八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信400号をアップします。

2023年12月26日 | 八障連通信
八障連通信400号をアップします。



ここからは通信本文です。

【三年にいちどの障害者の福祉計画策定部会報告 記:塚田】
今年度、全国の区市町村で、障害者基本法・総合支援法・児童福祉法に則り、3年に1度の障害者の福祉計画を策定しています。八王子市でも、八王子市障害者計画・第7期八王子市障害福祉計画・第3期障害児福祉計画を策定するための計画策定部会が設置され、約1年かけて計画を作成し、令和6年度より計画したことが実施されていきます。
策定部会は 11 回予定され、2023年11月の第8回まですでに実施され、通信発行時にはパブリック意見の公募時期も既に終え、ほぼ計画は固まっています。次期計画の概要は、市のホームページで詳細見ることができますが、主な内容は下記 6 点になります。
1基幹相談支援センターを設置し、地域生活への移行と相談体制を強化する。
2医療機関と連携した医療的ケア児等コーディネーターを配置し、地域における障害児の生活を支援する。
3地域の実情を踏まえた農福連携の実施を促進するとともに、農業以外の分野とも連携し、職域の拡大を働きかける。
4福祉の人材不足と定着を解消する。
5発達障害者(児)支援の体制づくりを構築
する。
6障害者施設整備方針を作成する。
1は新設されますが、それ以降はすでに配置されていたり、従前からの課題に焦点を当てていますが、施策化までは未知数となっています。
今回の策定部会を振り返ると、前半では八王子市は国の基準が緩和されたことにより6年間の計画を作成することを提案してきたので、いつもの3年間の計画作成と違い期間が短くなることについて、やや紛糾したりもしましたが、結果、3年で計画を見直すこととなりました。
計画期間が決まり、自立支援協議会でまとめた地域課題、各団体から提起された課題、計画に向けて事前に実施されたアンケート内容から現状の課題などが整理され、基本目標→三つの基本指針→五つの柱→各施策へと体系化さ
れました。
中身についても議論はしてきましたが、事前に資料も送られてくるものの取り扱う内容が多く、どうしても部会の中身は事務局からの概略説明の時間が多くなり、議論の時間が限られてしまいます。計画書案も初見では難しい内容なので、各委員からも分かり易さについて指摘もあり、表現の変更や概略版などもありますが、実際、部会で盛り込めることは少なく、必要な情報を得やすいまでには至っていません。その他には、今回新たに障害分野で立ち遅れている圏域化について、明文化できたので、今後取り組むスタート点には立てたかと思います。
計画で取り組めていない様々な課題、特に情報のわかりやすさや圏域化の推進、人手不足による支援力の低下については、八王子市の地域課題として、官民一体となって取り組む課題と考えていますので、引き続き八障連や自立支援協議会と連携し、進めさせていただければと考えています。


【「パラリンビックを目指して」2023 年活動の締めくくり「第 2 日本パラパワーリフティング選手権大会」に参加して 田中 秩加香】
以前に一度、こちらの通信でお話しさせていただいています。肢体と視覚の重複で 6 月から八障連副代表を」仰せつかっております。田中秩加香と申します。
私は肢体不自由のパラリンピック書目になっている「パラパワーリフティング」を競技として活動しております。早いもので、競技を始めて 2 年目の 2023年があっという間に終わりになります。本年は、1 月前年度の「第 23 回全日本パラパワーリフティング国際招待選手権大会」初出場から始まり、80kg を上げ、自己ベスト記録更新。4 月には 2 度目の「第 6 回パラパワーリフティングチャレンジカップ京都」において 83kg をあげ、自己記録更新。8 月のドバイ世界選手権では全て失敗の失格でした。失格によりランキングを 1 つ落とし、10 月の中国でのアジアパラリンピックゲームスには出場が叶いませんでした。そして、12 月は、今年度、私にとって 2 回目の「第24 回全日本パラパワーリフティング選手権大会」が築地本願寺にて行われ、出場してき
ました。第 1 試技 87kg 成功、第 2 試技92kg 失敗、第 3 試技 92kg 成功、第 4 試技 95kg に成功し、優勝並びにベストリフターを受賞。自身としましては、試合ごとに立てる重量を納得いく試技で達成出来た事、自己記録更新出来、2 月のドバイワールドカップ出場が決まり、2023 年を終えられる事を
とても嬉しく思っております。パリパラリンピック出場権獲得までにはまだ道のりがありますが、出来る事をし、1 つ 1 つ確実にしていかれたらと思っております。
終わりに、本年も団体にご理解ご協力賜りました所属団体の皆様には、深くお礼申し上げます。ありがとうございました。良いお年をお迎えください!


【事務局通信 Vol.91】
「WheeLog!」というアプリをご存じでしょうか?車いすユーザー向けにトイレや坂道、ショップなど街中の情報を表示してくれ、更に利用者からの投稿で細かな情報も共有できるものです。Googlemap など既存のアプリでもユーザーからの声はコメントとして共有できますが、更に車いすユーザー向け
に特化したアプリとなります。この情報は先日、八王子市役所内の情報も更新したと八王子市障害者福祉課より連絡がありましたバリアフリー地図アプリ「Bmaps」という障害者、高齢者、ベビーカーユーザーなどあらゆる人を想定したアプリ開発に、日本財団が取り組んでいます。
国土交通省のホームページに「 平成 30 年11 月より施行された高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(平成 18年法律第 91 号。)の改正により、移動等円滑化促進方針等において、バリアフリーマップの作成等に関する事項を定めることができ、市町村の求めに応じて、公共交通事業者等による情報提供の義務づけなどが規定されたところです。」とあり、マップ作製のマニュアルなどの提供もあります。情報機器、アプリなどが進化する中で、障害や高齢の方にとっても便利さが増してきている感はあります。
グーグルマップを活用した地図作成を個人や団体などいろいろな方々が発信しており、障害者手帳に特化した全国の手帳を利用できる情報などのサイトもあります。また、「情報バリアフリーのための情報提供サイト」というサイトでは、情報バリアフリーを進めるための様々な情報が掲載されています。視覚障害の方、聴覚障害の方、高齢の方などに対しての情報提供の制度や既に取り組まれている事例なども提供されています。
しかし、様々な通信手段が進化していく一方で、高齢の方などがペイペイなどの電子決済や地域電子通貨などの支払いやチャージなどの操作方法に戸惑い、店員に確認している場面も多く見られます。通信機器等の進化を活用するには、まだまだ様々な課題があるようです。可能性を秘めたデジタル化ですが、それをうまく活用するのは人間自身の智慧であり、情報機器が発達する中で存在する孤立や分断を超えて、横への広がり、連帯が持てるようなまちづくりも必要に思います。
「WheeLog!」
https://wheelog.com/hp/


「Bmaps」
https://www.nipponfoundation.or.jp/what/projects/inclusive_society/bmaps


「障害者手帳マップ」
https://shougaisya-techo.com/


「情報バリアフリーのための情報提供サイト」
(サイト内 トップページ 通信放送サービス例)
https://barrierfree.nict.go.jp/service/index.html

【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 80】
そう言えば、12 月にスキーに誘われていた。スキーシーズンには 3 泊 4 日の温泉つきツアーを 2 回、近場の 1 泊 2 日や日帰りを 3~4 回、5 年くらい前
から有志を募って行っていると言う。こいつならスキーをやりそうだと思って声を掛けて下さったようだ。穂高に別荘を持っている知り合いのところに、2001年の冬に家族で泊めてもらって一緒にスキーをしたのが最後のスキーだった。その後スキー仲間も見つからず、スキーへの情熱も冷め、道具は不要品の整理を始めた時に捨ててしまったが、ウェアーだけは残っていた。
近場の日帰りや一泊なら、40~50 歳代の女性が参加することもあるようだが、遠くまでの 3 泊、4 泊のスキー旅行となると家を空けにくいとのことで、男性ばかりとなるようだった。平均年齢は 70 歳代半ば、何と 70 歳から始めた人もいるというからびっくり。誘われると行きたくなるのも私の悪い癖であり、この機会を逃すともう一生スキーをする機会はないだろうと考えると寂しくもあった。
話を傍で聞いていた人が道具はリサイクルショップでたくさん売っているよと場所も教えてくれ、行ってくればと言われるままにリサイクルショップに着いた時にはもうすっかり道具を買うつもりでいた。若い頃も中年時代も正月はスキー場で過ごしていたくらい好きではあったのだが、独学のため上級者への壁が厚くもうワンランク上手になれないまま、周りに仲間がいなかったこともあって、沙汰止みになっていた。
癌の手術が分かった時に、1 月の末から予定していた八幡平のスキーツアーはキャンセルして下さっていたが、経過が良好なので再度申し込みをしてもらい、14 年振りのスキー旅行に行くことにした。東北新幹線の車内は空いており、6 人掛けの椅子を向かい合わせにして、すぐに宴会が始まった。8 人の内飲めないのは 1 人だけで、他の人は酒豪ぞろいだった。みなさん、荷物の中に重い酒瓶を抱えて来ていたのにはびっくりした。一升瓶は瞬く間になくなり、720ml の地酒や焼酎が空けられていく様に呆然とした。手術後間もなくでもあり、私はなるべく控えようとしていただいたが、3 合近くは飲んでしまった。晩の宴会が心配になった。
昔行っていたスキーツアーと言えば、修学旅行で行ような安っぽい宿で、料理もお腹を満たせれば良いといった程度のものが殆どだった。今回の旅行は八幡平フリーツアー3 泊 4 日というもので新幹線代を含み、39,800 円だったか。盛岡駅から 1 時間余かかるが、ホテル側がバスを出してくれる無料送迎つき。だから、全く期待していなかったのだが、ホテルに着くと一般的なスキー宿といった感じは全くなく、部屋に入るととても広く豪勢な感じがした。仲間に勧められてインターネットで買い求めたオールインワンのスキーケースを紐解き、スキー道具を所定の場所へ運んだ。若い頃はスキー道具を抱えて電車で出かけたが、スキー道具を抱えての移動が結構大変だった。だから、家族で行くようになった時はすべて自家用車での移動しか考えず、知り合いの別荘を利用させてもらえる時しか行かなかった。だから、今回は
道具をそろえることの他に、移動が大変だなとすぐに思ったのだが、オールインワンケースに道具を入れ、宅急便で送るのだと教えてもらった時にはびっくりした。いやはや便利になったものだ。
普段着に着替え、明日のスキーウェアを整え、早速風呂に向かった。八幡平にははじめて来たのだが、露天風呂がとても広く、おしゃれな感じで、雪景色を見ながらの入浴は格別だった。1 日目は中華、2 日目が和食、3 日目が洋食と料理にも工夫があり、美味しい部類だった。安すぎると言えるとてもお得な旅行であり、温泉旅行だけでも充分楽しめる素晴らしさがあった。誘いに乗って大正解だった。
夜の宴会は、一番酒の強い人の部屋にそれぞれが持って来たお酒を持ち寄った。新幹線の中でも持ち出していたのに、まだ荷物の中には酒瓶が入っていたのだ。「恐れ入谷の鬼子母神」である。夜更けて部屋を去る時に、各種酒瓶がずらっと並んでいる姿に唖然、呆然、自失。


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