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野田内閣閣僚一覧

2012-03-30 09:13:37 | 資料
■ 野田内閣閣僚一覧

内閣総理大臣

氏名 野田 佳彦(ノダ ヨシヒコ)
生年月日 1957年5月20日
所属院 衆議院
選挙区 千葉県4区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 5回
政党 民主党

▼内閣法第九条の第一順位指定大臣(副総理)
▼行政改革担当
▼社会保障・税一体改革担当
▼公務員制度改革担当
▼内閣府特命担当大臣 (行政刷新)

氏名 岡田 克也(オカダ カツヤ)
生年月日 1953年7月14日
所属院 衆議院
選挙区 三重県3区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 7回
政党 民主党


▼総務大臣
▼内閣府特命担当大臣 (沖縄及び北方対策) (地域主権推進)
▼地域活性化担当

氏名 川端 達夫(カワバタ タツオ)
生年月日 1945年1月24日
所属院 衆議院
選挙区 滋賀県1区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 8回
政党 民主党

▼法務大臣

氏名 小川 敏夫(オガワ トシオ)
生年月日 1948年3月18日
所属院 参議院
選挙区 東京都
当選回数 3回
政党 民主党


▼外務大臣

氏名 玄葉 光一郎(ゲンバ コウイチロウ)
生年月日 1964年5月20日
所属院 衆議院
選挙区 福島県3区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 6回
政党 民主党

▼財務大臣

氏名 安住 淳(アズミ ジュン)
生年月日 1962年1月17日
所属院 衆議院
選挙区 宮城県5区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 5回
政党 民主党


▼文部科学大臣

氏名 平野 博文(ヒラノ ヒロフミ)
生年月日 1949年3月19日
所属院 衆議院
選挙区 大阪府11区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 5回
政党 民主党

▼厚生労働大臣

氏名 小宮山 洋子(コミヤマ ヨウコ)
生年月日 1948年9月17日
所属院 衆議院
選挙区 東京都6区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 5回
政党 民主党


▼農林水産大臣

氏名 鹿野 道彦(カノ ミチヒコ)
生年月日 1942年1月24日
所属院 衆議院
選挙区 山形県1区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 11回
政党 民主党

▼経済産業大臣
▼原子力経済被害担当
▼内閣府特命担当大臣 (原子力損害賠償支援機構)

氏名 枝野 幸男(エダノ ユキオ)
生年月日 1964年5月31日
所属院 衆議院
選挙区 埼玉県5区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 6回
政党 民主党


▼国土交通大臣
▼海洋政策担当

氏名 前田 武志(マエダ タケシ)
生年月日 1937年10月22日
所属院 参議院
選挙区 比例区
当選回数 6回
政党 民主党

▼環境大臣
▼原発事故の収束及び再発防止担当
▼内閣府特命担当大臣 (原子力行政)

氏名 細野 豪志(ホソノ ゴウシ)
生年月日 1971年8月21日
所属院 衆議院
選挙区 静岡県5区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 4回
政党 民主党


▼防衛大臣

氏名 田中 直紀(タナカ ナオキ)
生年月日 1940年6月19日
所属院 参議院
選挙区 新潟県
当選回数 6回
政党 民主党

▼内閣官房長官

氏名 藤村 修(フジムラ オサム)
生年月日 1949年11月3日
所属院 衆議院
選挙区 大阪府7区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 6回
政党 民主党


▼復興大臣
▼東日本大震災総括担当

氏名 平野 達男(ヒラノ タツオ)
生年月日 1954年5月2日
所属院 参議院
選挙区 岩手県
当選回数 2回
政党 民主党

▼国家公安委員会委員長
▼内閣府特命担当大臣 (消費者及び食品安全)
▼拉致問題担当

氏名 松原 仁(マツバラ ジン)
生年月日 1956年7月31日
所属院 衆議院
選挙区 東京都3区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 4回
政党 民主党


▼郵政改革担当
▼内閣府特命担当大臣 (金融)

氏名 自見 庄三郎(ジミ ショウザブロウ)
生年月日 1945年11月5日
所属院 参議院
選挙区 比例区
当選回数 8回
政党 国民新党

▼国家戦略担当
▼内閣府特命担当大臣 (経済財政政策) (科学技術政策)
▼宇宙開発担当

氏名 古川 元久(フルカワ モトヒサ)
生年月日 1965年12月6日
所属院 衆議院
選挙区 愛知県2区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 5回
政党 民主党


▼内閣府特命担当大臣 (防災) (「新しい公共」) (少子化対策) (男女共同参画)

氏名 中川 正春(ナカガワ マサハル)
生年月日 1950年6月10日
所属院 衆議院
選挙区 三重県2区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 5回
政党 民主党

▼内閣官房副長官

氏名 齋藤 勁(サイトウ ツヨシ)
生年月日 1945年7月10日
所属院 衆議院
選挙区 南関東ブロック
当選回数 3回
政党 民主党


▼内閣官房副長官

氏名 長浜 博行(ナガハマ ヒロユキ)
生年月日 1958年10月20日
所属院 参議院
選挙区 千葉県
当選回数 5回
政党 民主党

▼内閣官房副長官

氏名 竹歳 誠(タケトシ マコト)
生年月日 -
所属院 -
選挙区 -
当選回数 -
政党 -


▼内閣法制局長官

氏名 山本 庸幸(ヤマモト ツネユキ)
生年月日 -
所属院 -
選挙区 -
当選回数 -
政党 -

▼内閣総理大臣補佐官 (政治主導による政策運営及び国会対策担当)

氏名 手塚 仁雄(テヅカ ヨシオ)
生年月日 1966年9月14日
所属院 衆議院
選挙区 東京都5区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 3回
政党 民主党


▼内閣総理大臣補佐官 (行政改革及び社会保障・税一体改革等担当)

氏名 寺田 学(テラタ マナブ)
生年月日 1976年9月20日
所属院 衆議院
選挙区 秋田県1区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 3回
政党 民主党

▼内閣総理大臣補佐官 (外交及び安全保障担当)

氏名 長島 昭久(ナガシマ アキヒサ)
生年月日 1962年2月17日
所属院 衆議院
選挙区 東京都21区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 3回
政党 民主党


▼内閣総理大臣補佐官 (内政の重要政策に関する省庁間調整担当)

氏名 本多 平直(ホンダ ヒラナオ)
生年月日 1964年12月2日
所属院 衆議院
選挙区 埼玉県12区[ 選挙区詳細 ]
当選回数 2回
政党 民主党

▼内閣総理大臣補佐官 (政治主導による政策運営及び国会対策担当)

氏名 水岡 俊一(ミズオカ シュンイチ)
生年月日 1956年6月13日
所属院 参議院
選挙区 兵庫県
当選回数 2回
政党 民主党



内閣閣僚名簿 | 内閣副大臣名簿 | 内閣大臣政務官名簿

吉本隆明さん死去

2012-03-18 10:52:59 | 近況
吉本隆明さん死去:晩年まで独自の思考を重ねる
2012年3月16日 12時28分 更新:3月16日 16時0分


書斎で仕事をする吉本隆明さん=東京都文京区で松田嘉徳撮影 戦後最大の思想家、吉本隆明さんが亡くなった。晩年まで衰えることなく独自の思考を重ね、筆を執り、日本と世界の状況に鋭いまなざしを向け続けた。思想界の「巨星」にふさわしい87歳での大往生は、「戦後」と呼ばれた時代の完全な終わりを告げるものといえる。【大井浩一】

 終戦時、20歳だった吉本さんは文字通り青春を戦争の中で送った「戦中派」だ。自分がかつて皇国青年だったことを、戦後も一貫して公言していた。文学活動は詩作を通じ、生きる意味を徹底して問うところから始まるが、背景には敗戦に伴う深い喪失感と、一転して民主化を掲げた周囲への違和感があった。

 「時代のイデオローグ」と見なされるようになったのは、1960年代の学生運動を通じてだった。60年の安保反対闘争では反日共系の全学連主流派と行動をともにした。運動の挫折体験を通じ、「自立」「単独者」と表現される隔絶した思想的立場を固めた。60年代末の大学紛争では、全共闘の学生たちの間で「教祖」的な絶大な影響力を持った。

 吉本思想の特徴は、日本のアカデミズムにありがちな西欧からの“借り物”の学問と異なる点にある。そして、常に「現在」の問題を取り上げ続けた。70年代以降、批評の対象は心理学や宗教、古典など幅広い領域へ拡張を続けたが、民衆の立場に寄り添う「大衆の原像」という思考の立脚点は揺るがなかった。

 ソ連・東欧崩壊のはるか前に社会主義体制の行き詰まりを喝破する一方、消費中心への資本主義の変質にも早くから注目し、先鋭な分析を加えた。豊かな文学性と生活感情からくみ出された批判の情熱と詩的な論理は、若い世代を含む広範な読者を魅了し続けた。

 晩年は糖尿病による視力の衰えに悩まされたが、年に数冊の本を出し続け、思考の健在を示していた。2011年12月には石川啄木没後100年をめぐる毎日新聞の取材に応じたが、その後、体調を崩した。12年1月刊行の「吉本隆明が語る親鸞」が事実上の最後の著作となった。

 ◇評伝=誠実で穏やか 庶民的な雰囲気
 記者が吉本隆明さんに初めて会ったのは1997年。既に70代だったから、晩年と言っていい。以来、2度の聞き書き連載などで度々話を聞いたが、偉そうなところはまるでなく、不思議なくらい肩の凝らない人だった。

 語尾に「ぜ」や「さ」が付く東京の下町言葉で、話し出すと止まらなかった。誰が相手でも、誠実で穏やかな熱を帯びた話しぶりは変わらない。初対面の人は決まって「これが、あのヨシモトリュウメイなのか」と驚き、庶民的な雰囲気にひかれた。ある世代の人々にカリスマ的な影響力を持った秘密は人柄にもあったに違いない。
 突き放した言い方になるが、世代を超えた「吉本人気」は、意外と自身の提供する話題性にも支えられていたのではないか。新進批評家として戦後論壇に登場した最初、当時はインテリ層の間で権威の高かった日本共産党や、花田清輝らの論客を相手に、舌鋒(ぜっぽう)鋭く論争を挑んだ。60年安保で学生とともに行動し、警官隊に追われ飛び込んだ先が首相官邸で、逮捕されたという話も有名だ。

 サブカルチャーの分析を通じ消費社会の意味を論じた80年代には、盟友だった作家の埴谷雄高とも論争した。ブランドファッションを身に着けた吉本さんが女性誌「アンアン」に出たのを、埴谷から「資本主義擁護」と非難されたが、逆に倫理主義的なインテリの視線そのものに批判を加えた。96年には海水浴に訪れた伊豆の海岸でおぼれ、辛うじて一命を取り留めるという事故も報じられた。

 熱烈に支持する読者の存在から“吉本教”などとも呼ばれたが、本人は組織の束縛を嫌い、あらゆる権威主義に反骨を通した。安保闘争の敗北後、谷川雁らと同人誌「試行」を刊行し(61~97年。途中から吉本さんが単独で編集)、主要な発表の場としたのもその表れだろう。

 2011年の原発事故後も「反原発」批判の持論を変えなかった。「大衆の原像」に寄り添い、独自の道を歩んだ吉本さんの生涯は、独立した知識人の生きざまとして人々の注目を浴び続けるものだった。【大井浩一】


 ■田中優子

 『週刊新潮』二〇一二年一月五・一二日号に出たインタビューで、要約すると「文明の発達とは失敗と再挑戦の繰り返し」「我々が今すべきは原発を止めることではなく完璧に近いほどの放射線防御策を講じること」という意味のことを吉本隆明は言った。その中で、脱原発は「人間が猿から別れて発達し今日まで行なってきた営みを否定すること」というサル発言が出てき、これが石原の気に入ったようだ。これで脱原発を主張する人は全員サル、ということになった。
 
 
 ■筆洗
2012年3月18日(抜粋)

昨年亡くなったシナリオライターの石堂淑朗さんは、かつて娘を抱いた若い思想家を見掛け、インテリの子どもの抱き方ではないと感銘を受けたことがある▼「その人の一挙措で、その人の全思想を実感させることがあるのではないだろうか」。そう言わしめたのは八十七歳で亡くなった吉本隆明さんだ。時代状況への先鋭的な発言や権威に歯向かうイメージとは裏腹に、素顔は気さくな下町っ子だった▼大衆の中に足場を置き、自らの思想を紡いだ。公言していた権力嫌いの源泉は軍国青年としての戦争体験と戦後、価値観をがらっと変えた社会への反発だった。既成左翼の戦争責任も厳しく追及、孤立を恐れず思索を深めた▼戦後五十年の一九九五年に「戦争と平和」と題した講演が興味深い。吉本さんはここで、憲法に一つ条項を加えれば戦争を防ぐことができるという提案をしている▼国民が主権を直接行使したい時は有権者の過半数の署名を集めて、直接投票で政府をリコールできるという条項だ。「本当に必要な政治的な課題というのは、本当はそれしかないんですよ」と語っていた▼原発の存廃やエネルギー問題の将来も、まさに国民投票によって決めるべきテーマであろう。「大衆の原像」を自らに繰り込んできた思想家が、震災後に湧き上がった反原発の潮流を批判していた真意を直接、問うてみたかった。


■週のはじめに考える 暗闇から世界を見る
2012年3月18日


 「人としての尊厳」が守られるよう、憲法第一三条の重みが増しています。

 「生存」を考えるとき「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する憲法第二五条です。福祉制度の土台とされるこの規定は、経済的に困窮している人たちにとって命の綱となっています。

 近年の経済不振、東日本大震災や原発事故の影響で、生活保護の受給者は過去最高記録を更新し続け、昨年十二月の時点で二百八万人余に達しました。

◆個人として尊重される
 しかし、福祉の内容は財政の制約を受け、実際には「人間としての最低限の生」しか保障されません。現に、自民党は生活保護切り下げを議論しています。精神的な充足感も必要です。

 憲法第一三条には「すべて国民は、個人として尊重される」とあります。一人一人が人格的に自律した存在、「自らの生の演出者」として自分らしく生きる事を尊重されることで個人の尊厳が守られるのだ、と解されています。

 
◆立ちはだかる現実の壁
 第二五条と第一三条をともに機能させてこそ「尊厳ある生」が保たれるのです。

 
 雇用問題一つとっても、社会へ巣立とうとする若者たちの前に、35%が派遣やパートなどの非正規雇用(一一年平均、総務省調べ)という厳しい現実の壁が立ちはだかります。

 雇う側の都合で安易に使い捨てにされる不安に脅かされているのでは、キャリアを重ね、将来展望を描くどころではありません。多くの労働者の人としての尊厳を無視して、日本経済は成り立っているのです。

 大学生たちは、「使いやすく役に立つ人材を早く囲い込みたい」企業の思惑に振り回されて、三年生のうちから就職活動に走り回っています。若者が落ち着いて勉強して知識を蓄え社会への適応能力をつけ、人格を磨くべき大学教育が形骸化しつつあります。

 東日本大震災の被災者、原発事故の被害者はいまだに三十四万人が避難所、仮設住宅などで避難生活を余儀なくされ、生活再建の見通しが立たないまま焦燥を募らせています。

 

友常勉さんの『脱構成的叛乱 吉本隆明、中上健次、ジャ・ジャンクー』

2012-03-15 13:55:27 | 資料
本学講師 友常勉さんの『脱構成的叛乱 吉本隆明、中上健次、ジャ・ジャンクー』刊行 

  (民衆による反制度化の力を示唆する「脱構成的」という術語)


 このたび、本学国際日本研究センター専任講師の友常勉さんの新著『脱構成的叛乱 吉本隆明、中上健次、ジャ・ジャンクー』が以文社より刊行されました。本書は、『現代思想』(青土社)をはじめとした各種媒体に書きためられた2001年から09年までの論考を、大幅に加筆改稿し纏めたものです。友常さん渾身の一冊です。

以文社 2010年10月15日
本体 3,200円 四六判上製312頁

■帯文より:
民衆的な想像力による表現(=脱構成的叛乱)を、私たちはいかにして感知しうるのか? 吉本の〈表出論〉や中上の〈文学的企て〉、ジャ・ジャンクーの〈映画=政治的実践〉の試行をとおしてその相貌を精緻に追及した、民衆思想/芸術論の新たなる展開! 私たちの時代の〈疲労〉と〈歓喜〉。


■本書「序文」より:
本書は(……)具体的な民衆(被差別・中国民衆・農民)の〈叛乱〉についての記述を試みている。(……)〈叛乱〉は、「闘争の偶然」に従っており、「逆転するさまざまな力」、「奪い取られる権力」であり、かならずしも強くはなく、それどころか弱く、卑怯で、「自身に毒を与える支配」、「仮面をつけた別の支配」でさえある。(……)〈叛乱〉はひとつの方向をめざすわけではない。また、常に〈構成的〉であるわけでもない。


■目次:

序文

Ⅰ 吉本隆明の表出=抵抗論
 表出と抵抗──吉本隆明〈表出〉論についての省察

 〈意志〉の思考──一九七八年、ミシェル・フーコーと吉本隆明の対話
 『論註と喩』──反転=革命の弁証法
Ⅱ 中上健次と問題
 中上健次と戦後問題
 「路地」とポルノグラフティの生理学的政治
Ⅲ アジアの民衆表象
 アジア全体に現れている疲労という感覚──賈樟柯『長江哀歌』の映像言語
 震災経験の〈拡張〉に向けて
 街道の悪徒たち──『国道二〇号線』の空間論と習俗論
Ⅳ 農民論
 ある想念の系譜──鹿島開発と柳町光男『さらば愛しき大地』
 一九三〇年代農村再編とリアリズム論争──久保栄と伊藤貞助の作品を中心に


■著者紹介:
友常勉(ともつね・つとむ)
1964年生まれ。法政大学文学部卒業、東京外国語大学博士後期課程中退、博士(学術)。日本思想史。厦門大学外文学院講師、東京外国語大学非常勤講師などを経て、現在、東京外国ドゥルーズ=ガタリは分裂症の本質には、衝動や欲望が内部にむかって押し潰されているところがあると見なした。そして、そのようになっているのは資本主義社会のせいではないかと考えたのだ。いや、資本主義というものはもともとそういう本質をもっているのではないかと考えた。
 なぜならひとつには、今日のような精神分裂症のひどい広がりは古代はむろん、中世近世にも、少数をのぞいて蔓延しているとは想定できない。どうも資本主義の発達と定着にしたがってふえたと考えられる。そうだとしたら、資本主義というものは欲望を内部に溜めてしまう欲望機械であり、分裂症は資本主義社会で自分の欲望に走ろうとしているかぎりは、だれにとっても発症しうるビョーキだということになる。
語大学国際日本研究センター専任講師。著作に『始原と反復──本居宣長における言葉という問題』(三元社、2007年)。

■ドゥルーズ=ガタリは分裂症の本質には、衝動や欲望が内部にむかって押し潰されているところがあると見なした。そして、そのようになっているのは資本主義社会のせいではないかと考えたのだ。いや、資本主義というものはもともとそういう本質をもっているのではないかと考えた。
 なぜならひとつには、今日のような精神分裂症のひどい広がりは古代はむろん、中世近世にも、少数をのぞいて蔓延しているとは想定できない。どうも資本主義の発達と定着にしたがってふえたと考えられる。そうだとしたら、資本主義というものは欲望を内部に溜めてしまう欲望機械であり、分裂症は資本主義社会で自分の欲望に走ろうとしているかぎりは、だれにとっても発症しうるビョーキだということになる。

■コモンズ(Commons)とは、日本語でいう入会(いりあい)の英訳。ドイツ語では Allmende。但し、日本の入会地は、殆どが入会団体などの特定集団によって所有・管理されているため、誰の所有にも属さない放牧地(草原を広範囲に移動する遊牧民でも自由に利用できる放牧地)などを意味する「コモンズ」とはニュアンスが異なる。





和辻哲郎

2012-03-15 07:37:59 | 資料
■1.モンスーン(南アジア・東アジア地域)2.砂漠(西アジア地域)3.牧場(西ヨーロッパ地域)を挙げ、[3]それぞれの類型地域における人間と文化のあり方を把握しようとした。和辻の風土論はユニー

クなものとして受け入れられ、各方面に与えた影響も大きく後の比較文化論などに影響を与えた。


■和辻哲郎 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生誕 1889年3月1日
死没 1960年12月16日
時代 20世紀
地域 和辻倫理学
学派 京都学派
日本倫理学会
研究分野 倫理学
哲学
日本文化史
比較文明学
仏教学

影響を受けた人物:[表示]
マルティン・ハイデガー
西田幾多郎
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
孔子
アリストテレス
夏目漱石

影響を与えた人物:[表示]
中村元
古川哲史
梅原猛
オギュスタン・ベルクほか

和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。その倫理学の体系は、和辻倫

理学と呼ばれる。

日本的な思想と西洋哲学の融合、あるいは止揚とでもいうべき境地を目指した稀有な哲学者と評価される。

主著の『倫理学』は、近代日本における独創性を備えたもっとも体系的な哲学書のひとつであると言われている。

   (戦後いちはやく象徴天皇制擁護論を打ち出し、戦後日本の知識人に彼の哲学全体にある不信の念をいだかせた。)


■かくして我々は自然の合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現れて来たのを見る。ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ「征服さるべ

きもの」、そこにおいて法則の見出さるべきものとして取り扱われた。特にヨーロッパ的なる詩人ゲーテがいかに熱烈な博物学的興味を持って自然に対したかはほとんど我々を驚倒せしめるほどで

ある。人はその無限性への要求をただ神にのみかけて自然にはかけぬ。自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神が造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現れたものとしてである


しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。人はそこに慰めを求め救いを求める。特に東洋的なる

詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、そこに知的興味は全然示さなかった。自然とともに生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱

を目ざした。かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さを持って初めてあり得たことであろう。
人はかかる自然に己れをうつし見ることによって、無限に深い形而上学的なるものへの通路をさし示していることを感ずる。優れたる芸術家はその体験においてかかる通路をつかみ、それを表現し

ようとするのである。

■そして「風土 第四章」はこんな一文で終わっている。

そうして世界が一つになったかのように見える今では、異なる文化の刺激が自然の特殊性を圧倒し去ろうとするかに見える。しかしながら自然の特殊性は決して消失するものではない。人は知らず

識らずに依然としてその制約を受け、依然としてそこに根をおろしている。
(中略)
我々はかかる風土に生まれたという宿命の意義を悟り、それを愛さねばならぬ。かかる運命を持つということはそれ自身「優れたこと」でもなければ「万国に冠」たることでもないが、しかしそれ

を止揚しつつ生かせることによって他国民のなし得ざる特殊なものを人類の文化に貢献することはできるであろう。そうしてまたそれによって地球上の諸地方がさまざまに特徴を異にするというこ

とも初めて意義あることとなるであろう。


■哲学とは何か 著:ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ 訳:財津 理
ジル・ドゥルーズ | 00:46


創造されるということ、自分で自分を定立すること、というこの二つのことは、たがいに折り込み(含意し)あっている。

p.19

概念は、創造されればされるほど自分を定立するのであり、自分を定立すればするほど創造されるのである。

p.19

ゴッホは、<人間-向日葵>を発明することによって、またコンマ状の無限な小さな点からなる平面を描くことによって、はじめて黄色を限界なきものにまで駆り立てる。

芸術家あるいは哲学者はたしかに、一つの民衆を創造することはできないのであって、芸術家あるいは哲学者にできることは、全力で一つの民衆を呼び求めることだけであり、一つの民衆は、いくつかのおぞましい受苦のなかでしか創造されえないのである。

p.158

一方では<歴史>に沿ってかつ<歴史>とともにひとは老いるのだが、他方では、或るたいへん密かな出来事の中でひとは老人へと生成する(それと同じ出来事が、おそらく、「哲学とは何か」という問題を立てることを許すであろう)

ひとは世界内に存在するのではない、ひとは世界とともに生成する、ひとは世界を観照しながら生成する。いっさいはヴィジョンであり、生成である。ひとは宇宙へと生成する。動物への、植物への、分子への、ゼロへの生成。

■哲学、科学、そして芸術が欲しているのは、わたしたちがそうした穹窿(弓形に見える天空。大空。蒼穹(そうきゅう)を引き裂くこと、わたしたちがカオスの中に潜ることである。

 芸術がカオスに対して戦うのは、オピニオンに向ける武器をカオスから借りるためなのであり、信頼しうる武器で持ってオピニオンに打ち勝つためなのである。

p.290


■大江健三郎の著作で、「イーヨー」という主人公の出ている小説を全部知りたい。初出は「新しい人よ目覚めよ」。

回 答
(Answer)

①『静かな生活』
②『いかに木を殺すか』p229-「『罪のゆるし』のあお草」
③『僕が本当に若かった頃』p11ほか、「僕の長男」という表現であり。
④『キルプの軍団』p10、「兄」という表現で出てくる。
⑤『人生の親戚』p10ほか、「僕の長男」という表現で出てくる。

■五月革命 (フランス) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フランスの五月革命(ごがつかくめい)とは、1968年5月10日に勃発した、フランスのパリで行われたゼネスト(ゼネラル・ストライキ)を主体とする民衆の反体制運動と、それに伴う政府の政策転換を指す。パリ五月革命ともいう。

発端と経過 [編集]事件の発端は1966年に起こったストラスブール大学の学生運動で、教授独占の位階体制に対する民主化要求からはじまる。ナンテールに波及し、1968年3月22日にはベトナム戦争反対を唱える国民委員会5人の検挙に反対する学生運動に発展、ソルボンヌ大学に学生の自治と民主化の運動に継承された。ユダヤ系ドイツ人留学生でアナーキストの赤毛のダニーことダニエル・コーン=ベンディット(ダニエル・コーン=バンディ)が指導部の中心にいた。フランス全体の労働者も同趣旨から、民主化に賛同し、運動は拡大した。5月21日にはベトナム戦争、プラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。これに対して、機動隊がこの参加者を殴打したため、抗議した民衆によって工場はストライキに突入し、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥った。「中央委員会」は間接的に援助、各大学もストライキに突入し、このゼネストは第二次世界大戦以来の政府の危機をもたらした。

伝統的左翼政党であるフランス共産党は、影響下にある労組ナショナルセンターであるCGT(労働総同盟)を通じて労働者のストライキを組織したが、ベンディットらの急進的な学生運動を一貫して否定し、バリケードを構築しての衝突や街頭占拠を積極的に推し進めるアナーキストやトロツキストたちを「挑発者」として、激しく非難した。

シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って事態の解決をみた。労働者の団結権、特に高等教育機関の位階制度の見直しと民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。また、五月革命は政治的側面のみならず、「旧世代に反対する新世代の台頭」あるいは「フリーセックス」「自由恋愛」に代表されるような「古い価値観を打破する20世紀のルネッサンス運動」という意識を持って参加するものも多かった。

影響 [編集]この五月革命は、1966年の中国における文化大革命とともに「世界的学生反乱」を大きく波及させた。「反乱」はフランスのみならず、5月11日には西ドイツのボンで50,000人の抗議行動、5月16日にはイタリアのフィレンツェでの大学学生抗議行動、5月18日のローマでのストライキ、遅れて同年夏に開始された東京大学学生占拠に象徴されるような全共闘の活動、又、1968年8月の「プラハの春」などに飛び火し、世界的にも同時多発的な「学生運動」「政治の季節」の導火線となった。

この運動の成果は、文教政策の転換にあり、教授の権限の縮小と、学生の主体性を文部省が公的に承認し、アグレガシオン等の民主化、大学自治の確立にある。

■みすずライブラリー 第2期
サバルタンは語ることができるか
CAN THE SUBALTERN SPEAK ?
著者 G・C・スピヴァク
訳者 上村忠男


1976年にデリダの『グラマトロジーについて』の英訳を刊行して一躍脚光を浴びて以来、スピヴァクはデリダとマルクスの方法を主たる武器にして、フェミニズムとポストコロニアルの問題圏の交差する地点に定位しつつ、現代世界における権力と知識の地政学的布置関係に果敢な介入をくわだててきた。本書は著者の代表作であり、ポストコロニアル批評の到達地平をしめす問題提起の書である。

従属的地位にあるサバルタンの女性について、知識人は語ることができるのか。フーコーやドゥルーズを批判しながら、一方でインドの寡婦殉死の慣習を詳細に検討した、現代思想の傑作である。


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「サバルタンは語ることができるか」の著訳者:G・C・スピヴァク
Gayatri Chakravorty Spivak
1942年、インド西ベンガルのカルカッタに生まれる。カルカッタ大学卒業後、1961年にアメリカ合衆国に留学、ポール・ド・マンの指導のもと、コーネル大学でW.B.イエイツにかんする博士論文を完成させる。現在、コロンビア大学アヴァロン財団人文学教授。1976年にジャック・デリダの『グラマトロジーについて』の英訳を刊行して脚光をあびて以来、フェミニズムとポストコロニアルの問題圏の交差する地点に定位しつつ活躍をつづけている批評家である。著書にIn Other Worlds:Essays in Cultural Politics(1987)、Outside in the Teaching Machine(1993)、A Critique of Postcolomial Reason:Touard A History of the Vanishing Present(1999)などがある。
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。
上村忠男
うえむら・ただお
1941年兵庫県尼崎市に生まれる。1968年、東京大学大学院社会学研究科(国際関係論)修士課程修了。現在東京外国語大学大学院地域文化研究科教授。著書『ヴィーコの懐疑』(みすず書房、1988)『クリオの手紙』(平凡社、1989)『歴史家と母たち』(未來社、1994)『ヘテロトピアの思考』(未來社、1996)『ヴァロック人ヴィーコ』(みすず書房、1998)。訳書 C。ギンズブルグ『夜の合戦』(みすず書房、1986)ヴィーコ『学問の方法』(共訳、岩波文庫1987)U。エーコ『完全言語の探求』(共訳、平凡社、1995)J。メールマン『革命と反復』(共訳、太田出版、1996)ほか多数。


■ 障害者運動等を通して、ある時期から強調されるようになった「障害も個性」という見方です。歴史的に言うと、この考え方は1957年に発足した脳性マヒの障害者の団体「青い芝の会」の主張として知られており、それ以降、我が国で学問的に障害者の問題、自己決定権の問題を扱うときには外すことのできない論点となりました。ただ、こうした考え方が一般に流布したのは、1999年に先天性四肢切断の男性、乙武洋匡氏が「五体不満足」を公開した時代まで待たなければいけないかもしれません。ベストセラーとなった「五体不満足」を通して、多くの人が障害者を受動的でかわいそうな存在とする認識が誤りだったと考え、障害者の主体的な生き方に目を向けるようになったからです。

■ わかってもらおうと思うは乞食の心
タイトルは、
元ウイメンズリブの闘士であり、
今は鍼灸師の田中美津さんの言葉です。

「わかってもらおうと思うは乞食の心」は、「いのちの女たちへ」の中にありました。

■ 逃走電子

 雷雲内の負電荷と正電荷の間の電界によって高速(高エネルギー)の電子が加速されると、効力は低下し電子はさらに高速となる。
 こうした現象が繰り返されることでできた電子(逃走電子)は、ほぼ光速まで加速されていく。

 こうして加速された電子は、多くの空気分子に衝突して次々と逃走電子を弾き出し、その数が指数関数的に増大するという電子なだれをおこす。
 雲の中で電子なだれはどんどん強まっていき、ついにはとうとう逃走絶縁破壊を引き起こす。この時の臨海電界は、15万V/mでおこる。

 こうして、下層に向って電子が流れ出す。(リーダー)

 この電子流自体は長く続かない。高速になった電子はほぼ直進するが、電場が複雑に変化してしている上、電流によって電位差が中和されるため、何十メートルか進んだところで電子の流れはいったん終息する。
 しかし、電子流の先端には電子が蓄積されているので、局所的に強い電界が生まれて、さらに多くの逃走電子が加速されて、再び高速の流れが作られる。

 こうした過程が繰り返されて、ジグザグに進む階段状の電子の経路は地面に達するまのびていく。
 このジグザグに進む電子の経路は、上記と同じくリーダーと呼ばれる。リーダーが通った道筋は、イオン化された空気分子がふんだんに存在して電流が流れやすいので、一種の導線の役割を果たす。

 リーダーが地面に達した瞬間に、地面と雷雲がショートしたことになり、大電流が瞬間的に流れる。この大電流によって空気が最大で3万度まで加熱され、可視光が放射される。その後、高温になった空気が急速に膨張することによって雷鳴がとどろく。この大電流は帰還電撃(リターンストローク)と呼ばれる。
 この帰還電撃の後に、ダートリーダと呼ばれる下向きの放電路がのび、再び落雷がおこる。