八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信383号をアップします

2022年07月15日 | 情報提供
八障連通信383号【pdf版はこちら】

ここからは通信本文

『運営委員就任のご挨拶』社会福祉法人草むら 遠津孝保
初めまして、この度、八障連の運営委員に選任頂きました社会福祉法人草むらの遠津孝保と申します。私は30年間、IT及び経営コンサルとして、主にアメリカのIT企業に勤めてきました。約10年前に家の近所にあるNPO法人多摩草むらの会に縁あり、支援者として勤務することとなりました。NPO法人多摩草むらの会は、約20年前に発足後、就労継続支援B型事業所やグループホームなどを多く運営、主
に精神に障害を抱える方が、現在は500名ほど登録・利用されています。ここで私は、就労継続支援B型事業所『パソコンサロン夢像』の管理者として従事しました。令和元年に、『障害者のみならず、社会や制度の狭間に苦しむ様々な方を支援する』ことを目的に社会福祉法人草むらが設立され、暫くして転籍、特定相談支援事所『ぷらっと訪夢』の管理者を務めた後、現在は事務局長として勤務しています。社会福祉法人草むらは、NPO法人多摩草むらの会より食品製造・加工部門を就労継続支援B型事業所『ぶるー夢』として分離独立、就労移行支援事業所『シャル夢』、特定相談支援事業所『ぷらっと訪夢』を新規に加えた3事業を柱として運営しています。法人設立の目的でもある『障害者のみならず、社会や制度の狭間に苦しむ様々な方を支援する』ため、設立時より自前の事業として、発達障害児とその親御さんに向けた『クリエイティブ音楽ムーブメント』、若年性認知症の方に向けた『活き活き人生相談会』、精神障害の方に向けた『精神医療福祉相談会』の3つのセミナーと相談会を行ってきました。また、新型コロナウイルス感染症がなかなか収束しない状況が続き自殺者が上昇に転ずる中、一昨年より、主に自殺に至る可能性のあるひきこもりの方や社会や制度の狭間に苦しむ方を対象とした『精神保健相談室』を開設、続いて、いのちの電話も開設、自殺に至る可能性のある方への接点も増やしてきました。『精神保健相談室』は、開設時より相談先も拡大し、警察署や自治体、社会福祉協議会、地域包括支援センター、医療機関などからの相談も増えています。私も一般企業での経験を活かし、障害者をはじめとした社会や制度の狭間に苦しむ様々な方が、地域と繋がり安心して楽しく暮らせる社会の実現に少しでもお役に立てるよう頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。

編集部より 
八障連通信 383 号をお届けいたします。7月8日、安倍晋三元首相が銃撃され殺害 されるという歴史的衝撃的な事件が発生し、世間に衝撃を与えました。と同時に、この事件は、ある問題を浮 き彫りにしました。徐々に真相が明るみになってきているところですが、被疑者の山上徹也氏の母の世界平和 統一家庭連合(旧統一教会)への高額献金をめぐる背景が報道で明るみになってきていますが、その背景にも 注目してみたいと思います。家庭環境一つみても壮絶なバックグラウンドも少しずづ明らかになりました。山 上氏の母がなぜ当該教団の宗教にそれほどまでにすがらざるを得ないほどの境涯に至られたのか、その背景に も想いを馳せたいところでもあります。事件の報道に触れながら思うのです。単なる一事例で済まされる内容 ではない、様々な闇と課題を炙り出す事件でもあると思うのです。私たちの生活している今の社会はどんな社 会でしょうか。皆さんそれぞれどのような生活環境でしょうか。家庭と政治、立法府、いろんなものが地続き に影響しているともいえるでしょう。参議院議員選挙も終わりました。これからの私たちのため、10年後の 私たちのために、投票に足を運ばれましたか?(編集部)


連載コラム  Vol.64    幸運な誤解   八障連代表 杉浦 貢
私のような幼少期からの先天性障害児…成人すれぱ障害者…にとって、親というのは最初にして最大の支援者であります。 しかし、『障害者と健常者』という枠組みで考え た場合… 親は健常者でも子には障害があるわけで 当然ながら親子や家族であっても、思考は個別のものであ ります。 しかし、だいたいの場合…私もかつてはそこに悩んだので すが… 『親と子は運命共同体』 という認識から、どうしても離れられず、なかなか分かち 難く考える場面が多いのではないでしょうか? 私も八王子で自立するまでは、親元から離れた後に…どう 暮らして行くのか。親以外に誰を頼ればいいのだろうか… という悩みを長く抱えておりました。 時が流れて、自立した今現在の私からすれば… 『最初にして最大の支援者(親)といえども…最高の理解者と は限らない』 ということは、折に触れ、忘れてはならないことかと思っ ています。 親は、たしかに…社会で出会う他の人…に比べれば、我が 子と長く接し、深い所までよく知っているでしょう。 しかし…親には障害がなく、子には障害があるわけで… 障害を外から眺めている場合と、自分自身の心身の状態と して直接感じる場合とでは、かなりの認識の差があります 。 親が『この子にはできる』と判断したことが障害児本人に は不可能と感じるようなことであったり、 あるいは親が『うちの子にはムリ』と判断していることも 、いざ本人にさせてみればあっさりクリアしてしまったり 、 親子であっても、意外な面、理解できない面は常にありま す。 または…本人が見えていないものも親には見える。 本人が絶対無理だと感じることも、親に背中を押されるこ とで…できるようになる、やってみたら上手くいった…と いう幸運で前向きな事例も、たまには、あったりしますね 。 これより後にお話することは、別に障害の有無には関係な く、全ての親と子に当てはまることなのかもしれませんが … 『親なのだから、子どものことはなんでも理解できて当た り前』だとか 『子は親の心身の一部』というように、親も子も、互いを 自己の延長、互いを自分の分身のごとく考えてしまう場合 がよくあるようです。 身近に接する時間が長く、一見して仲の良い親子ほど、こ うした錯覚には陥りやすいように見えます。 しかし真実は、親子であっても別々の人間。 脳と心が別である以上、せいぜい《赤の他人より、多少は 相手の考えが読める》という程度のことに過ぎません。 親は子を、子は親を…完全に理解し把握することはできな  いのでしょう。 できるのは…相手を完全に理解している。…かのように個 別に、勝手に 都合よく『思い込むこと』だけなのです。 親子で同居し、障害のあるお子さんを親御さんが支援する 場合。 または障害のある親御さんを子どもさんが支援する場合… 『親子の絆』を根拠として、互いに依存している場面を、 たまに見かけることがあります。 親子で同居し、親子で支援したりされたりすることについ ては… それぞれのご家庭、ご家族によって、様々にご都合、ご事 情のあることでしょうから、私からはとやかくは申しませ ん。 親子で支え合うことが必ずしも悪いことだとは…思いたく はありませんが… 『家族の絆』という… 『たまたま、双方に都合の良い幸運な思い込み』に頼って 生活するよりは… 何年にも渡る長い目で見た場合には、親子の間に第三者を 入れる。 家族以外の誰かに支援を求めることも、いずれ必要になる と思います。 どんなに仲の良い家族であっても、互いに疲弊する時は必 ず来ます。 どんな人でも、自分以外の誰かに対して、無限に、無償で 奉仕することはできませんし、無限に、無償で依存するこ ともできません。 親も子も、真の意味で 互いを心から大切に思えばこそ… いざと言う時には、互いに距離を置いてみることが肝要で あると私は考えています。

  遮断機を命綱に!     ハーネス八王子 鈴木由紀子
鉄道駅の施設は、利用者の立場から言うと、時に夢のような楽しさも運んでくれる、楽しく、便利な場所である。しかし、目の見えない私たちにとっ ては、時に命の危険にもさらされかねない恐怖の 場所でもある。  電車の乗降口が、ぱっくり口をあいている駅構内のホー ムは「欄干のない橋」と例えられるもので、ほーむからの 転落事故の大きな原因として問題視されているインフラで ある。  一方、道路上に突然現れる鉄道の踏切も、適切な配慮が ないと危険な場所である。今年の4月下旬、奈良県内の近鉄 線の踏切内で、ほとんど全盲に近い視覚障害のある女性が 、特急電車と衝突して死亡するという痛ましい事故が起き てしまった。それは職場から自宅へ向かう、慣れた道での 事故で、物事に慣れてしまうことの奥に潜む危険や怖さに も気付かされる、ひと事とは思えない衝撃的な出来事であ った。  私の行動範囲内にも、何カ所か踏切がある。台町の心障 者センターから甲州街道に出るためには、途中で中央線の 踏切を渡らなくてはならない。道順は頭の中に描けている けれど、その踏切に近づいたと思うだけで胸の鼓動がドキ ン・ドキンと速く、大きく頭のてっぺんにまで伝わってく る。運良く誰か通り合わせた人がいると気付くとSOSを出 して「すみません、私と一緒に渡っていただけませんか」 とお願いすることもあるほど、怖い場所なのである。  どうしても一人でその踏切を渡らなくてはならないとき 、私はいつも、1回遮断機が下がり、電車が通りすぎて警報 器が鳴りやむや否や、脇を通る車接触しないように注意し ながら、レジーナと渡っていく。盲導犬は動線をしっかり 見て一緒に歩いてくれるので、白杖時代よりは安心である が「いま危険な場所にいるのだ」という、どうしようもな い不安感は私の頭から消えないのである。  踏切内は独特の世界。電車が通って、車輪がレールとこ すれたときの残り香なのか、特有の金属臭もあり、それが 心理的な違和感を誘う。盛り上がっている部分もあり、足 もとが不安定で、つまずかないように、とにかく、このス トレスがかかった状況から速く抜け出したいと願いつつ歩 く。首尾よく渡り終えた途端には、安堵の念さえ込み上げ てくる。  さて、目が見えない私たち自身が踏切内で事故に遭わず 、安全に利用するために、どうしたらよいのだろうか。こ の点で考えられることの一つは、私たち視覚障害者の歩行 技能とも言えるもの。しかし、鉄道事業者や自治体に整備 していただきたいこともある。    目が見えない私が単独で行動することを選んだ時点で、で きる範囲で自分の行動に責任を持つという「社会人として  の責任」が私にもあると思っている。  ところで、4月の事故報道の中では、その女性が事故に遭 う直前に、ポケットから何かを取り出している様子が防犯 カメラに写っていたと伝えられている。ハンカチかもしれ ないし、スマホかもしれないが、それは謎のままである。 いずれにしても、特に踏切のような危険度の高い場所で、 私たちは冷静かつ慎重に行動しなければならない。ほかの ことを考えず、ひたすら歩くこと、踏切を渡ることに全神 経を集中するべきである。したがって、そのような思慮深 さも備えた歩行技能を、しっかり身につけておかなくては いけないということになりはしないだろうか。同行援護サ ービスと言って、視覚障害者が出かけるときに介助してく れるサービスは非常にありがたいけれど、そのサービスに は時間制限があり、障害者の生活をまるごとカバーするこ とはできていない。それなら、各市や各町に専門の歩行訓 練士を配置して、視覚障害者自身が自由に、安全に街で買 い物その他の用事をこなせるようにするという「自立」を 積極的に押し進める取り組みも欲しい。  鉄道事業者に考えていただきたい望ましい設備として、 踏切の起点と終点に「ここから、ここまでが踏切です!」 と足の裏で触ってわかる特徴的な印しが欲しい。もともと 踏切の手前には、ところどころに踏石と思われるものがあ るが、それは連続していないので、なかなか私たちには確 かめられない。やはり、街の信号機の場所と同様に、踏切 独自の警告用点字ブロックが必要であると感じている。  さらに、4月に事故に遭った方は、ご自身がそのとき、ど こに立っているのか分からなくて、10秒ぐらい踏切内で立 ち止まり、既にほとんど渡り終えていたのに、逆に歩いて 電車と接触したと伝えられている。咄嗟の状況判断が求め られる場面だが、そのようなときは手を伸ばして遮断機を 探し、それにしがみついて電車が通りすぎるのを待てば、 少なくとも命は助かるのではないかと、その事故の現場を 視察した専門家が話していた。遮断機と電車との間には80 センチぐらい隙間があるので、遮断器にしがみついていれ ば、風圧にも耐えられると言うわけである。それは正気で いられないほどの状況なのだけれど、もしそれで生還でき たら、遮断機は「命綱」の役割を果たしたことになる。  事故で亡くなられた方のご冥福を、心から祈ります!

連載コラム B型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久
その65
高尾山の神秘的な雪景色を撮影できたビギナーズラックに始まった写真撮影はその後も続いており、300回くらいに及ぶ高尾山ハイキングには9 割方カメラを持って行き、花や風景を中心に撮 影してきた。未だにどこへ出掛ける時もカバンの中に一 応カメラを忍ばせているのだが、最近はシャッターを切ることが少なくなっている。もうひとつはまり込めない 壁があり、撮りたいなと感じる被写体に出会っても、近 くに人がいるとカメラをカバンから持ち出すのが恥ずか しいとも感じ、妙にためらわれるのだ。  理系から文系へと大きくシフトし始めた高校1年の 秋頃からいろいろな文化的なものに触れ始めた。情緒的 な発達が遅れていたのだ。文化的なかおりがひとつもな い中で育ち、感情を抑え込むことで生き延びざるを得な かった家庭環境にも一因があると思えるが、今回は触れ ないことにする。高校生という多感な時代に文化的なも のに触れ始めると、飢えたオオカミのようにむさぼり始 め、絵画展や写真展、書道展などにこまめに足を運ぶよ うになっていった。  写真に限って言えば、その頃に見たロバートキャパ の写真には釘付けになり、国内外の有名な写真家の作品 展にも少しは足を向けるようになった。しかし、自分で 写真を撮ろうとは考えなかった。お金のかかる趣味であ り、そんな経済的なゆとりはないと感じていたからであ る。その後日本が豊かになり、日本の団体旅行客が世界 中を駆け巡るようになった頃、「ノウキョウ」「カメラ 」は日本を揶揄する言葉として世界中でささやかれるよ うになった。その頃、私は目の前の風景をじっくり堪能 もしないで写真ばかり撮りまくる人たちをバカな人たち と斜に構えて見ていた。 いつ頃だったか写真機が日本に入ってきた頃、世間で は「写真を撮られると魂が抜かれる」と言われていたと いう話を聞いた時に、面白いと感じると共に妙に納得す るところもあった。その時以来自分自身の容姿への劣等 感も影響して、「魂を抜かれるから」と言って写真を撮 られるのを避けるようになった。高校1年時の舞台写真 や竹内演劇研究所時代の舞台写真が全くないのはその習 慣が続いていたからで、今から考えると何とバカなこと をしたのかなと後悔している。 デジタルカメラが出始めた頃、手のひらに収まる小さ な丸いおもちゃのようなカメラが安かったので衝動買い した。現像代が要らないのでお金がかからないし、記録  用として1台あっても良いかと考えたのだが、そのカメ ラで絵画のような素敵な画像が撮れるとは考えもしなか った。喫茶店「馬天使」オーナーの保高さんも写真をや り始めてから、お店で年2回くらい写真展を行うように なっていた。ビギナーズラックの雪景色をA3版という大 きなサイズでプリントしてもらい、初めて出品させても らった。 高尾山には1600種類の花があると言われており、ほぼ 一年中どこかに花が咲いている。ただ、絶滅危惧種のよ うな花は登山道からは見えにくいところにひっそりと咲 いていることが多く、その存在を知る人でないと見つけ ることが難しい。毎年そういう花の存在を確かめて歩い ている人がいて、たまに出くわすと教えて下さる。木陰 の奥まったところに咲く小さな花を撮影することの難し さを感じ、2011年2月12日に中級クラスのキャノンEOS- 60Dと一緒にマクロレンズと三脚を買い求めた。マクロ レンズは結構楽しませてもらったが、三脚はほとんど使  っていない。高尾山だと空間的ゆとり、普段だと時間的 、精神的ゆとりがなく、なかなか三脚をセットしようと いう気持になれないでいる。 EOS-Kiss X3を買い求めた後だったか、とても寒い朝 のこと。「シモバシラ」がうまく撮れなかったという失 意を抱き、気持ちも浮かなかった。ケーブルカーの山頂 駅のすぐ近くから6号路へ下っていく上級者向けという 啓示版が降り口に立っている急峻な坂道を下り、びわ滝 のすぐ横の階段に差し掛かると凍っていた。慎重に足を 運び、下から3段目まで下り、ホッとした途端に足を滑 らせてしまった。なんとカメラをかばって、右手小指を 骨折(ヒビが入った程度で収まった)。599mの山で何た る様かと自己嫌悪。「なめたらいかんでよ!」と菅原文 太の声が脳内を駆け巡った。


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