ハーベスト・タイム『収穫の時』

毎月発行の月刊紙『収穫のとき』掲載の聖書のお話など。

◆11月号◆ 右手に聖書、左手にゴルフクラブ

2009-11-01 | 番組ゲストのお話
所沢バプテスト教会牧師  川田 道行


 ゴルフの道を究めたい、プロフェッショナルになりたいと、大学四年生の時に日高カントリークラブでアルバイトを始めました。ゴルフ場の休日と学校の会計学のゼミの日が同じ月曜日でしたので、月曜は通学、火曜から日曜は、来場者にキャディーを付ける仕事とゴルフの練習に費やしました。かろうじて大学を卒業し、続けて日高の従業員兼研修生としてゴルフの技術向上に励んでいました。
 ある日、同じ研修生仲間たちと夕食に出かけました。アルコールが入ったまま車で彼らを送り届け、一人で家に戻る途中、「お前はこの地上の生涯が終わったらどうするのか?」という、声とも言えない語りかけを聞きました。それから、「死」に対する恐れがずっと私の心を支配し続けました。幼い時も、近くの家で葬儀があった時など、死を恐れ涙したこともありましたが、自分には遠い先のことだと言い聞かせ、すぐに忘れてしまいました。しかしその食事をともにした夜以来、ゴルフにも身が入らず、会う友人たちに悩みを打ち明けました。ある者は「もっと歳を取ってから考えればいいことだ」と言い、別の者は「お前はよほど暇だからそんなことを考えるのだ」とも言いました。私の疑問、恐れに満足のいく答えをくれた者は一人もいませんでした。

 しかしあわれみ豊かな主、私を創り生かしておられる方は、次のようなさまざまな方法で私の心に語りかけてくださいました。
①早期練習を行うべくゴルフ場に向かう時、車内のラジオから流れてきた羽鳥明先生のメッセージを聞くことができました。
②私の妹は先にイエスさまを信じていましたので、三浦綾子さんの書かれた本が数冊家にあるのを見つけて、むさぼり読みました。
③お茶の水クリスチャンセンターでの求道者向けの集会にも、知り合いの方々と行く機会が与えられました。
 しかしゴルフの上達を第一としていましたので、毎週教会に出席するような求道者ではありませんでした。求道生活を開始して四年目の夏に、軽井沢の「恵みシャレー」で行われたPBA(太平洋放送協会)のキャンプに参加し、青年グループの集会に出席しました。その時の講師が大川従道先生でしたが、先生が親に反抗し暴力をふるった話やアメリカ留学中にされたゴルフの話を伺いながら、何か親しみと共感を覚えました。そして他の人との比較の中で優越感に浸ったり、劣等感にさいなまれている自分自身の弱さ、罪を示されました。しかしそんな自分勝手な者をも大切に思ってくださり、私の罪の身代りとなって十字架にかかられたイエスさまを私の救い主と信じ受け入れる決心をすることができました。その年、一九七七年、二七歳のクリスマスイブにイエスさまへの信仰を告白しました。

 その後さまざまな試練やサタンの誘惑にくじけそうになったこともありましたが、イエスさまは折にかなった助けと導きを与えてくださいました。そして「収穫は多いが、働く人が少ない」(マタイ9・37)とのみことばに押し出されて、神学校で学ぶ思いが与えられました。ゴルフをすることもあきらめ、ティーチングプロのライセンスも返上して、三三歳の時に東京基督神学校に入学しました。留年する覚悟もしていましたが、主のあわれみによって三年で卒業が許され、宣教師とともに所沢で開拓伝道を始めました。
 所沢には教派に属さない宣教団体がありましたが、そこの宣教師からゴルフ伝道を一緒にやらないかとの誘いがありました。当時はバブル絶頂期で、ゴルフをする経済的な余裕などありませんでしたが、アメリカから来られたゴルフ伝道者と交わる中で、ゴルフ伝道に次第に興味を持つようになりました。やがて「フレンドシップゴルフ」という伝道部門がその宣教団体の中に生まれ、その働きに加わりました。当時アメリカのトーナメントで活躍したプロが、秋になると日本のトーナメントに参戦していましたが、あるゴルファーは「試合に勝ってもその喜びは束の間だが、、イエスさまとともに歩むことは何物にも代えがたい喜びである」と証しの中で語ってくれました。その頃からバブルがはじけてゴルフのプレー代が以前の半分以下になりました。ゴルフを用いてイエスさまを伝える絶好のチャンスが到来しました。ゴルフをすることをためらっていた教会の牧師や信徒の方々も、次第にゴルフはイエスさまの愛を伝えるツールとなり得ると思うようになりました。VIPクラブ、YMCAなどのグループを初め、最近ではジュニアゴルファーに対しても、イエスさまはご自身の愛を伝えようとされているように思います。

 パウロは、「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです」(ローマ7・15)と語っていますが、多くのゴルファーがプレーを通して、パウロのように自分自身の弱さを実感しているのではないでしょうか。「ゴルフは創造者が人類に与えた最高のゲームである」との偉大なゴルファーの言葉に対して「アーメン」と叫びたい気持ちです。