山の頂から

やさしい風

パラオの国旗

2009-05-22 16:24:31 | Weblog
 
 【日の丸】に似たパラオ共和国の国旗には意味があることを初めて知った。
そして、先人たちの心意気と行動に涙しつつ誇りに思った。

 我が国から3000キロも南にあるパラオ共和国は、
第一次大戦の時、それまでドイツ領であった南洋群島を、
日本が開放(大正3年1914年)した。
その後、第二次大戦終了(昭和20年1945年)までの31年間、
日本の委任統治領とされて、自治が認められた。
パラオは独立国家として大統領制をとり、国名もパラオ共和国となった。

 歴史的にも深い関係にあり、国旗のデザインは、
島民多数の応募の中から「日の丸」に似た「月の丸」が選ばれ、
日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている。

 太平洋戦争が勃発し、ペリリュー戦(守備隊長・中川州男大佐)と、
アンガウル戦(守備隊長 ・後藤丑男少佐)の為に、
守備隊長は南太平洋島民を強制疎開させた後、
日本軍だけで米軍と戦い、最後は全員が戦死(玉砕)した。
「帝国軍人は、お前ら土人と一緒には闘えん!!」
しかし、この言葉の裏には島民を犠牲に出来ないという思いが含まれていた。

 米軍兵力42000人に対し日本軍は12000人。
アメリカは3日で制圧できると目論んでいたが、闘いは2年半にも及んだ。
島を死守しようとした日本兵の壮絶な戦いは、今もパラオでは語り継がれている。

 玉砕戦で、神社が破壊されるまで島の安泰と繁栄を祈願してきた「ペリリュ-神社」
戦後、「ペリリュー神社」を再建し、戦死者一万名もあわせ合祀。
現地の人達の親日感情はこのように強いという。

 現地に残る記念碑には、こう書かれている。
【この島を訪れる諸々の旅人達よ、
あなたが日本の国を通過することあらば伝えて欲しい。
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気とその心根を・・・】

 日本の旗に似ているので、青地に月の旗にしたそうだ。
日の丸の≪太陽≫に照らされて洋上に輝く≪満月≫
しかし、日本に敬意を表すため、余りに似すぎていては失礼と、
少し月がずれているという。
私達は、しっかりと背筋を伸ばし日本を誇れる国として、
努力を重ねていかねばならない。
           【ソース:≪ねずきちのひとりごと≫より】

 この先、親日国を大切な友とし、
日本を貶めようとするような国とは距離を置き、
目を見開いて付き合っていくことが必要ではないかと思う。



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