八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信390号

2023年02月22日 | 情報提供
八障連通信390号

事務局通信
「自閉症を伴う知的障害者らの一部に見られる自 傷行為などの「強度行動障害」をめぐり、厚生労 働省は10月4日、障害者の住まいや生活支援に あたる人材育成のあり方に関する検討会を立ち上 げた。自宅で状態が悪化した人を一時的に施設で 受け入れてアセスメントし、環境を調整して元の 住まいや新たな住まいに移す「集中的支援」の在 り方を議論する。  同日発足した「強度行動障害を有する者の地域 支援体制に関する検討会」(座長=市川宏伸・日 本発達障害ネットワーク理事長)が2023年3 月をめどに報告書をまとめる。」(福祉新聞より ) 障害者の住まう場所を施設や病院から地域へ移行 していく、地域で支えていく、当たり前に地域で 暮らすという方向で国際障害者年から始まり、障 害者基本計画の策定、障害者プラン~ノーマライ ゼーション7か年プラン、その後と流れを経てき ましたが、数十年が経過しても未だに施設待機者 があり(そのニーズがあるという現状)、精神科 病院への長期入院者も少なくない状況があります 。それでも関わる方々の努力で少しずつでも目に 向かって前進していると思えますが、施設でも病 院でも入所者或いは入院患者への虐待事件がニュ ースに流れるのも度々ある状況です。 先日行われた「令和4年度(2022年度)八王子市 障害者地域生活支援拠点事業報告会」に参加しま したが、新たな生活支援に取り組まれている実践 報告の中で相談支援者が口々に言われるのが「マ ンパワー」と「受け入れ先」の無さです。人手不 足はどの業界でも共通の課題の一つですが、専門 性が乏しいことも挙げられていました。またそう した人員を確保する財源的な裏付けも乏しく、こ れについては先の国連からの勧告でも地域で暮ら すことへの支援に財源をという指摘もあったこと から今後に期待したいですが…。 支援者の質の向上は強度行動障害の方への地域支 援体制検討会でもあげられており、全国的な課題 となっているようです。 2023年度は八王子市も障害者計画・障害福祉計画 と障害児福祉計画の次の3か年計画を策定する年  度となります。財政的裏付けなど施策面の整備、 支援者の専門性など支援力の質の向上に加えて人 権、権利擁護などの理解の深まり、当事者も含め た市民全体の障害者への理解と人権感覚の深まり 、既存の概念を再構築する福祉業界全体の変化と 業界の縦割りの壁を乗り越えて取り組む新たなア クションなど少しずつでも誰もが住みよいまちづ くりに取り組めればと思います。  強度行動障害を有する者の地域支援体制に 関する検討会 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_2818 7.html

八王子市が2023年度予算案発表 高尾山
口駅前に公園整備など(八王子経済新聞)
https://hachioji.keizai.biz/headline/3550/

あゆみ寄る姿勢 ハーネス八王子 鈴木由紀子
私が盲導犬と歩き始めて12年余り。そ のうちの10年間は、少し気位が高いアー サに、今はちょっと神経質なレジーナに支 えられて過ごしています。  私がレジーナとまちを歩くとき、レジー ナは目の前の人と一定の距離を保って、ニ アミスをしないように歩いてくれます。も し私たちの足もとにペットボトルやビニー ル袋が落ちていたら、それらも避けて進み ます。もし小さな路地や駐車場から車が静 かに出てきたら、レジーナはその手前で瞬 時に止まるので、私が車にぶつかるという 危険な目にも遭わないのです。  曲がり角に来ると、その手前で止まって 「右・左・真っすぐ・・・どっちに行くの ?」と私の指示を待ちます。さらに、階段 や歩車道の段差も、その手前で止まって知 らせます。エスカレーターの手前では、私 たちが進んでいる方向から「上り」と「下 り」を区別して、足や爪を段差の間にはさ むこともなく、上手に乗り下りします。   レジーナは全く声を出さないけれど、必 要な情報を、決められたサインで私に伝え てくれるので、私はスムーズに、安心して 街を歩いて買い物をしたり、バスや電車に 乗って出かけたりすることができるのです 。したがって、あらゆる場面でレジーナに 支えられて過ごしていると言って過言では ありません。  一方、犬にはお店の看板が読めないし、 電車やバスの時刻表も読めません。また、 犬の目が届かない遠くのことは全くわから ないし、信号の色を識別することもできな  いので、通りがかりの人にもたくさん助け てもらいながら暮らしています。しかし、 街で声をかけてくれる人も増えて、多く 、「偶然の出会い」を楽しむ等、白い杖を 使って歩いているときに比べて一段と周囲 の人たちと、つながることができるように なったと実感しているのです。  さて、盲導犬ユーザーが必ずと言ってよ いほど遭遇するのが「盲導犬同伴時の入店 拒避」です。もちろん私も例外ではなく、 非常にショッキングな出来事がありました 。  私の大好物はパン。就職して初めてアパ ート探しをすることになったとき「おいし いパン屋さんが近くにあること」も条件の 一つにしたほどです。  私が盲導犬と歩くようになってからも、 パン屋さん通いは欠かしませんでした。大 きな食料品店に盲導犬と出かけるときは、 案内者がいても、私は盲導犬とお店の中を 歩いて品物を選びますが、パン屋さんでは 違います。入り口の近くにスペースを見つけて盲導犬を伏せさせて、私はそこに立っ たまま店員さんに声をかけてサポートを依 頼します。そして、陳列棚にどんなパンが 並んでいるか、新登場のパンはあるか等と 会話しながら好きなパンをいくつか選び、 会計もその方に依頼するという方法で、う まくいっていました。  ところが、いまから1カ月ほど前のある 日訪れたパン屋さんで、ショッキングなこ とがあったのです。私がレジーナを座らせ て一人の店員さんから商品説明を受けてい たら、別の方がやってきて「あのー、盲導 犬を外につないでいただくことはできませ んか」と言われました。言い方は静かでし たが、私にはその問いかけが意外でした。 私はそれ以前にも何度かそのお店を利用し たことがありましたが、盲導犬を伴ってい ることを責められたことは一度もありませ んでした。また、そのお店では障害のある 方も働いていると聞いていましたから、障 害者が盲導犬・聴導犬・介助犬、つまり身 体障害者補助犬を伴ってお店に入ることに ついて、店の営業者には受け入れ義務が法 律で定められている、そのことを、その方 も知っていると思っていたのですが、そう ではなかったことになります。  そのとき私は意外な展開に驚いたり、不 愉快になったりして「この盲導犬に誘導し てもらわなければ、私は一歩も動けません 。それに、私が盲導犬とお店の販売スペー スに入ってよいということが、法律で決め られているんです」と言ったら、その方は それ以上何も言いませんでした。そして私 は欲しいパンをいくつか、しっかりゲット してお店を出ましたが、何となく後味が悪 い気持ちを抱えたまま過ごしました。  そのお店の一郭ではパンだねをこねたり 、具材を混ぜ合わせたりして新たなパンづ くりをしていることも私は知っていました  から、衛生面に気を遣うことは十分理解で きました。しかし、盲導犬と一緒の私も、 そのお店の「こだわりのパンの味」のファ ンとして認めていただきたいという思いも ありました。  私たちユーザーの必須の責務は、盲導犬 を常にきれいに保つことです。私たちは、 日々小まめに盲導犬をブラッシングしたり 、シャンプーしたりして、行く先々で出会 う人たちを不快にさせないように努めてい ます。また、出かけるときは盲導犬に洋服 を着せて、毛が落ちにくいように配慮して います。  障害がある人の社会参加を進めるため、 我が国では長い年月をかけて「差別解消法 」や「ほじょ犬法」が出来ました。その事 に合理性があると認められたから「法律」 や「決まり」が作られるわけですが、冷静 に考えると「ルール」を振りかざすだけで は不十分。ルールの本質的な意義、この場 合であれば、私には盲導犬のサポートが必 要なこと。もしレジーナをお店の外につな いでしまったら、私はそこから一歩も動け ないことを、その店員さんに理解していた だくという姿勢も必要なのだと思い直しま した。お店の営業者も、客もそれぞれができる限りの配慮をしたり工夫をしたりして、お互いに歩み寄る姿勢が必要なのだと思うのです。みんながそのような努力を重ねることで、共生社会が実現するのだと私は信じています。

編集部より 
八障連通信 390号をお届けいたします。
2月18日と翌19日、旧労政会館で開催された八王子相談ネットワーク主催の「困りごと相談会2023」に八障連もスタッフとして参加いたしました。困りごと相談会では食料品や日用品の無料配布や、弁護士をはじめ労働組合そして福祉相談など窓口を設けておこなわれました。3月4日には八障連福祉フォーラムが開催されます。体験については、会場が体育館ではないことから思いっきりは出来ません。壁など備品を壊さないように注意しながらの体験となりますことご承知おきくださいませ。おもいっきり体験したい方は、参加してくれるプエンテさん主催の3/18エスフォルタアリーナで開催されるパラスポーツ体験イベントも合わせてご参加ください。(編集部)

連載コラム B型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久
闘病史 その72
早速8日の朝、明日入院できますかと電話があ った。あいにく8,9、10日と第三者評価の仕事 が組んであったので、仕事が入っていて無理で すと断った。「今日の電話で、明日入院できる 人っているのかね?いろいろ準備ってものがあ るでしょ。」と内心つぶやいていたが、もちろ ん口には出さなかった。仕事とは言え、親切に 電話を掛けてくれている女性に悪態をついても お互いに不愉快な想いをするだけである。11日 に再度電話をもらった時に、14日には入院でき る旨伝え、3度も電話してもらったお礼を申し上 げた。若くてかわいらしい女性の声はざわつく 心を穏やかに包み込んだ。  1983年に偶然に出会った新聞記事から付き合 いの始まった熊田Drとは相性が良く、肝臓のこ とは全てこの人にげたを預けようと決心するま でにそれほどの時間は要しなかった。それ以降 肝臓病のことについては勉強することは止めた 。何かあれば、彼の意見を聞き、それを私が確 かめ、決断するという形で過ごしてきた。今回 ほど熊田Drに感謝したことはない。普通の病院 にかかっていたら、11月のチャンスを見逃し、 癌細胞が大きくなってから発見されていただろ うし、手遅れになっていた可能性が大である。 そう言えば、20数年前に、彼は「肝臓では死 なせないよ!」と言ってくれた。そういう言葉 を発せられるというのは自信に裏打ちされたも のであり、あまりにも格好が良すぎる。「よぅ 、熊さん!」死ぬこと自体を恐れてはいないの だが、34年前に叔父が毎日「痛い!痛い!」と 悲鳴をあげながら死んでいったのを見ているの で、私は肝臓癌では死にたくないと考えている だけなのだ。  12月14日の朝9時過ぎに入院したのだが、すぐ に週1回の院長回診があった。14日は私の誕生 日であり、院長というのは熊田Drである。肝臓 病の研究と臨床と両方にわたる活躍で世界的に 名を知られた彼は東大系である虎の門病院では 珍しく、東大卒でなく40歳代で部長になり、つ いには分院長まで上り詰めるという虎の門病院  の歴史に名を刻んだ現役のレジェンドなのであ る。夢を持ち、努力を続ければ夢はかなう。最 近よく耳にする言葉だ。だから役職定年規定が あるので、68歳の今(当時)も現役を続けてい る。  はじめの入院の時だけは入院中も熊田Drが担 当医だったが、2回目以降は若手の医師が担当者 となって、入院中の治療全般を担ってくれてい る。熊田Drは外来の診察だけはずっとしている が、入院患者を担当する時間的ゆとりがなく、 肝臓病の臨床と研究を兼ねて入局してきた若手 に経験を積ませることも重要だからである。今 回は中村Dr、40歳代後半だろうか感じの良い医 師で、実によくベッドサイドに来て下さった。  院長回診の後、しばらくしてナースステーシ ョンの隣にあるカンファレンスルームに呼ばれ 、中村DrがMRI画像を見せながら、詳しく説明 してくれた。肝臓は8つの部分に分かれており、 今回影が見えるのはS₂というところで、心臓に 近い。どれくらいの大きさかと尋ねると、画像 下部にあるスケールで測ってくれ、1,32㎝だと 分かった。「小さいのでラジオ波(ラジオ波焼 灼法)で大丈夫だと思います。熊田先生もそう 仰っていました。」ということで、治療計画が 示された。「100℃の熱で焼くので、心臓に幾 分影響がある心配もあるが、最大限努力します 。」と言って下さった。  最悪は手術と覚悟し、手術に備えて浴衣を持 参して来ていたが、杞憂に終わった。思わず、 良かったと声が高ぶった。手術というのは本当 に大変なのだ。過去2回も手術している身として は、宝くじに当たったような喜びだった。ラジ オ波も一度経験しているが、手術とは比べ物に ならない。ということは一番きつい検査もなし 。 その検査は血管造影検査(アンギョウ)のこ とである。鼠蹊部の動脈からカテーテルを肝臓 内部まで挿入し、造影剤を注入して撮影する検 査だ。動脈を切開するので、検査後血液が漏れ ないようにきつく圧迫され、右足をベッドに固 定したまま明くる日の朝まで過ごさなければな らず、身体が途中からパンパンに張ってくる。  全く身動きが許されず、拷問のようなのだ。そ の検査もない。「これでいいのだ~!」「ラッ キー!」


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