
救急車に乗った。これで4回目だ。
最初は、5年前の冬。心筋梗塞を起こした母親をK込病院からN大病院へ転院させるためだった。生まれて初めて乗る救急車に、僕は病人そっちのけで笑顔になっていた。次は4年前の春、一時帰宅していた父親の容態が急変し、K込病院へ搬送した時。ストレッチャーに乗せられ、表通りの救急車へ運ばれる父親を見て、もう家へは戻れないだろうと覚悟を決めた。3回目は2年前 . . . 本文を読む